36.礼儀作法はお辞儀から
唇をにいってつりあげるみたいな、意地の悪い笑みを顔にはりつけたまま、けむりさんは船の上から私を見下ろしてる。
人を見下ろしてるっていうだけで失礼だと思うけど、それ以上になんだか嫌な笑い方。
こんな変なおばあちゃんに絶対負けたくなんかない!
奥歯をぎゅっと噛み締めて、睨みつける。
見下ろすみたいな視線とばちばちってぶつかるような感じは一瞬。でも、すぐ聞きなれた声が耳に飛び込んできて、にらめっこは終わった。
「ビッテ従士!」
変な対抗心だって自分でもわかってる。
それでもむきになってけむりさんをにらんでて気づかなかったけど、桟橋に降りる階段のところに兵隊さんがたくさん集まってきてた。
手に手に銃を持った兵隊さん達の視線は私達に。
ううん。
けむりさんにぎゅっと集中してて。手元の銃も同じようにけむりさんに向けられてた。
他の国から来た人だし。きっと大事なお客さんのはずなのに、どうして銃なんか向けるんだろ?
そんなにこのおばあちゃんが怖いの?
『随分な歓迎だね』
『致し方ありますまい』
頭の上から聞こえるそんなやりとりは、兵隊さん達の緊張感とは正反対。
隣ではさっきまでサンドイッチをもぐもぐしてたカレカが、最後の一口を無理やり口に押し込んで、声の主――父さんに敬礼してた。
なにがおきてるのか全然わかんなくて、私はカレカの制服の裾をきゅっと握るしかなかった。
なにをすればいいのか、ほんとになんにもわかんないから。
兵隊さん達が開けたところから一歩進みでた父さんは、私を軽く見て。それから視線は少し上に。
そして最後にカレカを見た。
「報告を聞く、ついて来い!」
「はっ」
大きな声で返事をすると、カレカは大きく一歩踏み出した。
裾をつかんでた手はほどけて、でも、離れるなんてやだ。
「あの、トレも……」
そう思って、カレカを呼び止めてついてこうとしたのに、目の前が全部灰色になって。
だから私は足を止めた。
「トレ様、お仕事です」
「え、でも……」
りんと響くソプラノ。
ベルトに下げた銃とお尻側に見える短剣の柄。兵隊さん達と同じように完全武装のコトリさんは、私の肩をそっと抑える。
兵隊さん達の向こう側に飲み込まれるみたいに歩いてった父さんと、カレカの背中はすぐに見えなくなって。
でも、兵隊さん達は桟橋に降りる階段のところから離れなかった。
偉い人――父さんは千人長っていう偉い人らしいし、コトリさんだって百人長っていう役職。
そういう人を守るために集まってるのかと思ったのに、兵隊さん達の緊張感は全然ほどけない。
「トレ様、あの方に剣を渡してくれるよう伝えて頂けますか?」
「あ、はい」
カレカが向かった方を未練がましく見る私に、コトリさんは視線で促す。
もやいで留められてたって、船の上ってすごく不安定なはず。
だって、桟橋で見てる私が見ててもゆらゆらしてるのがわかるくらいだし。でも、それなのにけむりさんは揺らぎもしない。
大勢の兵隊さんに囲まれてるのに、口元はまだ笑ったまま。腕組みをして兵隊さん達をにらみつけてた。
『あの、剣を渡してもらえますか?』
その揺るぎもしないけむりさんに呼びかけたら、くっと右の眉毛が動いた。
髪の毛もそうだけど、同じように真っ白な、形のいい眉。
しわくちゃのおばあちゃんなのに、表情がくるくる動く。僧正様と同じくらいの年に見えるけど、そういうところはずいぶん違う。
『構わないよ』
一瞬怖い顔をして、それでもけむりさんは帯から剣を外して、船の上から私に差し出してくれた。
柄には細く切ったなにかの皮がしっかりとまかれてて、握りのところは家で使う包丁と同じで、手の形にへこんでる。
いつだったか忘れちゃったけど、包丁は毎日料理をしてると手の形に馴染んで形が変わるって母さんが言ってた。
脛みたいに太い骨が入り組んでるところを切り分ける包丁なんて、母さんの手の形になってるから、それがほんとだって私は知ってる。
だから、私はその剣に手を伸ばせなかった。
こんな長くて大きな刃物で料理をする人なんていない。
切るものなんてきまりきってる。
剣の柄の形が変わるくらい使い込んでるって、そういう事だよね。
『けむり殿、おやめください』
『このちびがよこせと言ったのさ。ほれ、受け取りな』
ためらう私を見て、どぅえとさんがけむりさんをとめようとしてくれた。
でも、けむりさんはそれを笑って流すと、ぐいっと私の胸の真ん中に剣の柄を押しつけてきた。
こんな怖いもの受け取りたくない!
怖い想像――でも、きっと事実に近いって証明するみたいに変形した剣の柄は、私の胸の真ん中をぎゅーって押して。
それがすごく怖くて。すぐにでもはねのけたいのに。でも、身体は鉛みたいに重くて動けない。
「おやめください」
「コトリさん」
横から手が伸びてきて、剣の鞘をつかむと、それを引き離してくれた。
コトリさんはそれを傍らに立ってた兵隊さん――さっき、天蓋で父さんと話してた赤毛の人。
コルダさんに渡した。
ふうって息をつくと、少し離れたところでかきんって音がした。
音の方を見たら兵隊さん達が銃をおろして、私と同じようにふうって息をついてた。
けむりさんはそれを見てくつくつと笑ってる。
『こんな婆をそこまで恐れるかね』
なにがあったのかきいた訳じゃないけど。
それでも、カレカや兵隊さん達を助けてくれたっていうのは嘘じゃないって思う。
思いたいだけかもしれないけど。
兵隊さん達が怖がるなにかを、このおばあちゃんが持ってるのはほんとなんだ。
「コルダ、交渉は船の中で行う。私達が外に出るまで何人も近寄らせるな」
「お二人だけでですか?」
「復唱」
「交渉終了まで何人も接近させません」
「よし」
コトリさんが強い口調でコルダさんに指示をする。
いつもふにゃふにゃしてるみたいに見えるけど、閉じ込められてたところから助けてくれた時もそうだし。
宿営地の食堂でも、兵隊さん皆に怖がられてた。
デアルタさんのお屋敷ではでゅえふさんをぼこぼこにしたり、コトリさんは強いんだって思ってた。
そのコトリさんを心配しなくちゃいけないくらい、このおばあちゃんはおっかない人なんだ。
「トレ様、こちらへ」
兵隊さんが来て、船に登るためのはしけがかけられる。
それを伝って船に登ったコトリさんに手をひかれて、少し高い位置にある甲板に登る。
船の上はあちこちが血で汚れたまま。
湖から吹く風のおかげで弱くなってるけど、それでもお腹の中からなにかがせりあがってくるようなひどいにおいがする。
「トレ様、話し合いは船室の中ですると伝えてください」
「あ、はい」
そんな匂いの中でコトリさんもコルダさんもそうだし。けむりさんもどぅえとさんも顔色一つ変えない。
えづいて、気持ち悪くなっちゃう私だけがここでは異質なんだ。
邪魔になったら弾かれちゃう。
それに、なにかに集中しないと戻しちゃいそう。
だから、気持ち悪いのは飲み込んで、けむりさん達にコトリさんの言葉を伝える。
『話し合いは船室の中でするそうです』
『そうかい。じゃあ、先に行って待っとくよ。突っ立ってたら疲れちまった……』
銃を構えた兵隊さん達に囲まれてるのに、なんの気負いもない様子でけむりさんは一人で船室に降りていった。
やれやれって聞こえそうなくらい力ない後ろ姿は、僧正様と同じ、お年寄りみたい。
……お年寄りなんだけど。
すごく強そうなのに、ふにゃふにゃのおばあちゃんにも見える。
『どぅえとさん。あの人、どんな人なんですか?』
『王様の代理を務めるくらい高名な方だ。剣匠と呼ばれる達人でもある』
『そう、なんですか』
そう教えてもらっても、なんだかよくわかんない。
形の変わった剣の柄を見たから、すごい剣術家なのかもしれないって思うし。
兵隊さん達があんな風に警戒するくらいだから、ものすごく強いんだろうっていう想像もつくけど。
でも、後姿はただのおばあちゃんみたい。
少なくとも偉い人になんか全然見えない。
部屋から離れたところでコルダさんと打ち合わせしてるコトリさんの方がよっぽど強そうに見えて。
こんな風に皆でものものしくする必要ってあるのかな?
『難しく考えるな。お前がいたから、こうして交渉がもてる。その事にはあの方もおれも感謝してるんだ』
どぅえとさんはそう言って頭を撫でてくれた。
ごつごつした大きな手はすごく力強くて、撫でられてるのにちょっぴり痛い。
なんていうか。摩擦でその内はげちゃうんじゃないかな……。
「お待たせしました。トレ様、よろしくお願いします」
そんな馬鹿な事考えてたら、打ち合わせが終わったコトリさんが、私とどぅえとさんの間に割り込んできた。
……なんか、悪意を感じるけど。気のせいって事にしとこう。
打ち合わせしてた時はきりっとして格好良かったのに、扉を開けてエスコートして、その笑顔はなんだかふにゃふにゃで。
少しだけ。
本当に少しだけど、話し合いがうまくいくか心配になる。
余計なお世話なんだろうけどね。
船室は甲板より少し低くなった空間だった。
天井の高さを確保するためなのかもしれないけど、背の高いどぅえとさんなんて立ち上がると頭が天井についちゃって。
それどころか腰をこごめないといけないくらい。
荷物を置くスペースとは別に作られた、人を載せるための場所が船室っていうならこのスペースは確かに船室。
でも、部屋って言えるほど快適な空間じゃない。
その狭苦しい空間の両側に据え付けられた椅子――なのか収納なのか。
ちょっとよくわからないのが据えつけられてて、けむりさんはそこに座ってた。
据え付けのローテーブルに足をのせてて、すごく態度が悪く見える。
「まずは来訪に感謝を」
その態度の悪いけむりさんににコトリさんは頭を下げた。私も同じようにお辞儀。
そしたらどぅえとさんに肩をとんとんって指で叩かれた。
そっか。
私、通訳なんだっけ。
『あの、来てくれてありがとうございます』
コトリさんの言葉を訳す。
私の言葉を聞くと、けむりさんも立ち上がってお腹のところに右手を当ててお辞儀。
身ごなしはすごく綺麗なんだけど、その後吐き出した言葉はやっぱり皮肉たっぷりだった。
『こちらこそ。だが、ちびちゃんが間に挟まるんだ。建前の儀礼は無意味だろ?』
『けむり殿!』
礼儀作法はともかくどういう事が失礼かくらいはわかる。
この人がやってる事が失礼じゃないなら、世の中の大抵の人は行儀いいんじゃないかな。
どぅえとさんも怒ってくれてるけど、けむりさんはどこ吹く風。
僧正様もそうだったけど、おじいちゃんおばあちゃんってなんで余計な事言うのが好きなんだろ?
返す言葉も無いくらいいらいらしてたら、今度はコトリさんに肩を叩かれた。
私は通訳なんだ。
なんか、頭もぼーっとしてるし忘れちゃうんだよなあ。
「トレが間に挟まってるし、礼儀とかは別にいいんじゃないかって」
「そうですか」
訳して伝えると、コトリさんは少し眉をひそめた。
別に私が言った訳じゃないけど、怒られてるような気がしてくるのはなんだか理不尽だよね。
「とりあえず、座って話しましょう。トレ様は、入口側に座ってください」
「はい」
「どぅえとさんにも入口側に座るように伝えてください」
席順まで決めなくちゃいけないのかな?
よくわからないけど、一番奥にけむりさん。その向かいにコトリさん。
入口に近い側それぞれの隣に私とどぅえとさんが座った。
「では、トレ様。この方に伝えてください。私達が求めるのは二つ……」
私に呼びかけて入るけど、コトリさんは視線を婆から離さないまま話す。
口角を上げて笑顔を作ってるみたいだけど、その眼は全然笑ってなくて、ちょっぴり怖い。
そんな怖い顔で話すコトリさんの言葉を、なるべく意味が違わない様に伝えてく。
間違ってるといけないから、手帳にも同じ内容を書きつけてどぅえとさんに渡した。
『交易を行いたい。その際、互いに会話するため手信号のルールを決めたい。ねぇ。
どぅえと殿、これは正気の沙汰かえ?』
『デアルタという男であれば、あり得る話かと。中央を飛び越えて交渉を持ち込むような男です』
おっかない表情のままのコトリさんと同じように、口元だけゆがめる嫌な笑みを顔に張りけつたまま、けむりさんがどぅえとさんに話しかける。
どこまで訳すべきなのか、ほんとはよくわかんない。
だからコトリさんをちらっと見てみるけど、こちらも口元だけ笑顔でけむりさんを見つめたまま。
お互いじっと見つめあってるのは、ちょっと気持ち悪い光景な気がする。
でも、これって話しの切れ目なのかな?
ならききたい。
ほんとは確認したくないけど、気になるんだもん。
「あの、コトリさん」
「なんでしょう?」
「手信号でやりとりできるようになるっていう事は、通師はいらなくなるって事ですか?」
オーシニアの言葉をしゃべれるのは私だけじゃないって、クレアラさんに言われた。
でも、言葉をつなぐのは多分特別な事で、大事にしなきゃって思ってる。
それが特別じゃなくなるっていうのが、なんだか引っかかっちゃった。
「皆がオーシニアの人と会話できるようになったら、トレはいらなくなっちゃうんですか?」
「こういった場では、という意味であれば、そうなります」
「そうなんですか」
お互いに自由にやり取り出来るようになったら、戦争がなくなるかどうかはともかく話し合いは出来る。
だから、それは私が手帳に書いた誓いと重なるはずなんだけど。でも、それはなんだか胸の中にちっちゃなひっかき傷みたいになってちくりと痛んだ。
「そんな顔なさらないでください。手信号の辞書作りや、対面での話し合い。まだまだ手伝ってほしい事はたくさんありますから」
私に向き直ったコトリさんは私の手をきゅっと握って笑いかけてくれた。
自分でもなにが引っかかるのか、ほんとはよくわかんない。
ただ、私の顔をじっと見てたのはコトリだけじゃなく、はす向かいに座るけむりさんもだった。
『ちびちゃん。酷い顔してるね』
酷い顔ってどんな顔なんだろ?
っていうか、よその国の人にまで言われるなんて思ってもみなかった。
けむりさんの言葉とか調子とかは柔らかい感じだけど、その表情は冷たい。
『あんたなにか勘違いしてるんじゃないかい』
『なにがでしょう?』
さっきまでとは違う、冷たくて強い視線は、眼の中から入ってきてお腹の中をつかむみたいな圧迫感がある。
コトリさんと話してた内容なんてわかる訳ない。
どっちの神様の味方なのか。敵方の神様に味方する人達の言葉は、聞き取る事も出来ないはず。
それなのに、私の顔色だけを見て、けむりさんはなにかを察したみたい。
『あんたを危ない目にあわせたくないから、この話から遠ざけようとしてるんだよ』
『なんでわかるんですか?』
言葉もそれからコトリさんが思った事も。
どうしてそんな風に、わかったみたいに話すの?
なんだかひどく腹立たしくて、返す言葉が大きく強くなった。
大きな声を出した私をふふんと笑いながら、けむりさんは足を組む。
ローテーブルと椅子の間は狭くて、テーブルに足をのせるみたいになって、すごく失礼感じ。
そんな失礼な態度のまま、けむりさんは続ける。
『大人の考える事なんて、そんなもんなんだよ』
『よくわかりません』
『お前さんみたいなちびを、危ない事に関わらせたくないんだよ。大人ってのはね、そういうものさ』
その言葉は断定的で、言い返したくてもなんて言っていいのかわかんなくて。お腹の中で気持ちがぐるぐるうねうね動き回る。
それはクレアラさんに手帳を見られた時と同じで、喉の奥から苦い物が飛び出しそうなくらい気持ち悪い。
『でも。トレは、戦争を終わらせるって約束したんです』
『誰とさね?』
今まで、面と向かって自分から誰かに言った事なんかなかったのに、約束の事がつるりと口から滑り出ちゃった。
私の言葉に、けむりさんの笑みはいよいよ深くなってく。
『えぅ。あ、えーと』
答えられる言葉なんかない。
前世がどうのとか言ったって、変な風に思われるに決まってるもん。
なんでこんな話しちゃったんだろ……。
『まぁいいさ』
答えられない私から目をそらし、けむりさんはコトリさんに視線を戻した。
私との話はおしまいって、態度で示して
『交易の件、承った。手信号の件も承認されよう。かわりに、こちらからも条件をつけたい』
はっきりとした口調で返答する。
私はそれを追いかけるように訳してコトリさんに伝えてく。
『この湖の海図を引いた奴がいるはずだ。そいつをこちらによこせ』
『それは駄目です!』
海図を引いたのはきっとカレカだ。
クリーネ王国がどんな国か知らないけど。でも、カレカが行くとしたら、一緒に行きたいって言ってもかなわないに決まってる。
せっかく帰ってきたのにまた離れ離れになるなんて嫌だ!
思わず立ち上がっちゃって、力が入ったお腹から出た声は自分でもびっくりするくらい大きくて、部屋の中にわあんって響いた。
皆の視線が集まるのがわかる。
すっごく恥ずかしくてほっぺが熱くなるけど、でも、嫌なものは嫌!
『お前さんと話してる訳じゃないよ、ちびちゃん』
氷みたいに冷たいけむりさんの視線は押さえつけるみたいな圧迫感だけど、それでも……。
そう思ったのに
「トレ様、訳してください」
コトリさんの目もけむりさんと同じようにやっぱり鋭い。
底冷えするくらい冷たい視線は、ふわふわ笑ってるいつものコトリさんとは全然違う。
その冷たさは、なんだかよくわからないくらい舞い上がった私の気持ちをずるずると引きずり下ろした。
「湖の海図を引いた人をクリーネ王国に渡せって言ってます」
「理由を尋ねてください」
カレカを渡すなんて絶対嫌だって気持ちは変わらないけど、もう力は入らなくて、ぺたんと椅子に座る
大人の事情とか振りかざされたらどうにもならないって、前世から今まででわかってた
『どうしてってきいてもいいですか?』
『交易するつもりなら道は互いに開かれてるべきだ。道中ちらっと見せてもらったが、あの海図は見事なもんだよ』
海図っていうのがどういう物かなんて知らない。
でも、カレカの仕事がすごいっていう事はなんとなくわかってた。父さんが特別に選ぶくらいだもんね。
そしてまた、そのせいで遠くに連れてかれちゃうかもしれないって事も。
「トレ様?」
「あ、ごめんなさい」
考え事がどんどんとっ散らかって、集中できなくて、黙り込んでたみたい。コトリさんに肩をとんとんってされて、ようやく自分の役目を思い出す。
「交易をするならお互いの行き来は自由じゃないといけないって、そういうお話みたいです」
訳した私の目をじっと見たまま、コトリさんは「ふん」ってちょっと唸るみたいに言うと、口元に手をやった。
口元が動いてるのは見えるけど、声は聞こえない。
ただ、難しい事を考えてるんだろうなって、なんとなくわかる。
そしてコトリさんが口にしたのは
「手信号で互いのやり取りが可能になったら、技師を派遣すると伝えてください。……という事で構いませんか、トレ様」
そんな答えだった。
もう、けむりさんの方を見てない。
にまにま笑って私の方を見たまま楽しそうにしてる。
それから、その向かいに座るけむりさんも、なんだかにこにこ。
どぅえとさんはなんだか俯いてて、たてがみのせいでよくわかんないけど口の端っこからぎざぎざの歯が見えてる。
きっと笑ってるんだよね。
なんだよ、もう!
その後はこれからの予定――収容所にいる二人と面会したりとか、収容所に泊まるとかそんな話とか。
収容所の二人も含めて、オーシニア人をどうやって国に帰すのかとか。
私が口をはさむ事が出来ない交渉事があって、話し合いが終わって部屋を出ると、お日様はもう空の上にあった。
暗い部屋の中にずっといたから、目の前が一回真っ白になって。それからちかちかと少しずつ色が戻ってくる。
「二人には車で収容所に送ると伝えてください。トレ様は先に帰って、お家で休んでくださいね」
コルダさんから受け取った剣を婆に返したコトリさんはそういって、先にはしけから桟橋に降りると天蓋の方に向かって歩いてった。
桟橋に降りる階段辺りに張りついてた兵隊さん達が割れるみたいに道を開ける。
部屋から出るときも、なんだか気持ち悪いくらいにこにこしてたけど、後姿はやっぱり軍人さんだ。
『けむりさん、どぅえとさん。お二人の事は後で車で送ってくれるそうです。それで大丈夫ですか?』
『問題ない。トレはゆっくり休め』
まだ船の上にいるどぅえとさんはそう返事をしてくれた。
けむりさんは私の事をじっと見て、それからさっきと同じように口元だけゆがめて笑う。
『あの海図書いたのは、お前さんの思い人かい?』
けむりさんの言葉を聞いた途端、ほっぺにわっと血が上って来た。
どんな顔してるかは自分ではわかんない。
わかんないけど、多分、トマトみたいに真っ赤になってる。
『思い人なんかじゃないです!』
『そうかい。じゃあ、国に連れてってもかまやしないだろ?』
なんなんだ、この婆。
なんだってんだ、ほんとに!
「ちび。おい、ちびー!」
噂をすれば影なんて言うのかわからないけど、カレカが私を呼んだ。
「今日はもう休めってさ。帰ろうぜ」
コトリさんが通る時と違って、カレカが来たからって兵隊は道を開けたりしない。
だから、銃を構えた兵隊さん達の向こう側で手招きしてて、その姿がなんだか子供みたいでおかしい。
『いい男じゃないか。仲良くしなさい』
とか婆が言いだす。
うっさいんだよ!
『けむり殿、あんまりからかわないでやってください』
どぅえとさんがもっと早く止めてくれればこんな恥ずかしい気持ちにならなかったのに……。
っていっても後の祭り。
『二人とも、コトリさんの指示に従ってくださいね』
恥ずかしくて我慢できないから、そう言い置いて船から離れる。
婆がなにか言ってた気もするけど、聞かなかった。
聞こえなかった。
そうしときたかったのに、どぅえとさんにわざわざ問いかけるように話しかける声は無視できなかった。
『あの二人は夫婦かい?』
って、んな訳あるか!
今回は、大人同士で話し合いをするエピソードをお届けしました。
おばあちゃんキャラの台詞が納得いく形にならなくて、何回か書き直して今の形に落ち着きました。
でも、そしたら地の文というか。主人公の一人称がへんてこになってる気が……。
もうちょっと可愛い子だった気がするんだけどなあ。
次回更新は2013/06/27(木)7時頃、お家で二人でのんびりするエピソードを予定しています。




