35.話し合いは明日から
山羊の革で出来た天蓋の前に、銃を持った兵隊さんが二人立ってる。
他の兵隊さん達はもう皆寝てるけど、その二人が立ってるのはこの天蓋の中に重要人物がいるからなんだなってなんとなくわかる。
二人とも、制服が血で汚れたりはしてない。
でも、緊張しているのか堅い表情をしてるし、灰色の制服も威圧感たっぷりで、ちょっぴり怖い。
だから、左右に仁王様みたいに立ってる内の右側。
左側にいる顎の立派な兵隊さんに比べて、少し若く見える兵隊さんに声をかけた。
「父様に……。えと、アーデ千人長に届け物があってきました」
ほんとは渡しておいてくださいって言ってもいい気がするんだけど。でも、母さんがどうしても直接渡せって言ってたから我慢する。
昨日の晩から焚かれ続けてる篝火はもう、少し弱くなってて、照らし出される顔の影を強くしてる。
若い兵隊さんは、視線だけできろっと私を見ると、それから左側に立ってる隣の顎の立派な兵隊に目配せした。
「少しお待ちいただけますか?」
目配せされると、その顎の立派な兵隊さんは私の方を見ないまま答えて、天蓋の中に入ってった。
入口の扉代わりになってる布の向こうにちらっと赤い髪が見える
カレカと一緒に怪我した兵隊を運び出してた人。
なにを話してるのかな。
気になるけど、声までは聞こえてこない。
「君、ほんとに千人長の娘さん?」
「え?あ、はい。トレ・アーデって言います」
聞いてもどうする事もできないってわかってるけど、それでも気になって、ぼんやり上の空になってた私にさっきまで直立不動だった若い兵隊は、少し姿勢を崩してそんな風に声をかけてきた。
走り回ってる間も何度かきかれたけど、なんなんだろ?
「似てねえなあ」
「聞こえているが……」
天蓋の中から聞こえた父さんの声にびくっとなって、若い兵隊さんは直立不動に戻った。
昼間はカルルさんに、父さんに似てるって言われた。
でも、ここでは似てないって言われてる。どっちなのか全然わかんない。
だからなんだって訳じゃないんだけどさ。
でも、どっちなのかはっきりしてほしい気はする。
「あの、父様。トレと父様は似てますか?似てませんか?」
だから、ちょっと気になって尋ねる私の言葉に、天蓋から出てきた父さんは一瞬固まった。
後ろに続いてた、さっき私に返事してくれた立派な顎の兵隊は、奥歯をかみしめるみたいに強く顎を引き結んでる。
直立不動になった若い兵隊さんの顔色は真っ青になった。
父さんはなんだか難しい顔。いつも通りな気もするし、困ってるみたいにも見える。
まぁでも、ね。
なにかごまかそうとするときの顔なんじゃないかなって思う。
「その話は後にしよう。用事はなんだ?」
「母様から書類を預かってきました」
予想通り私の質問をはぐらかす父さんに、肩掛けカバンに入れてきた母さんから預かった書類を渡す。
中は確かめてない。でも、品目と数字がたくさん書いてあったから、きっと請求書かなにか。
娘から請求書を渡されるって、どういう気持ちなのかな。
「内容はわかった。日が昇ったら頼みたい事がある。少し寝ておきなさい」
書類を軽く確かめると、そそくさと天蓋の中に戻ろうとする父さん。
けど、似てるかどうかより大事な聞きたいことがあったんだ。
「父様。カレカはどこにいますか?」
炊き出しを食べに来てないって母さんから聞いたし、ここに来るまでに会ってもいない。
せっかく帰ってきたのに一言も話してないままなんて嫌だもん。
扉代わりの布をつかんだまま、父さんは私の事をじっと見る。
私もその目をじっと見る。
寝るように言っただろう。
口元がそう動こうとしてる気がするけど、そんなのに負けないんだ!
出来るだけ目に力を入れて、父さんのグレーの瞳をじっと見返す。
見張りの兵隊さん二人も、なんだか情けない表情で父さんの事をちらっと見た。
ぎこちない沈黙。
「トレ……」
「カレカなら、船のところにいますよ」
天蓋の奥から太い声が響く。
昨日、カレカと一緒に怪我した兵隊さんを持ち上げた、あの掛け声と同じ。
「コルダ、お前!」
言いながら父さんは天蓋に入っていきかけて、でも、顔だけ出すと
「トレ、ちゃんと寝るんだぞ。いいな!」
って。
子供みたい!
実の娘が思う事じゃないかもしれないけどさ。
桟橋に向かってゆっくり歩く。
カレカがそこにいるってあの赤い髪の兵隊さん――コルダさんが教えてくれたから。
ほんとは料理のお手伝いをしたかったけど、雑貨屋さんのハゼッカさんが持ち出してきたお祭りの時用の鍋とか。あと、パン屋さんが準備した一抱えもあるような黒パンとか。
とにかく、家で使う道具とか材料に比べると大きくて手も足も出なくて。そのかわり一晩中、伝言を持って村中を走り回ってた。
なにかしたいと思っても、それくらいしかできる事なかったから。
悔しいけど、私は子供だ。
前世の記憶が十六年分あったって、身体の大きさとか腕力とか、いろんなものが足りない。
ペースも考えずに動き回ってたし、それにフフトの町に比べたら狭いけど、村だって結構広い。
そのおかげで足がすっごく重たいけど、それでも歩く。
東の空が明るい白に染まってる。
いつもならパン屋さんがようやく窯に火を入れるような時間帯。
けど、今日はもう風車広場にあるお店や、いくつかの煙突から白い煙が上ってる。
昨日の晩。
母さんが村の皆にお願いして、いざという時の備蓄まで倉庫から引っ張り出して準備した炊き出しはもう終わってて。
でも、もう一回火を熾すのは面倒だしって、竈の火を落とさなかったお家も少なくない。
煙突から上るふわふわした煙は空に向かって糸みたいに伸びて、日の出が近づいて白くなり始めた空とつながる。
濃紺の空に引かれた糸は空が流した涙みたいで物悲しい。
港の西側。少し村寄りのところに建てられた天幕から桟橋までなんて、大した距離なんてない。
でも、ずいぶん時間がかかった気がする。
疲れて足が棒みたいっていうのももちろんある。
景色を見てて悲しくなったなんて、そんな理由もあるかもしれない。
せっかくカレカと話せるのに、足はどんどん重くなる。
理由はよくわかんない。
でも、カレカと会ってなにを話すんだろ?
一緒に行った兵隊がたくさん怪我して。
カレカとコルダさんが運び出した兵隊さんだって無事だったとは思えない。
仲間がひどい目に遭って、その原因を作ったのは私が言葉を覚えてからなんじゃないかって、怖くなっちゃう。
会ったらなにを話せばいいのかな。
そんな事ばっかり、頭の中ぐるぐる回る。
それでも、足だけは。
走り回って疲れ切ってぼろぼろで。重くて棒みたいになってて。でも前に進んでて、桟橋までもういくらもなかった。
天幕からもよく見えた、カレカ達を乗せて戻ってきた大きな船。
兵隊さん達はぼろぼろだったのに、船には傷がない。
帰ってきた船を見たときはそんな風に思ってたけど、近づいてみると細かい線みたいな傷がたくさんついてるのがわかる。
その傷は外側を覆う金属の板も切り裂いてて、その下の木材が露出するくらい深い。
隙間から覗く木材は建物に使うそれと同じようににかわで防水加工されて赤っぽくて、血を流してるみたい。
そんな傷だらけの船の近くにカレカは一人で立ってた。
後姿ごしにふわりと煙が漂ってる。
篝火の光が水面に柔らかく反射して、うっすらと見える真っ白な肌がまぶしいくらい。
何年も見てきた背中。
後ろを追っかけて、ときどきおんぶされたり。
心強かったその背中が、今はなんだかひどく弱弱しく見える。
「…カレカ」
少しでも触れたら。
それ以上に、声をかけただけでも消えてしまいそうで、喉の奥でわだかまった声はなんだかがさがさとかすれてった。
「よう、ちび」
「カレカ!」
波の音もする。
風も吹いて、ひょうって音が時々してて、声なんか届かないって思ったけど、カレカは振り向いてくれた。
だからもっかいおっきな声で名前を呼ぶ。
口元にくわえたままのたばこ。それは少しこけた頬と合わさって、急に年を取ったように見える。
なんだか別人みたいで、そばに行っていいのかなって踏み出せないでいたら、カレカの方から近づいてきて、頭をぐしぐし撫でてくれた。
当たり前だけど、その手からもたばこの匂いがする。
……ほんとに大人みたい。
「元気にしてたか?」
「もちろん、カレカがいなくても全然平気でしたよ!」
ほんとはめそめそ過ごしてたけど、格好悪いもん。
そんな事言えない。
話したい事はたくさんあった気がするんだけど、それがなんだったのかよくわからなくて。
そのせいで胸が苦しくなる。
「あの時みたいに泣いたりしたんじゃねえの?」
あの時……ね。
カレカが州都に行っちゃったあの時、私はすごく泣いた。
思い出すだけで、鼻の奥の方がつんとする。悲しい思い出。
そんなこと穿り出しといて、口の端だけ上げてカレカが笑う。
なんだか意地悪そう。
「泣いて、ませんよ。全然……」
そう答えてみたけど、見える世界はどんどんぼやけて、ほっぺたが濡れてくのがわかった。
泣いてないなんて嘘だ。
泣いてるもん、今。
「悪かった。泣くなよ……」
「泣いてません!」
「相変わらずめんどくせえなあ」
カレカはぼろぼろ泣く私の頭を抱えて隠すみたいに抱きしめてくれた。制服の生地はごわごわでほっぺが痛いけど、ごしごしって涙を拭く。
あと、鼻水も。
しばらくそうしてたら、カレカのお腹がぐーって鳴った。
抱きしめられて、距離が近かったからなのか、その音はすごく大きくて。なんだかおかしくなっちゃう。
「ご飯、食べましょう!」
「なんかあるのか?」
桟橋に積みっぱなしになってた木箱に並んで座る。
昔、馬車の荷台に座った時みたい。
書類を入れてきた肩掛けカバンから、折詰を取り出す。
「まだ食べてないんじゃないかって、母様に包んでもらってきました」
「サンドイッチじゃん」
「はい」
私の膝の上に置いた折詰からサンドイッチをとって一口かじると、カレカはふわっと笑った。
それが少しだけ嬉しい。
「美味しいですか?」
「あぁ、うまい」
もぐもぐ口を動かしたまま、もう一個。
酸味が強くて少し甘い黒パンに少し塩気の強いチーズ。
それから薄切りのトマトとオリーブオイルであえた刻んだたまねぎ。
いつものカレカならもそもそ食べるような内容なのに、すごい勢いで食べてる。
大変だった後だから大好きなものを食べさせてあげたいって思ってたけど。でも、血の匂いをたくさん嗅いだ後だから、お肉はやめとこうっていう村の皆の方が正しかったんだね。
「お前が作ったのか?」
「いえ、これは皆で」
私がしたのはパンにスプレッドを塗っただけ。
皆でっていう言葉がちょっと恥ずかしくて、笑い方がぎこちなくなってる気がする。
でも、カレカは軽く「そっか」って言って、ぽんぽんって頭を叩いてくれた。
仕草全部がなんか、大人っぽい感じで。そのせいで子供扱いされてる気がして、なんかやだ。
まぁ子供なんだけどさ。
「お前の分は?」
「トレはもう、食べてきましたか……ら……」
って、言い終わる前にお腹がきゅーって鳴った。
「半分ずつ、な」
「ごめんなさい」
「気にすんな」
血で汚れた服は少し黒ずんで、その汚れはカレカの真っ白なほっぺにもついてて、いつもより血色がよく見えるくらい。いつもとは全然違うカレカの顔。
なのに、少しずつ普通の日が戻ってきてる気がして、それが嬉しかった。
それなのに、頭の上――船の上から降ってきた声が氷みたいに私の気持ちを冷やす。
『仲が良くてけっこうな事さね』
それは聞き覚えのない声。
それに外国の――オーシニアの言葉だ。
声の調子だけで感情の機微がわかるほど、私の言葉は完璧じゃない。それでも、声にからかうみたいな調子があるのはなんとなくわかった。
『誰ですか?』
『あんたの思い人の命の恩人ってとこさ』
『お、思い人!?』
振り返って見上げると、船の上からしわくちゃのおばあちゃんが私達の事。ううん、違う。
私の事、きろりとにらむみたいに見下ろして、にーっと笑ってる。
教会服と同じような左右合わせの服。
だけど、藍色の生地に大きな白い百合の花が刺繍された、華やかな装いは教会の人の感じじゃない。
州都でしか見た事ないような上等な仕立てのその服は、お腹の辺りを帯で留めてて、その帯から反りの入った剣――きゅきぃさんが持ってたのより少し長い剣を下げてる。
ざんばらに切った髪は真っ白で、湖から吹いてくる風にふわっとなびく。
僧正様と同じくらいの年に見えるのに、全体的にしっかりした立ち姿。
船の上から見下ろされてるせいかもしれないけど、なんだか威圧的な感じ。
『けむり殿、からかうのも大概にしてやってください』
『いいじゃないか、あれがお前さんが言ってた小さな通師だね』
船室から出てきたのか、後ろからおばあちゃん――けむりさんにどぅえとさんが声をかけた。
相変わらずライオンみたいに勇ましいどぅえとさん。なのに、しわくちゃのおばあちゃん相手に丁寧に話してて、それがなんだか腹立たしい。
『どぅえとさん、この人誰ですか!?』
『ん。あぁ……』
私の声は自然ととげとげしくなって、責めるみたいになる。
でも、答えたのはおばあちゃんだった。
『クリーネ王国全権代表のけむりってもんだ』
『ぜんけんだいひょう?』
けむりさんの言葉をおうむ返しに繰り返す。なんだか馬鹿みたいだけど、知らない言葉だもん。
もしかしたら実際馬鹿なのかもって、ちょっと思っちゃうけど。母国語ならともかく、オーシニアの言葉は知らない単語の方が多いんだ、恥ずかしくなんかない。
『王様の代わりって事だ』
どぅえとさんが補足するみたいに言うと、けむりさんは満足そうに笑って頷いた。
『そういう事。おわかりかい、ちびちゃん』
僧正様もそうだけど、しわくちゃの顔って、それだけでなんだか優しそうに見える。
そう思ってたのに、このおばあちゃんは全然違う。
わざわざ気に障るようにってしゃべってる感じ。
『ちびじゃありません!』
それがすっごく嫌で心の中でいーってしながら、反論してみるけどびくともしないんだって事だけはわかってた。
王様の代わりになる人がここにいる。
それは私の書いた手紙がちゃんと届いたって事で、喜ばなくちゃいけないのかもしれない。
でも、なんとなくこのおばあちゃんを好きになれないのはなんでだろ?
今回は、主人公が大好きなあの人におかえりなさいって言うエピソードをお届けしました。
台本が出来上がっていたのに、今回はずいぶん難産でした。
何回か書き直して、ようやくまとまったのが、今回投稿分なんですけど……。
台本通りに進めようとして無理が出ちゃったのかな。
次回更新は2013/06/21(木)7時頃、久々にあの残念な女性が登場して、交渉を展開するエピソードを予定しています。




