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34.おかえりなさいは心から

 レンカ湖の湖面はいつも静か。

 海と違って――といっても、この世界の海はみた事ないから、前世の記憶と比べて、だけど。

 波もないし、もちろん塩気もない。


 でも、その静かな湖面の下には凶暴な地形が潜んでる。

 湖の真ん中。かなりの深さがあるところに突然現れる岩――暗礁っていうらしいけど。

 そんな暗礁があちこちにあって、その複雑な地形が作り出す水の流れは、たくさんの船を飲み込んできた、

 っていうのは、カレカがいなくなってすぐ。めそめそし通しの私に父さんが教えてくれた事。


「だから、カレカの先導が必要だったんだ」


 なんてつけくわえられて。めそめそじゃなくしくしくな感じになっちゃったけど、それはまぁ。

 ね。


 湖の底が複雑な地形なのは、山が丸ごと飲み込まれてるからだって、地誌の本に書いてあった。

 でも、だとしたら、私の家とか物見台がある高台って、昔の人から見たらとんでもないところにある感じなんだろうな。


 なんて、ぼんやり考えながら湖のきらきら光る水面を眺める。



 クリーネ王国にきゅいあさんとどぅえとさんが使者として出発してもうすぐ一ヶ月。

 一緒に船に乗った兵隊さん達も、もちろんカレカも帰ってきてない。


 先々週くらいから、父さんと母さんからカレカの事を聞くのはすっかり諦めて。そのかわり学校から帰ってきたらここ――物見台より少し湖に近い崖に来る事にしてた。

 岩肌に食い込むように咲いた小さな紫色の花がいくつも咲いて、湖から吹く風にふわふわ揺れる。


 緑より岩肌の方がよく見える、ちょっとさみしい場所だけど、気持ちがそんなだから。なんだか落ち着くんだ。



 湖から吹き上げてくる風は少し湿り気があってなんだか気持ちがいいし、一人っきりで考え事も出来る。

 それに、誰もいないから泣いてても恥ずかしくない。


 といっても、湖の見える高いところで。

 でも、物見台が視界に入らないところって思ったら、ここしかなかったっていうだけなんだけど。


 とにかく、この場所で湖を眺めるのが最近の日課。

 どうしても膝を抱えるみたいに座っちゃうのは、気分の問題なんだと思うけど、誰が見てる訳じゃないから、別にいい。


 いつもならそんな風に思うんだけど。

 でも、今日はなんだか変なお客さんが一人やってきてた。


「なにかご用ですか?」


 草を踏む音がして、その音に驚いたのか少し深くなる息遣い。そんな気配を背中に感じたから声をかけてみる。

 けど、返事がなくって。だから、仕方なく振り向いた。


 そこには兵隊さんが一人。

 襟つけられたマークはカレカのより一本線が多い――階級が高いって事だと思うけど、よくわかんない。

 カレカより少しだけ背が高くて、でも、少しやせた印象のその人は、私の事をじっと見てた。


「あの……」

「あ、いや」


 私の問いかけに答えてくれないまま、目が合うと視線をそらす。

 なんだかそわそわした印象のその人は、四メートルくらいの距離に立ったまま。


 なんか変な人。


「どうしてそんなとこに立ってるんですか?」


 話をしたいならもっと近づいた方がいいし、そうじゃないならどっか行ってほしい。

 ……そんな事言えないけど。


 口をもごもご動かして、でも、聞こえるほどの声は出てなくて。時々こっちを見て、目が合うと視線をそらす。


 はっきりしない人だなあ!


「もう、なんなんですか!?」


 いらいらと一緒に吐き出した声は、思ったより大きくて、その人はびくぅってなった。

 私だって自分でびっくりしたけど、そんなに驚くほどじゃないでしょ。


 そんな風にびっくりされた事にもう一回いらいら。


「いや、飛び降りるんじゃないかと思って」

「そんな事、しません」


 どうしてそんなこと思ったんだろう。

 そんな心配されるくらい、ひどい顔してるのかな?


 いらいらで膨らんでた気持ちが、しゅーって小さくなって、それと一緒に声も小さくなった。


「使者の人達がいつ帰ってくるか、気になってるだけです」


 なんて言ってはみたけど、自分でもどうしてここに来るのかよくわかんない。

 でも、その人は「そうか」ってぽつりと言って、それきり静かになった。



 じっとその人の事見てみる。


 眉を寄せて、唇をかみしめて、叱られるのがわかってる子供みたい……って、年上の男の人にそんな事思うのも変なんだけど。

 でも、そんな情けない表情のまま、その人はそこに立ったまま。


 変な人。

 私は一人になりたくて来てるんだよ。

 そこにいるだけで台無しだって、気づいてくれたらいいのに……。


 でも、その人は動かない。

 動いてくれない。


 にらめっこみたいになって、それが気持ち悪くて。

 もう駄目って思うまで、ほんとに一瞬。


「今日はもう帰ります」

「そう、か…」


 宣言する私を見て、グレーの制服、いくつもポーチのついたベルトに拳銃と背中側に見えるナイフの柄。

 手袋をしたまま鼻の辺りを少しかいたその人は、それから大きく息を吸い込んだ。


 そんな風に決意しなくちゃ話せない事があるの?

 って思ったんだけど、その口から出たのは


「送るよ」


 の一言だけ。


 そんなの必要ない。

 家までいくらもないし、帰りは収容所に寄って行きたい。


 それに、思いつめた雰囲気が少し怖くて。だから


「いいです。すぐ近くですから…」


 そう言って歩き出す。

 歩き出そうとする。

 ……したんだけど、その人は私の腕をぎゅっとつかんだ。


「待ってくれ!」


 つかまれたところからぞわっと気持ち悪さが駆け上ってくる。

 この間のテアもそう。

 どうして皆こんな風に距離を詰めてくるんだろ?


「は、なしてください!」


 思い切り力を入れて引っ張る。

 けど、その手はびくともしなくて、逆に固い手袋に包まれた指にぎゅっと力がこめられて。

 そうしたら今度は、布地が肌に食い込んできた。それを無理に引き離そうとすると、ひっかかれるみたいな痛みが走る。


 でも、気持ち悪いんだ。

 そんなの気にしてらんない。


 だから




 あーん、がじ




「いってえ!」


 煮込みが甘かったスジ肉を食べる時みたいに、ぎりぎりってなるくらい、つかんでる手に思い切り噛みつく。


「んぎー!」

「悪かった、放してくれ!」


 そっちこそ手を放して!

 口がふさがって声なんか出ないから、ぎーって顎に力を入れる。

 手が放れたらすぐ逃げられる様に、両足にぎゅっと踏ん張りながら、狼がするみたいに首をぶんぶん振って。


 首を振るたびに歯が抜けちゃいそうに痛いけど、どうせまだ乳歯。もっかい生え変わるんだからって割り切って、ぎゅーっとかじる。


「放してくれ!おれは。おれはただ、謝りたかっただけなんだ!」


 謝る?

 どうして?


「あの時、君を撃った。その事を、謝りたかった」


 あの日、きゅきぃさんと私を銃で撃った人……名前は思い出せないけど、でも、その時の傷は身体に――左肩にぎざぎざの傷になってしっかり残ってる。


 一言一言、区切るみたいに話して、そうしたら手から少しずつ力が抜けて。

 だから、私もかじるのをやめる。


「あの、名前を聞いていいですか?」

「カルル。カルル・ホウ従士長」


 カルルさんは私にかじられた方の手を追おう手袋を外して、その指を押さえながら、弱弱しい声で名前を教えてくれた。


「カルルさん。トレはもう、気にしてないです」


 銃口を向けられると嫌な気持ちになる――そんなの皆嫌に決まってるし。最近は猟師さんの鉄砲の音だって、怖いくらいなんだけど。

 でも、撃たれたのを気にしてないのは本当。

 だから、腕をつかまれて。ほんとは怖くて、ちょっと気持ち悪くても、精一杯笑顔を作ってそう伝える。


「だから、カルルさんも気にしないでください」

「君はやっぱり千人長の娘さんなんだな……」


 そういうとゆっくり手を放してくれた。

 放してくれたのはいいんだけど、カルルさんがなにを言いたいのかさっぱりわかんない。


 それに自分の父さんとはいえ、おっかない顔だもん。似てるっても言われても手放しに喜べないから。


「あの、どういう事ですか?」

「強いなって、思ったんだ」


 問いかけた私に、泣きそうな顔のまま口元だけ笑って、カルルさんは私の頭をぽんぽんって軽く叩いてくれた。


 カルルさんは強いって言ってくれたけど、私は全然強くなんかない。


 カレカがいなくなって、無事に帰ってくるか不安で、毎日毎日めそめそして。少し平気になってきたら、今度はこんなところで一人で考え事。

 オーシニアの言葉がしゃべれる様になって、特別なんだって思いこもうとしたけど、でもそうじゃないって事にがっかりして。


 自分でもなにがなんだかわかんない。



 そんな事ぐるぐる考えてたら、遠くの方で緑色の煙が上がるのが見えた。


「カルルさん。あれ、なんですか!?」


 さっき放してもらった手――の袖口をぐいっと引っ張る。

 カルルさんから見たら背中側。湖の向こう岸に上がる煙を指さすと、緑の煙の後に赤い煙が上がってた。


 それから……


「緑……赤……緑。後退する合図だ!」

「それって。それって、どういう意味ですか!?」


 私が問いかけるより早くカルルさんは物見台に向かって走り出した。

 引き離されない様に私もその背中を追いかける。


 お屋敷から帰ってきてからも走り込みは続けてるんだ。

 男の人にだって負けない!


 すぐ後ろに追いついて、そしたらカルルさんは私の家の方を指さす。


「君は家に戻れ!お父さんかお母さんに煙の色を伝えるんだ!」

「わかりました」


 なにがあったの?

 ってききたかったけど、でも、こんな風に慌てて戻らなくちゃいけないって、絶対いい事じゃない!


 嫌な想像にふたをして、私は速度を上げる。


 スカートなんか履かなきゃよかったって歯噛みしながらトップスピードに。

 家まで持てばいい。

 足が千切れたってかまうもんか!




 あちこちにかがり火がたかれて、グレーの制服を着た兵隊さんが慌ただしく行ったり来たりしてる。


「歩ける奴はいい、こっちだ。手を貸せ!」

「船室に二人、動けないのがいる」


 怒鳴り声が飛び交う中、船から降りてきた傷だらけの兵隊さんが、他の兵隊さんの肩をかりて建物に向かって。

 その兵隊さんと入れ替わるように、白い腕章をした兵隊さん四人が船に駆け込んでいく。


 船には傷一つない。

 けど、降りてくる兵隊さん達はぼろぼろで、でも、その傷は銃で撃たれたみたいな点じゃなくて。直線に引っ張ったみたい。


 きゅきぃさんが父さんに切られた時と同じような刀傷ばっかり。

 傷から流れる血のせいで、降りてくる兵隊さんも、助けるために船に行った兵隊さんも、その制服はどす黒い赤に染まってる。


「母様、なにかできる事はないんでしょうか?」


 そうきいてみたけど、母さんは黙って首を横に振るだけだった。


 お呼びじゃないってわかってる。

 けど、気持ちがどんどん前のめりになって、居ても立ってもいられない。


 なにより、傷だらけの兵隊さん達の中にカレカがいないか。

 そんな事ばっかり心配で、口の中がからからに乾いてく。


「大丈夫、カレカはきっと無事よ」


 そう言って母さんは私の肩に手をのせてくれた。でも、その手も少しだけ震えてる。


 胸の奥の方がきゅーっとなって、息が苦しい。


 どうしてこんな事になったの?

 そうききたいけど、答えてくれる人なんかいる訳ない。


 皆、自分の事。

 それから仲間を助けるために精一杯なんだ。


 でも、それでも傷だらけの兵隊さん達の中にカレカの姿がないか。声が聞こえないか、そればかり気にする私の耳に、船の上から聞こえる声が飛び込んで来た。

 周り皆が大きな声を上げてるのに、私にはその声だけがしっかり聞こえる。


「カレカはそっちを抱えろ」

「はい!」

「いくぞ、せーの」


 その声と同時に、赤黒く染まり始めた船の上に真っ赤な髪の大柄な兵隊さんが。

 そしてその人に両脇を抱えられた、血まみれになった人が。

 それから、真っ黒い髪が見えた。


 雪みたいな白い肌に血を浴びて、真っ赤になったカレカが、ぐったりと動かないその人に大声で呼びかける。


「リト兵長、目を開けとけ。絶対助かる!」

「足、上げろ!」


 二人は抱えられて動かない人の身体を桟橋に押し上げると、白い腕章――血に汚れて、もうほとんど赤くなった腕章の兵隊さんが持ってきた担架に乗せた。


「二人とも、引き継ぎます!」

「頼む!」


 真っ赤な髪の兵隊さんは、担架を持ち上げた兵隊さんの肩をぽんと叩くと自分はもう一回船の中に戻ってった。

 その後ろ姿を見送るカレカは、空を見る。

 私もその視線を追いかけて空を見た。


 篝火みたいにオレンジ色の月はすごく細くなるくらい欠けて、意地悪く笑ってる。



 月を見上げるそのところどころ血で赤く汚れた、真っ白な横顔は綺麗で。でも、消えちゃいそうで、だから


「カレカ!」


 兵隊さん達の大きい声があちこちから上がってて、私の声なんか届くわけない。

 だけど、思いっきり大きな声で。精一杯呼びかけた。


 そうしたら目が合って、カレカはふわって笑ってくれたんだ。

 目が合ったのなんてほんの一瞬だったし、赤毛の兵隊さんに呼ばれて、すぐ船の中に戻っていったけど。



 無事に帰ってきてくれたのが嬉しくて、でも、なにも出来ないのが苦しくて、ぼろぼろ涙が出てくる。

 べしょべしょに泣く私の肩を母さんが肩をぽんと叩いた。


「私達にも出来る事、思いついたわ」


 そう言ってにーって笑う。


「村の皆にお願いして炊き出ししましょう」

「え。あ、はい!」


 もう真夜中に近いけど、左右を高台に囲まれた村は音が通りやすい。

 兵隊さん達の声だって聞こえてるはず。


「お店の人にものを出してもらえるように頼んでくるから、トレは村の皆のところを走り回って風車広場に集まるように言って」


 窓から光が漏れてるお家もある。

 全部回れば人手は集まる。


「さぁ、大仕事よ!」


 のしのしと歩き出す母さんの背中は小さい。けど、すごく頼もしい。

 その背中を追い越して村に走る。


 私だって役に立ちたい。

 カレカの手助けがしたいんだ!




 夜は湖から吹く風がないから、村の中心にある四つの大きな風車は止まってる。

 風車が回るたびに聞こえる風を切るみたいな音も、今は聞こえてこない。


 でも、集まった村の人達はざわざわして、落ち着かない。

 湖の方からはまだ悲鳴なのか怒鳴り声なのかわからない声が聞こえてくる。

 なにが起こってるのか知ってる私だって、お腹の奥がきゅーって苦しくなるくらい怖いのに、なにも知らない村の人達はなおさらなはずなんだ。


「トルキアさん。あれはなんの騒ぎ?」

「蛮族の連中が攻めてくるの?」


 口々に疑問を口にする皆の前に、母さんは堂々と立った。


「心配な気持ちもあるでしょうけど、この村を守れるのはあそこの兵隊さん達だけよ。

 その兵隊さんが大勢怪我してるの。

 落ち着いたらお腹がすくはずよ。

 稼ぎ時だと思って、窯に火を入れて、ありったけの料理を作ってちょうだい!」


 大きな声で呼びかける。


 村の人達の不安に応えながら、でも、母さんの手も少しだけ震えてる。

 母さんだって怖いんだ。


 それでも真っ直ぐ村の皆を見て、大きな声で話す母さん。

 その声に村の人達は頷いて、村の皆で使う共同の竈に火が熾されてく。



 戦うばっかりが強さじゃない。


 母さんは背中でそれを教えてくれた。

 そんな気がするんだ。


今回は、主人公が大好きなあの人が帰ってくるエピソードをお届けしました。


帰ってきたんですけど、色々と酷い有様です。

本人は怪我していませんが、大勢の犠牲が出ました。


交渉がうまくいったかまで書こうと思って台本を用意したんですけど、そこまでたどり着けませんでした。



次回更新は2013/06/14(金)7時頃、交渉相手に説教されたりするエピソードを予定しています。

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