33.特別は普通の延長から
教会の事務スペースは手狭で、自分の机っていうのを持ってない人の方が多い。
疎開組の子達に部屋を割り当てたせいってエウレから聞いたけど、あの子達がいない頃だって個室はなかったみたい。
だから、個室をもってるっていうだけでクレアラさんは特別なんだって事、なんとなくわかる。
わかるんだけど。
「ささ、入って。ちょっと散らかってるけど……」
いえ。入れません。
「どうしたの?」
ドアの向こう、先に部屋に入ったクレアラさんがちょっと首をかしげてる。
でも、首をかしげたいのは私の方だよ!
足の踏み場もないくらい散らばった書類とか。塔みたいに積みあがった本とか。
ソファには、いつ着替えたのかわからないくらいしわくちゃになった赤と白の教会服が投げ出されてるし、もうぐちゃぐちゃ。
この世界では紙って貴重品だし、本なんてそれ以上の高級品。
そんなのが散らばってるとこにそんな風にどかどか入っていけないもん。
「あの、片づけてからの方がいいんじゃ……」
「あー、うん。いつもならテアが片付けてくれるんだけどね。今は遠出してるから……」
言いながらクレアラさんは本を足でよけて、でも、書類はふんずけちゃってるんだけど。いいの?
ねぇ、それいいの?
本とか紙とかが高級品だって刷り込まれてる今生はともかく。前世でも本を粗末にしちゃダメって言われてた気もするし、ものすごく嫌な眺めなんだけど、クレアラさんはお構いなし。
本とか適当にどけて作ったスペースに、きっと机――本が積みあがって城壁みたいになってるけど、きっと机だったなにかの向こうから持ってきた椅子を置いて
「そんな顔してないで、かけて」
なんて、笑う。
蜂蜜色の髪の毛の間からエメラルドみたいに輝く緑色の瞳。笑って糸みたいに細くなった目。
それに、すっと通った鼻筋と少し吊り上った口元。とがった顎。
初めてあった頃よりはっきりした面差しは、男の人だってどうしても意識しちゃう。
「ほら、早く!」
「え、でも……」
そんな風にせかされても、椅子にたどり着くまでに書類とかいろいろ踏んじゃいそうだし。本だってまだ散らばってて……って、踏み出せないでいたら、身体がふわっと浮いた。
膝の裏と背中がちょっぴりあったかい。
「トレは甘えん坊だね」
「ちょ、っと、違います!」
お姫様抱っことか、やめて!
っていうか、触わんないでよ。馬鹿!
「じたばたしない!」
そんな事言われても、父さん以外に抱っこされた事とかないんだから!
とさって椅子の上におろされて、なんとなく座って待ってる。
待ってるんだけど、クレアラさんは部屋の中をごそごそやってて、ちっとも話を始めない。
「いま、お茶煎れて上げるからね」
って言ってから、もう五分ぐらいたったけど。ポットを持ったままうろうろがさごそ。
「あの、見つからないなら、いいんですよ」
「んー。いや、待って。テアが言うには、すごくいいお茶らしいんだ」
美味しいお茶は魅力的だけど、お部屋の散らかり具合を考えるとお茶が入る頃には明日になっちゃってる気がする。
あと、クレアラさん。
足元にある銀色の筒は、茶筒じゃないの?
ねぇ。
どうして気づかないの!?
お湯も、こぼれちゃ……あ、こぼれた。
駄目だ、この人。
てんで駄目!
見てられない!
「あの、お茶はトレが煎れますから」
「ごめんね、トレ。ぼく、こういうの苦手なんだ」
そういってへへって笑う。
いつもそんな風に笑ってくれたら、もうちょっと好きになれそうなんだけどな。
本を踏まない様に注意して、ポットを受け取って、茶筒を拾い上げる。
茶筒には几帳面に整った文字で開封日とか産地とかが書いてあった。床に落ちてる書類の筆跡じゃないから、テアの字かな?
「じゃあ、お茶入れますから……」
って思ったんだけど、今度は茶こしがない。
もー!
ポットからお湯を注ぐと、柔らかい香りが広がった。
白磁のカップに満たされてく赤いお茶は、デアルタさんの屋敷で飲んだシロン産発酵茶葉より少し淡い。
「どうぞ」
「ありがとう」
椅子は私のためにしつらえた一脚しかないみたいで、ソファーの上は脱ぎ散らかした着替えでいっぱい。
他に座るところがなくて、机の上に腰かけたクレアラさんにカップを渡す。
「いい香りだね」
カップから漂う香りにふわっと笑う。
細かな仕草はすごく格好いいとは思うけど、こういう人。苦手。
「それで、お話ってなんですか?」
「うん。あー、あれ?どこ置いたっけ」
ようやくお話が始まるんだって思ったら、机の上をがさごそ始めちゃった。
どこ置いたとか、そんなのきかれても知らないから!
なに探してるのか知らないけど、その事を話したかったんじゃないのかな……って思いながらぼんやり。
さっき助けてくれた時は格好良かったのに、今はあきれるしかないくらいぐだぐだ。
ひっかきまわしてる内に、机の上の本が崩れたり書類が破れたりしてるけど、大丈夫なのかな?
「あ、あった」
待ってたのは多分二~三分。
そういってクレアラさんが机から引っ張り出したのは、縫製された痕跡のない赤茶色の皮革で装丁された手帳。
ばらばらと開かないようにベルトで裏表が固定されてて、そのベルトには鍵穴がある。
あの人からもらった、私の大事な手帳!
「それ、トレのです。返してください!」
手を伸ばしたら、クレアラさんは手帳を頭の上に掲げちゃった。
身長差もあるし、背を伸ばしても手が届かない。
触れるの覚悟でジャンプしたらもしかしたら届くかもだけど、そんな勇気ある訳ない。
自分がどんな顔してるのかはわかんないけど。でも、こっち見て、クレアラさんがにーって笑う。
なんなの!?
「返してもいいけど、条件一つ」
いがいがいらいらする私に、クレアラさんは手帳を持ってない方の右手の人差し指を立てて、突き出してきた。
噛みついてやりたい!
ぎーって顎に力が入って。
でも、噛みつくなんて出来なくて、ぎゅっと拳を握る。
そしたら、クレアラさんの笑顔が深くなった。
「中を見せて。鍵がかかってて開かないんだ」
「やです!」
おっきな声で即答したら、クレアラさんは片眉をキュッと上げる。
私だっておっきな声くらいだすよ!
普段、その必要がないだけでさ。
「恥ずかしい事でも書いてあるの?」
「違います、けど」
「ポエムとか?」
「ないです!」
そんなの書くか!
……あ。でも、日記とかにカレカの事とか書いてるかも。
うぐあー!
なんで手帳の中になんて興味があるの!?
「開けてくれないなら、ベルトを切って開けるしかないけど」
そう言ってクレアラさんは机の上のナイフを手に取った。
それを手帳のベルトにすと当てて。
そして……
「やめてください!」
その手がためらいもなくベルトを切るのが“見えた”。
前世の私と今の私をつなぐ大事な手帳。
ベルトを切られたら、そのつながりも切れちゃう。そんな気がして、思わずおっきな声が出た。
この人はきっと、人が大事にしてるものを傷つけてもなにも思わない。そういう人だって、はじめてわかった。
「あの。開けます。開けますから、やめてください」
獲物をいたぶる蛇みたいな笑みを浮かべたクレアラさんは、手帳を差し出してくる。
いつもそうしてる通り、ベルトの端っこにある鍵穴の上に指をあてると、かちりと中の錠前が動いて、カギが開いた。
「ありがとう、トレ」
そう言って、鍵の開いた手帳をクレアラさんは私の手の中からさらってった。
耳が痛くなるような沈黙の中、ページをめくる乾いた音だけが響く。
分厚い手帳の中を改めるクレアラさんの顔色は変わらない。
元からなにを考えてるのかわからない人だけど、そんな人が手帳の中を読んでなにをするつもりなんだろ?
一年前のあの日みたいに、黒い制服の人が部屋に踏み込んできたりしたらどうしよう。
そんなことばっかり頭の中にあふれて、お腹の中がどんどん冷たくなってく。
握った手の中がじっとりしめって、気持ち悪いよ。
真ん中くらいまで手帳のページをめくって、ちらっと私の方を見て、クレアラさんがくつくつと笑う。
「なにか、変な事書いてありましたか?」
「いや。がちがちに緊張してるなって、思っただけだよ」
うっさい!
そんな事言ってる間も、手元はぱらりぱらりと手帳をめくってく。
「最初のページに書いてあったのは何語かな?アジアの言葉だよね」
「日本語です」
「なんて書いたの?」
「戦争を終わらせるって……」
「そう。可愛い文字だね」
獲物をいたぶる蛇みたいな笑みを浮かべるクレアラさん。
そういえば、あの日来た黒い制服の人も、なんだかすごく満足そうに笑ってた。
その時の顔もこんな感じだった気がする。
人をいたぶるのを楽しむ人には見えないけど、それでも怖かった。
クレアラさんの笑い方も、男の人と二人きりだって事も。お昼食べた給食が、急に喉の奥にせりあがってくるみたいな酷い気分。
でも、私の気持ちになんか関係なく、クレアラさんの質問は続く。
「トレはトマトが好きなんだね。絵も描いてあるし、料理の仕方に育て方。ずいぶんたくさん書いてある」
「いつか自分で育てたいんです。変ですか?」
「全然」
別に変なこと聞かれてる訳じゃないのに、緊張して口の中がどんどん渇いてく。
蜂蜜色の髪の毛の間からエメラルドみたいに輝く緑色の瞳がじっと私を見て。
それからもう一度手帳に視線が落ちた。
「この、蛮族の言葉とこの国の言葉の対応表。これも君が?」
「そう、です、けど」
南部でオーシニアの言葉を理解できるのは私だけってデアルタさんは言ってた。
父さんも母さんも、カレカだってわからない。
あんなに色々な事を知っていそうな僧正様もおんなじ。
そもそも文字として認識できないって。
それは呪いだからって皆言ってたのに、クレアラさんはきちんと言葉として認識してる。
「クレアラさんもオーシニアの言葉が読めるんですか?」
「勉強すれば読めるかもしれないね。でも、その必要は感じない」
クレアラさんはこともなげにそう言った。
三ヶ月も勉強して、ようやく読めるようになった言葉。それだけで特別だって思ってたのに。
いつかオーシニアの人とのわだかまりがほどけて、戦争が終わるかもって。
なのに、クレアラさんはなんの価値もないみたいに言い切って、薄く笑う。
なんでだろ。
すごく悔しくて、なにか言い返さなきゃって思うのに、言葉がすらすら出てこない。
「どうして必要じゃないんですか?言葉がわかれば仲良くなれるかもしれな……」
「それは無理だよ、トレ」
ようやく吐き出した言葉。けど、クレアラさんの言葉はそれをさえぎる。
「この世界の人間が互いに言葉を通じる事がないようにって、神様同士が決まり事を作ったんだ。
人間はその決まりから抜け出す事は出来ない」
机の上で足を組み直すと、クレアラさんはその膝に肘をついた。
酷く不真面目に見える。けど、前世で見た神様かなにか――仏像みたいに柔らかい姿勢。
椅子に座った私の視線より少し高いところから、怖いくらいの無表情で私を見下ろしてる。
「でも、タリア連邦には両方の言葉を話せる人がいたって……」
「うん。だから滅ぼされた。とは考えなかったのかい?」
「そんな!」
酷く愉快そうに眼を細めて笑いながら、クレアラさんは手元のナイフをもてあそぶ。
磨き上げられた刃物が反射する光が部屋の中をくるくる踊って、その光が目に飛び込むたび、目に焼きつきが走った。
「タリア連邦の通師も、そのほとんどが勇者候補だったんだ」
そんなの私、知らない!
「ぼくら勇者候補はこの世界のルールに縛られない。だから……」
ちかちかする視界の向こうで、言葉を切ったクレアラさんの手がふわりと動いた。
それと同時に頭の上をなにかが通って、すぐ後ろでとんってぶつかる音。
そして
「神様だって殺せる」
含んだような笑みを浮かべたクレアラさんの投げたナイフは、私の後ろに張られた、神様――トレブリア様の絵姿の眉間に突き刺さってた。
神様を殺して英雄になる。それが勇者候補の私達に与えられた目標。
それはわかってる。
けど。それでも。可能性があっても相手と仲良くする必要なんかない。そう言い切るクレアラさんの言葉はすごく怖くて、膝が震える。
歯の根も合わなくなってかちかち鳴って。
心臓をぎゅっとつかまれたみたいに胸が苦しくて、声を上げて泣いちゃいたいのに、気持ちが喉の奥でわだかまって。なのに、声にして吐き出す事も出来ない。
爆発しそうなくらいどくどくなる心臓の音が強すぎて、それ以外なんにも聞こえなくなっちゃってた。
麻痺したみたいな耳に、とんとんって軽い音が飛び込む。
「入っていいよ」
私を見る視線を外さずに笑うクレアラさんは、音の方を見もしないでその音に応えた。
どきどきで耳が痛いくらいなのに、扉を開ける音はなんだかはっきり聞こえて
「失礼します」
その後を聞き覚えのある声が追っかけてきた。
「やぁ、テア。帰ってきたんだね」
「えぇ。たった今」
身体はかちかちに固まったみたいに動かなくて、後ろを確認なんてできないけど。
でも、テアの気配が少し近づいてきたのを背中で感じて、少しだけ息を吐く。
部屋の中に体積があるみたいに濃密な沈黙が張りつめて。その重みに縫いつけられたみたいに足が動かない。
でも、ききなれた声を聞いて、少しだけ気分が落ち着いた気がする。
「神様の絵姿になんてことするんですか」
そういって、テアは深い溜息をついた。
それから、きんって軽い金属音。
その音と同時に、部屋の中に光が舞った。
多分、絵姿に刺さったナイフを抜いたんだなってなんとなくわかる。
「お疲れ様、どうだった?」
「けっこうな強行軍でしたけど、まぁなんとか。でも、思うような成果があったとは思えません」
「いいんだよ。君が足を運んだっていうだけで、十分なんだ。大変だったろ。今日はもう休むといい」
私がいるのなんか気にしないみたいに、二人の間で話が進んでく。
頭の上を行ったり来たりする言葉は、さっきまでの重たさなんかなくて。それでも、私の中に居座った怖い気持ちは消えてかない。
二人の間に立ったまま、動く事も出来ないでいたら、左手にふわっとあったかいものが触れて。
そのまま身体がぐいって引き寄せられた。
クレアラさんの事が怖くて、足元ばっかり見てた視界が急に真っ青になった。
目が覚めるような色の教会服は、テアの濡れたみたいに光る黒髪によく映えて、すごく綺麗。
おっきくて頼りがいがある、なんてちっとも思えない。
でも、すっと伸びたテアの背中に隠されて、クレアラさんの姿が見えなくなって。
それだけで少しほっとして。
でも、まだ身体に全然力が入らなくて。つないでない右手で、テアの服をつかむ。
「ありがとうございます。行こう、トレ」
すとお辞儀して、私の手を引いてくれるテア。
急に距離を詰めてくる事は何回もあったけど、こんな風に触れられる事なんて今までなかった。
それに、クレアラさんの意向を無視するみたいに、私を連れ出そうとするなんて。
いつもと全然違う。
「あ、あれ?まだ話があるんだけど……」
「こんな怯えてる女の子と、ですか?」
言いよどんだクレアラさんに、テアの声にこもる険が強くなった。
「ナイフなんか投げるから、こんな事になるんですよ」
「あぁ、そうか。そうだね。ごめんよ、トレ」
テアの言葉は、決闘の時の切っ先みたいに鋭くて、少し冷たく感じるくらい。
そんなテアの様子にクレアラさんは頭をかきながら、ふにゃっと笑って。
それから手帳を返してくれた。
「では、失礼します」
そう言って、私の手を引いたまま。普段、行儀がよくてそんな事絶対しないのに、テアは後ろ手でぱたんとドアを閉めた。
クレアラさんの執務室は教会でも奥まったところにあって、教室なんかがある方には長い廊下を歩かないといけない。
玄関は教室よりも少し先。
夕日に照らされた廊下は真っ赤に染まってて、重い色調の木目は血でもたらしたみたい。
怪談に出てきそうな眺め。
部屋から出た後もテアは私の手をぎゅっと握って離してくれなかった。
痛くなるほど強い力じゃなく、でも、振りほどこうと思っても離れない。
そんな微妙な力で握られた手だけを見て、とぼとぼと廊下を歩く。
私の手を引いて歩くテアの手は夕日で赤く染まって、いつもよりずっと綺麗に見えた。
「ごめんね、トレ。クレアラ様になにか言われた?」
「いえ、だいじょぶです」
「そう?」
大丈夫かって言ったら、多分うそ。
さっきまでの怖さを引きずったままの足はまだ少し震えてるし。ぎゅっと口を結んでないと、また歯がかちかち鳴りそう。
だから、つないだ手から震えが伝わらない訳ない。
でも、なんだか疲れてるように見えるテアに心配かけたくなくて、大丈夫って言ってみる。
そうしたら、つないだ手にちょっとだけ力がこもった。
「最近、避けられてるみたいだったから、ちょっと不安だったんだ。嫌われてるのかなって思ってた」
「嫌うとか、そんな……」
そうだよね。
いつもエウレと三人で集まって遊んでたのに、急にだもんね。
自分がそうだったらって思ったら、テアがそんな風に思っても無理ない。
でも、クラスの子とテアが原因でもめてるんだって知られたくなかった。
だから
「ちょっと用事があったんです」
嘘じゃないけど、覆い隠した真実。
ホノマくんちでお菓子をご馳走になったり、父さん達と手紙を書いたりがあったから。だから、嘘じゃない。
嘘じゃないんだけど。でも、手をつないで、少し前を歩くテアの方を見ては言えなかった。
「ぼくには話しにくい事なんだね。じゃあ、無理にはきかない」
振り返ったテアはすっと目を細める。
なにか言いたそうだったけど、それを無理やり飲み込んだみたい。
苦い顔になって、それでもすぐふわっと笑ってくれる。
なんだか無理してるみたいに見えたけど、せっかく気を使ってもらったんだもん。
話題変えよう。
「えと。テアさんはどこに行ってたんですか?」
「秘密。っていっても大したことじゃないんだ。帝都に行って、あちこちあいさつ回りしてきただけ」
軽い調子で言ってるけど、帝都までって、鉄道を使っても何日かかる長旅だもん。
光の加減かもしれないけど、ほっぺが少しこけて見える。
大したことないなんて嘘だ。
「やっぱり有名人、なんですね」
「そんな事ないよ」
「ありますよ!」
なんでだろ、おっきな声が出た。
一生懸命頑張っても、誰かがした事の後追いの私。
なにか大きな計画を動かしてるクレアラさんの下で頑張ってるテア。
勇者候補としての力も私の何十倍も強いし、簡単に消されちゃう事なんてないに決まってる。
戦争に巻き込まれて消えちゃったタリア連邦みたいに、私なんか誰かの思惑で、簡単に消されちゃうのかもしれない。
言葉がわかるからってなんだっていうんだろ……。
そう思ったら、すごく強いテアの謙遜がどうしても許せなくなった。
困らせてやりたくなったのかも。
自分でもよくわからない、汚らしい気持ちが口から言葉になってこぼれてく。
「帝都から来た子達が、テアさんはすごい人なんだって。トレとは釣り合わないって、言ってました」
こんな話したくなかった。
フィテリともめたのなんか、テアに知らせたくなんかなかった。
それなのに、自分でそんな話しようとしてる。
吐き気がする。
「そっか。そういう事か……」
テアは足を止めるとふーって深くため息。
それと同時に、つないでた左手がからめとられて手首をぎゅっと握られる。
手帳を抱きしめてた右手首もぎゅっとつかまれて、万歳するみたいな姿勢で壁に縫いとめられた。
つないでる時はあったかくて安心できる気がしたのに、急につかまれた手首からぞわっと肌が粟立つ。
手から離れた重い手帳がどさっと音を立てて足元に落ちる。
明り取りの窓から漏れてくる夕日で赤く染まる肌。
それと同じくらい赤い、ルビーみたいに光る湿った瞳。
気がついたら、息遣いがわかるくらいの距離にテアの顔が近づいてた。
「ちょっ……放してください!」
「嫌だ。放さない」
強く拒絶されて、だから、つかまれた手を振りほどこうとするんだけど。
でも、全然動かない。
いつも少し笑ってるみたいに少し垂れた眼は大きく見開かれて、形のいい眉がぎゅっとよってる。
それから引き結ばれた唇。
肌のきめ細かさまで見えそうな距離にいるテアの目は、私の事を。私の目をとらえて離してくれない。
「いい。トレ、よく聞いて」
一言ずつ区切って、言い聞かせるみたいにテアが話し出して
「君がぼくと釣り合うか。それはぼくが決める。他の誰かになんか、決めさせない」
少しずつ距離が近くなって。それが怖くてぎゅっと目を閉じる。
「大変だったって、クレアラ様から聞いた。守るって言ったのに、近くにいなくてごめん」
どんどん近くなる体温と、唇に柔らかい感触。
覚えがある。
いつだったか、もうはっきりと思い出せないくらい遠い記憶。多分、前世の私が体験したんだと思うけど。
その時は恐怖とか嫌悪でしかなかった。
でも、その記憶とは少し違う。なにが違うのかなんかわかんないけど……。
「もう、誰にも君を傷つけさせない。絶対に」
テアの体温が少しずつ離れて行って、ぎゅっと閉じてた目を少し開けたら、ばっちり目が合った。
どうしたらいい?
なに話したらいい?
っていうか、ちゅーされたよね?
「テアー、トレ見なかった?クレアラ様に呼ばれて……って」
頭の中ぐるぐるになったところにエウレの声がして、そのあとてってって足音。
こんなとこ見られたくない!
って思ったんだけど、止められるはずもなくて……
「あ。ご、ごめんね。なんていうか……」
紅茶色の毛皮に覆われたエウレの耳がぺたーって寝ちゃった。
うん、気まずいよね。
こんな現場見ちゃったらさ。
私も気まずいよ!
でも、エウレが来てくれたからなのか、テアの手がすっと放れる。
もう、逃げたい。
消えちゃいたい。
テアにみられるだけで、身体の奥の方がかって熱くなる。
穴があったら入りたいって、こんな感じなのかな?
気持ちの整理がつかなくて。なにかにしがみつきたくてエウレに抱きついた。
「うわ。ちょっと、トレ!?」
色んな事が怖くて、そのままエウレの腕の中に隠れる。もう、自分でもどうしていいのかわかんない。
「テア。なんかした?」
「なんにも」
「うそばっか」
しがみついたまま震えが止まらない私の頭を、エウレはぽんぽんって優しく叩いてくれた。
同い年なのにお姉さんみたいな事して……って、ちょっと変な気持ちになったけど。でも、ちょっと落ち着いた気がする。
「そういうお色気みたいの、ちょっと自覚した方がいいよ。今日だって、トレ大変だったんだから……」
「エウレ。その話、しないで!」
フィテリの事を思い出すと、自分が思った汚い事も思い出しちゃう。
それはすごく苦しい。
だから、しがみついて、話さないでってお願いする。
「ん。そっか。わかった」
エウレは少し首をかしげて、私とテアを交互に見て。それからにこっと笑った。
「でもね、トレ。テアも私も、トレのこといつでも心配だよ。助けが必要なときはいつでも言って」
「うん」
エウレの事、ぎゅって抱きしめる。
よくわかんないけど、自分の体温をエウレに感じてほしかったから。
ちょっとの間そうしてたら、足の震えも止まってた。
「落ち着いたみたいだし、門のとこまで送るよ」
「あ。私もー!」
「テアさん、疲れてるんじゃないですか?エウレだって門限とか、怒られるんじゃ……」
帝都までなんて長旅の後、疲れてないはずない。
それに二人とも内校に通う、教会の人。
敷地の外に出るときは、なんだかよくわからない手続きを色々しないといけないはず。
それなのに、そんな、なんでもない事みたいに!
「テアが一緒なら平気なんだな!」
そんな事言いながらエウレがにしーって感じで笑う。
なんだか悪い子みたい。
可愛くない。
「ぼくも部屋で一人でいるより、三人でいる方が気が休まるからね」
「ほんとはトレと二人になりたかったんでしょ」
人の悪そうな笑顔のまま、そんな風に言うな!
って思うけど、そう言われたテアはちょっと考える風。
なんでこっち見るの!?
「まぁね」
そういう笑顔とかいらない!
いらないから!
「二人っきりは絶対嫌です!」
「ひどいなあ」
やだって強く行ったはずなのに、なんだかうれしそうに見えるのは気のせいかな。
いつも、なんとなく決め顔な感じなのに、今日は。今は。 なんだか力が抜けたみたいにふわっと笑ってる。
そういう風に笑うテアは、そんなに苦手じゃないかな。
なんて、ね。
私には特別な力なんかほとんどない。
もしかしたら特別なのかもしれないって思ってた言葉だって、ほんとはそうじゃなかった。
でも、特別なもの。
私はきっと持ってるんだ。
今回は、主人公が怖い人と面接するエピソードをお届けしました。
特別だって思ってた事を突き崩されるのって、すごくショックだろうなって思います。
主人公の場合、それしかよりどころないし……。
自信喪失しないで頑張ってほしいものです(他人事
次回更新は2013/06/06(木)7時頃、大好きなあの人が帰ってくるエピソードを予定しています。




