3.男の人はちょっぴり苦手です
新生児って、寝ている時間が多いせいか、色々な夢を見る。
これは多分、中学の頃の夢だ。
おれの通っていた中学は公立のなんでもない学校だった。
でも、立地の都合――細かい事はわからないけど、米軍基地が近くてその土地が払い下げられただか、助成金があっただかで、ものすごい広いグラウンドを持ってた。
野球部と陸上部が同時に練習してもかち合わないくらいの規模のヤツ。
グラウンドが広くてのびのび練習できるからか、スポーツ関係はちょっぴり強くて、おれも中学時代に走り方の基礎を作ったと思ってる。
この後、四十万の持ってきた、魂の価値が書いてある紙で、一番のマイナス査定になっていた出来事が起きるはず。
しかし、いつもなら主観的に見るはずの夢なのに、魂が肉体を離れたせいなのかね。
おれはそのグラウンドを二階にある教室から見ている。
窓の外に見える銀杏の木はまだ青々とした葉っぱをつけているから、季節は秋と夏の真ん中くらい。
その広いグラウンドの四百メートルトラックを走るチビ。 当時、百五十八しか身長がなかったから、陸上部の中でまごうかたなくチビの代名詞だったおれは、秋の大会を前にとにかく記録を伸ばそうと必死だった。
走るのに邪魔なら切ってしまえばいいものを、母さんがあまりにも強く
「きれいな髪なんだから切ったらもったいない」
なんていうもんだから控えめに伸ばしていた髪――前髪はぱっつん、後ろはショートボブ。 女の子みたいに見える上に “きのこ” ってあだ名(偽カエラってのもあった)をつけられる原因にもなっていた真っ黒い髪が、ぶわっと後ろになびいて、みるからにわずらわしそう。
んで、四百を走り終わった後、タイムキーパーにきくんだ。
「いくつ?」
タイムをきくと首をかしげて、もう一回。
もう一回おんなじことするぜ。
何度やっても無駄なのに。
次の大会に向けて少しきついメニューに取り組み始めたおれは、毎朝土踏まずの辺りがものすごく痛くなるという変な症状に苦しんでいた。
病院に行った訳じゃないので詳しい事はわからないけど、土踏まずが浅い奴がハードメニューを続けたときにありがちな症状で、テーピングをきちんとすれば解消できるらしいってのは、高校に入ってから、同じ中距離をやってる先輩に教えてもらった。
でも、あの頃のおれはそんなの知らなかったから、練習中もあの痛みが出るんじゃないか、なんて気になって、思い切り走れない。
そのおかげで見る間にタイムが落ちた。
その時のおれを、夢の中で客観的に見つめる。
おれってほんとに女みてえだったんだなあ。 男に告られもするわ。
自分で鏡を見るときって正面からしか見ないからわからなかったけど、全体の印象がすでに女っぽい。 駄目だありゃあ。
そんな、きのこみたいな髪型のちびっ子は、八本目の四百を走り出す。
いつもの夢ならそろそろ声をかけられるはずだ。
「坂下、ちょっと来い!」
この顧問の先生――代継っていう名字だけは覚えているけど、下の名前はもう忘れた。
教師になるまで陸上を続けてきたっていうこの代継って野郎は、日に焼けた精悍な外見と、ちょっとフランクなしゃべり方で男女共に人気があって、おれも嫌いじゃなかった。 この夢の続きに見る出来事がなければの話だけど。
国旗掲揚台のところに呼び出されて
「お前、なんかあったか? えらい下がってんじゃないか」
「あー。 最近毎朝、足の裏が痛くなって目が覚めるってのが続いてて、走ってるときになるんじゃないかって思っちゃって」
なんて、理由を話す。
すると野郎は
「精神的なものかもしれないな」
と医者でもないのにいい加減な事をいい、おれを保健室に連れて行った。
保健室は一階にあったから、ここからその様子は見えない。
でも、おれはあのときの事を克明に覚えてる。
覚えているから、しゃがみこんで眼をつぶって、自分の身体を守ろうとしてしまう。 夢の中だっていうのに。
しかも、もう客観的に見てしまうくらい、自分からかけ離れた体験になったはずなのに。
目を閉じても聞こえるんだ。 あの、保健室に入ったと同時に後ろ手にかけられる鍵の音。
最初は足を見せるように言ってきた。
おれも馬鹿なもんで、ランニングウェアだったし、そんなことしなくても足なんかいくらでも見える格好。 しかも患部は足の裏だっていうのに、疑いなく足を出しちゃったりしてね。
そしたら
「きれいな足をしているな」
なんていいながら、ふくらはぎから始まって、内腿辺りまでなでさすられて。 まぁ、その時点でちょっとやばいと思って逃げていれば、よかったんだ。
でも、そのときは信用してたから、黙っていわれるがままにしてて、ズボンに手を入れられた段階でようやくビビッて、距離をとろうと逃げ回ったけど隅っこに追い込まれて、最後は殴られて蹴られて組み敷かれて、ベッドの上でカマを掘られた。
「精神的なリラックスが必要だ!」
とかいわれてさ。
リラックスしたのはあんただけで、こっちはその後、痔と性病に関する診察で病院にいったりして大変だったってのに。
んで、そんな事があってから数ヵ月後。
女子生徒に同じような事をしたのが発覚して、代継は免職になった。
おれはおれで代継がいなくなった瞬間から、弾みがついたみたいにタイムがあがって、三年の春。 中学最後の大会で八百メートルの県記録を出す。
あと、自分が男にああいうことをされて喜ぶ人間だったんじゃないかと思って、それを否定したくて、エロ本やらなんやらを買い集めまくったのもこの頃だったかな。
同級生の三倍くらい持ってたはず。
結果、妊婦さんの授乳写真でおっぱいを見てはぁはぁできるほどの気持ち悪さが身についたってのは余談(んで、魂の査定がマイナスになると)。
この出来事があってから、おれは年上の男ってのが、本当に心底恐い。 おれも男だったけど、自分も含めて、ああやって暴力を奮って人を抑えつけて、自分の思うようにする――あるいは、しようとする生物がいるんだと思うと吐き気がした。
前世の父さんにも触られるのが嫌で、随分困らせたっけ……。
おれが 「触るな!」 って大声出して手を振り払ったとき、父さんどんな顔してたかな。 もう、なんだか思い出せない。
なーんていう夢を見て目が覚めたら、グレーの硬い生地でできた服を着たおっさん――新しい父さんがおれを抱っこしてやがりましたよ。
もうね、あの夢のあとだから、全力で泣いたね。
泣き叫んだね!
「あなた、トレが嫌がってる」
「え、そ、そうか?」
トレっていうのは、この世界でのおれの名前。 母さんの名前――トルキアと、この世界を作った神様の名前にちなんでいるって、父さんが母さんに説明しているのを聞いた。
四十万の説明から想像するに、あんまり好印象な神様じゃないけど、父さんが一生懸命考えたんだろうからね。 名前の方はいいんです。
けど、そんなのどうでもいいから。 もう、抱っこやめて!
おれの年齢以外のパラメータにゼロが増えるでしょ。 主にライフ的な数値で。
「貴方、貸して」
「え、いや、おれももっと抱っこしたいんだけど……」
い・や・だ!
父さんには悪いけど、母さんに抱っこされたと同時に泣き止んで、笑顔をつくってみる。 表情を作る筋肉も不自由な感じなので、笑えてるかよくわからないんだけどさ。
「お、笑った。 可愛いなあ」
「貴方、抱っこの仕方が下手なんじゃない?」
おれが笑うのを見た母さんは、ちょっと意地悪そうに口の端をあげて笑った。
一応、父さんの名誉のために言っておくと、おれは別に男が嫌いなわけじゃない。 あれ? なんか誤解を招く言い回しだな。
中学高校共に男友達はちゃんといたし、先輩ともきちんとつきあってきた(恋愛的な意味じゃねえよ、念のためだけど)。
でも、誰であれ、年上とわかっている男に触れられるのは嫌なのだ。
転生していまやゼロ歳なので、人口中の十割が該当しますけどね!
あ。 今生は女の子だから、別にそれでいいのか?
「まぁ、おいおい慣れていこう」
父さんはちょっと寂しそうに笑った。
ごめんね、父さんっていおうとしたけど
「うあー」
という声が出ただけ。
しゃべれないってのは身動きが取れない以上に不便だ。
翌日のお昼過ぎ。 おっぱいの時間も終わり、窓際の揺り椅子に座った母さんの膝の上でうつらうつらしていると
「ただいま!」
という父さんの声がした。
太くて通る声なので、母さんもおれもちょっとびくっとする。
寝入りばなを起こされて、ちょっぴりおむずかりな気分になるけど、泣いたら話の邪魔だと思われて、ベッドに置いて行かれちゃうので我慢。
そういえば、父さんがなんの仕事をしているのかは正直よくわからない。 制服を着る職業なのは確かなんだろうけど、そもそもこの世界にどんな仕事があるのかも知らない。
ともあれ、父さんがいつも帰って来るのは日が暮れてから。 なので今日の帰宅時間はちょっと異常事態だ。
「こんな時間に帰ってくるなんて、なにかあったの?」
「早退して来た!」
ブーツを脱いで、部屋着に着替えながら応える父さんの応えは簡潔で、声に張りもあるから調子が悪い様子もない。 仕事ってそう簡単にサボっていいものなのかな?
部活の練習ですら、ちょっと休んだだけでどやされてたのに。 大人の世界はよくわからない ――というか、この世界の事自体もよくわからないんだけどさ。
四十万が「この世界は勇者を求めている」なんていってたから、勝手に剣と魔法の国なんだと思い込んでいたけど、剣とか鎧とか魔法の杖とか、ゲームで見た事があるような物は、少なくとも家の中では見当たらない。
ぼんやりそんな事を考えてたら、父さんと母さんの話の中におれの名前が出てきたので注意を戻す。
「トレに嫌われたみたいだからな。 本部に報告書を提出しに行ったついでに土産を買ってきた」
「それで、その大きな包みって訳ね」
母さんの胸の辺りに抱かれてるおれからは見えなかったけど、父さんはなにか大きな包みを持って帰ってきたらしい。
おれへのお土産なんだって! やったね。
「なにを買ってきたの?」
「これだよ、これ」
ちょっとあきれた様子の母さんが見つめる中、父さんがぺりぺりと包みを開けて見せてくれたのは、色とりどりの花をあしらった飾り。 前世で見た事があるけど名前はわからない。
おれの中では通称『ベッドの上でくるくるまわるヤツ』だ(まんまだね)。
「トレにはちょっと早いんじゃない? 六十日くらいで眼が見えるようになるって言ってたけど」
「そうか? トレの眼は生まれたときから色々な物を追いかけてるよ」
父さんは母さんやおれが思っている以上に、おれの事をよく観察していた。
まだまだ焦点があわせにくくて、ぼんやりとしか見えていないという意味では母さんが正しいけど、ちょっとした皮膚刺激、目で見るもの、聞こえる音。 あと、泣き声だけがおれと世界をつないでる。
四六時中一緒にいる母さんですらおれの視線がきょろきょろしているのに気づいてないみたいなのに、朝と夜しか会わない父さんが気づくって、実はすごい事だ。
「トレ、お土産買ってきたから抱っこさせてくれ!」
「あだー」
それは断る!
ともあれ、父さんが買ってきてくれた『ベッドの上でくるくるまわるヤツ』 ――おれをとりあげてくれた産婆さん(マーレさんというそうです)が言うにはベッドメリーというのが正式名称らしい、風が吹くとくるくるまわる飾りは、寝転んでばかりのおれにちょっとした刺激を与えてくれた。
出生七日ぐらいなので、まだまだ焦点がぼんやりしているんだろうなと思い込んでいたし、実際そういう部分もある。
けど、このぼやけて見える原因はもうひとつあった。
それは、四十万が適当に選んでつけたオプション(というのかなんなのか)である未来視Ⅰという能力。
この能力、どうも無意識に働いていたらしく、ものの未来位置――といっても、二秒後の位置が視界に現れる。 それが実際の視覚と重なって、見えているものがぶれぶれになっているように感じていたのだ。
風に揺られてくるくると動くベッドメリーに焦点を凝らしてみて、それがわかってきた。
その未来位置――ビジョンとでも呼べるものと、視界に見えているものを切り分けられる様になれば、色々と便利な気はする。
寝転んでいても関係なく見える訳だから、使い方は訓練していこう。
伝わらないかもしれないけど、嫌われていると思わせてごめんね、父さん。
でも、スキンシップは当分やめておいてください。
もしかすると秋久くん(←主人公の前世の名前……忘れがち)の過去については、嫌悪感を抱く方がいるかもしれないと、投稿後に気づきました。
耐え難い方がいないといいのですが……。
次回更新は2012/12/18(火)7:00頃、母乳育児の大変さとトレが勇者の素質を見出されるエピソードの投稿を予定しております。