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29.仕事は好きの延長から

どうしてでしょう、学校が遠い

 半年ぶりの学校に行く日。


 幅の広くなった道を車が上ってくる。

 なんだか久しぶりに見る黒くてピカピカの車は、州都や宿営地で乗せてもらった車に比べると音が大きい。


 ちびっ子を送迎する車だし、おんぼろでもいいんだろうって事なのかもしれないけど。

 乗り物酔いがひどいから、出来れば音が静かなのにしてほしい。贅沢だってわかってるけどさ。


 車はエントランスの前で一度Uターン。

 運転席から降りてきたのは制服を隙なく身に着けたリクヤさん。規則正しい足取りで、母さんの前まで来ると軽く敬礼。


「おはようございます。お迎えに参りました」

「ご苦労様です。トレも、ほら。ご挨拶」


 かしこまった様子のリクヤさんに、母さんは軽くお辞儀でかえす。

 制帽の下から軽く覗く目元は相変わらず険しくて、眉間のしわは半年前よりも深くなってるみたい。

 それに高い身長から見下ろされるのはやっぱり怖くて、無意識に母さんの後ろに隠れてた。

 失礼だとは思うけど。


 そんな私の背中を押して母さんは促す。


「お久しぶりです、リクヤさん」


 どんなふうに話していいのかわからなくて、なんだかぎくしゃくした感じでお辞儀。

 頭を上げてリクヤさんを見上げると、軽くうなずいてるのが見えた。

 なんていうか、無愛想なのは変わってないかも。


「行きましょう」

「あ、はい」


 表情も口調もほとんど変えないリクヤさんが先に立って、後部座席のドアを開けてくれる。


「母様、行ってきます」

「はい、行ってらっしゃい」


 車はすべるように走り出す。




 でも、案の定っていうか。

 町までもうちょっとかなあっていうところで


「あの、どめでぐだざい」


 車を止めてもらって、道の端っこから少し離れたところに入って朝ご飯と涙の対面になっちゃった。


 エンジンの大きな音と地ならしの甘い田舎道。馬車に比べればすごいスピードだし、便利なんだろうけど。

 車ってもう、ものすごく揺れる。


 前世で自動車っていったらこんなに揺れなかった気がするし、なにより車酔いとかしてたっけ?



 おえー



 お腹の中になんにもなくなっても、まだえずく感じが治まらない。

 げほげほげーげーやってたら


「大丈夫ですか?」


 背中をさすってくれるリクヤさん。

 怖くない人だってわかってるけど、でも、男の人に触れられるのは怖くて、背中がぞわっとする。


「あの、だいじょ……」



 おえー



 大丈夫じゃない。

 デアルタさんも僧正様も、どぅえとさんもそうだしでゅえふくん――カレカより年下だから、くん。

 いや、年上なんだけど。


 いろんな人がしっちゃかめっちゃか頭を撫でてくれるし、だいぶ慣れた気はする。

 それでもやっぱり男の人に急に触られるのは怖い。

 肩がきゅーっと縮こまって、そのせいでよっぽど調子が悪く見えたのかもしれない。


「少し休んでから行きましょうか」

「ごめんなさい」


 田舎道だし、車どころか馬車だってほとんど通らない。

 でも、リクヤさんは車を路肩に寄せると、エンジンを切ってくれた。


 ブーツを脱いで後部座席に横たわる。

 少しだけ窓を開けた車の中には、雪が残ってまだ少し冷たい空気で満たされて、ちょっぴり寒いくらい。

 でも、いろんなものを吐き出してどろどろと焼けつくみたいな喉の奥には気持ちがいいかな。



 路肩に寄せた車はちょっと傾いてて、頭が変な角度になってちょっと辛くて。居心地悪いから、頭の位置をころころ変えてたら


「これを、頭の下に」


 って、運転席から身体を伸ばしたリクヤさんが制服の上着をくるっと丸めて渡してくれた。


「ありがとうございます」


 制服の上着は少し甘くて苦い匂いがする。

 多分、煙草かなにかだと思うその匂いは、男の人の匂いだなあって思う。あんまり好きじゃないけど、でもなんだか懐かしい匂い。


 そんな風に思うのは、前世のお父さんが煙草を吸う人だったからなのかも。

 今生の父さんは煙草を吸う人じゃないから、八年ぶりくらいに感じる匂いをもう少し味わいたくて眼を閉じる。


「時間になったらおこしますから、少しゆっくりしてください」

「はい。お言葉に甘えま、す……」


 返事をしてる途中で、私はもう眠りに落ちてた。

 そういえば、ここのところ寝不足だったんだっけ。




 しかつめらしい文章。

 なんて言い方があるのかわからないけど、父さんの書いた言葉は、私達が話してる言葉のはずなのに別の国の言葉みたいに難しくて。

 翻訳をするはずなのに、ペンをぽいっと投げた。


「あの、全然わかんない、です」


 ここ数日。

 デアルタさんから言われていた、クリーネ王国宛の手紙を書き上げるために、収容所――といっても、私の畑の跡地に作られたログハウスなんだけど。

 その収容所で、晩御飯の後、ちょっとの時間、手紙を書くための作業をしてる。


 私達に比べると屈強なオーシニア人にあわせて作られた少し大きな造りのテーブル。

 その向こう右側には服装こそリラックスした感じだけど、仕事の時の重たい雰囲気の父さん。

 左側には、穏やかな雰囲気ではあるんだけど、たてがみとか大きな目とか、とにかく風貌が怖いどぅえとさん。

 おっかない大人二人に見下ろされてるから、プレッシャー半端ない。


「そうか。……いや、しかしな」

「なんだか、ごめんなさい。父様」

「いや、いいんだ。もともと無理のある話だからな」


 ちょっと苦い顔になる父さん。難しい事だっていうのは覚悟してたのかもしれない。

 でも、翻訳するより前につまずくなんて考えてなかったんだろうね。

 普段ならそんなこと絶対しないのに、父さんは頭をがしがしかいて困ってる。


 ごめんね。


「もう少し平易な文章で書いてみようか」

「お願いします」


 テーブルに置かれたランタンに照らされた二人の顔はかなり怖い。

 下側から光を当てられたら、大概の人は怖い感じになるっていうのはわかってる。それを差し引いても、この二人の大人。

 おっかないんだよ。


『トレ、大丈夫?』

『あ、はい。だいじょぶです』


 二人がおっかなく見えるのは、他の皆にも同じだったらしく、くぅりえさんが私の服の裾をちょいちょいってひっぱって話しかけてくれた。

 青と白のストライプ柄の寝間着が、くぅりえさんの薄茶色の肌を健康的に見せてる。

 年上の女性になんなんだけど、ちょっと可愛い。


『おっさん達、トレに無理させんなよー。また倒れさせたら、駄目だかんな!』

『わかってる。でゅえふは少し静かにしていろ』

『んだよー』


 文句言ってどぅえとさんに注意されるでゅえふくん。

 収容所にあてがった服だからなのか、でゅえふくんも青白の縞々パジャマ。こっちはだぼついてて、着られちゃってる感じ。

 どぅえとさんとでゅえふくんのやりとりは平常運転だって、わかってるからスルー。


『私達にも言葉がわかれば、トレにばっかり苦労させなくて済むのにね』


 ちょっと苦笑いしてるのはきゅいあさん。


 でも、クリーネ王国の人がきゅいあさんをすんなり受け入れてくれるかなんてわからない。

 だから、一番危ない思いをするのはきゅいあさんなんだよね。


『きゅいあさんは不安じゃないんですか?』

『まぁ。駄目ならその時でしょ』


 くくくって喉を鳴らしてきゅいあさんは笑うと、私の頭をぐしぐしと撫でてくれた。

 ちょっと裾をそろえてもらっただけの私の長い髪は、見る間にぐしゃぐしゃになっちゃう

 けど、気持ちいいからいいかな。


『でも、どうして父さんと皆は話せないんでしょうか?文字も意味をなさないし、音の違いすら分からないって、皆言うんですけど……』


 きゅいあさんが言うとおり、色々な人が話せれば、こんな苦労しなくてもやりとりできる。

 タリア連邦には通訳さんがいたってデアルタさんも言ってたし、私以外にもわかる人がいていいはず。


 それなのに、父さんも母さんもそうだし。

 カレカもコトリさんも、僧正様だってそう。

 私の世界が狭いだけなのかもしれないけど、でも、音の違いくらいわかってもいいと思う。

 文字だって、ちゃんと規則性があるってわかるし、そんな事が誰もわからないって、なんだか不自然だ。


『お前達がどう習っているのかは知らないが、言葉が通じないのはアマレの呪いだと言われている』

『呪い、ですか?』


 でゅえふくんに注意をした後、口を閉じていたどぅえとさんの言葉は少しだけ重苦しい。


『伴侶を殺されたアマレは、仇となった人間をひどく恨んだそうだ。だから、互いの言葉を通じなくして、いずれは親兄弟といえども殺しあわざるを得なくなるよう呪いをかけた。神の時間は無限だからな、気の長い話だ……』


 きいた事のない神話。

 まぁ、私が学校で神学の時間にしていたのは、居眠りするクレアラさんが起きるのを待ってるだけだからね。

 きいた事なくても当たり前かも。


「父様。オーシニアの人と言葉が通じない理由って、どうしてか知っていますか?」

「詳しい事はわからないな。神話では人神アトリアの呪いと言われているが、お前の様に話せる人間もいる。才能の問題だろう……」


 手近にいる大人って父さんだけだから聞いてみたけど、今度は違う神様の名前が出てくる。


 勇者候補の私は、その二人が戦争してるって知ってる。神様同士がなにか思惑を持ってるのは当たり前なのかも。

 でも、それってものすごくひどい事なんじゃない?


 最初にひどい事をしたのは人間なんだってわかってるけど。それでも神様なら、そんなの止められたはず。

 神様同士の戦争は、なんだかいびつでお腹の中がもやもやする。




 金属の噛み合う音とこもったなにかが吹き抜けようとするみたいなくぐもった振動。あんまり気持ちいいとはいえない感覚に目を覚ます。


 なんだかたくさん眠った気がするけど。

 でも、夢の中はずいぶんはっきりしてた。

 夢の中の方がはっきりしてたんじゃないかなって思うくらい、なんだか頭の中がぼんやりするけど。

 とりあえず体を起こす。


「んー」


 って変な声が無意識に出て。声と一緒に涙が出た。

 別に悲しい事なんかないよ。

 眠い時って無意識に出るでしょ。

 あれです。



 はっきりしない頭をめぐらせると、リクヤさんが車の前でなにかしてるのが見えた。

 雪が残ってまだまだ寒いはずなのに、シャツの袖をまくったリクヤさんは、車の前のところで何かを一生懸命まわしてる。


 すごく大変そう。

 ブーツを履いて車の外に出る。


「あの、ごめんなさい。寝ちゃってました」

「気分は?」

「もう大丈夫です。なにか手伝います」


 自分だけぐーすか寝ちゃってたのがちょっと恥ずかしくて、近づこうとしたけど


「危ないから離れて」


 って止められちゃった。

 少し離れたところでしゃがんで待つ。



 車のエンジンって、鍵を回したらかかるんじゃないんだね。

 一回停めただけなのに、リクヤさんは車の前のとこに挿した棒を何度か回す。きゅんきゅんって音がして。

 でも不発。


 それを何度か繰り替えして、ようやくエンジンがかかる。

 ちょっと前まで静かだったのにすごい音が響き渡って、耳がきーんてなっちゃった。


 作業の間にこびりついちゃったのか、リクヤさんのほっぺにもシャツにも油染みというか、機械油がついたのか黒いしみが出来てる。


「あの、なにもしなくてごめんなさい」

「ん?あぁ」


 声をかけたら、リクヤさんが薄く微笑んでくれた。

 いつもしかめっ面――っていう訳じゃないんだろうけど、怖い顔してるし、帽子を深くかぶってたりで気がつかなかったけど、形がよくてはっきりした眉が精悍で格好いいんだ。


「気にしなくていい。乗りなさい」

「はい」



 町に着くまでにリクヤさんは色々な事を話してくれた。

 自動車運転は軍隊の中でも特殊な技能だって事。

 なにかトラブルがあった時に全部対処出来る人間にしか車両が任されない事。


 さっき近づかない様に言ったのも、金属棒――クランク棒っていうらしいけど、それが逆回転して腕にぶつかったりすると簡単に骨折しちゃうんだって。

 とにかく、けっこう危ないからって説明してくれた。

 それから、車で移動中はエンジンをあまり止めない事も。かけなおすのが大変だから……って、言いかけて


「いや、別に君を責めてる訳じゃない」


 って、わざわざ念押ししてきたりなんて、ちょっとびっくり。


 初めて車に乗せてもらったときはほとんどしゃべらなかったリクヤさん。

 なのに、車についてきくとわーっていっぱいしゃべる。

 その様子がおかしくてたまらない。

 子供みたいだもん。


「リクヤさんは車が好きなんですね」

「そう、なんだろうな。今まで気づかなかったが……そうなんだろう」


 無自覚だったの!?

 デアルタさんも変な大人だったけど、リクヤさんもちょっと変。

 そんな事に気がついたら、なんだかおかしくて笑いが止まらなくなっちゃった。


「なにか面白い事があったか?」


 けたけた笑う私がちょっと不審だったのか、ミラー越しにちらっと私を見るリクヤさん。

 その視線もなんだかおかしい。


 きかれても、リクヤさんが面白くて。

 とは流石にいえない。


 笑ってると車酔いしないってどこかで聞いたけど、町に着くまで車酔いしなかったし。

 それが正しいのはわかったかも。




 軍隊の人がたくさんやってきて私の家の周りも、村の中だって変っちゃってたから、そうかなあって思ってた。

 だけど、遠目に見えるフフトの町は思った以上に変わってて、少し息をのむ。


 州都の城壁を見たあとだから小さく感じるけど、フフトの町の城壁だって十分大きい。

 その城壁の角々にある見張り台には大きな銃が据えられてて、なんだかものものしく見える。


 門の左右には赤と青の生地に金糸で角の生えた蛇の絡み合うエザリナ皇国の国旗が刺しゅうされた懸垂幕がかけられて。

 見た目だけなら、宿営地で見た司令本部と同じ。

 ここは軍隊の物ですよ!って言ってるみたい。


 別物みたいな町の門を見たら、ここ半年くらいの事を思い出して、お腹の奥がきゅーっとなる。

 多分、銃とかそういう物が怖いんだと思う

撃たれたのを身体が覚えてるっていうか。


 そんな私の気持ちとは関係なく、車はどんどん門に近づいて。見る間にその前までついちゃった。


 門の左右には銃を持った兵隊さんが何人か控えてて、馬車や車が通りがかると、そこで止めたりしてるのが見える。

 その兵隊さん達に運転席のリクヤさんは軽く敬礼。

 兵隊さんは最敬礼。


 州都と同じで、軍隊の車は止められないんだね。



 門を入ったところの車止めの脇にも小さな事務所が出来てて、わーわーしてもめてるみたい。

 昔――初めておつかいに行った頃だから、五年くらい前の事だけど。村の門のところで当番さんがやってた記帳の規模をおっきくしたらこんな感じかな。


 その喧騒から少し離れたところで車が止まる。


「あの、ありがとうございました」

「いや。仕事だから、気にしなくていい」


 そういったリクヤさんは車を降りて後部座席のドアを開け、降りるのに手を貸してくれた。

 その手を取る時、ちょっと戸惑ったのは内緒。


「友達が迎えに来ているようだ」

「え?」


 揺れない地面に足を下ろした私に、リクヤさんはそう告げる。




「とーれっ!」


 ものすごくいきなり。

 でも、懐かしい匂いに抱き着かれて、ちょっとたたらを踏む。

 紅茶色の髪の隙間。

 ぴょこんと飛び出した、髪と同じ色の毛皮に覆われた、狼みたいに大きな耳がぱたぱたっと動く。

 その度に、ほっぺをぺちぺちされてるみたいでちょっと痛い。


「エウレ、久しぶり!」

「とれ、とれ、とーれっ!」


 なんかものすごいハグされて、ちょっと息苦しい。

 私だってぎゅーってハグしたいけど、往来の真ん中だからね。ものすごくひっつきたがるエウレを無理に引っぺがす。


 青い教会服――内校の制服だったと思うけど、エウレの健康的に焼けた肌によく似合ってる。

 うん。

 相変わらずすごく可愛い!



 ……それから


「エウレちゃんもトレも、ぼくのこと忘れてるでしょ……」


 あー。

 忘れようとしてたよ。

 視界にはちょっと入ってたけど。


 夜空みたいな黒髪の隙間から覗く、少し垂れ気味の大きくてルビーみたいに赤い眼。

 色味の薄い、でも形のいい唇には軽い笑み。


 青い教会服の長い裾をぱんと払うと、その隙間から白いくるぶしがふわっと見える。

 手の指も細くて長くて、でも綺麗で、全体的にちょっとおかしいくらいの色気。


 子供のくせに!


 でも、どんなに腰が引けてても、あいさつは大事。


「あの、お久しぶりです。テアさん」

「お久しぶり、トレ」


 右手にぎゅっとしがみついたエウレがそういってくれなかったら、突き飛ばして逃げちゃいたくなるような。

 こう。

 ちょっと見ない間に、近寄りがたい色気に磨きがかかってて。


 蛇に睨まれた蛙とか、そんな感じの状況なんじゃ……。


 って、心の中であわあわじたばたしてたら


「帰りも迎えに来ます。しっかり勉強しなさい」


 なんだか、ふと笑ったリクヤさんはしゅるっとさっきの事務所の方に歩いていっちゃった。



 すごく緊張しちゃったけど、また会えたっていうだけでなんだかちょっぴりほっとしてもいて。

 ちょっぴり不思議。


 友達ってこんな感じなのかな。

今回は、友達二人と再開するまでお届けしました。


……学校、辿り着かなかったですね。


使者の手紙とか、言葉が通じない理由とか。

色々な事を書きたくて、少しずつとっちらかっていくのをなんとかしなくちゃ……とは思うんですけど。

うーん。



次回更新は2013/05/09(木)7時頃、使者と随伴者を選んだりするエピソードを予定しています。

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