28.はじめはみんな裸から
主人公くらいの年の頃、裸になるのとかなんでもなかったけどなあ……
生まれてから八回目の春。
アーデ家の奴隷として“納屋”の皆は私より先に家に向かって。いまは私が任されていた畑に作られた収容所――名前はそんなだけど、寝室が二つあるログハウスに住み始めた。
誰を使者にするのかとか。
お手紙になにを書くのかとか、私が大人の世界に混ざってしなくちゃいけない事はまだまだたくさんあるけど。
それでも、家に帰ってこれたっていうだけで私は充分幸せ。
カレカも村でお仕事する事になったから、合間を縫うように遊びに来て。一緒にご飯を食べたりしてくれる。
お家に帰ってきてから一週間。
来週からは学校にも行っていいって言われてるし、ようやく普通の生活に戻れたんだって実感してる。
州都はもう暖かくなってたのに、レンカ村ではまだまだ雪が積もってる。
暖炉のない私の部屋の中はもちろん。
暖炉があるリビングだって、今は火を落としてて。
もう、家中の空気が切りつけるみたいに冷たい。
薄いオレンジの漆喰できれいに隙間を埋めてある――私が帰ってくるからって、母さんが塗ってくれたんだって。
去年とは少し違う、あったかい風合いにかわった部屋のどこからなのか、それでもやっぱり風が入ってきて部屋を冷やす。
ベッドの中で丸まって、毛布をかぶっててもちょっぴり寒くて。
それでもまだベッドに未練があるんだけど、ばっと毛布をどけて「えいっ!」って起き上がる。
身体中にぞわーっと広がる寒気。
それと一緒に広がってく寒さを追っかけるみたいに、すごい勢いで鳥肌が立った。
肌がパジャマに当たるたびにちくちく。
「ぅあー、寒い!」
あんまり寒くて思わず声が出ちゃった。
声を出したら、お腹の中から熱が逃げちゃったのか、今度はお腹の底から震えがくる。
かちかちと合わない歯の根をいーって無理やり合わせて。
肌のちくちくも我慢して、麻紐とかんざしで軽く髪を結う。
毛先は州都の理髪店で揃えてもらったけど、それでも腰より少し下まで届いた髪の毛はちょっと邪魔。
理髪師さんに
「肩くらいまで切りたいんですけど」
って注文したのに
「綺麗に伸ばした髪は女の子の財産だから」
って言われて、結局切ってもらえなかったんだよなあ。
鏡の端っこで、理髪師さんをすごい目でにらんでるコトリさんが見えた気もするけど。
まぁ、考えないでおこう。
うん。
前世でもそうだったけど、私の髪型って、周りの人の意向にすごい勢いで左右されてる感じ。
結わないとスープに入りそうになったりするし、だからって結うと頭が重いし頭皮が引っ張られて痛いしさ。
不便なんだよ。
なんていっても、髪の毛がある現実は変わらないもんね。
頭の後ろ。
少し高いところに大きめのゆるいお団子を作る。お団子の重さで引っ張られる感じがするし。肩も凝る――まだ八歳なのに!
この髪形、あんまり好きになれない。
ゆるめにしておくと頭皮を引っ張られる感じもゆるくなるんだけど。その分、ちょっぴりだらしなくなっちゃう。
鏡で髪を軽く確認。
お団子から髪の毛がぴょんぴょん飛び出してて格好悪いけど、後でちゃんとするからいいんだ。
……言い訳っぽいけど、ほんとに気にしてないから。
へんてこなところを少しなおしたら、薄いピンクのケープ――州都を出るときコトリが持たせてくれたんだけど。
裏地が起毛で、見た目はすとんとしてるけどすごくあったかいし、色が鮮やかなお気に入り。
ケープを羽織ったら、着替えと手帳を持ってリビングに。
リビングに降りたら暖炉に薪をくべて、小さくなった火種を火箸でつついて火を熾す。
着替えと手帳は暖炉の前に置いておく。
朝の支度が終わった頃、あったかくなった服を着るのってすごく気持ちいいんだ。
薪に火が渡ったら、キッチンのオーブンにも火を入れる。
それが終わったら、今度はつっかけ――って言っても、裏地が毛皮であったかいサンダルを履いて外に。
お屋敷と同じ石造りなのに、隙間だらけの私の家。
暖炉の火が熾きるまでは外とほとんど変わらないくらい寒い。
でも、家の外はもっとしんとした寒さで、少し身震い。鼻も出てくるけど、あとで拭く事にして。
玄関の脇に置いてあるT字型の棒を持って、家の周りを一周。
つららを落として回る。
ちょっぴりだけ。
本当にちょっぴりだけど背が伸びたからなのか、去年より上手に落とせてる気がする。
気のせいかもだけど。
そういえば、お屋敷ではつららなんか見なかったなあ。
なにかしかけがあるのかもしれない。
コトリさんにきいてみようかな。
つららが片付いたら、井戸から手桶に水を汲む。
去年は一個ずつ運んでたけど、なんとか二個持てるようになってた。
だから、往復は一回。
ポットとお鍋に水を入れてコンロにかけて、バスケットを持ってもう一回外に。
きゅきぃさんが死んじゃったあの日。
集まった兵隊さん達が踏み荒らした母さんの畑や花壇は、まだ元に戻ってない。
家の前の道を大きくするために小さくなっちゃったし。
ときどき通る大きな荷台のついた車――前世に見た車だと、トラックとバスの中間くらいに見える乗り物。
荷台はむき出しじゃなくて、でも、荷台スペースまで一枚の屋根で覆われた車は、真っ黒な煙を吐く。
その煙ですすけた母さんお手製の柵は、道路に押し込められたみたいに、ずいぶん家に近づいてる気がする。
お花がたくさん咲いてて、綺麗に整えられたお屋敷のお庭を毎日見てきたせいなのか。
それとも、思い出の中で綺麗なイメージになってるからなのか、雪に覆われた畑はすごく寂しい。
気持ちが沈んで。
なんだか、どうしても下を見ちゃう視線を無理やり上げると、今度は私の家よりも少し背の高い物見台が見えた。
大きくなった道は、その建物に続いてて、その建物は湖の向こう。
クリーネ王国をじっと睨みつけてるんだって。
半年でずいぶん立派になった建物には、十字の窓――銃を突き出すためにある、銃眼っていうらしいんだけど。
その十字の穴からちらちらと兵隊さんのグレーの制服が見える。
てっぺんのところには人が何人か立てるようになってて。私を撃ったのの五倍くらいある大きな銃が据えられてて。それは私の家の方にも向けられてる。
銃が怖いって、すごく当たり前なのかもしれないけど。
見張り台の上から見下ろす丸い銃口と目が合うたび、左肩に残った大きな傷跡が引き攣るみたいにじくじく痛むんだ。
気のせいなのかもしれないけど。
それに石造りで立派になった建物は、なんだか凶暴な感じ。
人を食べようとする獣に見下ろされてるみたいで、お腹の下の方がきゅーってなる。
家に帰ってきてもう一週間くらいたったのに、変わっちゃった眺めは違和感があって。
色々が怖いのに、どうしても気になって、変わったところにどんどん気づくっていう悪循環。
見つけたってどうにもならないのに……。
だから、ぶんぶんって頭を振って、無理やり視線をはがす。
来週からは学校に行くんだし、今日は朝ご飯の準備も着替えだってまだまだだもん。
大きさはちっとも変ってないんだけど。畑が小さくなったおかげで存在感が大きくなった氷室の中に寝かしてある野菜をいくつか、適当にバスケットに詰める。
雪が解けて、春野菜が出回るまで、この氷室と雪の下に埋めてある野菜が生命線。
もう春になったから少なくなってるけど。寝かせた分、甘みが増して美味しくなってたりするし。
大事に食べなきゃだよね。
氷室から持ってきた人参とじゃがいもをざくざく切ってお鍋に。
テーブルの上に置いてある母さん手作りのハムも切り出してちょっぴり入れとく。
保存のために塩気を強くしてあるハムは、それだけで調味料替わり。他の味付けはいらないかな。
最後にオリーブオイルをちょっとだけたらしたら、蓋をしてリビングに。
暖炉の前でほかほかにあったまった服に着替えたら、朝の支度は終わり。
ガウンとパジャマをぱっぱっと脱いで、あったかくなった服を抱きしめる。
肌にあったかいのが直接触れて、寒くて。
それにもしかしたら怖くてもあるかもしれないけど、こごんでた身体がちょっと緩んでく。
下着姿で暖炉の前って、ちょっと行儀悪いけど、ここが家の中で一番あったかくて。なにより、熱が肌を撫でてくれるみたいで気持ちがいいから、どうしても。
ね。
そんな事してないで、ぱっぱっと着ちゃえばよかったって思ったのは
「お邪魔します!」
って玄関の方からカレカの声が聞こえた瞬間。でも、玄関からリビングなんて何歩かしかない。
家の中に呼びかけるにしては抑えた調子。
気づかれたくないみたいにこっそり。それなのに挨拶をしてから入ってくるのはカレカの昔からのくせ。
……なんだけど。
玄関でちょっと衣擦れの音がして。
その後すぐ、ブーツが床を踏む固い音。
え。
なんで!?
って、慌てるくらいならリビングで着替えなんかしなければいいんだけど。
そんなのいまさら言っても遅いもん!
昨日の夕方、宿直だから明日は帰らないって父さんと母さんに言って仕事に行ったのに。
今朝の分って、お弁当作って渡したのに。
帰ってこないんじゃないかったの?
なんで、なんで!?
あわあわしてる内にカレカはリビングまで来ちゃった。
「ちび、なんで裸なんだよ」
「……~っ!」
見られた!
み・ら・れ・たーっ!
顔がかーっと熱くなって、なにがなんだかよくわかんなくなって、すぐ手元にあった分厚い手帳をカレカの顔に向かって投げつける。
手を離れた手帳がカレカの鼻に当たるのを“見届けて”、それが命中する前にケープで胸を隠す。
パジャマを引っ掴んだら、出来るだけ態勢を低くして、両足にしっかり力を入れる。
靴下も履き替えるつもりだったから、スリッパも脱いじゃってて。ラグはあるって言ったって、足の裏がちょっと冷たいけど、我慢!
真っ直ぐとんだ手帳を鼻で受け止めて、カレカが「ぶぇ」ってなにか潰れるみたいな声を上げる。
ここまではさっき“見届けた”二秒後の未来の通り。
カレカの身体が左側にかしぐのは“見えてた”から、それと同時にその隙間めがけて力いっぱい踏み切る。
鼻を押さえるカレカの脇をすり抜けてリビングを出……ようとしたんだけど。
「ちび、この!」
「ちびじゃないです!」
なんて言ってる場合じゃないのに!
私の馬鹿!
二秒後が見えるのは視界の中だけ。
だから、速く走ろうと思って視野が狭くなると、その外側でなにが起きるかなんてわかんない。
いまもカレカの脇を走り抜けようって必死で、倒れこみそうなカレカの手が私に向かって伸びてるなんて考えてもなくて。
でも、つかまれた右手にバランスは崩れてく。
転んじゃう!
手を伸ばして勢いを殺さないと顔から確定って、わかるんだけど。でも、手を伸ばしたら、服が散らばっちゃう!
なんて迷ってる内に、バランスを失った身体はもう。カレカに捕まれた右側に向かって流れてて。
両足とも床をとらえられなくなってた。
鼻をぶつける痛みが怖くて、ぎゅっとこごめた身体はでも、あったかくてちょっと硬い布地にぶつかって。
その感触と同時に
ごちん
っていう酷い音。
その音が聞こえたと思ったら、さっきの感触で今度は顔が覆われた。
「ふべ」
「ってえ」
もう絶対顔から突っ込んじゃうって思って、ぎゅーっと閉じてた目を恐る恐る開けたら、そこにはグレーの服。
私はカレカの上に、綺麗に重なるみたいに転がってた。
カレカは廊下の壁に頭をぶつけたみたいで、左手で頭のてっぺんを押さえてる。
「お前、なにすんだ!」
うん。
なにしてるんだろ。
自分でもよくわかんなかったんだよ!
って言いたかったんだけど、声が出ない。
カレカの胸に顔が埋まってたからっていうのもそうなんだけど。
右手でしっかり抱きしめられてたから。
父さんにだって、こんな風にぎゅーっとされた事なんかないもん!
心臓が千切れちゃいそうなくらいどくどくなって、顔がかーっと熱くなってく。
ゆでだこみたいに真っ赤になっちゃってるんじゃないの!?
「ごごごご、ごめんなさい!」
なに言ってるの、私。
なんかまともに話せないよ!
「あぁ、もう。なんかわかんないけど降りろ」
「ぅえ。あ、うん」
私のお腹の下であったかい感触が動く。
腹筋とかする時と同じ、カレカのお腹にぎゅっと力が入ったのがわかる。
ぎゅっと入った力は上にのったままの私ごと軽々と身体を起こしてく。
「怪我ないな」
「うん。カレカは大丈夫?」
「こぶにはなってねえ」
きっとすごく痛かったんだと思う。
鼻とか頭のてっぺんって、強くぶつけると、気持ちなんか関係なく涙出るもんね。
目の端っこに水玉出来てる。
涙がにじんで烏の羽根みたいに濡れ光るカレカの瞳が、鏡みたいに私の顔を映して。それはなんだか嬉しくって。
……って、ものすごく近いじゃん!
顔、近い!
どうしよ。どうしよ!?
「もう降りろ」
「あ、はい」
もうなにがなんだかわかんなくなった私に、初めてあった頃より低く。落ち着いた声が耳元に投げられて、お腹の下の方がぞわっとする。
起き上がろうって身体に力を入れたら、抱きしめてくれてたカレカの右手がするっと離れた。
でも、カレカから離れたら、スリップの左肩がずるって……。
「ぃ」
「お、おい」
口の動きは“見えてた”。
お・ち・つ・け
って。
見えてたけど、落ちつける訳なんかない!
「いやああぁぁ!」
多分、手応え的には、カレカの鼻っ柱をぶん殴ったんだと思う。
その後はなんだか思い出せない。
おっぱいみられて動転して。
大騒ぎしたんだろうなっていうのはなんとなくわかるけど、それもなんだかあいまい。
でも、父さんと母さんに一回ずつ拳骨されたのは覚えてる。
誰が悪いって、私が悪い。
そんなの知ってるよ!
今回は主人公がお家に帰って、日常に戻っていくエピソードをお届けしました。
今回はふんわり。
でも、主人公が日常に戻っても、大人達は色々動き回っています。
ふわふわ過ごせるのも、あと何話かだからね!
……なんて。
次回更新は2013/05/02(木)7時頃、久しぶりに登校してあの子達に会うエピソードを予定しています。




