27.世界を変えるのはご飯から
携帯の方には長いかもしれませ
2013/04/18(木)12時頃、感想でご指摘いただいた表現を修正しました。
里帰りの日まであと三日。
意地悪大人、デアルタさんが期限を決めた日から一週間経っても体調はばっちり!
ここ三日間、欠かさず続けてるお屋敷の庭でのジョギング。
明日、雨が降ったりしなければ三日坊主になる可能性もないし、胸が痛くなったりもしてない。
これなら絶対お家に帰っていいって言われるよね!
お家に帰れたら学校にだって行かなくちゃいけないし、お手伝いだってきちんとしたい。
不規則な生活をしてた訳じゃないけど、そういう普通の暮らしにペースを戻さないと。
そう思って始めたのに、今日はもうちょっとへばってたりして。
花と緑がいっぱいのお屋敷のお庭。
そこかしこから漂ってくる甘い香りは春の気配を感じさせてくれるし、日差しも柔らかくてあったかい。
でもね。
このお庭、ものすごく起伏が激しいんだ。
州都の内門――お屋敷のある区画は元々、誰かに攻め込まれた時にやっつけられない様に丘の中腹を切り開いて作られてて(ってコトリさんが言ってた)、敷地の中はあちこちに階段とか坂がある。
半年間生活してきた尖塔から“納屋”までも長い階段があるし、その“納屋”から正門に出ようと思ったら、やっぱり緩やかな傾斜を上り続けないと駄目。
前世の私だったらきっと大喜びで走ってるんだけど、いまはちっこいからね。
しかも病み上がりだしね!
……言い訳だって、自分でもわかってるよ。
うん。
まぁ別に、家にいた頃きちんとトレーニングしてたかっていうと、そんなことなくて。
でも、家事手伝いで身体を動かしてたから、いざ走ろうって思ったら、思うように走れてた。
結果は悲しくて痛い事につながっちゃったけど、それでも走れたんだけど。
怪我が治らなかったり勉強してたり。
肺炎で絶対安静って、ちっとも動かない時間もあって。もう、はっきりとなまってる。
関節もぎしぎしで柔らかくないし、筋肉も落ちちゃった。
どれくらいから気にしなくちゃいけないのかわかんないけど、これはきっとお肉がつく前兆。
おでぶさんにはなりたくないから、前世で小学校の頃、体操教室でしていたトレーニングメニューを出来るだけ思い出して実施し始めたのが三日前。
学校に行く前にお手伝いできる時間にはベッドを離れて、身体を動かすっていう生活ペースに戻さないと!
そう決めたのは四日前のおやつの時間。
おやつを持ってきたコトリさんが私を膝の上にのせて、あっちこっちむにむにもみもみ。
もう、普通に私の部屋にいるくぅりえさんときゅいあさんに視線で「助けて!」って訴えてみたけど、全然助けてもらえなかった――視線なんか翻訳いらないに決まってるのにね。
それは置いとくとして。
コトリさんにむにむにされた二の腕とかが、むにーって伸びるんだよ!
こんなぷよぷよ二の腕とか絶対駄目。
「明日から運動をしようと思います!」
「はぁ……」
膝の上で高らかに宣言した私。でも、決意表明を聞いたコトリは全然生返事。
人のやる気とかをくじく人だよなぁ。協力してもらわなきゃだし、なにか餌を考えないと。
でも、コトリさんの協力以外に必要なのもう一個あるんだった。
「それで、お部屋に置いてある服で運動するのもどうなのかなって……」
「つまり?」
「運動着がほしいなぁ……なんて」
部屋に置いてある服は、レースやフリルで飾られた可愛いものが中心。
素材もシルクを使ってたり、運動するときに着るにはもったいないっていうのはコトリさんにもわかるはず。
乗馬服でもあればって思ったけど、そういうのはなかった。
ウィンドブレーカーとかジャージがあればほしいなあ……って思ってお願いした。
したつもり。
そのはずだったんだけど。
「じゃあ、サイズを測りましょう!」
「……いえ、いいです」
今まで見た事もないような満面の。
でも、私には――後で聞いたら、くぅりえさんにもきゅいあさんにも、悪魔みたいにしか見えない笑顔になったコトリさんは、なんだかよくわからない内に私の服を脱がせてた。
もう、ありとあらゆるところを測られましたとも!
んで、出来上がった運動着はというと、セーラーカラーがついてて、ふんわりとしたパフスリーブに折り返した袖口は白いラインで飾られた、ちょっと可愛い紺のチュニック。
それとキュロットだとちょっぴり寒いからっていう事なんだろうけど、裾がしぼれるベージュのかぼちゃパンツと黒いレギンス。
明るい色の皮革で作った柔らかくて走りやすい靴まで新調してもらった。
それなりに可愛いと思うし、ありがとうなのはもちろんだけどね。
でもさ。
服を作るためにサイズを測る時、下着まで脱ぐ必要は絶対なかったんじゃないかな!?
なんていったらいいのかわかんないけど。
あの人、やっぱりおかしいよ。
州都の学校で標準の体操服だってコトリさんはいうんだけど、ふんわりしてる部分が多くてちょっと動きにくい。
都会の学生さんって大変。
そんなちょっと微妙な気持ちになる経緯でやってきた運動服を着て、三日目になるジョギング。
お屋敷には私以外の子供がいない。
使用人さんの子供さんがいるにはいるんだけど、皆きちんと学校に行ってるみたいで、朝早い時間は私だけ。
だから、お庭を走ってて、使用人さんに声をかけてもらう機会も増えてきた。
といっても、あいさつは自分から。
そういうのは大事だもん。
「おはようございます!」
「トレちゃん、今日も元気だね」
「ありがとうございます!ゴドオさんも、風邪ひかないでくださいね」
庭師のゴドオさんは例えるなら岩みたい。ごつごつとしてたくましい感じ。
ちょっと怖い人なのかなって思ってたおじいちゃんだけど、挨拶したら笑ってかえしてくれる。
お屋敷で一番偉い人は、なんか皮肉っぽいのに。笑顔が素敵な使用人さんが多いんだよね。
私もなるべく笑顔であいさつしたいって思ってる。
思ってるんだけど。
でも、一日目より二日目。
二日目よりも今日っていう感じで少しずつ距離を伸ばしたせいなのか、わき腹とかちょっと痛いし、ちゃんと笑えてるかは不安。
気は心っていうけど、どうかなあ……。
“納屋”から正門。
そこから柵沿いに屋敷の東側を通って、使用人の寮がある裏手に抜ける。
どうしてなのかわからないけど、使用人さんに捕まるとむぎゅむぎゅにいじり倒されるから寮の前ではペースを上げる事にしてるんだけど。
でも、今日は使用人さんが少ない。
なにかあったのかな?
よくわからないけど、少しペースを落とす。
そんなに早いペースで走ってた訳じゃないけど、それでも視野は狭くなってたみたい。
スローダウンすると少しずつ色々なものが見えてくる。
寮の脇は雑木林になっていて、白木の柵がかけられてる。
まだ若芽ばかりでまばらな葉っぱの間から、春の柔らかい――といっても、この世界の太陽はあんまり元気がなくて、弱弱しい感じ。
弱いけど、その分優しい光が降り注いでてすごく綺麗。
少しくらい入ってみてもいいよね?
飛び越えられるかは微妙な。でも、よいしょってまたがったらなんとか越えられそうなその柵の向こうには、誰かが踏み固めた道が見える。
その道を目印に、西に向かって、流すみたいなペースで走る。
林の木の影に隠れて寮が見えなくなる辺りに、ばねで自動的に閉まるように仕掛けのされたスイングがあった。
鍵はかかってない。
そっと押して林に入る。
木が吐き出す水分があるのか、少ししっとりした空気を深く胸に吸い込と、冷たい空気が肺に送り込まれて。負荷をかけられて、ちょっと熱くなった身体の芯が冷えてった。
もういがいがした感じはないけど、それでも気持ちいい。
急にペースを落とすと筋肉痛になったりするから、深呼吸をしながら歩くくらいのペースまでスローダウンしてく。
眼を閉じて、深呼吸。
空気に味がある、なんて思った事がないけど。ちょっと甘いかな?
深呼吸して、気持ちいいなって思ってたら、なにかに足を引っ張られて。
そっち見てみたら、靴ひもががじがじされた。
「ぶいぶい」
「な、なに?」
せっかくいい気分だったのに!って、ちょっと舌打ち。
足元にいたのはまだ食べごろとは言えない子豚。
きっと、落ち葉とか枯れ枝とかの間にある美味しい物――どんぐりとかミミズを探してたんだろうね。
おっきな鼻は、泥んこで汚れてる。
なんでこんなとこに一人でいるのかな?
不規則にぶちぶち模様がついてるから、雑種なのかもしれない。
耳がぺたーってしてて、あんまり可愛いとは言えないかも。
靴紐を咥えたまま、頭を左右に振ってるし、性格もなー。あんまり可愛くないぞ、この子。
走り続けるわけにもいかないし、相手してあげるかな。
しゃがんで、鼻の上をかいかい。豚って、鼻の頭をかけないから、これやってあげると喜ぶんだ。
でも、もっとしてって身体こすりつけるのはやめてね!
……う。
服汚れちゃった。
まぁでも、運動のために用意した服だし我慢!
「君はここに住んでるの?」
「ぶぎ」
会話が成立してるとは思えないけど、呼びかけたら答えてくれてる感じは人には慣れてるって事だよね。
私が歩き始めると後ろをついてくる。
ちょっと可愛い!
なんか兄弟でもできたみたい。
ただ、まだ食べごろじゃないな……って思う辺り、前世でのものの考え方と大分離れてきてるのかも。
「お家、わかる?」
「ぶぶ」
うん。
通じてない。
土ほじってるし。
気ままな子豚はほっといて道を進む。
……ほっとこって思うとついて来たりして、なんだか天邪鬼だな。この子。
なだらかに上る道の大きく曲がるところ。
その脇の日当たりがよくない場所に木を組んで起こしたほたがあった。
きっと、あれはきのこの苗床。
母さんは失敗しちゃってたけど、この苗床には小っちゃいしいたけが生え始めてる。
すごく美味しそうなんだけど、子豚はきのこが嫌いなのかとことこ先に歩いてく。
一人になったら寂しい気もするし、おっかけようかな。
子豚のお尻を追いかけてしばらく行くと、五十メートルくらいで林が切れて少し開けた場所に出た。
林の木に守られてるけど、日当たりはよくて、今まで歩いてきた道に比べて少しあったかい気がする。
そう広くない場所に、小さな納屋と丸木小屋。
子豚はその脇にある小さな小屋の中、敷き藁の上にごろんと寝そべってぶぎって一声。なんだか胸を張ってるみたいに見える。
一人でお家に帰ってきたよ!
ってとこかな?
「ここが君のお家なんだね」
声をかけてみたけど返事はない。
敷き藁の上はとってもあったかいみたいで、うとうとしてるみたい。
子豚の邪魔をしない様に、丸木小屋――カレカが昔住んでた、湖の近くのお家に似た佇まいなんだけど。
南部特有の事なのかもしれないけど、村でも町でも石造りの家が多い。
だから、木で出来た家を見ただけでそう感じるのかも。
でも、カレカの家と全然違うのは丸木小屋のすぐ隣にある建物。
金属製の骨組みをアーチ状に組み上げた丸みのある建物の壁面は全部ガラスで出来てて。屋根もほとんどガラスで、全体がきらきら。
しかも、そのガラスの壁の向こうには赤い果実――多分トマトがたくさんなってるのが見える。
「……美味しそう」
誰かいたら、分けてもらえないかきいてみよう。
そう思って、建物の周りをぐるっと回ってみるけど人の気配はない。
壁も透明だし、中の人とか見えてもよさそうなのに……。
扉をノック。
返事がないのを確認してノブを回すとすっと扉が開く。
「……あの、すいません」
やっぱり返事はない。
建物の中はちょっとむっとするくらいのの温度。
じんわり汗が出てきて、髪がおでこにへばりつく。
「やっぱり温室だ」
中に入るとちょっとした事務スペースみたいになってて、その向こう側にもう一つ扉がある。
大きいお屋敷――私が暮らしてきた塔はそんな事なかったけど、このお屋敷の母屋もそうだけど。温度を逃がさないために扉を二重にしてるのはときどき見かけるけど、ガラスを支える金属製の枠。
それに、その扉も壁もガラス張りなんて見た事ない。
扉の向こうには平行に走る畝がいくつも見える。
事務スペースのすみっこに小さなテーブルと木でできた丸椅子が置かれてて。その上には少し手垢で汚れた分厚いノートと、試験官に入った色水。
それと、まだ湯気の立ってるお茶がある。
お茶を入れるって事は誰かいるはずなのに……。
あのトマト分けてほしいな。
南部で取れるトマトは水分が少なめで風味が強い。
それに夏にしかとれないから、生で食べられるトマトなんてしばらく見てない。
自分でもがっついてると思うけど、トマト大好きなんだもん。
しょうがないよね。
「なにをしてる」
「ふぎゃ」
ふぎゃってなんだよ!
真っ赤でぷくぷくに実ったトマトに見とれてて、人が入ってきたのに気づかなかったよ。
しかも、聞き覚えのある威圧感のある声。
でも、私が知ってるその人はこういう事をするはずがない人。
「デアルタさんこそなにしてるんですか?」
「質問に質問でかえすな。と、いつか言ったはずだがな」
金色の髪をバンダナの奥にひっつめたデアルタさんは、形のいい眉をハの字にしてぶっきらぼうに言って。
どさって椅子に座ると、お茶を一口舐めるみたいに飲んで書き物を始める。
「ジョギングしてたらここを見つけて……」
きかれたから答えたのに、ふんと短く鼻を鳴らす。
けっこうな勢いで失礼だけど、こういうのもうなんとなく慣れちゃった。
「デアルタさんこそ、ここでなにしてるんですか?」
「見ての通りだ」
わかんないけど?
返事できずに背中を見てたら、テーブルの上に乗った鋏を手に取って温室の中に入ってった。
小さな畑を任せてもらったときに使った事のある、農作業用の大きな鋏。
デアルタさんの細くてきれいな手にはちょっと似合ってない気がする。
温室の中からぱちんぱちんって気持ちのいい音が何度かして、しばらくすると藤籠にトマトをたくさん入れたデアルタさんが戻ってきた。
「まず、よだれをふけ」
「よだれなんか!」
……出てた。
手の甲で拭う。
あんまり行儀がよくないって知ってるよ。
でも、ハンカチとかなかったんだもん。
よだれをふいてる私の前で、シャツでトマトを軽く拭うと放ってくれた。
「食え」
「いいんですか?」
「いらんのならおれが食うが」
「食べます!」
大好物だもん!
でも、丸かじりなんてしたことない。
というより、こんなに大きなトマトみるの久しぶり。前世ではこんなトマトが普通だったけど、この世界では珍しいんじゃないかな。
逡巡してたら、籠から一つ手にとったデアルタががぶりと丸かじり。
負けてられない!
がぶり
「うぁ」
この辺りで出回るトマトって風味と酸味がすごく強くて、生で食べるとちょっと渋かったりする。
それなのに、もらったトマトは桃でも食べてるみたいな甘み。
「甘いです!すごい」
「あぁ、甘いな。甘いが……柔らかすぎる。輸送には向かんな」
手元のトマトを口に押し込むと、デアルタは帳面にさりさりとなにかを書き込む。
「それ、なにをかいてるんですか?」
「畝ごとに違う品種の掛け合わせだからな。どんなものが採れたのか記録してる」
「お仕事、ですか?」
「いや。趣味、だろうな」
書き物が終わるとデアルタさんは地面に腰を下ろした。視線が同じ高さになって、整った鼻筋と形のいい唇がすぐ近くに来た。
なんとなく居心地悪いよ。
目が合わない様に、隣に座ってみる。
「お前の村もそうだが、南部の多くの土地は農業に向かない。やせているとか固いとかまぁ、事情は色々だ。
だが、そういった土地でも作れる作物があればどうだ?」
「お腹いっぱい食べられるかもしれないですね。でも、そればっかりじゃ飽きちゃうかも」
どんなに美味しいトマトでも、毎日はなあって思ったからそう答えたんだけど。
なんかまじまじと見られた。
そんな目を大きくしてみられるような事言った?
見られてるなって思って、デアルタさんを見たらぱっちり目があって。目があった途端、デアルタさんはくつくつと喉の奥の方にこもったように。その内、大きな声で笑い出した。
なんていうか、大概失礼だよ。
「子供らしくていいな」とかいうけど、馬鹿にされてる気しかしないからね!
「まぁ、飽きるかもしれんが。それならどこかに売ればいい。その金で他から小麦を買ってもいい」
「そっか」
「地域ごとに二~三種類そういう作物を作れば、南部の飢えは改善するはずだ」
なんか、ちゃんと考えてるんだ。
温室の中の植物を見るデアルタの目はなんだか優しくて、いつもの険がある顔とは全然違う。
見上げるみたいな角度の横顔は、大人の色気みたいなものがあってちょっとどきどきする。
でも、格好いいとかじゃないよ!
大人だなって思っただけ。
「ちゃんと仕事してるんですね」
「これは趣味だと言ったぞ。仕事でやるべきものは、もっと大規模にやらせてる」
素直じゃない。
でも、そういう人なんだ。
責任感が強くて、優しくて。
それなのにすごく不器用な人。
「おれが司令をやってる内に、南部の飢えを少しでも減らす。飢えが減って、経済が回れば……そうだな。
お前が年頃になった頃、安心して子供が産める世界になる」
「なんか、気が早くないですか?」
「かもしれんな。乳も尻もひらたいお前にいう事でもないか」
デアルタさんはくくって笑うけど、なんも面白くない!
ぶんなぐってやろうか。
というか、今までの事もあるし、一回ぐらいぶんなぐっても怒られないよね?
奥歯ギリギリ言わせてるのにちっとも見向きもしないでデアルタさんは続ける。人の気持ちとか察してよ……。
「子供は未来につながる可能性だ。
統計がどこまで正しいかわからんが、この地域の平均寿命は四十年ぐらいらしい。
お前、生まれた子供がその年齢まで生きる可能性がどれくらいあるかわかるか?」
そんなの考えた事もなかった。
この性格の悪い金髪のおじさんは、なんのかんの言っても政治家なんだ。
わかりませんっていう意味を込めて首を横に振る。
「計算では三分の一を切る。
乳幼児の生存率が低いからな。原因は様々あるが、母乳での育児に対する限界もそのひとつだ」
「だから、粉ミルクを配給したんですか?」
「お前の母には随分な事を言われたがな」
母さん、粉ミルクのせいで畸形児が増えたって言ったのばれてる!
というか、父さん告げ口したんだね。最低。
でも、こういう考えの人がいたから、私はお腹いっぱいの赤ちゃんでいられた。
きっと、南部の他の地域にもそんな子がいたはず。
「まぁ、お前の母親の様に思うのも当然だ。
少し前なら生きる可能性がないと諦められていた未熟児や畸形児も生存確率が上がった。
絶対数が増えればその数が増えたように感じるのも無理はない」
大人って。
というよりも、この人の考え方はよくわからない。
私のよくわからないところで一生懸命で。それなのに、そんな頑張った事を皆に話さない。
伝えて上げたら、変な風に疑う人もいないはずなのに。
「みんなに説明したらどうですか?」
「その必要はない。理解するものだけが理解していればいい。お前の父親の様にな」
「父さんが?」
「ああ。あれは現実がよく見えている。お前が士官学校なりで栄達し、父親を中央に呼ぶ……なんて事があれば政治を変えるかもしれんぞ」
「そんな先の話、よくわかりません」
なにか期待してもらってるっていう事はわかる。
だけど、いま。こんな風に、誰かのために頑張ってるデアルタさんが。
言葉も通じないオーシニアの人との約束を守ろうとして、危ない橋を渡るつもりの貴方の方が、きっと世界を変えられるのに……。
勇者候補って言われて、この世界にきた私なんかより。はっきりとした目標を持って進めるはずなのに。
そう思ったら、胸がきゅーっと苦しくなる。
「デアルタさんは中央に戻られないのですか?」
「戻れんのさ。おれは呼吸器が弱い。
あの町の空気では長く生きられはすまい」
「……デアルタさん」
「お前は幸いにして健康で健勝だ。
同じ年ごろの子供に比べて格段に聡い。頼れる父もいる。おれはそうなれなかったが……」
そこまで言って、デアルタさんは大きく息を吸い込んで、それをふーっと吐き出す。
なにか重いものをそこに置くみたいに。
長い溜息の後
「栄達などせんでも構わん。家に戻っても健やかにいろ」
そういって、デアルタさんはもう一個トマトを渡してくれた。
「あの、デアルタさん」
「なんだ」
「いろんな事教えてくれてありがとうございます」
心からお礼を言ったつもりだったけど、デアルタさんはいつものようにふんと鼻を鳴らす。
見慣れているとはいえ、これ。なんか気持ちを逆なでするんだよなあ……。
「仕事の邪魔だ。早く部屋に戻って着替えろ。汗臭いぞ、お前」
うん。
この人、いつかぶん殴ろう。
私が大きくなって。背が伸びて、この人の顔にちゃんと手が届くようになったら。
その時、この人が仕事をやり遂げてたら、絶対ぶん殴ろう。
もう、決めたから!
今回は州都観光の予定だったんですが、変更して、ちょっと真面目なおしゃべりをお届けしました。
政治とか外交とか、難しい事はよくわかりません。
でも、心に一本。なにか、芯棒みたいなものがないと、うまくいかないんだろうな……っていうのは、なんとなく思ってます。
このお話も、マザーテレサが話した「戦争をなくすには、家に帰って家族を抱きしめてください」っていう言葉が芯棒だったりしてます。
がんばろ。
がんばる。
次回更新は2013/04/25(木)7時頃、帰郷して日常に戻るエピソードを予定しています。




