23.大好きだって伝えましょう
年跨ぎの日が明日に迫るお昼過ぎ。
お昼ご飯の前にデアルタさんが使用人さん達に御用納めを宣言したからなのか、お屋敷の中は静まり返って、普段の忙しい様子が嘘みたい。
そんな静かなお屋敷の中、私と母さんはばたばたあたふた。
さっきまでコトリさんもいたんだけど、じゃがいもの皮をむいてもらった段階で
「……戦力外!」
なんて母さんに言われて、他の仕事に行っちゃったっていうのは、まぁ仕方ないのかな。
本人が不器用って言ってたんだし、適材適所というかなんというか。
楓の葉っぱみたいに綺麗な赤い髪を三角巾の中にひっつめた母さんはオーブンの前。
同じ色の髪の毛をくるくるとお団子にしてもらった私はコンロの前。
踏み台代わりに木箱を横並びに二つ置いて、その上を行き来しながら手元を忙しく動かして、それぞれお料理の真っ最中。
「トレ、ローリエは?」
「多分、左手の棚、右上二番目です。母様、そこにあるトマトの缶詰ほうってください」
母さんが投げてくれたトマトの缶詰――兵隊さんが持って歩くご飯の一部らしいけど、その固い口を缶切りでぎこぎこ。
ざく切りになってる中身を、家で使うよりもずっと大きな鍋の中に入れてひとまぜふたまぜ。
一煮立ちしたら火を落として、味を落ち着ければ、あとは食べる直前にちょっとあっためるだけ。
「スープ、終わりました。詰物を火にかけますね」
七面鳥の下処理をする母さんに声をかけたら、少し深めのフライパンを火にかけて。皮をむいたじゃがいも三つとおっきいマッシュルーム四房。香りづけのにんにく四欠を一緒に炒める。
フライパンの中に注意しながら、ちらっと母さんの方を確認すると、大きな包丁をくるくると器用に取回して首と足先を落としてた。
お肉屋さんが中抜きと大雑把な下処理はしてくれてるけど、羽の根っこが残ってないかとか細かいところもチェック。
それが終わったら塩コショウとハーブを合わせた調味料で下味をつける。
ここまでの下処理を、母さんはあっという間に終わらせちゃう。
「出来た。詰物はどう?」
私の手元のフライパンの中もいい感じ!
「準備できました!」
「そこの鍋敷きに置いて」
「はーい」
お屋敷の厨房は広くて設備も整ってるけど、それだけに二人で料理をするとなると、ちょっぴり移動距離が長い。
フライパンを持っての蟹歩きはちょっと大変だけど、なんとかかんとか鍋敷きにフライパンを置いて一息。
七面鳥にどんどん詰物を入れて、野菜と一緒に天板にのせたらオーブンに入れて、あとは三時間くらい火加減を見ながら待つだけ。
普段通りの夕ご飯だったら、こんなに手間かけたことしないって母さんは言ってたけど、年跨ぎの日だから特別献立なんだって。
「トレ、ずいぶん手際よくなったのね」
「えへへ」
髪の毛をひっつめてるせいか、ちょっぴり鋭い目つきをした母さんがにこっと笑ってほめてくれた。
ここ半年、家でもお屋敷でも料理はしてたし、毎朝“納屋”の皆にご飯を作ってた成果だよね。
なんて喜んではみたものの。昨日の晩、るいゆさんのお葬式で着る服の仕上げで夜なべしたせいか、母さんの目元には浅いくまが出来てる。
髪飾りの仕上げもあって、私も夜がかなり遅かったからちょっとぐったり。
「ちょっとお茶にしましょうか」
踏み台にしてた木箱に座り込んだ母さんの提案に一も二もなく頷く私。
お客様用のお茶――東部自治州から取り寄せる高級品のシロン産発酵茶葉をこっそり煎れちゃう。
茶こしにお湯を注ぐとカップの中に赤い液体が落ちてく。甘酸っぱい香りがふんわりと鼻をくすぐる。
村ではめったに飲めない高級品。
でも、頑張ったもん、これくらいいいよね。
それから厨房を仕切るナザレさんが隠してるお菓子箱から、星の形をした砂糖菓子もお茶受けに拝借。
こっちは町で何度か食べたけど、ほっぺが落ちちゃいそうなくらい甘いお菓子。
母さんとゆっくりお茶するなんて久しぶりだし、話したい事がたくさんあったはずなのに、言葉が出てこない。
一緒にお茶を飲んでぼんやりしてるっていうだけでふわっと幸せな気持ちになるんだもん。家族って不思議。
「トレ。ごめんなさいね……」
なにが?
母さんが急につぶやいた言葉に込められた気持がよくわからなくて、私は少し高い位置にある母さんを見上げた。
顔は正面を向いたまま、でも視線はどこか遠くを見るみたいにさまよってる。
少し前、“授かり物”を切り落としたのか聞いた時と同じ。なにか言いよどむようなことがあるとどこか遠くを見るのは母さんのくせ。
でも、謝られるような事に心当たりなんかないよ。
「なんで謝るんですか?」
そうきいたら、母さんにぐいっと抱き寄せられた。
その勢いで、両手で包むみたいに持ってたカップの中でお茶が波打って、こぼれそうになる。
そんなに長い間離れてたわけじゃないのに、背丈の差は少し縮まってて。母さんの息遣いがお家で一緒にお茶を飲んでた頃よりも近い。
ふーって母さんがついたため息が、お腹の中をくすぐる。
「母様、お茶が……」
「ん。ごめん」
抗議しても放してくれる気配なんかなくて、包み込むみたいにしてくる母さんの腕の中でちょっと身じろぎ。
気恥ずかしい気持ちのやり場がどうしても見つからなくて。どうしていいのかわからなくて、母さんにそっと寄りかかった。
背中に感じるオーブンの熱と母さんのふんわりした温もり。
それに、昨日の晩。母さんと一緒になって、るいゆさんのお葬式で着る服に合わせた髪飾りを作って疲れてたからなのか、まぶたがどんどん重くなる。
ごしごしこすってもそれは全然変わらない。
「ちょっと眠ってもいいですか?」
「じゃあ、部屋に戻りなさい」
そういって離れようとする母さんにぎゅっとしがみついて、首を横に振る。
邪魔っけかもしれないけど、離れたくないんだ。
「しょうがない子……」
そういって頭を撫でてくれる母さんの膝に頭をのせて眼を閉じたら、すぐにすとんと眠りに落ちた。
近くでしゃべる声が聞こえて、まだ重たい頭を持ち上げる。
母さんにくっついて眠ったはずなのに、目が覚めたら食堂の隅っこに置かれた長椅子の上。そのことも不満だし、聞こえてくる声もなんだか楽しそう。
一人だけ置いてけぼりにされたみたいで面白くない。
きっと、すごくぶすくれた顔してるんだろうな……って、自分でもわかるくらい、眉間に力が入ってる。
まだまだ頭はまだぼんやり。
木で出来た堅い長椅子で寝てたからなのか、なんだか体中ぎしぎしする。
ん゛ー。って変な唸り声しか出ないし。寝覚めは最悪。
なんなの、もー。
枕の代わりにって事なんだろうけど、頭の下に置かれてた白地にいくつもの薔薇を染め抜いたふかふかのクッションをむぎゅーっと両手で締め上げながら、声のする方をにらむ。
お屋敷で一番偉いデアルタさんは一番上座。そのすぐ隣の席にはコトリさんが座ってる。
後ろ向いてるけど赤い髪は母さんでしょ。
母さんの正面に座ってるつるっぱげはマレ僧正。
母さんの隣に座ってるグレーの制服は父さん。
じゃあ、その隣に座ってる制服の人は?
夜の空よりも真っ黒な髪。その隙間から覗く真っ白なうなじ。
見覚えのある背中だけど、私の知ってるその人は。私が知ってる頃の後ろ姿は、父さんと並んだらずっと小さかった。
でも、今私が見てる背中は、その頃よりずっと……。
なんてあんまり回らない頭をぐるぐるしてたら、つるっぱげじいちゃんと目があった。
「おや、眠り姫がお目覚めだね」
その声で、テーブルについてた全員の視線が私の方を向く。
見覚えのある背中のその人の、烏の羽根みたいに濡れ光る瞳も、ね。
「よぉ、ちび。久しぶりだな!」
「ちびじゃないです!」
なんか、このやりとりものすごく久しぶり。
僧正様に手招きされてその隣に座ると、母さんがテーブルの上に置かれた七面鳥の半丸をテーブルナイフでひょいひょいっと切り分けて、私の前においてくれた。
つけあわせは詰め物にいれたじゃがいも。席を立って厨房に行ったコトリさんは私が作ったスープをマグに入れて持ってきてくれた。
豪華な食事にお腹がきゅーっとなる。
座った席は父さんの真正面だから、当然のように目が合った。
三ヶ月以上顔を合わせてないから、父さんにも話したいことはいっぱいあるはず。ご飯も美味しそうなんだけど。でもまず
「ぁ、あの、どうしてカレカがいるんですか?」
なによりもその一点がききたい。
それだけなのに、なんだか声が上ずっちゃうし。それ以前に髪とかぐしゃぐしゃだし、自分でもなにがなんだか分かんない。
あと、私を見てにまにま笑うのはなんなの、父さんも母さんも!
あからさまに挙動不審だった気がする私の問いに、今日は食事に手を付けていたデアルタさんはその手を休めて答えてくれた。
「必要だから呼んだ。問題あるか?」
どんな必要があるっていうんだろ。
私を慌てさせるとか!?
「ここにいる人間に極近く身元のはっきりした、測量の知識を持つ人間を連れて来いと命令した」
「測量、ですか?」
州都でそんな勉強をしてたの?
兵隊さんになるために学校に行くって言ってたのに、どうしてそんな専門技術を身に着けてきたのかな。
カレカの方を見る。
あの頃よりずっと背が伸びて、少しがっちりした気がする。
猫みたいにしなやかだった細い体が嘘みたい。
なんて、じろじろ見てたのがばれたのかな?
視線が合って、そうしたらカレカがふって笑った。そういう静かな笑い方は、大人みたいでちょっぴり。そう、ちょっぴりだけど寂しい。
「あの。“納屋”の皆にもご飯を持って行ってあげていいですか?」
そんな寂しさから逃げたかったのかな。
まだ、自分の目の前にあるお皿にも手を付けてないけど、私の知らない人になっちゃったみたいなカレカのそばにいるのがなんだか苦しい。
「じゃあ、おれも行きます。ちび一人じゃ重いだろ」
立ち上がったその背丈は私が知ってるカレカより大きくて、それが嫌でも男の人を感じさせる。それが怖い。
「一人で行けますから……」
「いいから、行くぞ」
席を立ったカレカは母さんを促して厨房の方に歩いてく。
「トレ、行っておいで」
そう父さんは言うけど。四年間であんなに変わっちゃうものなのかな?
もしかしたら助け船を出してくれるんじゃないかなって、僧正様を見るけど、一生懸命ご飯を食べてるだけで、私の方を見向きもしてくれない。
「おい、ちび!」
「あ、はい」
う。
ちびって言われて「はい」って言っちゃった。
そんなことに腹立ててるわけじゃないし。ただ、今のカレカと一緒には行きたくないだけなのにな。
厨房から出て長い廊下を歩く。
どこに行っても絨毯が敷かれているお屋敷の廊下では足音なんかなくて、カレカと私が歩くと聞こえる衣擦れ以外、ランプの芯が燃えるじじっという音が時折聞こえるだけ。
いつもなら廊下のあちこちにつるされたランプに明るく照らされてるけど、使用人さんが休暇に入ってるからどこもかしこも暗闇ばかり。
左手にはスープの入った片手鍋とパンを入れたバスケット。右手には持ち運びできるランプがあって、その向こうにはカレカが歩いてる。
去年の春。隣にカレカが歩いていない事を寂しいって思ってたのに、いまはなにも言わないで歩くカレカがなんだか怖い。
カレカが持ってるバスケットには七面鳥の半丸と詰め物。それから、取り皿が入ってる。
私が持ってるバスケットよりもずっと重いのに、それを軽々と片手で持ったまま。歩く姿はピンと背筋が伸びてて、本当に大人っぽくなったなって思う。
でも、気になるのは、カレカがつけてる真っ黒な革製の手袋。
私が知ってるカレカの手には水かきがついてて、指が五本に分かれた手袋なんてつけられなかったはずなのに……。
「カレカ、手。どうしたんですか?」
「ん。ああ」
なにも持ってない方の左手を顔の辺りに上げて、掌と手の甲を確認するみたいにくるっと回すと、すっかり高くなった背丈から私を見下ろして笑う。
「不便だったからな……切った」
そんなに簡単な事じゃないでしょ。って思うけどそんな事、言えなくてまた黙り込むしかなくなっちゃう。
なにも話せないまま廊下を歩ききって、私の部屋がある尖塔に続く渡り廊下に。そこから雪で真っ白になったお庭に出る。
いつもなら使用人さんがきれいに雪かきしてくれてるお庭は、雪に覆われて、なにもない平地みたいに無表情。
そんな無表情な景色なのに、ランプの光に照らされると影ができて、そこになにかいるんじゃないかって。どうしても足が前に進まない。
「怖いか?」
「怖くなんか、ないです」
暗いのより、カレカの方が怖いし。なんて、絶対言えないけど。
「お前、相変わらず面倒くさいのな」
「なにがですか?」
カレカはそういって頭をガシガシかく。
その仕草は小さい頃、馬車の荷台に一人で乗れなかった私を見た時と同じ。
それから、差し出してくれたカレカの手を握るのが怖いのも。
「ファルカさんとトルキアさんから色々あったんだって聞いた。
辛いとき、そばにいてやれなくてごめん」
話すカレカの真っ白な横顔は、ランプの光に照らされたせいなのか少しだけ赤い。
「お前を守れるようになりたいって言って出てったのにな」
差し出してくれた手の向こう、そっぽ向いたカレカはうなじのあたりまで赤くなってた。
なんではずかしがってんの!?
そんなカレカの様子を見てたら、四年前。
カレカとお別れしたあの日、おでこにしてもらったキスの感触を思い出して――あの時は、鼻血出ちゃったけど、今は大丈夫。かな。
精一杯勇気を出して、カレカの差し出してくれた手にランプを持ってる右手を重ねる。
ランプの位置が少しだけ高くなって、視界が明るくなった。
「行きましょう」
カレカの手をぎゅっと握って歩き出す。
本当はあの頃から大好きだったんだよって伝えたかったけど。
でも、なんだかそんな感じでもないかな……なんて。
今回は尋問のシーンまで書きたかったんですが、たどりつけませんでした。
思い描くお話の流れに、登場人物がうまく乗っかってくれないというか。まぁ、言い訳なんですけど。
なので、今回は主人公の初恋(なの?)の人と再会するところまででお届けする形に……。
予告通りに進まなくて申し訳ないです。
次回更新は2013/03/13(水)7時頃、今回予定していた尋問のシーンまで進行したいと思います。




