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22.泣きたいときには泣きましょう

今回はちょっと長めです

 生まれてから八回目の冬。

 私が生まれ育ったレンカ村と比べたらだいぶ少ないけど、州都でも雪は降る。

 お屋敷の周りは真っ白になって、それでもまだ降り続ける雪に、街のざわめきもどこかに遠ざけられてしまうみたい。


 いつもなら、遠くに聞こえる汽笛の音とか、お屋敷に来ているお客さんの車の音とか。そんなざわざわとした気配も遠のいた部屋の中、苦しそうな息遣いだけが聞こえてる。


『るいゆさん、お加減はどうですか?』

『悪く、ない』


 きれぎれの息の下で話するいゆさんの手をそっと握ってみるけど、その手には力も熱もなくて。冷たい肌触りが私の胸をきゅっと冷やす。



 州都に雪が降り始めた頃、私とるいゆさんがしていた辞書の翻訳作業はようやく終わって。でも、るいゆさんの体調はどんどん悪くなってた。


 ご飯は重湯くらいしか食べられなくて、咳をするだけでどこかの骨が折れてしまう。

 そんな病状のまま、一ヶ月くらい。

 一緒にいるだけで苦しくなっちゃうほど、痛くて苦しい日々を過ごしたるいゆさん。


 それなのに、私の言葉が流暢になったってほめてくれたるいゆさん。


 その命の火が消えていくのを私はじっと見ているしかなかった。


「君が最後まで一緒にいて上げなさい」


 格子の中でるいゆさんの足を診断して、その日からずっとるいゆさんの具合を見てきてくれたお医者さん――私が大怪我をした時に来てくれた軍医さんは、そう言って部屋を出て行った。


『るいゆさん。昨日、雪が降ったんですよ』

『そう。私の故郷はほとんど雪が降らない地域だったんだ』

『じゃあ、元気になったら見に行きましょう』


 本当に、そんな日が来ればいいのにって思うけど。でも、それがかなわないって、私が一番思ってる。

 るいゆさんだって、もしかしたら……。


『そう、ね』

『るいゆさん、なにかほしい物はありますか?』

『トレ、手を握って。私が眠るまで……』


 一緒に部屋で暮らし始めた頃は、ぎざぎざの歯がみえてちょっぴり怖かったるいゆさんの笑顔。

 でも、今はすごく穏やかに見える。


 ほんとは笑顔でいたかったけど、私はきっと笑えてなくて。るいゆさんの手にすがりついてた。


『トレの手、あったかいね』


 もう、どこを見ているのかわからない、るいゆさんの赤い眼がゆっくりと閉じる。


『トレ、また明日』


 そう言ったるいゆさんは、二度と目を覚まさなかった。




 出入り口の扉以外、明かりとりの窓もない真っ暗な“納屋”の奥。ランタンの光に照らされて浮かび上がる金属で補強された扉の前で、私はゆっくりと呼吸を整える。


 るいゆさんが亡くなった。


 そのことを皆に伝えなきゃいけない。

 どんな風に見送ってあげればいいのか教えてもらわなきゃいけない。


 でも。

 そんなの本当はどうでもいい。大事な事だってわかってるけど。でも、私は誰かが目の前で死ぬのを見届けて、一人で立っていられるほど強くない。


 オーシニア人がこのお屋敷の敷地にいるのは極限られた人以外には秘密になってる。


 るいゆさんと暮らしたこの部屋だって、お屋敷の西のはずれ。使用人さんもあまり立ち入らない尖塔にある。

 そのあまり人が来ないはずの入り口で、兵隊さんが出入りを監視して、その存在を隠してる理由を私はよく知らない。


 デアルタさんやコトリさんには軍医さんが報告してくれるって言ってたけど、二人はいつだって忙しい。


 お屋敷には引きも切らさず人が来て、デアルタさんはその応対に。コトリさんも宿営地とお屋敷を行ったり来たり。

 とにかく忙しく働いてる。

 でも、秘密の延長線上にある悲しい気持ちを話せる人なんか二人以外にいない。



 話せるとしたら、この扉の向こうにいる皆だけ。

 でも、皆に私の悲しい気持ちを押しつけてもいいの?

 どうしようもない気持ちが胸の奥の方でぐるぐるととぐろを巻いて、扉に手を伸ばす事も出来ない。


 しゃっくりするみたいに喉の奥が痙攣する、こもったような声が広い納屋に響く。

 しばらくするとその音の中にがしゃんがしゃんという金属を叩きつけ合う音が重なった。


『おい、トレ。来たんだろ!』


 その上からでゅえふさんの声が重なる。


 杖をついて歩かなくなってから、こんな風に内側から気づかれたことなんかなかったのに……。


 がしゃんがしゃん。


『トレ。いるんでしょう?返事をして!』


 きゅいあさんも私を呼んでくれてる。


 扉を開けて、話をしなくちゃ。



 ランタンからあふれるオレンジ色の光に照らされて、格子の向こうにいる皆の赤い瞳がルビーみたいに光る。

 人種が違うせいなんだと思うけど、その表情から気持ちを読み取るのは難しい。

 でも、そのおかげで、私の気持ちはなんだか落ち着いて、話し始める事が出来た。


『今朝。るいゆさんが亡くなりました』


 自分でも怖いくらい抑揚がない話し方だなって思う。でも、そうしないとまた泣いちゃいそうで。だから、なるべく声に調子をつけないように……してたけど。


『……ごめんなさい』


 でも、自分でもどうしていいのかわからないくらい気持ちは張りつめてて。涙になってそれがあふれてくんだ。


『君のせいじゃない、泣くのはやめなさい』


 ぼたぼたとなく私に声をかけてくれたのは、一番奥の格子にいる男の人。

 三ヵ月間通ってきたけど、今まで最低限のやり取りしかしてくれなかったその人は、低くて重い。


『君が最後まで一緒にいてくれたのだろう。感謝する』

『でも、命を助ける事は出来ませんでした』


 それは君の責任ではないって繰り返すと、その人は初めて私の名前を呼んだ。


『トレ、大事な話をさせてほしい』


 そう言って格子の中で手招きするその手は、きゅきぃさんやるいゆさんと同じ、節くれて、でも私が握ったことがある二人の手よりも大きい。

 きっと、私の頭なんか簡単に握りつぶしてしまうんじゃないかって思う。


 でも、怖さよりも威厳とかそんななにかが声に含まれてる。


『いままで名乗りもせずすまなかった。私はどぅえとという。恐らくこの中の最上位者だと思う』


 手招きされて、声に魅かれて、ふらふらと格子の前まで踏み出した私に、どぅえとさんは頭を下げた。


『こんな事を頼むのはおこがましいとわかっているがきいてくれ!』


 前世の記憶にある言葉で言うなら、多分、土下座っていう姿勢。でも、本当にそんな姿勢をする人なんか見た記憶がなかった。


「あの、顔を。顔を上げてください!」


 うあ。

 なんで。

 びっくりして、せっかく覚えた言葉が出てこない。

 どうしていいのかわからなくて、私も格子の前でぺたんとお尻をついた。


 床に頭を押し当てたままのどぅえとさんの低くて重い声は、私のお腹をゆすぶる。


『あの男が我々の扱いに苦慮している事は知っている。その上での厚遇に感謝もしている。

 だが、言葉も意図もわからぬままいたずらに時を過ごし今に至った。

 それを押して、ここにいる皆の命を助けてほしい!』


 格子の前で跪くどぅえとさんの濃いグレーの髪は、長く閉じ込められて生活していたからか脂で濡れたように光っていた。

 間近で見る跪いたオーシニアの男の人。

 そのライオンみたいに勇ましいたてがみに、私は手を伸ばした。


 人種なんか関係なく、男の人は怖い。

 それは生まれた時からかわらない。


 けど、うずくまって小さくなったどぅえとさんのたてがみをそっと撫でる。


 きっと、この人も苦しかったんだって思うから。


『お前は異境の言葉を必死に覚え、我ら同胞ために涙を流した。トレ、私はお前に帰順する』


 顔を上げたどぅえとさんは私の手の甲にキスをした。




 今朝、るいゆさんが亡くなった事を私が話し始めると、執務机の向こう側で腕を組んだデアルタさんが大きなため息をついた。

 その後ろには、制服姿のコトリさんが控えてる。


「お葬式の仕方は皆に確認します。オーシニアのやり方でるいゆさんをお見送りしてもいいですか?」

「許可する。コトリ、準備を手伝ってやれ」

「わかりました」


 昼間、皆の前で泣かせてもらったからなのか、悲しい話をしてるはずなのに涙は出ない。


 覚悟が決まるとかそんな格好いいことじゃない。

 なにかを感じて気持ちを揺り動かすのに疲れちゃった。そんな感じなんだって思う。


 それに、私に帰順するって言ってくれたどぅえとさんの言葉が、胸の中に重石みたいになって。その重さが涙にふたをしてる。

 そんな風にしか言えないくらい、心の中がなんだか静かだった。


「それと“納屋”のリーダーでどぅえとさんが、質問に答えるって言ってます」

「そう、か……」


 思ったよりも抑揚のない言葉が口から滑り出て、それに応えるデアルタさんの言葉は少しとぎれる。


 私に言葉を覚えろって言った日。

 あんなに熱のこもった声で情報が必要なんだって言ってたデアルタさん。なのに、ちっとも嬉しそうじゃない。

 それどころか、形のいい眉を寄せると


「ちび。お前、自分がどんな顔してるか、わかるか?」


 って。ひどく不機嫌そうに言う。

 怒られるような事を言ったのかなって、振り返ってみるけど、そんな覚えない。


 大体、鏡もないのに顔なんかわかる訳ないでしょ。


「よく、わかりません。変ですか?」

「あぁ。お前なら、もっとべそべそ泣くもんかと思ってたが……」


 泣いたよ。

 すごく泣いたよ。


 でも、泣いても誰か来てくれる訳じゃなかったから。


「悲しかったです。でも、もう大丈夫、だと思います」


 応えた私の声は、やっぱり抑揚がなくて。そのせいなのか、デアルタさんは「……とてもそうは見えんがな」って少し落とした声で言いながら、椅子に深く座りなおした。


「トレにはデアルタさんがどんなことを知りたいのかわかりません。なので、なにか聞きたい事があれば教えてください」

「それは無用だ。コトリ、尋問はアーデに担当させる」


 父さんに?

 なんで?


「父様に、ですか?」

「不服か?」


 なにがなんだかわからなくて、心の中で思ってた声がぽろっとこぼれた。その上の空な私の言葉に、デアルタさんはむっつりとした表情で問い返してくる。


 不服とか、ないけど。


「よかったですね、トレ様。お父さんに会えますよ」


 あ。

 そっか。父さんに会えるんだ。


 そっか……そっかあ!


「泣くな、馬鹿者」

「馬鹿っていう方が馬鹿なんです!」


 減らず口ってこういう事を言うんだろうなあって、思うけど。別にいいや。


 夏のあの日。内通がどうのって言われて捕まったあの日から、父さんとは一度もあってない。

 酷い目にあったし、それが終わったら勉強勉強だったしで忘れてたけど、もう半年ぐらいたってるんだね……。



 時間感覚もそうだけど、半年くらいの間、なんとも思わずに言葉の勉強に使っていた手帳――四十万さんがくれた赤茶色の皮革で装丁されたあの手帳。

 家に置いてきちゃったはずなのに、気がついたら私の手元にあった。


 デアルタさんもコトリさんも、父さんはお屋敷に来ていないって言ってたし、私も見た覚えがない。


 どうしてここにあるのか不思議だったけど、四十万さんの『手帳とペンは手元から絶対に消えない』っていう言葉通り。なにか魔法がかかってるんだろうなって、勝手に思ってた。

 でも、本当はものすごく不自然だよね。



 家にあったものが急になくなったら、父さんと母さんはどう思うんだろ?

 私の部屋、どうなってるのかな……。



 急に父さんに会えることになって、堰が切れたみたいに家の事が頭の中にわーってあふれてきて。

 よくわからない事をたくさん考えてる間も大人同士の話は続いてた。


「コトリ、尋問には僧正も立ち合わせろ」

「よろしいのですか?」

「マレ僧正のみに限定すれば問題ないだろう……知らせなければそれはそれで問題になる」


 どうしてそこでマレ僧正の名前が出てくるんだろう?

 大人の話に首を突っ込むとろくなことにならない事が多いけど、でも気になるからきいてみる。


「あの、どうして僧正様が立ち会うんですか?」


 疑問を口にするとデアルタさんとコトリさんが、なにか珍しい物でも見るみたいに、眼を剥いて私を見てきた。


「お前、学校で神学習ったか?」


 なんでそんな大きく見開いて私を見ますか?


 神学の授業を担当してくれた先生に失礼でしょ!

 なんて思うべきなのかもだけど、思い出してみたら、担当はクレアラさんだったね――居眠りばっかりして、まじめな話ちっともしてなかったんだ。


「ごめんなさい。ほとんどなにも……」


 でも、私のせいじゃないよ!

 言っても信じてくれないだろうけど。


「教会はオーシニア人を神殺しの背信者と断じています。トレ様が言葉を話される事を知られるのは好ましくありません」

「帝都の連中より教会の方が厄介かもしれんからな。奴らは拷問も辞さん」


 拷問って……。


「マレ僧正は少し変わった考えをお持ちですし、従軍司祭を自ら買って出てなさっている方ですから、こちらの意向を理解してくださいます」

「トレ、また捕まったりしませんか?」


 もう、あんな思いしたくない。


「おれが責任を持つと言った。手を出させはしない」


 デアルタさんが強く口を結ぶと、牙をむくライオンみたいに獰猛に笑った。

 少なくとも、こんな怖い人に眼をつけられたくはないもんね。きっと大丈夫!



 そんな怖いデアルタさんに一個、大事なお願いをしなくちゃいけない。


「出来れば、皆にお日様を浴びさせてあげたいんです」

「奴らを外に出せと?」

「はい。るいゆさんと同じ病気になっちゃうかもしれません」


 軍医さんから聞いた話では、お日様に長い間当たらないでいると骨が弱くなっちゃうらしくて。るいゆさんが亡くなる前、すごく苦しんだのは、元気なときはなんでもない事でもぽきぽき骨が折れちゃったから。


 あんな苦しい思いを皆にはしてほしくない。


 でも、お屋敷には大勢の使用人さんもいるし。その人達に秘密にしたまま皆を外に出すのはすごく難しい事なんだって思う。


 デアルタさんやコトリさんに力を貸してもらわないといけないんだ。


 鋭い視線で私をじっと見るデアルタさん。眼をそらしたりなんかしないからね!

 気持ちはライオン。


「年跨ぎの日から三日間ほど、お屋敷の皆様に暇をとらせては如何ですか?」

「その間、飯はどうする」


 ご飯が確保できれば大丈夫なの?

 じゃあじゃあ。


「トレが作ります」


 学校でもここまで元気に手をあげた事ないよってくらい元気に手をあげてみる。


「私もこちらに詰めますから、ご心配いりません」


 淡く微笑むコトリさんと私をそれぞれ見ると、デアルタさんはふーっと長く溜息。


「……好きにしろ」


 息と一緒にそんな言葉を吐き出した。




 年跨ぎの日が一週間とちょっとに迫ったある日。


 持ってきた四人分の毛布をどさっとおろす。

 もう二往復目だからちょっと腕がしびれてる。でも、この“納屋”ちょっと寒いからね。

 皆が風邪をひかないように、毛布の枚数を増やす事にした。

 これはデアルタさんの配慮。


 なんだけど、持ってくるのは私のお仕事なんですよね。

 朝早い内に自分で運べばいいじゃん!


 ……いいんですけどね。


『さっきもお話しましたけど、数日ですがお外に出る許可が下りました』


 さっきもっていうのは、一回目の毛布を持ってきた時にちょっと話そうとしたんだけど、でゅえふさんが『これだけじゃ寒い』とか言い出して、中断されちゃったから。


 大事な話だったのに。


『逃げるとは思わないのか?』

『んー。私は皆の事を信じてますし、デアルタさんは行き場がないだろうって言ってました』

『……違いない』


 疑問を口にしたどぅえとさんは、私の答えを聞いたらなんだかよくわからないけど笑ってた。


『その日、るいゆさんのお葬式をしようと思ってます。なので、準備するものがあれば書いてもらえますか?』

『ふむ』


 るいゆさんには寒くて気の毒だけど、遺体は私が住んでるお部屋がある尖塔の地下。

 一番気温が下がる場所に保管されてる。


 待たせちゃうのは嫌だったけど、年跨ぎで使用人さんが出払ってる時に、皆で送ってあげようって、皆ともコトリさんとも相談して決めたんだ。


 なので、その式次第を教えてもらうためにどぅえふさんに手帳を渡す。


 その大きな手に似合わない細かな動きで手帳に書き込んでくれる。

 くれるんだけど……なんか、結構多いですよね?


 一ページ分びっしりになりそう。


 どぅえとさんが書き物をしてる間に、みんなに毛布を配る。


『トレ。私、きゅいあさんのとこの鳥の模様がある青い毛布がいい』


 そんな事言いだしたのはきゅいあさんの向かいの格子にいるくぅりぇさん――他の皆よりちょっぴり小さい女の人。

 ときどき、こんな感じで可愛いこだわりを見せてくれる所に、ちょっぴり共感してたり。


『きゅいあさん、いいですか?』

『いいよ。ほれ』


 って。

 きゅいあさん、なんで私に投げつけるんですか!?



 どぅえとさんの書き物はそんなやりとりの間もずっと続いていて、取り残された私達はなんとなくおしゃべりを始める。


『そういえば、お屋敷のお風呂に入っていいっていってました』

『ほんとに!?』


 って一番に食いついたのはでゅえふさん。

 ……きゅいあさんとくぅりえさんより早かったよ。


 そのせいか、二人はちょっと喜びにくいご様子。

 なんだこれ?


『でゅえふさんがそんなに喜ぶなんて思いませんでした。野生児っぽいのに』

『おれんちの辺りじゃ、毎日皆で風呂に入るのが普通だったんだ。楽しみ!』


 皆で?

 ……あ。きゅいあさんもくぅりえさんもちょっと凍ってる。


『あの、それは男の子も女の子も一緒にって事ですか?』

『おう』


 なに胸張ってんだ、この人。


『トレの国では、男女のお風呂は別です』

『えー。なんでだよー』


 女性サイドとしてはほっとしましたけど、でゅえふさんは結構な勢いでへこんでました。



 なんていう馬鹿話をして、それでもどぅえとさんの書き物は終わってなかった。


 なので、なんとなく皆でどぅえとさんが地を書くのを見る。


『なんだ?』


 って一回目線を私に向けたけど『お気になさらず』で一蹴。

 私の手にぴったりくらいの長さしかないペンは、かなり扱いづらいみたい。


 とはいえ、書き物をお願いできるのはどぅえとさんしかいない。


 “納屋”にいる皆の中で、字を書けるのはどぅえとさんだけだってわかったのは、一昨日の事。

 デアルタさんに言われて、尋問の前に形だけでも誓約書をとるっていう話しになって。その書類を持ってきたんだけど、でゅえふさんもきゅいあさんも。くぅりぇさんも。


『なに書いてあるの?』


 なんて大きな目を見開いてた。



 私自身は生まれた頃からなんとなく字が読めたし、文字を読めない人も周りにあまりいない。

 そのせいで、文字を操れるのは当たり前だって思ってたけど、ほんとはそうじゃないんだよね。


『出来た!』


 どぅえとさんのメモはたっぷり三ページ分。

 準備するものと式次第。

 それから、儀式を執り行う人の服装の絵――悔しい事に、私ときゅきぃさんがやりとりしたのの百万倍は上手なイラストが入ってる。


 細かい字がびっちりのメモなんだけど。


『あの、なんだか複雑な式次第ですけど。誰がやるんですか?』


 皆の視線が私に集まるんですよ。



 式次第を暗記するのと一緒に服も準備しないといけないんだ……。

 るいゆさんと皆のためだから頑張るよ!

 頑張りたい、けど。


 すごい大変そうだなあ。




 黒いビロード地にちくちくと針を入れる。

 自分の服を本格的に作るなんて初めてで、ちょっと勝手がわからないっていうのはもちろんなんだけど。

 それ以上に。


「もー!」


 って唸り声ばっかり出ちゃう。

 つるつるしてて肌触りはいいんだけど、なんでこんなに縫いずれするんだよ、この生地!


 ……なんて、布地に八つ当たりしても仕方ないんだけどね。



 これ、あと一週間くらいでできるのかな。なんて、ちょっぴり弱気になってたら、部屋の扉がノックされた。


 ちょっとびくってなったけど、私がいる部屋はお屋敷の中でもすごく不便なところにあるし。警備の兵隊さんもいる。

 怖い人なんか来るわけないんだよね。


 扉の外に向かって


「どうぞ」


 って声をかけると、寝間着の上にガウンを羽織ったコトリさんが入ってきた。


 ほっぺがちょっとだけこけてる気がする。


 どぅえとさんが書いてくれたメモに書いてあった副葬品には、冬場の寒い地域ではなかなか手に入らない物がいくつか書かれてて。

 それを手に入れるためにあっちこっち行ってるって言ってたし、ちょっと疲れてるのかもしれない。


 お葬式って大変。


 コトリさんはガウンの前を合わせながら、私の隣に座って手元を覗き込んできた。


「はかどってますか?」

「……正直に言うと、あんまり」


 採寸、型紙作りまでは手伝ってくれたコトリさんだけど、お裁縫の方は「あ゛ー」っていう声しか出ないくらいの腕前。

 だから、儀式出来るための服は私が一人で作ってる。


 準備を手伝う様にデアルタさんから言われてたのに、それを全うできないって悔しそうにしてたから、ちょっと気になってるのかな。


「もう少し頑張ったらトレも寝ますから、コトリさんも構わず寝てください」

「いえ。トレ様も、もうお疲れでしょう」


 んー。

 疲れたけど、このままいくと出来上がらないし。なんて逡巡してたら、コトリさんに抱き上げられちゃった。


「コトリさん!?」

「明日、頼もしい助っ人が来てくださいますから。今日はもう寝ましょう!」


 お針子さんでも来るって事?

 誰が来てくれるの?


 もう、なんだか挙動不審になってる私をみてにこにこするコトリさん。顔が近いし!

 というか、針を置かせて下さい。


「トレ様、びっくりしますよ」


 いえ。

 コトリさんが一緒にベッドに入っちゃってる事の方がびっくりです。




 眠い。

 なんか、よくわからない内に私の部屋のベッドに入っちゃったコトリさんは、私を抱いたまま放してくれなくて。

 なんとなくそのまま一緒にベッドで寝たんだけど。

 寝た?

 ……いや、寝てない。


 コトリさんの身体からするなんだか甘い匂いと、あったかくて柔らかい感触に身体中包まれたどきどきでほとんど寝れないまま。うつらうつらしたのは外がちょっと明るくなった頃。

 なので頭ぼんやり。


 それでいて、気がついたらコトリさん自身はベッドにいなかったり。時々勝手だよね、あの人。


 ベッドの上でぼんやりしてたらお腹がきゅーって鳴き声を上げた。


「ご飯食べよ……」


 もう身支度も適当でいいや。



 年跨ぎの日から三日間の休暇がデアルタさんから発表されて、使用人さんの中には少し長めのお休みを採った人もいるみたい。

 そのせいなのか、お屋敷の中の人の密度がちょっぴり少ない。


 まぁ、私の部屋がある尖塔から母屋に向かう渡り廊下に用事がある人なんて、使用人さんの中にもほとんどいない。


 いつも変わらない人といえば


「おはようございます。寒いのにご苦労様です!」

「おはよう、トレちゃん」


 尖塔の入り口を警備してくれてる兵隊さん。


 最初の内は怖くて目も見られなかったけど、いまは頼もしいなって思い始めた兵隊さんにご挨拶して母屋に急ぐ。


 そもそもこの渡り廊下。

 お洒落な作りって思えばいいのかな。

 屋根はついてるけど、柱でそれを支えてるだけで、基本的に屋外なんだよね。


 もう、すっごい寒い!

 食堂に行くだけで、ちょっとした雪中行軍だもん。


 一気に走り抜けちゃおう!

 寒いし、お腹すいたし。


 そう思って足にぎゅっと力を入れたところで、聞き覚えがある声がした。

 すごく懐かしい声。


 この半年、ずっと聞きたかった声!



「トレ!」


 いつもならきれいに整備されてるお庭だけど、庭師のおじちゃんも休暇に入ってて、真っ白な雪だけが見えるひらぺったくなってる。

 そんな真っ白な雪の向こうに、メープルシロップみたいな色が見えた。


 室内履きだけど。

 足が痛いくらい冷たいけど。


 でも、私は全速力で走り出す。


 門まで百メートルくらいかな?

 じゃあ、十四秒。

 十四秒で触れられる距離に来てくれた!



「母様!」



 母さんも走ってきてくれたから八秒で、私は母さんに飛びつけた。



 心配かけてごめんなさい。

 でも、ずっと帰りたかったし会いたかったんだよって伝えたいんだけど、声なんかでなくて。


 だから、私は母さんをぎゅっと抱きしめる。

 転んじゃったって気にならないくらい、ぎゅっと。

今回は主人公がお母さんと再会するエピソードをお届けしました。


言語を覚えるってなまなかな事じゃないと思います。

だから、主人公がけっこうあっさりしゃべれるようになっちゃってる感じが、私の中では不満だったり。


いえ。

作中の時間は三ヶ月も流れてますし、ネイティブと四六時中一緒にいればしゃべれるようになるかもですけど。

……って、自分でも突っ込んだり弁護したりしてました。



次回更新は2013/03/06(火)7時頃、尋問をメインにしたエピソードを予定しています。

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