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21.一人じゃないって信じましょう

今回はふわっとした感じになってます

 生まれてから八回目の秋。

 いつもなら母さんと冬籠りのためにピクルスを漬けこんだり、薪を積み上げたりする季節。

 でも、今年は少し違う。


 デアルタさんにオーシニアの言葉を覚えるように言われて、お屋敷に住むようになってから一ヶ月くらいたったある日のこと。



 エザリナ皇国ルザリア南部自治州を統治する南部方面軍司令デアルタ・ジレ――肩書を全部書くともっと長いらしいけど、私にはよくわからない。

 その偉い人のお屋敷のキッチンの隅っこで、私はベーコンを焼いてる。


「美味しそう!」


 つまみ食いをした感じ、母さんの作るベーコンより薄味だけど脂がしっかり出る。

 家では使ったことがないスパイスと、スモークがしっかりきいて、ほんとに美味しかった。


 ただ焼いてるだけなのに、甘い香りがして起き抜けのお腹がきゅーっとなる。


 食べちゃいたいけど我慢しなくちゃ。



 お屋敷のキッチンはとっても広くて大勢の人が働いてる。朝方の一番忙しい時間帯は足の踏み場もないくらい。

 そんな忙しさも落ち着いて、今は一段落の時間。


 厨房の火もほとんど落とされて、静かな空間にじゅーじゅーという音。

 隅っこにあるちっちゃなコンロの前には、私。


 什器は大人が使うのを前提にしてるから、背が届かないし、少なくとも八歳の子供のいる場所じゃない。

 でも、自分で言い出した事だから。


 “納屋”にいるあの人達の事はお屋敷の中でも一部の人しか知らない。

 だから、ご飯も別枠で用意することになってるんだけど、でも朝のキッチンは戦場。それが終わってからこっそり準備することになってた。

 その当番に立候補したのが先週の事。


 もともとはコトリさんとか他の人が当番で作ってたみたいだけど。お屋敷に住んでるのに勉強してるだけでなんにも仕事してないのは心苦しかったし。

 なにより、皆でご飯を食べたら仲良くなれる気がするし、ちょうどいいかなあって。


 そんなこんなで厨房が静かになった頃、こっそりご飯の準備をしてるんですけど。


「あの、見られてるとやりづらいです……」

「お気になさらず」


 でも、物珍しいのかなんなのか。ギャラリーさんがいるんですよね。

 厨房を切り回してるナザレさんは、私が踏み台にしてる木箱のすぐ隣に椅子を置いて、私の手元をじっと見る。


 やりにくいなあ。


 焼いたベーコンを切って、薄くスライスした玉ねぎとレタスをちぎってパンにはさむ。

 本当はトマトも入れたいんだけど。厨房に置いてあるトマトを食べてみたら、みずみずしくてものすごく甘くて美味しかったんだけど。

 そのせいでサンドイッチにはあんまり。


 だから入れない。


 白くてふかふかのパンも軽くあぶったらすごくいい匂い。


 全部で五包の普通の大きさのサンドイッチと、カンパーニュ――顔くらいある大きさの丸いパン丸々一個の大きいサンドイッチを一つ。

 それから水筒に入れたオレンジの果汁をバスケットに入れる。


「ナザレさん、キッチンつかわせてくれてありがとうございます」

「トレちゃん。お館様のご用が済んだら、うちで働かない?」


 つまみ食いしてベーコン焼いただけなのに、スカウトされちゃったよ。



 傷口はふさがったし、痛みはずいぶん退いたけどまだ違和感残る右足を引きずって。杖をつきつき納屋に向かう。

 お屋敷のお勝手口を出て木でできた階段を下りる。


 ゆっくり歩いて五分くらいかな。


 ようやく動くようになったばかりの左手は、一ヶ月以上吊ったままだったせいか筋力が落ちて少ししびれる。でも、ちゃんと動くようになったんだもん。

 嬉しい事だよね。



 ランタンに火を入れて、真っ暗な納屋の中を歩いて、納屋の一番奥まで進む。

 “納屋”の奥にある金属で補強された扉は重くて、一人であけるのはちょっと大変でもたついてると、中から


『トレ、頑張れ!』


 っていう、オーシニアの言葉で応援する声が聞こえてきた。

 あの時、ご飯が足りないって言ったでゅえふさんの声。


 んーって精一杯力を入れて、扉を開けると中は真っ暗で、ランタンの光を反射する赤い大きな目がこちらをきろっと見る。

 “納屋”にオーシニア人がいることはお屋敷の人に内緒にしてるっていう事もあって、納屋には窓一つない。風通しが悪くて湿った空気が扉の外にゆっくり流れてく。


 先月、私もこんな感じの場所に閉じ込められてたから、どうにかしてあげたいけど、まずは今日の御飯だよね!


『おはようございます。ご飯ですよ』


 一声かけて中に入る。

 何度か通う内に、まだ本調子とは言えない右足を引きずる不規則な足音と杖で地面をつく音で判別してもらえるようになった。


『待ってました!』


 なんて合いの手を入れてくれるのも、仲良くなれてきてる気がして嬉しい。


『トレ、おはよう!』


 笑顔で話しかけてくるきゅいあさん。

 ……笑顔が怖いのは、きゅきぃさんと同じ。大きな口の中でぎざぎざの歯が覗く。

 びっくりしてても仕方ないから、バスケットから小分けにしたサンドイッチと果汁を絞ったジュースを渡してく。


『これ、トレが作ったのか?』

『はい。今日から朝食はトレが当番です』


 渡した途端、もぐもぐと一口で食べてしまうのはでゅえぶさん。


『うまい』


 カンパーニュ丸ごと一個横に半分に割って、厚切りのベーコンと生野菜をもりもり挟んだのにまだ足りないっていう顔。

 私だったら朝昼夜でようやく食べる量なのに……。

 太るよ!


 他の名前を教えてくれない二人にも同じようにご飯と果汁を配る。

 この人達のぼろぼろになってしまった衣服は、他の皆よりもしつらえがいい。きっと偉い人なんだろうな。

 話しをしてくれる訳じゃないけど『ありがとう』って反応はしてくれた。


 いつかは名前を聞けたらいいけど、それはまだまだ先になりのかな。



 ご飯を配り終えたら、納屋から出て水を汲む。お水は一人当たりたらいに一杯。

 身体をふくための手ぬぐいも毎朝届けてるけど、皮膚病とかが心配な環境だし。それ以上に本当は女性と男性を分けたりとか、お日様を入れたりとかした方がいいって思う。


 私が閉じ込められていた時もお日様が見えないのはつらかったし、たらいにおしっこしたのとか。あと、そういう姿を男の人に見られるのとか、きっと嫌だろし。

 今度デアルタさんに頼んでみようかな。


 そんな事を考えてたら


『トレ、るいゆはどうしてる?』


 きゅいあさんは少し声を落として聞いてきた。

 ここにいた中で女性は三人。

 その内の一人で、一番弱っていたるいゆさんの事を心配するのは自然なことだと思う。


『私と一緒の部屋にいます。足の治療をしてるんですけど……』

『よくねえのか?』

『お医者さんも来てくれてるので大丈夫だと思います』


 そう信じたいけど、るいゆさんの様子は、なにもわからない私が見てもあまりいいとは言えない。


 お互い表情でなにかがわかる訳じゃないと思うけど、私の顔を見た皆がちょっぴり静かになっちゃった。

 そんなに表情に出てるのかな。


『なにかあったらお知らせしますね』


 なんて見え見えのごまかし。

 でも、皆はよろしくって言って私を送り出してくれた。




 るいゆさんは私が住んでいる部屋から続く元は衣裳部屋だった場所にソファとベッドだけが置かれた空間に住んでいる。


 一緒に治療を受けていた頃にきいたるいゆさんの症状は、骨折の治療が不満足だったのと、長い間日光を浴びない生活が続いて骨が弱くなって脚や背中が痛くなるっていうもの。

 だから私の部屋にいてもらうことができるんだと思うけど、杖をついても階段の行き来ができなくて、不便なんだろうなって思う。


『お加減はどうですか?』

『よくはない。けど』

『けど?』

『なんでもない』


 胃腸も悪くなってしまっているのか、ご飯も皆と同じようには食べられない。

 なんとかしてご飯を食べてもらいたくて、ナザレさんに教わって作ったミルク粥を持ってきたんだけど。


『美味しいですか?』

『うん……甘い』


 発音間違ったかな?

 るいゆさんは一口二口、本当にちょっぴり口に入れさせてくれた。


 デアルタさんはあの日言った通りお医者さんを手配してくれた。

 格子の中でお医者さんの診断が終わった後、夜人通りのない時間に私の部屋に移されてきたるいゆさんは、ぐったりと力がなくて、それは今も変わらない。


 朝起きたらソファーに身体をうつして、ご飯を少しだけ食べて。その後は私の勉強に付き合ってくれてる。

 寝食を共にしてるっていう言い方はおかしいかもだけど。でも、このお屋敷の中で一番身近な人。人種なんか関係ないよね。


『窓、開けますね』

『うん』


 くもりガラスのはめられた窓を開ける。

 さっと冷たい風が入る。


『寒くないですか?』

『大丈夫。トレは?』

『私も大丈夫です』


 って言いながらカーディガンの前を合わせる。

 ほんとはちょっと寒い。


 でも、るいゆは目の前に広がる風景を目を細めて眺めているのを見たら、そんなこと言えなかった。

 排煙なのか煤なのか、少しだけくすんだどこか物悲しい朝の風景。

 るいゆさんは町の様子を見ると、少しだけ表情が緩む。


『今日は勉強しないの?』

『します』


 ほとんど手を付けてもらえなかったミルク粥。

 明日は違うのにしよう。


 お皿を机に置いて、机から手帳と辞書二冊を持ってきて、るいゆさんの隣に腰掛ける。


 タリア連邦の言葉はエザリナ皇国の言葉と似ているけど、二冊の本を突き合わせて、更にるいゆさんの国の言葉に置き換えて。それを手帳に書きつけて、オリジナルの辞書にするっていうのがいまやっている作業。

 一ヶ月半頑張ってきたけど、まだ三分の一くらいしか進んでない。


 なのに、かなりしゃべれるようになっているのは、るいゆさんと


『この言葉はそういう意味じゃない……ぎゅぎあぎゅあ……っていうのが正しいの』

『ぎゅぎあぎゅあってどういう意味ですか?』

『だ・か・ら!』


 なんて、口論しながらやっているからだと思う。



 お昼までそれを続けて、ご飯を食べたらるいゆさんはお医者さんにまた診てもらう。

 それがすんだらもう一回勉強の時間。


 日が暮れて、ランプが必要になったらおしまいっていうのが一日の流れ。


『今日もありがとうございました』

『どういたしまして』


 先生にするみたいにお辞儀をするとるいゆさんは照れくさそうに笑う。これも一ヶ月くらい続けてきた。

 笑っているように見えるっていうのが正しいのかも知れないけど。とにかく、少し楽しそうにくつくつと喉を鳴らす。 


『ご飯はどうしますか?』

『今日は疲れたから寝る』

『じゃあ、飲み物だけでも……』

『いらない』


 そういってるいゆさんはベッドにうつる。

 杖を突いて歩く姿はひどく弱弱しく見えた。


『おやすみなさい、るいゆさん』

『うん、おやすみ』




 夕飯は成果報告のためにデアルタさんととる事になってるから、食堂に向かう。


 お屋敷の中でも一番高い塔。そこにある部屋から食堂までけっこう距離があるんだよね。


 広いテーブル。

 見たこともない料理。

 お姫様みたいな生活とでも思えばいいのかな。

 少なくとも、一ヶ月前は全く想像したことがなかった世界。


「守備は?」

「いつも通りです。辞書の前半部分はもうすぐ終わると思います」

「そうか」


 それくらいのやり取りだけ。デアルタさんは基本的になんにもしゃべらない。

 お仕着せのメイドさんが何人かいるだけで、食堂は驚くほど静か。

 私の食事の音しか聞こえない。


「デアルタさんは食べないんですか?」

「気にするな」

「でも気になります。一緒に食卓についてるのに、一人で食べてるなんて」


 デアルタさんの前には料理が置かれていない。

 私の分だけ作るなんて、ちょっと面倒だし、もったいないのに。そういうのよくないんじゃないかな?


 鴨のローストなんて、私だけ食べたら余っちゃうし。

 一人しか食べないってわかってるなら、野菜のスープと黒パンでもいいんだけど、そう言ったらコックさんに笑われちゃったし。どういう食事がいいのかよくわからない。


「おれは人の作った料理は食わん」

「……なんでですか?」

「お前に話す必要はない」


 なにその言い方、むかつく。

 むかむか。


「じゃあ、デアルタさんの分の料理。明日の朝ご飯にもらいますから!」

「好きにしろ」


 もう変な言い合いみたい。

 それが嫌だったのか、デアルタさんは席を立った。


 傍らにいた侍従さんも少し困った顔をしてる。


「悪い事言っちゃったでしょうか?」

「私にはわかりかねます。でも、ここ一ヶ月。必ず食卓について頂けるのは喜ばしいです」


 偏屈さんめ!




 食事を済ませて、デアルタさんの部屋に足を運ぶ。

 木目調でまとめられた落ち着いた部屋の中には、ランタンが一つ。オレンジ色の光に照らされてなにかの本を読んでる眼鏡をかけたデアルタさんの堀の深い顔立ちは、影の部分の方が多いくらいに見えて、ちょっぴり怖い。

 執務机の上にはひどく堅そうなパン。それからアオカビのチーズ。


「デアルタさん、さっきは変な事言ってごめんなさい」


 部屋に入ろうとする私をちらりと見るだけで、視線を本にもう一度落とす。

 入っていいのかよくわからないけど、お邪魔しちゃおう。


「未婚の娘が男の部屋に無警戒に入るな」

「はい、ごめんなさい」


 変なこと気にする人って思うけど、そんなことするような人じゃないとも思ってる。

 だから、ソファの上にあったクッションを持っていって、足元に座った。


「なにを食べていたんですか?」

「食うか?」


 お皿を渡されたから、パンを一口かじってみる。


「しょっぱ!」


 びっくりした私の事、ふふんって笑った!

 なにこれ。

 なんなの?


 ぼそぼそしてるしすごくしょっぱいし。その上、なんだか酸っぱくて……とにかくすごい味。


「ふすまを使って作るパンだ。まずいだろ」

「すごく」

「南部のはずれでは、そんなもんを食ってるやつがまだまだいる」

「そう、なんですか?」


 寒冷で農繁期が短い南部だけど、その分雪解け水は多いし、食料は豊富なんだって思ってた。

 帝都から来た子が、給食食べておいしいって言ってた事もある。

 それなのに、こんなパンを食べてる人がいるなんて……。


「必要がある時以外はおれもそいつらと同じ飯を食う。おれの支配が行き届かないからこんな飯を食ってる奴がいるんだ、これも責務だろう」


 そんな風に言うデアルタさんは、少し不機嫌そうで。でも、その不機嫌はきっと誰でもないデアルタさん自身に向いてて。

 私は何も言えなくなった。


 黙り込んだ私に「まぁ単なる自己満足だがな」って言ったのは、きっと言い訳なんだって思う。


「ナザレさんも侍従さんも食堂でご飯を食べてくれないの、心配してました。せめて、コックさんに作ってもらったらいいんじゃないですか?」

「あいつらに作らせると、同じ材料でもうまくなるんだ……不思議な事に」


 じゃあ、デアルタさんがへたくそなんじゃ……という言葉がのど元まで出るけど、なんとか飲み込む。


「よかったら、デアルタさんのご飯、トレが作りましょうか?」

「あん?」

「トレも州の隅っこの生まれです。お金持ちだったのかはわかりませんけど、村のご飯は再現できます」

「……食えるものを作れるのか?」


 なんだよ、人の行為をそんな風にさ!

 ぶんなぐってやろうか?


「冗談だ。機会があれば、作ってくれ」

「よくない冗談です」


 勉強ばっかりで飽きてたし、息抜きにもいいよね。

 別に、疲れた表情してたからとか、そういうんじゃないもん。


「明日も早いんだろう?さっさと寝ろ」

「はーい」



 お部屋に戻って、るいゆさんの様子を見る。

 ベッドに横になって、少しだけ苦しそうに口をゆがめてるのは、足だけじゃなく背中が痛いって言ってたからなのかもしれない。


 誰も知らないところに連れてこられて、身体がボロボロで身動きできない。そんなるいゆさんに私はなにができるんだろ。

 よくわからないから、とりあえずベッドにもぐりこんで、背中にぺったりくっつく。

 あったかくなると痛みが薄れる気がするから。

 るいゆさんもそうだといい。



 いつか一緒に寝た父さん母さんと同じでるいゆさんもあったかい。

 ぬくもりは変わらないんだなって思う。

 言葉が通じなくても、伝わるなにかはきっとあるって信じたいんだ。

今回は主人公の異文化コミュニケーションの進展具合をお届けするエピソードを予定していました。


そろそろ八歳になって、初恋(なのかな?)の人もそろそろ学校を卒業。

同じ州都にいますから、そろそろ引き合わせてあげたいかなあ……なんて。



次回更新は2013/02/26(火)7時頃、あの人と再会するエピソードを予定しています。

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