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20.仲良くなるため話しましょう

『19.仲良くなるため話しましょう』の後半部分の会話の流れを仕切りなおしたエピソードです。

 狭いとか近いとか言い切れない距離を杖をつきつき歩いて、ようやくデアルタさんの執務室についたっていうのに、ひどい扱い。

 戦う前に相手を疲れさせないといけないとか思ってるのかなあ……。


 といっても、自分で歩くってコトリさんが抱っこしてくれるのを断ったのは私だし。勝手に疲れてるんだって言われたらそれまでなんだけど。


 それでもやっぱりこういう扱いは駄目なんじゃない?


 執務室に通された私の方を見もしないまま十分くらい過ぎたのに、デアルタさんはしゃりしゃりと書類仕事をしている。

 かけるように言われた椅子は、きっと上等なもので、お尻が痛くなるとか疲れるとかそういうことはないんだけど。それにしてもさ。


「人を呼び出しているのに、どうしてお話をしないんですか?」

「うるさい。全部お前がらみの書類だぞ、終わるまで待て」


 じゃあ、面会の予定を遅らせたらいいじゃない!

 言ったらまたぶつぶつ言いそうだから言わないけど、でも失礼でしょほんとに。


「コトリ、茶菓子でもくれておけ。やかましくてかなわん」

「わかりました」


 私のすぐ後ろに控えていたコトリさんが部屋を出ていく。

 それを見計らったようにデアルタさんは立ち上がって、つかつかとよってくると、ふんふんと匂いをかいできた。


 失礼しちゃう!


「風呂には入ってきたな」


 匂いの事はともかく。

 私の周囲をぐるっと回るその姿は獲物を見つけたライオンみたいで、ちょっぴり怖い。


「あの時の赤ん坊がずいぶん大きくなったものだ」


 ぐるりと一周。

 舐めるように見るって、こういう事なのかもしれない。

 身体のあちこちに刺さるみたいな視線。それは狼に襲われた時と同じくらい怖くて、私は杖をぎゅっと握りしめた。


 デアルタさんはぐるぐると二周私の周りを回ると、机に足を組んで腰掛ける。


「お前の事はファルカから常々聞いている。手間のかからん子供と聞いていたが……今回は随分と面倒をしょい込んだな」


 そんな風に思われてたの、全然知らなかった。

 それに父さんが私の事を仕事の時に話してるなんて、昨日食堂できいた印象とはずいぶん違う。


 知らないところで話された自分の事をきくって変な感じ。

 机の上に座ったまま、そこにあった書類を適当にめくったデアルタさんは、私の足をちらりと見た。


「凄まじい俊足だったとも報告書が上がってきたが、それを確かめるにはしばらく時間がかかるか」


 そんな事まで報告書が上がるんだって、少し感心するけど。でもその一方で、心臓がぎゅっとなるくらい怖くなる。

 どうしてそんなに色々な事を知ってるのに、まだ私の話を聞きたいんだろう?


「些末な事は全て知っている。尋ねる事は一つだ」


 そんな私の疑問を繰り返すみたいな言葉。

 あの時と同じ問い、なのかな。


「きゅきぃさんの言葉が分かったのは本当です」


 昨日と同じ答えにデアルタさんは頷いて、机の上にあった分厚い本を手に取ると、私の膝にそれを置く。


「この本はタリア連邦の通師と呼ばれる連中が用いる辞書だ」


 表紙に書かれている言葉は、そのタリア連邦の言葉なんだと思う。

 見たこともない字の下に、きゅきぃさんが書いてくれたのと同じ文字をいくつか見つけた。

 立派な装丁だけど、表紙の文字は印刷じゃなくて手書き。


 私の膝の上に置いた本をばらばらとデアルタさんは適当にめくる。


「読める単語はあるか?」


 きゅきぃさんと話したのは本当に片言。

 意味のある文章で話をできた訳じゃないのに……って思いながら、めくられるページの中に見覚えのある単語がないか探す。


 あ、あった。


「さっきのページ。真ん中の段、ありがとうっていう言葉が書いてありました」

「発音してみろ」


 教えてもらった発音をできるだけ正確に発声してみる『ありがとう』って。きゅきぃさんの話した言葉は母音の数が多くて、それなのにその母音を短縮するところが多いから聞き取りにくい。

 でも、ちゃんと聞けば分かるはずで……。と思ったのに。


「それが言葉か?おれにはお前が獣の鳴くような声を発したようにしか聞こえない」


 デアルタさんにはそれを聞きとってもらう事が出来なかった。

 他の言葉ならどうなんだろう?もしかしたら、聞き取れる言葉もあるかもしれないし、思い出せるいくつかの単語を発声してみる。


『私』『名前』『水』『唇』……。


「違い、判らないですか?」

「まったく」


 ふてくされるみたいに言い捨てたデアルタさんは床に胡坐をかいて、その上に肘を立てて座った。なでつけていた髪の一房がはらりと落ちて、すっと通った鼻筋にかかる。

 あんまり行儀がいい格好とは言えない気がするけど、不思議と様になってるのはなんでだろ。


「偽りではないのか?」

「きゅきぃさんとお話したんです。一緒にご飯を食べて、お家には子供がいるって……」


 あの時、私は確かにきゅきぃさんの話す言葉をきちんと聞いた。

 それにきゅきぃさんにもちゃんと名前を呼んでもらったんだもん。自分が知ってる事が信じてもらえないって、すごくもどかしくて、苦しい。


 胸がぎゅっとなって、鼻の奥がつんとする。でも、いくら泣いてもここには証拠なんかない。


「どうしたら信じてもらえますか?」


 別に信じてくれなくてもいい。

 嘘だって言って、お家に帰らせてくれた方が私だって嬉しいし。でも、デアルタさんが求めてるのはそういう事じゃない気がする。


「そうだな。こうしていても埒が明かん」


 ふーっと大きく息を吐くと、デアルタさんは私の頭をわしわしと撫でた。

 その手が怖くて椅子の中で身体をよじるけど、そんなのお構いなし。髪がぐしゃぐしゃになるまで撫でると、満足したのかなんなのか、デアルタさんは立ち上がって扉に向かって声をかける。


「コトリ、そこにいるな。“納屋”へ行く」




 納屋というには広すぎる空間をコトリさんが持ってるランタンの光だけが中を照らし出す。

 私の家と同じくらいの大きさがあるのに、明り取りのための窓もなくて、農作業に使う道具の影がランタンの炎が揺れるたびに踊るみたいに翻る。


 ランタンの光は頼りなくて、光の届かないところの方が多い。

 私の足元を照らすように少し後ろをコトリさんが歩いてる。だから、先に行くデアルタさんの足元は真っ暗なはずなのに、なにかに躓くこともなくデアルタさんは足早に歩いてく。

 杖に頼る私を振り返ることもない。


 ようやくデアルタさんに追いついた私が見たのは金属で補強された立派な扉だった。

 その扉に寄りかかったデアルタさんは私をきろっとにらむ。


「オーシニア人の奴隷を見た事はあるな」


 強い視線と同じくらい強くて重い声音。

 知ってる……けど。


「この扉の中には、その奴隷がいる」


 どういう事?

 なんてきかなくても、デアルタさんはその答えを口にする。


「中央の馬鹿共が奴隷と称して売り歩いているのを買い上げた。敵がなにを考えているか分析するために、だ」


 あの日、父さんも言ってた。

 戦争をしているんだって。だから、そういう風に相手の事を知りたいって思うのは当たり前なんじゃないかって思う。


「だが、奴らには言葉が通じない」

「じゃあ、どうやって指示を出したりするんですか?」

「中央の奴らは奴隷として売ることなど目的にしていない。言葉が通じず、獣にしか見えない者を引きずりまわして、恐怖をあおるそれが目的だからな」


 だから指示なんか必要ないって事なの!?

 いつかカレカと見た奴隷商人の人達に、鞭で打たれて。そうする事が目的だなんて……どうして。

 そこまでの憎悪を向けなくちゃいけないのは、私やテア。それにクレアラさんみたいな勇者候補を呼び出した神様達がいがみ合ってるから?


 神様達が人間をよく思ってない理由はなんとなくわかる。

 学校で読んだ本に、神様の家族を殺したのは人間なんだって書いてあったから。家族を殺した人を好きになる人なんかいない。


 だから互いに殺し合わせなくちゃいけないっていうなら、それこそ残酷だ。

 神様達はきっと、人間なんて一網打尽になかった事に出来るはずなんだから。でも、それくらい憎んでいるんだとしたら……。


 だとしたら、そこに放り出された私達みたいな勇者候補って、本当に誰かを殺すためだけにいる死の天使みたい。そんな風になりたくない。


「戦争を続ける事こそを目的にしている連中がいる」


 言葉も出ない私にデアルタさんはそう告げた。

 眼を見開いて、歯を剥いて。その表情から私が読み取れるのは、なにか暗い感情だけ。

 きっと憎悪とかそういう、とがったものが込められた言葉は、氷みたいな鋭さで私の胸をえぐる。心臓がぎゅっと縮こまって息が苦しくなった。


「情報を聞きだし、分析し、対抗手段を検討する。必要とあらば交渉し、調略し、利害を調整する。それをするのがおれ達高級官僚の仕事だ。

 だが、おれには……いや。ファルカにもコトリにも。南方司令部隷下の全人員悉く、奴らの言葉を理解する者はいない。

 おれ達の耳にはどう頑張っても獣の鳴き声にしか聞こえない。奴らの文字も我々の眼には意味をなさん」


 デアルタさんが私の肩をぎゅっとつかむ。

 触れられるのが怖くて逃げようとしたのに、動く事もできなかった。

 それに左肩はすごく痛くて「ぃっ!」って声が出ても、そんなのお構いなし。

 コトリさんもとめようとしない。


「やめてください!」

「戦争なんぞ馬鹿でも始められる。そこにいる全てを殺しつくして勝利の凱歌を上げるなどと考える者もいる。

 だが、戦争を終わらせるのは常に言葉だ。暴力だけで戦争は終わらない」


 声を上げてもデアルタさんはきいてくれない。  


「もし、お前の言葉が真実なら、それをおれに示せ!奴らに呼びかけろ!」


 そう言いながら、デアルタさんは私の肩をつかむ手とは逆の手で、その金属で補強されて重そうな扉を押した。



 扉の中から漏れてくる空気はひどく湿っていて、なにかすえたような匂いがして。私は思わず息を止める。

 ここ数日、何度も鼻を突いた匂い。

 汗をかいたりトイレに行けなかったり。ご飯をもらっても食べられなくて、それが悪くなって……。

 閉じ込められていた間、私もこんな匂いがしてた。


 だから、そこにいる人達がどんな状態なのか、見なくてもわかる。


「入れ」


 肩をつかんだままのデアルタさんの固い声に押されて部屋に入る。

 そこには頑丈な鉄製の格子がいくつか置かれていて、その中で赤い光――きゅきぃさんのと同じ真っ赤な眼が、一斉に私を見た。


「呼びかけろ。なんでもいい、奴らと話せることをおれに示せ!」

「……でも」

「やるんだ!」


 そんな事言われたって。私がきゅきぃさんと話したのは、文章ともいえない片言で、発音だって怪しいのに。

 でも、ここで話さないなら、それは神様達の思惑通り誰かを殺すためだけにいる死の天使になる事なんだって思う。


『こんにちは。わたし、名前、トレ、いう』


 そんなの嫌だから、不安でも。怖くてもそう呼びかけてみる。

 格子の中の何人かが顔を上げた。


『わたし、名前、きゅいあ、いう』


 私がデアルタさんに突き出された場所から一番近い格子の中からか細い声。


『困る、ある?』

『足、痛む、ある』


「この人はきゅいあさん。足が痛むそうです」

「医者を手配させる。コトリ、専従の者を見繕え」


 奥に進むと、きゅいあさんよりも一回り大きな人が鉄格子をつかんで呼びかけてきた。


『腹、減る』


「お腹が空いたと」

「食餌の配給量を増やす」


 きゅいあさんのいる格子の向かい側からも、絞り出すみたいな声がする。 


『家、帰る、ある』


「お家に……お家に帰りたいって」

「いずれ帰してやる。必ずな」


 その人、泣いてた。

 家に帰りたい。

 そうだよね、帰りたいよね。家で待ってる誰かがいるんだもん。

 私だって……、わ、たし、だって。


 泣かないようにって思ってたのに、ぼろぼろぼろぼろ涙が出てくる。でも、声は上げない。

 声を上げて泣いたら、きっときゅきぃさんが教えてくれた言葉を離せなくなる。

 でも、涙だけはどうしても止まらなかった。

 コトリさんが部屋から連れ出してくれなかったら、私はあそこから動けなかったかもしれない。

 ぎゅっと抱きしめてくれたけど、今そばにいてほしいのはコトリさんじゃない。


「トレも家に帰りたい。父様と母様に会いたい……」

「大丈夫です。すぐ会えます、そうですね?」

「そうだな……いや」


 コトリさんの言葉にデアルタさんはでも、はっきりとこういったんだ。


「トレ・アーデ、南方方面軍司令として命令する。次の春までにこいつらの言葉を物にしろ!それが成るまで帰宅は認めん」


 冷厳な。多分、誰も逆らえないくらい強く宣言したデアルタさんの言葉は、私が今願う全部を否定した。

 それなのに、私の心のどこかでずきずきうずくなにかがある。


 そんなの無理だよ。

 手掛かりも一冊の辞書とここにいる人達だけ。

 それもみんなが協力してくれるなんて限らないのに!って思うのに、心のどこか奥の方にしっかり刻まれてたその言葉が口からポロリとこぼれだした。


「さっきデアルタさんは言いました。戦争を終わらせるのは言葉だって。トレが言葉を覚えたら、戦争は終わりますか?」


 あの日、前世の記憶を忘れたあの朝。四十万(しじま)さんがくれた手帳に書いた言葉。

 それは前世の私が死んでしまった後も、笑顔でいてくれたお父さんお母さんに約束した事。

 それから、いまこの世界の父さん母さんが笑顔でいるために誓った事。


「言葉一つで戦争は終わらない」


 デアルタさんは口の端を上げて笑う。


「だが、きっかけにはなる。おれがそうしてやる。必ずだ!」


 その眼にこもる熱は私を焼いてしまいそうな勢い。でも、それは不愉快じゃなくて、私のお腹の底の方を熱くする。

 暖炉の中でくすぶって、小さくなった火種がもう一回燃え始めるみたいにじんわりとした熱さ。


 なんて返事をしたらいいのかわからなくて。だから、大きく一回だけ頷いた。


「今回の一連の件。責任はすべておれにある。恨むならおれを恨め」

「恨むなんて……」

「代価を払わぬ要求だ。恨まれている方が気が楽だからな」

「努力します」


 口は悪いし、失礼だし。

 なんだか自分勝手だけど、そんな事をするっと言えるこの人を父さんやリクヤさん。それにコトリさん達が敬う気持ちがなんとなくわかった気がした。



 杖をついて、自分の足で歩く。

 コトリさんは「抱っこしますよ」って言ってくれたけど、いまはなんでもいいから自分の力でしたい。

 少し前から私の中に生まれた衝動は、ちょっぴり大きくなってる。


 まだ痛む右足に少し腰が引けるけど、少し先に行くデアルタさんとコトリさんの背中を見ながら自分のペースで。


「コトリ。あいつの部屋を使わせる。いいな?」

「よいのですか?」

「あぁ、もう十年だ。そろそろ潮時だろう」


 二人が話す声は聞こえてたけど、その時の私はそれがどんな事なのかよくわかってなかった。


「前に進まねばならん」


 デアルタさんのそんな言葉を聞いた気がするのに、私があんまり遅くて業を煮やしたデアルタさんが


「コトリ、もう面倒くさいから運搬しろ」


 なんて言い出して、なにがなんだかわからなくなっちゃった。

 運搬って……ひどいよ。




 まだまだ弱弱しいままだけど。

 あの日、私が手帳に書いた決意は、この日から形を持ってどこかに転がり始めたんだ。

 そんな気がする。

連続投稿二回目のエピソードだったんですが、あまり満足できない仕上がりだったので仕切りなおしました。

ご迷惑をおかけします。


登場人物の会話を元の台本に近づけて、主人公がもう少し強く決意した感じにしました。

……したつもりなんですけど。


分割しましたけど、主人公が外国語習得を命じられるという顛末は変わりません。

なので、読みなおさなくても、次回更新分を読む際に支障は出ないと思います。



次回更新は2013/02/19(火)7時頃。州都での生活についてのエピソードを予定しています。

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