17.幸せだったら笑いましょう
今回はまだ元気のない主人公をお届けします
ばちんって顔を叩かれて、口の中に鉄の味が広がる。
「今日からここが君の部屋だよ」
私を叩いたその人――真っ黒い制服を着た人は情報将校なんだってきいたけど、べったりと笑いを顔にはりつけたおじさんはそんな言葉と同時に左肩をどんって押した。
あの日、銃で撃たれた傷は自分で触るのも怖いくらい痛くて。その肩を押された衝撃と痛みに足元がぐらつく。
倒れないようにって突っ張った右足も床に針で止められたみたいに動かない。
手を前につけたらよかったのに、痛む左手をつくのが怖くて――っていっても、三角巾でつってるから動かないんだけど。
でも、ついた右手はあっさり崩れて、私の低い鼻は石の床にぎゅむってぶつかる。
「っつ……」
鼻の奥から流れてくるとろみのある液体がぱたぱたと赤いしみになって、目の前に落ちた。
それから涙も。
石でできた堅い床は冷たくて、瞬間的に体温を奪ってく。
着替えもさせてもらえなくて、連れ出されたときに来てた明るい緑のパジャマ――袖と裾にふんわりとしたフリルのついたお気に入りだけど、床の冷たさを防いでくれない。
どんどん冷えてく身体。
倒れこんだ床から忍び込んでくるみたいに震えが来て、歯の根が合わなくなっちゃった。
でも、震えてるのは寒さのせいだけじゃない。
よくわからないまま向けられる悪意と容赦なく奮われる暴力が怖くて、かちかちと歯が音を立てる。
震えが止まらないんだ。
「寒いのかな?風邪をひいたら可哀想だからこれを上げよう」
真っ黒い制服のその人は、そう言いながら左右につき従う、同じ制服を身に着けた体格の大きい二人に合図した。
手に持ってるのは少し毛羽立ったように見える毛布。
二秒後の未来に焦点を合わせても、真っ暗になるのが“見える”だけ。
「なにす……」
なにするのって言おうとするより早く、頭から毛布をかぶせられて。床に押し付けるみたいに押さえつけられて。そして……
「っぁぁああ!」
毛布で隠された視界の向こう側。
外側に投げ出されていた足を、なにか堅いもの――多分、ブーツが踏み下ろされた。
痛くて痛くて上げた悲鳴は、でも毛布に邪魔されて、きっと誰にも届いてない。
誰かに届いたって、助けてなんかもらえないんだ。
痛くて怖くて、涙がぼろぼろ出て。毛布が邪魔するってわかってても、喉の奥の方になにかが詰まったみたいになるまで悲鳴を上げた。
ぎりぎりと踏まれた右足は焼かれたみたいに熱くなって、動かすこともできない。
どうしてこんなことするの!?
きゅきぃさんと話したのはそんなにいけない事なの!?
なんにもわからない。
土の中からほじりだされた芋虫みたいに毛布の中で身体を丸める。怖くて痛くて。毛布の中に右足も隠れるようにぎゅっとこごめて。
そんな私の様子を見て、部屋の外にいる男の人達は満足そうに笑った。
「この姿をアーデの野郎に見せてやりたいよ」
「デアルタの腰巾着にはいい薬になるでしょうね」
きっと嘲笑っていうのはこういう笑い方なんだって思う。
少し甲高い、けど愉快さを抑え込んだその声に、私の心臓はぎゅっとおしつぶされて、どんどん息が苦しくなった。
「そうそう、トイレはこれを使うといいよ」
って投げつけられたホーロー製のたらいは、毛布から抜け出そうとする私の頭にぶつかって、床に落ちるとこわんこわんと音を立てて転がった。
ぶつけられたところが切れたのか、ぱたぱたと落ちた血が明るい緑色のパジャマに赤いしみをつけていく。
母さんが作ってくれた袖口と裾にフリルのついたお気に入りのパジャマなのに……。
たらいの音と同じくらい甲高い声でその人が笑うと、分厚いオークでできた扉がばたんと閉められた。
ごわごわと肌触りの悪い毛布で背中側を隠しながら、私は扉から一番遠い隅っこでしゃがんで丸くなる。
申し訳程度の窓からのぞくオレンジ色のお月様の光を頼りに、そこら辺に置いてあったたらいを引き寄せて、ズボンを下ろしてそこにまたが……。またがれなくて。
「っん……」
痛くて動かない右足と不自由でバランスを奪う左手。よたよたと膝立ちの姿勢のままおしっこ。
事がすんだらズボンを上げるけど、不自然な姿勢だし、足についちゃったりして。服を汚すしかないのが悔しくて。それが情けなくて。
でも、これが囚人って事なのかなって、なんだか悲しいのに笑っちゃう。
疲れたり心配事があったりすると、おしっこの色って濃くなるんだね。
たらいの中に入った自分のおしっこを見て、変な事に驚いてる自分を見つけたりしてさ。
なにかに意識を向ける事もおっくうで、なんだかもう限界。
「家に帰りたい……」
気持ちが口からこぼれたら、涙もぽろぽろこぼれた。
この部屋に閉じ込められて三日。って思ってるけど、本当はよくわからない。
私が時間を知る手掛かりは 父さんたちと同じ灰色の制服を着た兵隊さんが持ってきてくれるご飯――砂みたいな歯触りのパンと薬臭い水。
それと申し訳程度の窓から見える窓からさす光だけだし。
どれだけ時間がたったのかはよくわからないけど、あの真っ黒な制服を着た人達はあれから一度も来てない。
それはもちろん私にとってはいい事だったけど、こういう時って取り調べっていうか、話を聞くものじゃないの?
そういうのないならどうして私を捕まえたんだろ。
男の人でも手が届かないくらいの高さの天井と、その天井まである大きな棚。そこには小麦やお芋の入った麻袋や樽が積み上げられている。食物を保存しておくための部屋なんだろうね。
そこでおしっことかしちゃってるけどいいのかな……。っていうのはきっと余計な心配。
ともあれこの部屋。
その目的を果たすためなのか、ひどく風通しが良くてずっと温度が変わらない。
食物には適温なのかもしれないけど、夏場は家の中でも肌寒く感じる私にはひどく寒い。
じっとしてるとかちかちと噛み合わなくなる歯の根。自分の身体が立てる音なのにそれが煩わしくて、ぎゅっと歯を食いしばると今度は体に震えが来る。
毛布をかぶってても冷たい石の床についちゃうお尻。痛くて投げ出しておくしかない右足。
靴も靴下も履いてない、踏みにじられて血まみれになった包帯がかろうじて巻きついてるだけ。とにかく床に触れるどこからでも寒気が入ってくる。
「……寝よう」
毛布をかき寄せて、みの虫みたいにくるまって転がると、窓から濃紺の空にぽっかりと穴が開いたみたいなオレンジ色の月が見えた。
真ん丸ならいいのに、少し欠けて意地悪く笑ってるみたい。
「月、きれい」
耳が痛くなるくらいの沈黙がずっと続いてて、それはすごく寂しくて。言葉が口から洩れてくる。
月の冷たい光は弱弱しくて。でも暗さになれた眼にすごくまぶしくて、私は毛布を頭からかぶりなおす。
ごわごわと肌触りの悪い毛布はちくちくで、あっちこっちがかゆい。
でも、眠ってしまえばなにも感じないから、ね。
痛みも悲しみも。怖い事も全部。
抱えた膝に顔を埋めて目を閉じると、世界からなにもなくなったみたいに沈黙が私の身体を包んだ。
眠れないかもって思ったけど、それでもいつの間にか眠ってしまっていた私はほっぺの冷たさ。それと誰かの声が聞こえて眼が覚めた。
「……秋久さん、起きてください」
無理やり眠ったせいでなんだか痛くなった頭と重い瞼を無理やり持ち上げる。
視線の先にはローウェストの黒いワンピースに、白黒ボーダー柄のカーディガンを羽織った女の人がいて、私の肩をゆすってた。
どれもこの世界では見たことがないくらいしっかりとした縫製の服。
それに骸骨をかたどった仮面をつけたその人。
私はこの人に見覚えがあった。
……えっと。
うんと。
「あ。しましまのパンツをはいてた人ですよね?」
「そんな風に覚えてたんですか」
頭の中で思い出せる手がかりを必死に探って、でもそれしか出なかった私に、彼女はあからさまにひきながら「四十万です、し・じ・ま!」って、大きな声で言った。
そりゃ、私だってどうかと思うけど、仕方ないでしょ。思い出せなかったんだもん!
まぁでも、確かにパンツの色とか言われるのは私も嬉しくないからとりあえず謝っとこうかな。
「……ごめんなさい」
「いえ。可愛らしくなったのに、相変わらず気持ち悪くて安心しました」
ちょっとほっぺた引きつらせた四十万さんは「よいしょ」とすぐ隣に腰を下ろすと、私を膝の上に乗せてくれた。
背中からじんわり伝わってくる温もりと、柔らかいふくらみの感触にちょっとどぎまぎ。
むにゅっとした背中の感覚に
(おっぱい大きいな)
って思ったら、一瞬あからさまに身体を離されちゃった。
でも、すぐに「あ。今は女の子ですもんね」ってつぶやいて、抱きしめてくれたけど。心の中、見られてるのかな?
「見えてませんよ」
……見えてるでしょ。
はっきり言えばいいのに。
冷え切った背中から感じる温もりが嬉しくて、四十万さんに身体を預けて目を閉じる。
寒さと緊張で縮こまっていた関節――というよりも背骨とか腰とかが緩んで、それと同じように気持ちも少しずつゆるんできた。
そうしたら途端にぼろぼろぼろぼろ涙が出てきてとまらなくなる。
「大変でしたね」
「……はい」
そう言うと、四十万さんは私の右手をそっと包むみたいに握ってくれた。
誰かと触れ合うなんて何日ぶりかな。
なんてほっとしていた私の耳元に唇を寄せた彼女の言葉は、そんな私のふわふわとした気持ちをぎゅっとこごませる。
「今回の貴方の行動に、私のクライアントは至極満足しています」
驚いて頭をめぐらせた私が見たのは、仮面に覆われない口元にへばりついたような笑み。
営業スマイルとか言われるそれだと思う。
「人が死んだのに、ですか?」
「えぇ」
冷たい笑みを浮かべたままの彼女の言葉が信じられなくて問いかける私の眼を、仮面の向こうに隠された青い眼が正面から見つめてる。
あんな風に、よくわからない内に人が死んでしまったのに満足したの?
敵対してる神様の見方が死んだから、喜んでるの?
寒さとは別の理由ですっと冷えた体温で、お腹の底からくる震えに歯を食いしばる。
ぎりって口の中から嫌な音が聞こえた。
「ですので、貴方になにかボーナスを上げたいという事なんですけど」
「……いりません」
「貴方もこの世界で他のオプションを見たでしょう?ああいった能力も……」
四十万さんが得意げに言うその言葉に、お腹の中でぐつぐつと、シチューみたいに煮立っていた怒りが吹きだした。
この部屋に来た時から、ずっと右足が痛くて立ち上がる事も億劫だったのに。でも。
それでも四十万さんから身体を離して、そして
ばちん
平手で思い切り。本当に力の限り彼女の頬を打った。
仮面が吹き飛び、地面に落ちて。
陶器みたいな物でできていたのか、その仮面は床に落ちると粉々に割れた。
「人が死んだのに、どうして喜んでいるんですか、その神様は!」
仮面の吹き飛んだ下の四十万さんの、夜の空みたいに深い青をたたえた瞳が露わになる。
現れたのはぞわっとするような色気を放つ美貌。
でも、その眼はあの日、死んでしまったきゅきぃさんと同じように光がない。
「まぁ、ひっぱたかれるかなあ……とは思ってました」
露わになった眼を細めて薄く笑いながら、四十万さんは、指先でそっと私の頬に触れた。
本当にそっと、壊れ物でも扱うみたいに。
その指のあったかさは、煮詰まっていた私の怒りをすっと冷やしていく。
立ち上がれたのは気持ちが高ぶったからみたいで、それが冷めたからなのか右足と。
それに思い切り動かした右手の反動なのか、左肩の突き刺すみたいな痛み。
「ぁ、あわ……」
後ろに倒れこみそうになる私を、でも四十万さんに右手をぱっとつかまえて、ぎゅっと抱き寄せて助けてくれる。
「叩いてごめんなさい。……あと、ありがとう」
「いえ。私達は叩かれるだけの事をしてますから」
抱き寄せられた私のすぐ前。
で、目を伏せた四十万さんはふと小さく息を吐いた。
仮面で隠れていない分、表情豊かに見える彼女は、少し弱弱しい。
「貴方がボーナスを望まないのはわかってました。なので、前世のご両親の幸福総量に加算する形にしておきます」
って、四十万さんは言う。
でも、その言葉に私の胸はちくっと痛んだ。
手帳に書き着けてきた前世の記憶。
ぼんやりと残るその記憶の中で、いつも私と一緒にいてくれたお父さんとお母さん。
なのに、夢に見たり、ふと思い出すその顔は、きっと私が最後に見た時のまま。泣いて悲しむ顔だけで、笑顔を思い出すことができない。
「あの」
よくわからない衝動が私の心の奥の方をぎゅっと押す。
「あの。前世の父さん母さんが本当に幸せになってるのか。せめて笑った顔を見せてもらう事はできませんか?」
そんな衝動に押されるみたいに、口から転がり出たのはものすごい早口で。それに思ったよりも大きな声にびっくりする。
私自身も。
四十万さんも。
ちょっと重い沈黙に耐えられない私。
「駄目、ですか?」
こういう時にすぐ音を上げちゃうのって、本当はよくない。
でも、四十万さんは黙ってるし、もしかしたら、お父さんもお母さんも笑顔でいてくれないかもって不安になる。
「そんな泣きそうな顔をしないでください」
そんな顔してない!……かどうかはわかんない。
顔に感情が出やすいってみんなが言うから、そうなんだって思うけど。
私、今、泣きそうなのかな。
頭の中でぐるぐる考えてたから、それがまた顔に出ちゃったのかもしれない。
四十万さんは口元を手で押さえて、笑うのを我慢するみたいに。でも、くつくつと喉を鳴らす。
「……会いに行ってみましょうか」
「いいんですか!?」
そんなに簡単にいいって言ってもらえると思わなかった。
「先ほども言いましたけど、私のクライアントは貴方の行動に満足しています。少しくらいの無理は、私が飲ませます」
力強く言い切った四十万さんは、座るときとよりも大仰に「よっこらしょ」って掛け声をあげて立ち上がった。
そのせいで膝からつるんと落とされて、私のお尻はもう一回冷たい床に逆戻り……って思ったのに、お尻は冷たい床につかないまま。
あったかい木のぬくもり。
お尻だけじゃなく、空気自体が暖かくて、それでいていがらっぽい。
お日様は強く照って、暗闇に慣れてしまったせいなのかちかちかする眼を何度も瞬かせた。
「ここは……」
光に慣れた私が見たのは、夢の中で見たおぼろげな景色と同じ場所だった。
ただ、記憶の中にある前世のおぼろげで、くすんだ色彩とは違うひどく鮮やかで、きらびやかな世界。
お日様が明るくて、空の抜けるみたいな青さ。
一度も訪れたことがないはずなのに、ひどく懐かしい。前世の私が子供の頃、お父さんとお母さんに連れてきてもらっていた公園に、私はいた。
芝生の敷かれた広場。
今いるベンチからは見えないけど、少し離れたところには、噴水のある池がある。
くじらの形をした吹き出し口があって、その周りを囲むみたいに配置された飛び石は、子供が飛ぶには少し広い距離があった。
あんまり近くに行くと噴水の水がかかっちゃうのに、いまの私より少しちっこい頃の前世の私はそのくじらが大好きで、いつも頑張って飛び石を飛んで近づいては、くじらの潮吹きでずぶ濡れになってたんだよね。
池の先にある階段は、その向こう側の大きくて真っ白な建物の敷地に続いてる。
角ばった威圧感のある建物は、足の悪かったお母さんが通っていた病院。
週に一度、お母さんが診察を受けている間、この公園で遊ぶのが楽しみだった。
公園の周りは住宅街で、前世の私もそこの子達にまざって一緒に走り回ってたっけ……。
いまも広場では四~五歳くらいの子達が追いかけっこをしてる。
直線的に逃げる子。
高いところに逃げる子。
一塊にならないように、ちょっと違う方に走る子。
逃げ方も色々。
だけど、鬼をしている子――きのこみたいなショートボブをなびかせた、デニム地のキュロットを履いた子が、圧倒的な速さで逃げる子を次々と平らげてく。
直線的に走る時の速さももちろんだけど、ターンして次の一歩を踏み出すまでのスピード。それにその踏み出した一歩からトップスピードに乗るまでの早さ。
陸上の動きとは全然違うけど、運動量は圧倒的だった。
方向を変えて二手に分かれようとした子達の間に思い切りよく踏み込むと、両手を伸ばして二人にタッチ。
「いーちゃん、みっくん捕まえた!」
「うえー」
「しおちゃん、はやすぎ」
しおちゃんって呼ばれたきのこ頭の女の子は、もう一人だけ群を抜いて早い。
それにゲームの勘所がわかってるんだろうね。
二人を捕まえた次の瞬間には、次の獲物を探して首をめぐらせて……ん?
なんか眼があったよ。
そう思った瞬間、その子は私の座ってるベンチに向かってかけてきた。
私の背中辺りで「やばい!」っていう声。
こんなとこで隠れてたらつかまっちゃうのに……でも、その子は逃げる気配もなくあわあわ。
そんな事してる間にしおちゃんは私の座ってるベンチに猛然と駆け寄って、飛び越えるために座面に足をかけ。勢いをそのままに背もたれにも足をかけて、ベンチの向こう側に向かって飛んだ。
……ように見えたんだけど。
「とーまくん、つかま……あ」
しおちゃんの靴がずるっと背もたれの向こう側に滑って、そのまま盛大に転んだ。
なんて言ったらいいんだろ。
後ろ向きに思いっきり投げ飛ばされたらこうなるのかなあ……お尻を上にして首を支点に、ベンチの上に転がった。
キュロットの隙間から見えるパンツはオレンジのしましま。
お尻にはカエルのバックプリントがある。
足が速くて野性的なしおちゃんのイメージにしては可愛いパンツだな。なんて益体もないこと思うけど、それどころじゃないよね。
「だ、大丈夫?」
「痛い……すごい痛い」
心配で声をかけてみたら、頭を押さえながらベンチの上でコロンと一回転。
あんなにいい音がするくらい強く頭を打ったんだろうに、しおちゃんは泣かなかった。それどころか私の顔を見ると
「うわ、外人さん!」
って。
……外人。
まぁ、そう言われたらそうなんだけど。
そのしおちゃんの声で、公園で遊んでた子が集まってきちゃって、みるみる囲まれて
「髪の毛赤いねー」
「眼が青い」
「お人形さんみたい」
「かわいー」
なんて大騒ぎに。
米軍基地もある町だし、外国の子だって珍しくなかったはずなのに、なんでこんなに取り囲まれてるの!?
「ねね、どこから来たの?」
「え。あ、えーと」
ちょっと口ごもる私。
大勢に囲まれるのもそうだけど、なんて答えていいのかわからないもん。
あわあわする私を見て、みんなで笑う。
なにがなんだかわからないよ!
行きがかり上、私の隣に座ったままのしおちゃんは、ちょっともじもじして。でも、私に向き直ると
「お名前教えて」
「トレです」
って。
口の中で私の名前を繰り返して、にこって笑うしおちゃん。
「私はね、しおひさ。さかしたしおひさっていうの」
「坂下……しおひささん、ですか」
「そそ。男の子みたいでしょー」
転んですりむいた場所を確認する様子は、確かに男の子みたい。
「しおひさー!」
しおひささんとは全然似ていない、丸みを帯びた顔立ちの女の人が彼女を呼ぶ。
垂れた目元を少し下げて浮かべる笑顔は、私の記憶にある泣き顔を反対にしたみたいに明るい。
杖を突いたその人の右手をとってエスコートしている男の人は、記憶の中よりも少しおでこが後退してるけど、間違いなくお父さん!
「パパ、ママー!」
お母さんの声を聴いたしおひささんは、集まった子達がベンチの周りを囲んでいるからなのか、しおひさちゃんはベンチの上で立ち上がってぶんぶん手を振った。
「病院は終わったから、そろそろ帰ろー」
「はーい!」
大きな声で返事をすると、しおひささんはぴょこんとベンチから飛び降りた。
「じゃあ、また来週ね!」
「おー」
「またねー」
きっと人気者なんだろう、みんなにあいさつして駆け出そうとして。でも、振り返っててこてこと私の前まで戻ってくると、握手。
「トレちゃんも、またね!」
「は、はい。またいつか」
満足そうに笑うと踵を返して走り出す。
鬼ごっこをしてた時と同じ、風みたいな速さで駆け寄ってお父さんにしがみついた。
そんなしおひささんを見る二人の顔はすごく優しくて、きゅっと胸が痛くなる。
「しおちゃん帰ったし、つづきやろー」
「えー、いっちゃん鬼ごっこもう飽きた」
集まってた子達が三々五々離れていって、忘れてしまった記憶の中で、きっと私だけに向けられてた笑顔をもう一回かみしめる。
前世の私がいなくなって、なくなってしまった幸せそうな二人がちゃんと戻ってきてた。
それだけで充分って思わなきゃいけないのに、胸の奥がちょっと苦しいのはなんでだろ。
「貴方がなくなった後、三年経った頃。お二人が里子にもらった子です」
いつの間にか現れた四十万さんが私の隣に腰を下ろす。
淡い鈴蘭の香り。
「あの子が、今のお二人の幸せの要になっています」
しおひささんが……。
「お父さんもお母さんも、私の事は忘れて生きてるんですね」
少しさみしいけどそういう事なんだよね。
「秋久さん。しおひさって、どんな漢字を書くかご存知ですか?」
「わかりません」
いま日本語を喋れてるのだって奇跡みたいだもん。
わかる訳ない。
すぐに正解を探す事をあきらめた私の眼をじっと見た四十万さん。
「秋の桜に久しい。そう書いてしおひさと読むそうです」
秋の桜に久しい……。
前世の名前の漢字を思い浮かべる。
秋久。
秋、桜、久。
「わかりましたか?」
うん。
返事をしたいけど、喉の入り口くらいまでこみ上げた感情のせいで声が出ない。
二人とも、私の事を覚えててくれてありがとう。
笑顔でいてくれてありがとうって思う。
それだけなのにこぼれる涙が膝の上にパタパタと落ちた。
「ご両親とお話したりしたかったかもしれませんけど、それはまた」
頷いた私の手を引いて、四十万さんは立ち上がる。
「十六歳になったら、もう一度お連れします。その日まで、しっかり生きてくださいね」
四十万さんに手を引かれて立ち上がった私は、冷たい石造りの部屋で目が覚ました。
さっきまで元気だったお日様が嘘みたいに感じるほど、細くて頼りない朝日が、小さな窓から差し込んできてる。
夢だったのかな。
って、まだ重い瞼をこする。
でも、きっと夢じゃなかったんだよね。
眼をこすろうとした右手に、かすかに鈴蘭の香りがうつってる。
それに、お父さんとお母さんの笑顔も、まだ記憶の中に鮮やかだもん。
ちょっと幸せに浸ってたら、部屋の入口の重い扉が開いた。
扉を開けたのは灰色の制服を着た兵隊さん。
いつもご飯を持ってきてくれる人じゃないけど、襟のマークはリクヤさんと同じ本数のライン。
「お待たせしました、トレ様」
重くて、少し冷たい声にきゅっと縮こまる気持ちを奮って立ち上がる。
足も肩もまだ痛いし、整理のついてない気持ちもたくさんあるけど、それでも
「はい、今行きます」
って、出来るだけ大きな声で答えた。
前世の私を育ててくれたお父さん、お母さん。
それにしおちゃん。
みんなが笑顔でいられるように、私頑張ってみるからね。
今回は先週更新分でめためたに傷ついて、しょぼくれた主人公に立ち直ってもらうエピソードを予定していました。
次回からはまた、元気を出して頑張る主人公をお届けしたいと思ってます。
小学生くらいなのにひどい目にあって可哀想だなあ……なんて読み返しながら思ってましたけど、ひどい目に合わせたのは私なんですよね。
ごめんよ。
次回更新は2013/02/13(水)7時頃、異文化コミュニケーションを推し進めるエピソードを予定しています。




