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12.ききたいことはたくさんあります

2013/01/24(木)15時頃、改稿しました。

お話の大筋は変わっていないのですが、ちょっぴり違う流れになっています。

 生まれてから七回目の春。

 秋になった頃から降り始めて、冬の間ずっと景色を白く染め続けた雪は、春になってもまだ窓の外を白く染めている。

 白いだけ、なにも変わらない景色。でも、私を取り囲む環境は少しずつ変化していた。



 一人で学校に行くようになって一年。

 馬車に自力で乗れるようになって二ヶ月。

 でも、せっかく一人で乗れるようになったのに、この春から父さんの職場から自動車で送迎してもらうことになった。

 自動車は馬車よりもはるかに速い上に、家の前まで来てくれるそうなので、起きる時間をもっと遅くしてもいいって言われた。

 言われたけど、そうそう生活習慣なんか変わらないから、いつも通り目を覚まして、いつものように身支度をする。

 身長はそんなに伸びなかった――あって百二十センチってところかな。なのに、どんどん伸びて、もうお尻に届きそうな髪の毛を簡単に整えて、麻紐で簡単に結う。

 手がこごんであんまりきれいに結えないけど、とりあえずだからね。

 それがすんだら裏地が毛皮のケープを羽織って、着替えと手帳を持ったらリビングへ。


 暖炉に薪をくべて、小さくなった火種を火箸でつついて火を起こして、とりあえず着替えは暖炉の前に。火が大きくなったのを確認して、今度はキッチンに移動して同じようにオーブンの火を起こす。

 それが終わったら、つっかけ――って言っても、裏地が毛皮であったかいサンダルを履いて外に。


 古い石造りの家の中ももちろん寒いけど、家の外はもっとしんとした寒さで、少し身震い。

 でも、玄関に置いてあるT字型の棒を手に取って、屋根から垂れるつららを落とす。

 これをしないと窓が割れるからね。家の周りをぐるっと一周。


 それが終わったら、井戸から手桶に水を汲んで、それを二往復、キッチンまで運ぶ。

 ポットとお鍋に水を入れてコンロにそれぞれかけたら、バスケットを持ってもう一回外に。


 畑に出て雪に埋まったキャベツを。氷室からは寝かせてあるお芋をいくつか、どちらもバスケットに入れてキッチンに戻ったら、軽く洗ってざくざく切ってお鍋に。ぶら下がっているドライソーセージもちょっぴり入れて……と、味付けはどうしよう?


 手帳を手に持って、今食べたい味をイメージ。思い浮かぶレシピをメモしたページがふわっと開く。

 書かれていたレシピはスープじゃないけど、味付けを参考に。オイル漬けのトマトとセロリをちょっぴり、それから塩をちょっぴり入れてふたをしたらリビングに。


 暖炉の前でほかほかにあったまった服に着替えて……っていうところで、母さんが麻紐で髪を結わえながら階段を下りてきた。


「おはよう、トレ」

「おはようございます、母様」


 今朝、私がした朝の支度は、母さんが私に分けてくれたちょっぴりの仕事。

 雪国の主婦の仕事はまだまだいっぱいあるみたいだけど、少しずつ。そう、少しずつね。

 カレカが州都の学校に行って一年。自分でなんでもできるって自信がなくちゃ、一人で自分の事を決めるなんてできないから、家の中の仕事を少しずつ分けてもらってるんだ。


「またリビングで着替えて……誰が来るかわからないんだから、部屋で着替えなさい」

「はーい」


 っても、まぁまだまだお子様やってるけどね。

 だって部屋、寒いんだもん。



 家の前まで迎えに来た車は、告名祝の時、父さんが運転してきた車とは全然違う。黒くてピカピカの。多分、前世の私が見ても自動車だって判定できるような。でも、ものすごく騒がしい乗物だった。

 父さんが運転してきた車は、そんなにすごい音してなかったのに……ピカピカだけどおんぼろなのかな?

 エントランスに横付けされたその騒々しい乗物にちょっと怖気づいて、母さんの服の裾をぎゅっと握る私。


「怖いの?」


 ってきかれても、頷くしかない。

 お腹を揺さぶられるみたいな音は、じくじくと不安をかきたてる。


 そのおっかない乗り物から降りてきたのは、やっぱりおっかない人だった。


 真っ黒い外套にいかめしいデザインの制帽。

 外套の隙間から、父さんが着ているのと同じグレーの制服がのぞいている。

 でも、百七十センチ後半くらいある父さんよりも大柄なその人は、堅い足音と一緒に玄関に立っている私と母さんの前まで来ると、握った右手を胸に当ててかかとをあわせて敬礼して


「リクヤ・フォリです。アーデ千人長のご息女をお迎えに上がりました」


 と名乗りを上げた。

 はっきり言って、怖い。

 頭の上から投げかけられる低く響く声。多分、聞く人が聞いたら、すごくいい声だって思うんだろうけど、生憎、私の男の人に対する恐怖って、前世からしみついたものだから、そうそうはなじまない。

 無意識に母さんの後ろに隠れる。


「ご苦労様です。トレも、あいさつして」


 やだよ。

 制帽の唾が作る影で陰影が強くなって、凄みを増したリクヤさんの青い瞳が私をじっと見ている。

 怖いし!

 でも、母さんは私をぐいって前に出して


「ごあいさつ!」


 って。

 うあー!


「……と、トレ。トレ・アーデです」


 あわあわしながら、なんとか挨拶。リクヤさん、ちっとも笑いませんけども!

 ちょっと泣きそうになっている私に、リクヤさんは低い声で一言だけ。


「参りましょう」


 だって。

 肩からさげた、母さんが作ってくれた帆布のトートの紐をぎゅーっと握る。怖くって。



 馬車よりもはるかにうるさい。でも、馬車よりもはるかに速いこの車。その分、ひどく揺れて、走り始めてすぐ、少し気分が悪くなった。

 バックミラーに映るリクヤさんの目元は、制帽の唾に隠れているけど、あまり明るい表情をしているようには思えない。それに、こんな小娘の送迎なんて馬鹿馬鹿しいと思ってるのかもしれないなあ……なんて思うと、どんどん気が重くなって、気分も悪くなる。


 いよいよ言い様のないすっぱいものが喉からこみあげてきたから、口元を抑えて、ぎゅーって目をつぶって我慢してると、車が緩やかに止まった。


 ドアが開く音一回。閉まる音一回。

 もう一回開く音がして、冷たい空気が車の中に流れ込んでくる。

 そうしたら


「降りなさい」


 って、低い声が。

 転がるみたいに駆け下りて、車からちょっと離れたところで朝ご飯と涙の再会。

 リクヤさんはその間見てるだけだった。

 全然求めてないしお断りだけど、背中をさすってくれてもいいシチュエーションなんじゃない?って思ってリクヤさんをちらっと見たら、なんか居心地悪そうに。

 でも、制帽を直したり落ち着かない感じで私を見てた。


「ごめんなさい。もう、大丈夫です」


 って、ようやく顔を上げた私に、リクヤさんは黙ってハンカチを差し出してくれた。

 借りていいのかな?


「自動車に不慣れなのでしょう、無理はなさらないでください」


 あれ?

 ほんとは優しい人なのかな。っていっても、堅苦しい雰囲気はなんにも変わってない。だけど


「ありがとうございます」


 って答える私の様子を見て、少しだけ笑った気がした。



 もう一度走り出した車は、少しだけ速度を緩やかに。でも、それでも馬車に慣れている私からしてみたらすごいスピードで走っている。

 運転しているリクヤさんは相変わらず仏頂面のままだけど


「あの、また気持ち悪くなるかもしれないので、お話してもいいですか?気を紛らわせたいというか……」


 といった私に


「小官でよければ」


 って。他に誰もいないのに、そんな風に応えてくれた。

 なので思い切ってきいてみる。


「父様の仕事についてききたいです」

「答えられる範囲でなら」

「そもそも父様のお仕事って、どんな事なんでしょうか?」


 よく考えてみると間の抜けた話。でも、生まれてから六年間、父さんの仕事について細かい詮索をしたことがない。

 父さんも母さんも、家で仕事の話をほとんどしないから、私もそれに触れることがなかった。


「アーデ千人長はレンカ湖を挟んで対峙しているクリーネ王国の動静を監視されています」

「それは戦争が始まるから……ですか?」

「お答えしかねます。が、ここ数年の異常気象で各国の情勢が安定しているとは言えない状況であるのは確かです。アーデ千人長が本部に詰めがちなのも、それと無関係ではありません」

「そうですか」


 短い受け答えの後、すぐに降りてくる沈黙。

 でも、それはリクヤさんが発する威圧感とは関係のない、重い空気が運んでくるものだと思う。



 別に車内に明るい雰囲気があったわけじゃないけど。

 リクヤさんは父さんから「トレは男に触れられるのをすごく嫌がるから」って言われてたらしくて、私がげーげーやってる時も、あと車に乗るときも、手助けしたりエスコートしたりしていいのか、ものすごく悩んでたんだって。

 それを聞いて、ちょっと親近感が湧いたり。……は別にしなかったけど、でも、怖いだけの人じゃないってわかったのはよかったのかな。


 そんなリクヤさんの運転する車は、馬車と同じように停車場に寄せられた。

 車を降りた後の景色は、いつもと変わらない。


「では、気をつけていってらっしゃい、トレ」

「はい。リクヤさんもお仕事頑張ってください」

「ありがとう」


 リクヤさんと別れたら、いつもと同じように商館通りを歩く。

 車の中がぐらぐらがたがただったから、まだふわふわする足元をしっかり踏みしめるみたいにゆっくりと。その速度はカレカと二人で通っていた頃と同じくらいだったのかもしれない。

 あの頃、さほど広いと感じなかったこの道も、一人で通ると少し広く感じる。

 手をつないでいたから、そっち側の事を気にしなくてよかったんだよね。きっと。

 つながない手の行き場がないのはちょっとさみしいけど、そんな風に思う自分がちょっぴりおかしい。



 寂しい左手は仕方なくぽっけに手を突っ込んでトコトコ歩く。

 春になったといってもそれは暦だけの話で、まだまだ寒いこの地域。

 マフラーに顔を埋めるみたいにして、歩く人がほとんどで、寒いからにぎやかにしゃべる人なんてほとんどいない。

 それなのに、ハーバ商会――フフトの町の商館ではちょっぴり大きくて、蒸気機関を使ったボイラーが通りからも見える赤い屋根の商館前で珍しい光景に出会った。

 ぱっと鮮やかな染物の服を身に着けたご婦人が、やはり同じように綺麗な服を着た子供の手をぐいぐい引いてる。

 どちらもこの辺りでは珍しい――というか、寒くて着ていられないともいうけど、ダマスク柄に染め抜かれた鮮やかな織物を身に着けてて、多分、私と同じくらいの年のその子は、一生懸命抵抗してる。少し可哀想なくらいのその子は


「学校になんか行かない。帝都に帰る!」


って、大きな声で言ってた。


 私と同じで今日から外校に通う、帝都から疎開してきた子なのかな。

 寒さで耳が痛くなることも多いから、耳まで覆う帽子が一般的なのに、むき出しの飴色の髪の毛を振り乱すその子の正面に回り込んで、私は声をかけてみる。

 一人で商館通りを歩くのは寂しいし、学校まで一緒に行けたら楽しいもんね。


「おはようございます。今日から学校ですか?」

「……」

「おはよう、お嬢さん……と」

「トレ。トレ・アーデっていいます」


 幼年学校の頃、帝都から避暑に来たアルエ――エウレのお姉さん達と同じように、高く結った髪のご婦人は、メレンゲみたいにほわっとした笑顔が印象的な人だった。

 それに対して、手を引かれている子は、ものすごく険のある目で私を見てる。


「トレちゃんっていうの。私はコービデ・ハーバ。この子はホノマっていうの」

「ホノマさん、よろしくお願いします」


 って、手を出してみたら、ぱちんって叩かれちゃった。う~ん。気難しいのかな。

 ぼんやりしているとはいえ前世十六年の余裕みたいなのがありますからね。これくらいなんともないけど。


「ホノマ、だめでしょう!」

「うるさい!お前みたいな“偽物”がおれに指図するな!」


 私の余裕とかには関係なく、コービデさんの手を振り払ったホノマ――多分、くんは、すごい勢いで先に行っちゃった。

 まぁ、学校まではどうせ一本道だし、いいか。


「トレちゃん、ごめんなさいね」

「あ、いえ。その、慣れてますから」


 そう。慣れてるんだ、こういうの。

 幼年学校に不慣れな子が、知らない子の中に一人でいる不安とかお父さんもお母さんもいない寂しさとか、そういうのを他の子にぶつけるのに似てて。幼年学校でお姉さんみたいな役を演じ続けてきたから、珍しい感じじゃない。

 だから、こっちが申し訳なくなるくらいかしこまってくれているコービデさんに、ぱたぱた両手で「きにしないでー」ってする。


「本当は優しい子なんだけど……」

「知らない所に来たら、誰でも不安定になると思います」

「大人ね、トレちゃんは」


 まぁね。とは言わないけど。


「とりあえず、学校まで一緒に行きませんか?」

「そうね」


 って、二人でゆっくり歩いて学校に向かう。

 別に一人で行ってもよかったんだけど、ホノマくんが言ってた言葉がちょっぴり気になったから、コービデさんと少し話してみたくなったんだ。


「あの。失礼な事だったらごめんなさい」


 って前おいて。

 でも、こういう風に思っている事をきくのって、きっと絶対失礼なことなんだって、私は知ってる。知っててそうきくって、本当はよくないってわかってるけど、私はこの世界のことをあまりにも知らない。

 知らないことはきいてみる。

 カレカと別れた日から、心に決めてるんだ。私は自分で判断できることを増やさなきゃいけない。

 そのためには色々なことを知っていないとダメだって。

 だから、失礼を承知できく。


「ホノマくんが言ってた“偽物”って、なんのことですか?」


 きかれたコービデさんが立ち止まるのが“見えた”。

 だから、私も立ち止まって、コービデさんの顔を見上げる。

 そこにはやっぱりメレンゲみたいなふんわりとした、でも悲しそうな笑顔があった。


「“偽物”っていうのはね、“授かり物”を切り落とした人の事なの。帝都ではそんな風に言うわ」


 この世界では、死産や畸形の発生率がものすごく高い。

 神話では、神様を冒涜したせいでかけられた呪いなんだって言ってるけど、真相はわからない。ただ、事実としてそういう現実があって、畸形は四肢の欠損とかそういうばかりじゃなく、人間にはあり得ない器官とかそんなのも含まれる。

 それを切り落とす?

 そんな必要があるの?

 どうしてそんなことするの?


 村では。ううん。このフフトの町でも“授かり物”がある事なんて、ごくごく普通の事で、それを切り落とすとか、そんな話、聞いたこともないのに。


「別にね、主人も気にしなくていいって言ってくれていたし、そんな必要はなかったんだけど。あの子が、いじめられてしまったから……」


 そういうコービデさんは、すごく悲しそうで。私はやっぱりきいた事を後悔して取り繕う。


「この町辺りでは“授かり物”のあるなしで大きな話になる事がないので……あの、無神経な事をきいてごめんなさい」

「いいのよ、いいの」


 やっぱりふんわりと微笑んでコービデさんは、気にしないでって。でも、私はお腹の奥の方がじくじくするみたいな気持ちの悪さ……それは、私自身に向けられたものなんだけど。

 その気持ちの悪さで、泣きたくなる。


「そんな顔しないで、トレちゃん。本当に気にしてないの」


 って。本当に屈託なく笑うコービデさんは私と同じ目線に下がって、頭を撫でてくれた。


「帝都ではもっとひどい事を言う人がいっぱいいたんだから、本当に気にしないで」


 気持ちが顔にすぐ出ちゃうのは、どんなに頑張っても直らないみたいで、コービデさんにごめんなさいって思ってるのに、かえって気を気を使わせて。なんだか情けない。

 今度は私の方が動けなくなってしまって、そんな私の手を取って、コービデさんは


「歩きながらお話しましょう」


 なんて。手袋越しに伝わってくるコービデさんの手の感触は、すごく冷たかった。

 こんなとこで立ち話してちゃ駄目だよね。


「それにしても、帝都にいた頃からきいていたけど、ジレ司令は随分変わったことをされているのね」

「そうなんですか?」


 ジレ司令――多分、父さんの上司のデアルタさんの事なんだけど、変わったことをしてるってどういう事なんだろう?

 よくわからなくて、コービデさんを見上げる。


「帝都では“授かり物”のあるなしで厳密に人を区別するの。南部ではその区別が随分緩やかなのね。少し驚いちゃった」


 でも、デアルタさんは告名祝で私の家に来た時、母さんとマーレさん――“授かり物”がある、産婆さん兼お手伝いさんみたいなおばちゃんが作ったご馳走にちっとも手をつけなかったのに。そんな考えの人とは思えないけど。

 でも、コービデさんから見たデアルタさんはそんな風に見えるんだ。


「私が今の主人と一緒になれたのはホノマが“選ばれた子”として生まれてきてくれたからなのよ」

「“選ばれた子”ですか?」

「“授かり物”を持たない子の事よ」


 そんな風に呼び分ける事自体、この辺りではきいた事がない。

 でも、“授かり物”がない子供が少ないから、呼び分ける必要がないっていうだけなのかもしれないけど。


「“選ばれた子”しか皇帝陛下との拝謁が許されない規則があるから、貴族や有力な家はこぞって養子に取りたがるし、ホノマや……きっと、トレちゃんもそうでしょうけど、“選ばれた子”とその子供を産んだ人間は特別な扱いを受けるの」

「そんな事をして、みんな仲良く暮らせるんでしょうか?」


 身分制度以外にもっと厳密な区分があって、それ以外に家族を引き離すようなきまりごとがあるなんて。それでどうやって仲良く暮らせるんだろう。


「そうね。多分、どんな子供だって、お母さんにとっては関係ないの。他に代えることのできない大事な子。それは変わらないから、なんとかなってるんじゃないかな」


 そんな話をしている内に、立派な鉄製の柵に囲まれた教会の門が見えてきた。

 その門の脇、明るい茶色の煉瓦で舗装された道でそわそわと落ち着きなく待っている男の子――ホノマくんも見えてきて、私達は少しだけ足を速める。


「トレちゃん。ホノマと仲良くしてあげて」


 急ぎ足でホノマくんの方に向かいながら、コービデさんはそんな風に言った。

 私は「もちろんです」って返事をしながら、コービデさんの手を放す。さっきの話をきいて、ホノマくんのお母さんを私が独占してちゃいけないって思ったから。


「遅いぞ“偽物”!」

「ごめんなさい、ホノマ。トレちゃんと少しお話していたから」


 さっきまでそわそわしてたくせに、コービデさんが来た途端、ホノマくんは強気な態度になった。なに、その仁王立ちは!

 そんな様子を見たコービデさんは、私の耳元で(ごめんなさいね)って囁いてから、ホノマくんに向き直った。


「トレちゃんも貴方と同じ“選ばれた子”なんだそうよ。仲良くしてね」


 そういうの、いちいち明言しなくても仲良くなれるのが本当だと思うけど。ホノマくんとコービデさんの間の儀式みたいなものなんだと思う事にする。


 ぴょんぴょん跳ねた飴色のくせっ毛と、少し太くて気の強そうな眉。

でも、その下の真っ青な瞳は心細かったのか、少し湿っているみたいに見える。

 泣いてたのかな?

 なんて少し心配だから、精一杯の笑顔を作って、私はもう一回ホノマくんに手を伸ばした。

 男の子と握手なんてほんとはちょっと怖いけど、ホノマくんは私より心細い気持ちに決まってる。

 だから我慢。


「ホノマさん、改めてよろしくお願いしますね」

「う、うん」


 私の手をきゅっと握ったホノマくんは


「その、さっきは叩いてごめん」


 って、ぽしょぽしょと謝ってくれた。

 可愛いじゃん。


 その日、教室以外の場所で、なにかと言えば手をつないでくるホノマくんを、私はなんとなく受け入れてた。



  放課後、迎えに来たコービデさんに連れられて帰るホノマくんを見送った後、決闘の木――幼年学校の頃、決闘騒ぎをした私とテア。それにその原因になったエウレの三人だけがそう呼んでる楓の木の下に置かれたベンチに座って、一息。

 教会の敷地の中は蒸気機関の熱を利用して温められているから、寒い時期でも花で彩られてる。

 でも、いつも元気のないこの世界の太陽の弱い光は、綺麗に咲き誇る花に不気味な作り物めいた印象を与えて、それがひどく悲しくて、私は少し溜息をついて、それから今日あった事を手帳に書きつける。


 勉強の事ももちろんだけど、コービデさんと話した事とか、同じ組の子の名前と特徴とか。

 そういえば、幼年学校で同じ組だったグルーアくんが一緒の組だったな……。


 教室で書いていると組の子からちょっかいを受けたりするし、お家で書いていると母さんに覗きこまれたりするから、なんとなくここでしてるんだけど


「トレ、またお勉強?」


 なんて、ほうきを持った女の子。

 内校の制服――っていう訳じゃないのかもだけど、幼年学校の五歳組になった頃から青い教会服をきちんと着こなすようになって、少しだけ格好よくなった。

 背も大きくなった紅茶色の髪と同じ色の毛皮に覆われた狼みたいに大きい耳が可愛い私の一番の友達。エウレに声をかけられて、ペンを置く。


「こんにちは、エウレ。今日も元気ね」

「うん。それよりさ」


 って言いながら、ぽんって音がしそうなくらい勢いよくエウレが私の隣に座って、ぎゅーって体を寄せてきた。

 なんなの!?


「今日さ、トレとずーっと手をつないでた男の子、誰?」

「うえ゛」


 なんでそういうの見てたのかな、この子は。


「今朝、学校に来るときに一緒になっただけですよ」

「ふーん、それだけ?」


 なんだかにまにまと笑うエウレ。ちょっと意地の悪い感じは可愛くない。


「ほんとに、それだけ」

「うそうそ!カレカさん以外には触らせもしなかったトレが、男の子と手をつないでたって、内校でちょっと盛り上がったんだから」

「えー」


 なんだそれ。

 帝都から疎開してきた子で、格好いい子とか可愛い子とか他にもいたのに、なんで私に大注目なんだろう?

 エウレの耳もぴーんと立っちゃってちょっと興奮してるみたいだし。仮にも宗教関係の学校に通う女子がそんな噂でドキドキとか、駄目なんじゃないの。


 でも、考えてみると、なんとなくだったけど、男の子とずーっと手をつないでたなんて、今思うと耳が熱くなるくらい恥ずかしいな。


「トレ、耳まで真っ赤だよ」

「そんな事ないです!」


 うふふーって意味ありげに笑ったエウレと、なんとなく今日あったことを話す。


 外校の授業は、当然ながら幼年学校よりも難しくて、その上時間も長いし、ものすごく疲れたし。外校で初めて会った子も多くて緊張したとか。内校では聖典の暗唱とか、暗記系ばっかりで退屈とか。

 そんな話をしていると、決闘をした頃よりもずいぶん背が伸びて、青い教会服が似合うようになったテアがやってきた。

 やっぱり手にはほうきを持って。

 んで、言うんですよ。


「トレ、ぼくとも手をつないで!」


 って。

 やめろー!


 それはともかく。いつも申し合わせたみたいにこの場所に三人で集まってるけど、この二人は掃除の時間に油を売ってていいのかな?

 内校の掃除当番は本当に謎。


「やっぱり帝都から来た子達、大変かい?」

「寮の子は一昨日、テアがぼこぼこにしちゃったから静かになったけどね」

「えー」


 エウレはにこにこと話すけど、テアは私と同じ勇者候補。しかも、剣聖Ⅱっていうなんだかインチキ臭い能力を持ってるから、強い。すごく強い。

 そんな人と決闘した私も大概だと思うけど、帝都から来た子をぼこぼこにって……いいの?


「心配しなくても手加減したよ?」


 すすっと近づいてきてにこーって笑う。こういうスキンシップすれすれの距離は苦手なんだってば。

 それに、そういう風に誰かがなにかしたら解決する話ならいいんだけどさ。


「トレ、なにかあった?」

「いえ。その……」

「うん。元気ないってあたしにもわかるもん」


 友達二人に心配かけてもいけないしって、今朝の事を話して聞かせる。

 んで、怒られるんだよね。私だってわかってたよ、失礼なことだって。


「トレは無神経だよ」


 うん。そうだね。

 テアの言うとおりだよ。


「コービデさん、どうしてそんなことしたのかな……って」

「そう思うなら、トレはお母さんにきけばいいよ」


 三人しかいなかった決闘の木の下に、音もなく。空気も震わせないで現れたのは、この教会の責任者。クレアラさんだった。

 彼を見るとテアとエウレは、ベンチからすっと立ち上がってお辞儀。

 だらしなく着崩した赤と白の教会服と、ぼさぼさの蜂蜜色の髪。ひどく整った顔立ちで、二人の態度がなかったら偉い人だなんて絶対思われないだろうその人は、そのとがった顎を少し上げて、ふっと笑う。


「どういうこと、ですか?」

「そのままの事。君のお母さんも、その子が言ってた“偽物”って奴だからさ」


 それって、どういうこと?


「教会には、この地域のその手の記録が色々残ってるんだ」

「そこに母様の事が載ってたって事ですか?」


 クレアラさんはテアとエウレに顔を上げていいよ、って囁いて、でも一直線に私の前まで歩いてきた。

 にこにこと意地の悪い笑顔のまま、私をじっと見たまま。


「いや、君の事をずっと気にしてたからね……外校に行っちゃったのは残念だったけど」


 言いながら、私と同じ目線に降りてくる。

 整った顔は私にはすごく威圧的で、心臓が耳元でなってるみたいに大きく、早くなる。けど、目をそらしちゃダメだって。なんとなく意地になって、クレアラさんの眼をじっと見る。


「ちょっと強くなった、かな?」


 そんなの自分でわかる訳ないでしょ!


「クレアラ様、トレが泣きそうだからその辺で……」

「あれ?ごめんよ、トレ」


 泣いてないよ!――泣きそうだけど。目元がじんわり熱くなってきてるけど。

 母さんも“授かり物”を切り落としたって、どうしてそんなことしたんだろう。コービデさんはホノマくんのために。でも、母さんは?

 私のために母さんが辛い思いをしたなんて、想像したくない。




 家に帰った私は、自分でもわかるくらいいつも通りじゃなかった。

 部屋着に着替えて、キッチンに降りて、ご飯の準備をお手伝い。行動はいつもと変わらないけど、ちっとも話せないで


「トレ、お芋切ってね」

「はい」


 テーブルの上に置かれた私用の小さなまな板の上でとんとん切る。


「セロリも適当にむしっといてね」

「はい」


 明確に不自然な私に母さんが気付いてない訳ない。

 ききたいことはきくって決めたくせに、知りたくない事をえり好みしてる。知らなきゃいけない事じゃないって、尻込みしてる。

 ダメだ!気になるならきくんだ。そう決めたはず。 ほんとは区別した方がいい事もあるって思うとこもあるけど……。

 だから


「あの!」


 って、思ったよりもずっと大きな声が出た。


「あの。母様は“授かり物”を切り落としたんですか?」


 多分、この質問は大きな地雷。きいちゃいけない事。コービデさんがあんな風に悲しい顔をしたのを知ってるのに、私は母さんにその理由をきこうとしてる。


「どうしてそんな事を?」


 母さんの返事は当たり前の返事。コンロにかけた鍋がのことこという音が、私と母さんの間に横たわる。


「同じ組に、お母さんの事を“偽物”っていう子がいました。どうしてそんな風に言うのか。それに自分の体の一部を切り落とすなんて、どうしてそこまでしなきゃいけないのか、トレにはよくわからないんです」


 一息に、早口に、母さんに言葉を投げる。

 でも、母さんはふと笑うだけ。


「ん。そっか。そうね。別に隠すようなつもりはなかったんだけど、話す必要もない事だったから……」

「なら」


 きっと私は、母さんから答えをききたくなかったんだ。というか、自分でもどうしていいのかわからなくて


「なら、話さなくても、いい、です」


 なんて。結局、怖くなってきけない。

 そんな自分が情けなくて、鼻の奥がつんとする。


「そ?」


 母さんがなんでもない事みたいに返事をしてくれて、そんな母さんに私はぎゅーってしがみつく。


「ごめんなさい。こんな、きいて……」

「うん。カレカがいなくなってから、トレはいろいろ積極的だものね。勢い余っちゃう事もあるでしょ」


 しがみついた私の頭をポンポンって叩きながら、でも少し深いため息をつく。


「今日はやめときましょう。でもね、多分、トレがもう少し大きくなって、大事な人ができた頃。話させて……その頃には、貴方にもわかるから」


 って、二人でなんだかめそめそした雰囲気になってたら、ドアの開く音が。


「どうしたお前たち」


 久しぶりに帰ってきた父さんが、私たちの様子を見てびっくりしてた。

 そして


「鍋、噴きこぼれてるぞ」

「「あわー!」」


 その日の晩御飯は、ちょっぴり苦いスープ。

 噴きこぼれて焦げちゃったからじゃなくて、私の気持ちに苦い物があったから。なんだと思う。


今回はなんというか、“授かり物”のある親とない子供っていうエピソードを書きたかったんですけど、なんだか思うような仕上がりじゃない手ごたえがあります。

うーん。

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という心残りがあって、2013/01/24(木)15時頃、改稿しました。

ご迷惑をおかけします。

-----


子供のために自分を変えなきゃいけないっていう時、親としてどうするのかなあ…って思う時が時々あって。

でも、自分自身はそういう覚悟が決まらないんだよなあとか、色々思うのです。


とりあえず、私は人見知りを直さないといけない気がするなあ。


人見知り、切り取れませんかね…。



次回更新は2013/1/29(火)7:00頃、少しずつ忍び寄ってくる戦争を感じるエピソードを予定しています。

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