エピローグ
戦争が終わって。南部に戻ってから、もうすぐ三年。
言葉が通じないのを理由にしたトラブルはなくなってなくて。いざこざから小競り合いになったりっていう話も新聞でちらほらみるけど。
それでも、世界はおおむね平和。
去年、軍役が終わるはずだったホノマくんは、南部ももちろんだけど、地方と教会が上手く行かなくて、物が全然なくなっちゃった帝都をどうにかしなくちゃって。
あちこち駆け回ってる。
私より帝都なのかなーって、思っちゃったりもするけど。
責任感が強いホノマくんだし、しょうがないのかな。
ジレのお屋敷の皆とか、士官学校の友達とか。帝都に残ればって誘ってくれた人も大勢いたけど。
でも、私は南部に戻ってきた。
どうしても、やりたい事があったから。
眼の前に広がる青々とした緑。
あの時、デアルタさんが私に託してくれたトマトの種から苗を作って。
二年目はその苗を使って種を増やして、三年目の今年はいよいよ本格的に収穫してみようって思ってるんだ。
黄色い花をつけたトマトの苗が、風に吹かれてふわふわ揺れてる。
三年前のあの日、皆にお披露目されたハセンさんとギヘテさんの赤ちゃん――トレアって名づけられた。
二人から、私と神様が由来だって言われて、ちょっと恥ずかしくなっちゃったけど。
教会がトレアの生まれとかについて、なにか言うんじゃないかって心配してた私達の心配は杞憂で。
それどころか、大僧正はトレアを溺愛してくれてるみたい。
そういうの、神殺しの剣の力なのかも。
真鉄っていう金属の性質を理解してたギヘテさんは、剣を鋳つぶして耳飾りにしたんだって。
それをつけたトレアは普通の子供そのもの。
その耳飾り。
大僧正にも効果があるみたいで、トレアといるときは威圧的な雰囲気が消える。
それだけで全部帳消しになった訳じゃないと思うけど、帝都も少しずつ賑わいを取り戻してるんだってきいてる。
それに、二人が一緒に時間を過ごすようになってから、お日様が元気になったんだ。
っていっても、日照りとかそういう感じでもなくて。
さんさんとお日様を浴びながら、私のトマト畑は青々と茂ってる。
黄色い花をつけ始めたデアルタさんのトマト。
去年は種を増やすために実を犠牲にしたから、今年こそはって。
今日は、朝から草引きと虫除け。
この後夕方まで、実をつけても大丈夫な様に添木をするつもり。
だったんだけど
「ちび、そろそろ昼にしよう」
「はーい」
畑からちょっと離れたところの道からカレカが呼んでる声がしたから、ゆっくり立ち上がる。
もう、そんな時間なんだね。
ちっともわかんなかった。
非番だから寝坊するって言ってたのに、お昼御飯だからって迎えに来てくれたカレカ。
迎えに来てくれなかったら、そのまま夕方まで作業しちゃってたもんね。
危ない危ない。
畝の間を抜けて、カレカの声のする方に。
舗装されて歩きやすくなった道は、私の腰よりちょっと高い位置にあるから
「ほら」
「ん」
手を引いてもらって、道の上に上がる。
「ちび宛に、皇太后から手紙。返事がほしいって、使者の人が家で待ってるぞ」
「そうなんですか?」
毎回毎回、勅使の人を立てないで、普通の郵便で出してくれたらいいのに……。
なんて、言い辛いから、なんとなくそのままだけど。あんまりよくないんじゃないかな。
よくわかんないけど。
ほいって渡された封書には、エザリナ神聖帝国の紋章――絡み合った三つ頭の蛇が刻印されてる。
こんな、正式な文書みたいに送られてくると、なんだか緊張しちゃうけど。
緊張しててもどうしようもないから、ぺりぺりってはがして中を見る。
拝啓 トレ・アーデ様
長くご無沙汰しておりますが、おかわりないでしょうか?
こちらはつつがなく過ごしております。
主人もトレアも元気です。
折に触れ、二人して、貴女に会いたいと言い出すので、少し妬けてしまいます。
生まれる前の事を思うと、もう少し威厳があってもよさそうなものですが、トレアは相変わらず普通の子の様。
ですが、先日、ふと大人びた話をしていたので尋ねてみました。
なぜ、貴女を選んだのか、と。
トレアの答えはこうです。
私達にわかるのは、この世界で起きている事象だけ。
魂を買いつけはしても、この世界にもともと存在する以外のものが、どのように生きるかまでは、私達にもわからない。
それに、そうでなければ、トレブリアの願いをかなえる事は出来ないのだから。
だから、今、世界がこの様にあるのは、貴女達の意思だ。
大僧正に従った彼らにしても、やはり、彼らの意思でそこにいる。
価格が二十万円に満たないからとか、えり好みした訳ではない。
きっかけは違うかもしれないが、私達にも縛る事が出来ない未来を、私達は。
少なくとも、私はそう思って、魂を集めた。
と。
その言葉に、私はなんだかほっとしました。
貴女もそう感じるのではないかと思い、この手紙をしたためます。
もし、ご自身でトレアに確かめたいとお思いなら。いえ、きっと思うでしょう。
でしたら、ぜひ帝都にお越しください。
ハセンも、トレアも。もちろん私も、首を長くしてお待ちしています。
追伸
貴女もそろそろ行き遅れとか言われる時期ではありませんか?
そろそろおめでたいお話を聞かせてください。
「次、帝都に来るのはいつなのかの確認と。……その、行き遅れになっちゃうよ。だ、そうです」
堅苦しい言葉遣いで書かれた手紙は、ちっともギヘテさんらしくなかった。
っていうか、余計なお世話だよ!
どんなに好きでも。
好きだって言ってくれても、火傷の痕が気になって、そんな話しにくいもん。
そういうの知ってるくせに、ギヘテさんの意地悪!
でも、って。
ちょっと思っちゃう。
だから、ちらっと、すぐ隣のカレカを見たら、ぱちって目が合って。
それで、ちょっぴりもごもご口が動くのが見えて。でも、よく聞こえなくて。
だから、ぐいって身体ごとカレカの方を向いた。
そしたらね。
「よくわからないけど、皇太后も言ってるしさ」
「はぁ」
「ちび。いや、トレ。おれと、結婚しないか?」
え?
でも……。
あの、ですね……。
どうしていいのかわかんなくて、ちょっとだけカレカから離れようとして。
でも、そしたら、カレカの手が私の腰をぎゅーって捕まえて。
それから、手袋をとった、ぎざぎざの傷が残ってる指先で、私の顎をくって持ち上げる。
「いつか自分で言ったんだぞ。おれのお嫁さんになりたいって」
「お、覚えてません!」
「ジレ司令のお屋敷で、肺炎でぶっ倒れるすぐ前。ファルカさんも、トルキアさんも。マレ僧正も、どぅえとのおっさんも聞いてた」
「でも、その頃って、どぅえとさん、私達の言葉わからなかったはずですよね。それに、私、ほんとに、なんに……」
頭ぐるぐるでわーって言おうとしてたら、唇が柔らかい物でふさがれて。ぎゅーって引き寄せられた腰が、もっと引き寄せられて、カレカの身体にむぎゅって押しつけられて
「湖で、はじめて会った頃から思ってた。ずっと、一緒にいてくれ」
ちゅーされてるのに目をつぶるのも忘れてて。すっと離れてくカレカの顔――近すぎて全部見えなかった、小っちゃい頃から。
もしかしたら、生まれる前から知ってたその顔で、カレカがそう言ってくれたから。
ぼろぼろぼろって涙が出るの、止められなかったけど、ただただ頷いた。
そんな私の髪を、カレカがくしゃくしゃってかきまぜるみたいに撫でてくれたけど。
でもね。
「もう、ちびって言わないでくださいね」
「わかったよ、ちび」
もう。
やんなっちゃう。
もう。
もう!
もーっ!って思いながら、私はカレカの胸をとんって叩いた。
おしまい




