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101/106

101.勇者様、別れのときは静粛也!

 肌が焼けついて、ちりちりと縮んじゃうような熱。

 熱にあぶられた空気は呼吸するには大きすぎるくらいに膨張して、私の胸には大きすぎて。息苦しくて、吸い込もうとするたびに喉の奥を焼いてく。


 咳き込もうとしても、もう胸の中に残ってるのなんて絶望だけで。でも、それなのに、鈴蘭の香りと、凍えるみたいな死の冷たさは私の全部を包み込んで放してくれない。

 死にたくなんかないのに。


 もう、会いたくなんかなかったのに。


「秋久さん」


 どうして、来たの?


「約束を果たすために」


 私、あなたと約束なんかしてない。


「十六歳の誕生日に。私に許された、たった一度の奇跡を」


 奇跡なんか、いらない。

 もう、苦しいのなんかやだ。


 もう一回だけ、父さんと。母さんと。カレカと。エウレと。

 テアやホノマくんと。

 クレアラさんや南部の皆と。


 ギヘテさんとかクルセさんとかチギリさんとか。

 士官学校の皆とか。


 ちゃんと、お別れだけ言いたいの。


「目を開けてください、秋久さん!」


 それだけ、なのに……。




 わあんって頭の中で響き渡った四十万さんの声に吹き飛ばされたみたいに、熱くて苦しかった空気は、ぱあって消えて。変わりに、少しだけ冷たい。

 そう、雨の前。

 ほこりっぽい空気の、少しだけ苦い。鼻の奥をつんとさせる匂いは遠慮なく喉の置くまで入ってくる。


 焦げ臭い。

 いがらっぽい空気は、帝都の大通りみたいだけど


「こ、こは……」


 ようやく開いた目の前にあったのは、帝都の景色なんかじゃなくて。

 まるで知らない。


 ううん。

 記憶の向こう側のどこかに置いてきた、懐かしい。

 でも、思い出せない。



 いくつも並ぶ、かわいらしい三角の屋根。

 瓦を葺かれた小さな家々が、西の空に傾いた、さっきまで見えてた炎みたいに夕日の赤に照らされて、きらきら光って。

 それはすごく幻想的で。

 けど、はっきりと現実だった。


 もう、思い出せないはずなのに。でも、頭の中なのか胸の中なのかわかんない。

 私の中の隅っこにあった、記憶。


 ちっちゃなガラス窓がついた、懐かしいドア。

 門の周りにある花壇に咲いたスミレ。



 十六年間、毎日見てきたはずの、家の玄関先。その懐かしい景色に


「なんで!?私は私だよ。お兄ちゃんじゃない」

「秋桜久!」


 耳がきーんってなるくらいおっきな声がして。目の前で、女の子がどんって母さんを突き飛ばすのが見えて


「お母さんなんか、だいっきらい!」


 濃紺のトレーニングウェアを着たその子が、私のすぐ横を走り抜けて


「待ちなさい、秋桜久!」


 その背中を追いかけようとして、起き上がった母さんの身体は。でも、突き飛ばされて、杖を落としちゃってたから、ぐらってかしいで


「危ない!」


 怖くてがちがちにこわばってた私の身体は、なんだかずいぶん鈍くて。だから、私の全部じゃなきゃ支えられなくて。ぎゅーって抱きつくみたいになっちゃった。


「大丈夫ですか?」

「ごめんなさい。ありがとう」


 前世の私は、こんな風に母さんをぎゅっとしたことあったのかな?

 そういうの、ぜんぜん思い出せない。


 ただ、離れてく母さんの身体が、思ってたより軽かったのにちょっぴり驚いて。

 少し遠くなった、懐かしい。きっと、石鹸の匂いだと思うんだけど、甘いミルクみたいな空気の向こうで、私をじいって見てた母さんと、目がぱちってあってるのに、なにも言えないまま。


「どこかであったことある?」

「……はい。ずっと前、ですけど」

「そう」


 ほんとは、色んなお話したいのに。でも、それだけ言うのがやっと。

 だって、目が合って、そのとき気づいちゃったんだ。


 母さんの目じりが、少し濡れてるの。


「あの……」


 だから、聞いちゃいけないのかもって思ったんだけど。でも、母さんにも秋桜久ちゃんにも、泣いててなんてほしくないから。


「どうして喧嘩になっちゃったんですか?」


 なんにも知らない私に出来る事なんか、なにもないかもしれないけど。

 でも、なんにも知らないから、出来ることだってあるかもしれないもん。


 そう思って聞いた私に答えてくれたのは、母さんじゃなかった。


「私達が、あの子から大事なものを取り上げようとしたから……じゃないかな」

「とう……さん……」

「ん?」


 男の人が怖くて。目を見て話せなくなっちゃってたから、母さんよりおぼろげな。けど、声を追いかけた視線の先にいたのは、私が思い出せるよりずっと老け込んで。

 目じりにはっきりとしわが浮かんだ、父さんの顔。


「私達にはあの子の他にも子供がいてね」


 穏やかに。けど、少し悲しそうな眼をした父さんは、立ち上がった母さんの手をやさしくとって。すっと身体を支える。


 小さい頃――前世と今を合わせたら、三十年くらい前からずっとそうだった。父さんと母さんが並んで経ってる姿にちょっぴりほっとして


「でも、その子はある日、突然死んでしまった。運動をする子がまれになる症状らしいんだけど。心臓が急に止まって、それきり目を覚まさなかった」

「だからね。あの子には、陸上とか激しい運動をしてほしくなくて……」


 けど、二人の言葉に、私の胸はきゅーって痛くなった。


 私の、せい。なんだね。

 二人の泣き顔だけは、夢に見るくらいしっかり覚えてた。


 だから、悲しい思いをさせちゃったって、知ってたのに。知ってたはずなのに、改めて聴く言葉は、粉々に砕けたガラスみたいにちくちくって刺さった。


「そう……だったんですか」


 いなくなった私のかわりに。私になにが出来るんだろ。


「しおちゃんのこと、心配なんですね」


 いなくなった私のせいで、父さんと母さんの心の中で抜けないとげになっちゃった悲しい気持ち。

 そういうの、言葉だけでとかせるなんて思えないけど。


「でも。……秋久さんは、うれしくないんじゃないでしょうか」


 今だって、私は走るのが好き。


「大好きな陸上を。……今、一生懸命走ってるしおちゃんの、その足を、お父さんと大母さんが止めようとしたら、悲しいんじゃないでしょうか」


 だから、私がいなくなっちゃったからって、陸上、やめさせるなんて言わないであげて。

 大好きなのに、続けられないって、きっと苦しいから。


 そう。

 苦しいんだって、私に教えてくれたのは……。


「……そうかもしれないね」


 わあって話して。それで、思い出せそうだったなにかは、父さんの返事でふわって消えちゃった。


 生まれ変わってすぐ。

 でも、その時には、もう思い出せなかった記憶。


「あの子を探そう。あの子の話を聞いてあげないと」


 いまの秋桜久ちゃんと同じ、家族のために傷ついた誰かの。


「そう、ですよ。家族なんだもん、お互いの気持ち、伝えあわないと……」


 イーゼルにかけられたキャンバスの上で滑るようにパステルを動かす真っ白な手。

 雪が上がった朝。それでも空を覆う雲みたいに真っ白な肌。険のある、少しつりあがった目尻と、まぶたの向こうに見えるぬれたみたいに光る黒い瞳。


 同じ色の髪はブラインドみたいに目元にかかってて……。


「ごめんなさいね。たまたま会っただけなのに、こんな話を……」

「いえ。あの、私……」


 たまたま会ったんじゃないよ。


 私、父さんのことも母さんのことも、ほとんど思い出せないけど。

 でも。

 でもね。


「なんだかね。死んだ息子にそっくりだったんだ。君の、目が」

「目、ですか?」

「うん」


 そんな風に、思い出してもらえてるんだって。それだけで、十分幸せだから。

 だから、もう。


 私。


「母さん。あの子が行きそうなところ、心当たりは?」

「お財布は玄関に置いたままだから、走っていけるところでしょうけど……」


 この世界に今。私がいるって、四十万さんが言ったとおり、ほんとは奇跡で。

 だから、私なんかいなくても、父さんと母さんは秋桜久ちゃんを探して。ちゃんと話をしてくれるに決まってるのに、秋桜久ちゃんを追っかけるなんて、意味ないのかもだけど。


 それでも、私は。


「私、探してきます」


 私が、秋桜久ちゃんに言ってあげなくちゃいけないんだって。どうしても、言わなくちゃいけないんだって。

 気持ちはどんどん先走ろうとして。


 でも。


「君、秋久のこと、なんで知ってたんだ?」


 くるって振り向いたところで、背中にぶつけられた父さんの声に、身体がぴくって震えて。けど、答える言葉なんかなくて。

 だから、二人の顔を見ないで。


 ただ、おっきく手を振って。それから、足にぎゅっと力を入れて。すうはあって、大きく深呼吸。

 そのまま、大きく踏み出して。

 走り始める。



 きっと、もう会えないかもしれないけど。

 父さんと母さんと会って、おぼろげだった記憶は、もつれた糸みたいにこんがらがって、私の中でまだほどけてないけど。


 でも、私は。




 記憶の糸を手繰りながら、おっきな道路を渡って。夕日を追いかけるみたいに西に向かう。

 私が知ってる景色とはぜんぜん違う、大きなお店。

 真っ赤な看板と、その隣にあるちっちゃな工場の間を抜けて、工場の裏に広がる防音林まで出たら、日差しをさえぎる団地の影を縫うみたいに脇道に入る。


 あの、ちっちゃなお家からずっと走って。でも、ほんとは身体中に切り傷とか火傷とかあって。

 喉の奥はじりじりって熱くなるくらいいがらっぽくて。


 そんなだから、二十分以上かかっちゃった。



 広場に敷かれたところどころはげはげの芝生。

 少し離れたところある噴水の真ん中では、日に焼けて、色があせちゃったくじらが、ぴゅうって水を噴き上げてる。

 その周りを囲むみたいに配置されてたはずの飛び石は、もう、所々歯抜けになって、ずいぶん寂しい。


 池の向こうに見える病院の角ばった、威圧的だったはずの建物は、夕日のオレンジになってて。

 色合いが柔らかいせいなのかな?


 私が知ってるより、角張ったところがなくなってる気がする。


 そんな病院に見下ろされるベンチに、秋桜久ちゃんは座ってた。


「あの……。しおちゃん」


 うつむいたまま、肩を震わせてるの。遠くからでもわかって。だから、少し近づいたところで、声をかけたんだけど


「君、誰?」


 少しだけ顔を上げて、きろって私をにらむ秋桜久ちゃんの顔はべしょべしょの泣き顔で。

 上目遣いのその目はちょっぴり怖くて。だから、ちょっとだけ、気持ちがきゅうって縮んじゃいそうになっちゃう。

 けど、自分で決めたんだもん。


 負けちゃ駄目だ。


「覚えてませんか?」

「……知らない」


 あの頃よりずっと大きくなった秋桜久ちゃん。


 私は君のこと、ちゃんと覚えてるよ。

 君の笑顔が、父さん母さんを幸せにしてくれると信じたから。だから、私はトレ・アーデでいられたんだもん。


 なのに、私のせいで泣いてるんだよね。


「悲しい事があったんですよね?」

「関係ない」


 低く作った声が、私を否定する。けど、関係なくなんかないよ。

 なんて、言えればいいんだけど。

 そんなの言えない。


 でも、君に泣いててほしくないのはね。

 ほんとなんだ。


 だからね。


「関係ないから話せるっていう人も、いますよね」

「変な子」

「よく言われます。隣、失礼しますね」


 ぺたんとベンチに腰かける。



 私が知ってる君は、ここで盛大に転んでたんだよ。

 パンツ丸出しでさ。


 そんなの、それこそ言わないけど。


「……母さんに、陸上をやめなさいって言われたの」

「理由は、聞きましたか?聞いて、みましたか?」

「そんなの、聞かなくてもわかってるから」


 どこまでも自分の足で走れるようにって、陸上をすすめてくれたのは母さんだった。

 けど、前世の私がいなくなって。だから、私と同じ様に秋桜久ちゃんがいなくなるのが怖くて。同じことさせないようにって、思っちゃったって、さっき私が聞いてきた理由。


 秋桜久ちゃんはちゃんと知ってるんだね。

 わかってるから苦しんだよね。


 それでもやっぱりね。


「ちゃんと、話してみませんか?」

「もう、何回も話した」

「わかってもらえるまで、何度だって。話しましょう。きっと、いつか通じます」


 ぷいって顔を背けた秋桜久ちゃんは、足を動かしてごりごりって地面を削る。

 子供みたいな仕草で。



 行き場のない気持ちを、なにかにぶつけたくて。でも、そんなの出来なくて。そういうの、私もやってたのかな。

 もう、わかんない。

 ちょっとだけ懐かしいの、なんでだろう?


 表面の乾いた砂がえぐられて、湿った黒い砂が出て来ちゃうまで、そんなに時間かかってないはずなのに、私と秋桜久ちゃんの頭の上に影が落ちて


「そのちびちゃんの言うとおりだ」

「ちびじゃありま……せ、ん」


 影と一緒に落ちてきた声に、思わず言い返して。でも、顔を上げた場所には、私が知ってるより、ちょっぴり大人びたカレカが……ううん。

 カレカがここにいるはずない。


 キャンバスの上で滑るみたいにパステルを動かしてた手は、私が知ってるあの頃よりごつごつして。

 真っ白だった肌は少しだけ。ほんとに少しだけ、日に焼けてくすんでて。でも、険のある、少しつりあがった目尻も。まぶたの向こうに見える黒い瞳もそのままで、短くなった髪と、伸びた背丈は、もう大人で。


 そんな、姿で、大鳥が、私の前に立ってて


「あとは、おれが面倒見とくから、ちびちゃんはうちに帰れ」

「あの。私……」


 ぐしぐしって乱暴に頭を撫でてくれてる。



 なんだか、とっても悲しい事があって。前世の私と、大鳥は別れて。そのきっかけになったのは、おれの言葉で。


 だから、大鳥のお父さんとお母さんは、おれの事、責めたんだ。

 大鳥が家から出てったのは、お前のせいだって。


 親と話して、陸上始めたらいいなんて。それで、どっかの大会で会おうぜって言ったの、私だったのに。



 どうして忘れちゃってたんだろ。

 なんで、今まで、思い出せなかったんだろ。


 私は……。



 もう、お日様は西の空に隠れて、見えなくなって。夕方と夜の境目の、きれいな群青色になった空を背中に背負った大鳥を見上げるしか出来ない私の姿が、大鳥の真っ黒な瞳に映ってるのが見えたから。

 それは、なんだかすごく。そう、すごく愛しい。


「大鳥。おれの事、覚えてる?」

「……お前、あきひ……」


 そこで、私の意識はまた、闇の中に落ちた。




 鈴蘭の香りは、もうしない。

 さっきまで、立って走れてたはずなのに、今はもう、力なんかちっとも入らない。


「おい、ちび。しっかりしろ!」


 がんがんって痛い頭に、カレカの叫ぶみたいな、悲鳴みたいな声がきーんって突き刺さって。そのお陰で意識がはっきりしてきた。


 あぁ、そっか。

 四十万さんがくれた奇跡は、終わったんだ。


 抱き起こされて、そこに見える、ぐしゃぐしゃになったかめむしくんの残骸は、もうどうしようもないくらいぼろぼろに壊れて燃えてて。

 そこから逃げられたはずなんか、絶対ないのに、いま私は生きてる。


 それはすごく嬉しくて。でも、四十万さんがくれた奇跡は、なんだか悲しくて。そのせいなのかな。


 ほろほろほろって、涙が。

 涙がこぼれたんだ。

今回は、前世の世界に戻るエピソードをお届けしました。


六話と十七話で書いた、前世にまつわる会話が、ようやく意味のあるものになったかなって。

今回は、私の中でどうしても必要なシーンだったんですけど。それなのにうまくかけた実感があんまり……。


手直しの時か、新作に、反省点を生かしていきたいなあって思うこの頃です。



次回更新は2014/10/19(日)7時頃、決着前、最後のエピソードを予定しています。


更新についてなにか変更があれば、活動報告にて。

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