100.勇者様、砲声は雄雄しく高らか也!
がおんってお腹をゆすぶる砲撃音。
それから、照明弾の光を追いかけるみたいに砲弾が降り注ぐ。
湿気を含んで重くなってるのに、めちゃくちゃに叩かれた地面が跳ね上げられて土しぶきを上げた。
その土しぶきに隠れて、鏃型に陣形を組んで進む戦車の背中には、赤い髪の――砲弾とか、巻き上がる破片とか。
そんなの気にもしてないみたいに、鉄兜もかぶってないおっきな男の人が、腕を組んで仁王立ち。
双眼鏡越しでもはっきり見えるゆらゆらとした幕は、あの雪の日にバナさんが使った能力のそれだ。
その幕が雨を真っ白な靄に変えて、後ろに続く戦車の姿を隠して。そんな真っ白な靄の上にぽっかり浮かんでるその人達の姿は、雲の上を進んでるみたいに見える。
銀色でぴかぴかの鎧を着てるのは、きっとテア。
鎧の下に着てる教会服の長い裾が戦車の速度で風にあおられて、はためくたびに裏地の赤をのぞかせる。
従軍司祭の華やかな衣装を着てるのはテアだけで、他の戦車の上には黒い教会服の人達――大僧正直属の僧兵が乗ってた。
顔まではっきり見える訳じゃないけど。でも、僧兵は誰も彼も、皆、はりつけたみたいな笑顔で。戦争を始めようとしてるなんて全然見えない。
(どうしてこんなときに笑ってられるんだろ……)
笑ってるのもそうだけど。僧兵達は、先頭にいるバナさんと同じで鎧も鉄兜もつけてなかった。
その人達が勇者候補で。砲弾とか破片とか、そんなの関係ない人達なんだっていうの、なんとなくわかるけど。
でも、やっぱりそういうの、気持ち悪いよ。
自分の命が危険にさらされる訳ないって、どうして思えるんだろ?
そういうの、弱い人を一方的にやり込めてきた人の思い上がりみたいで、胸の辺りがむかむかして。
だから、双眼鏡から目を離す。
遠くまで見える双眼鏡の視野は狭くて。目で見る景色は急に広くて、ちょっとくらっとしちゃうけど。
でも、雨みたいな勢いで降り注ぐ砲弾が、塹壕に沿って、少し手前から少しずつ、舐めるようにえぐってく、その光景からは目が離せなかった。
塹壕って地面に掘った溝みたいだから。気球とか山の上とか。高いところから見ないとどこにあるかってよくわかんないっていうときが多いんだ。
鉄条網――とげとげの針金とか土嚢とか。
そういう目印がないと、かめむしくんの上のちょっと高いところから見てる私も。きっと、戦車の上に立ってるテア達にだって見えないはずなのに。でも、次々と地面に突き刺さる砲弾は、その目印になるはずのいろんなものを弾き飛ばして。少しずつ西に向かって伸びて。
それから少ししたら、その降り注ぐ砲弾と土は塹壕の上にも覆いかぶさって。
ぐちゃぐちゃにかき混ぜてた砲撃がようやく通り過ぎて。
滅茶苦茶になってるに決まってる塹壕の中、ようやく立ち上がったオーシニアの兵隊が、塹壕のふちに固定してあったおっきな銃――かめむしくんの砲のすぐ脇についてるのと同じ、きっと建物の壁だってすぐぼろぼろにしちゃうくらい大きな機関銃にとりつくけど。
でも、その銃のすぐ前に、溶けだすみたいに現れた、テアと同じように鎧をつけた――その色は、鎧の隙間から見える教会服と同じ、夜に溶け込むみたいな黒で。
その裾をふわりとひるがえした、真っ黒なその人――陣地では、剣を使う人なんか、テアとクイナしか見てないから、黒い鎧を着てるのは、きっとクイナなんだって思うけど。
その黒い鎧の背中に背負った、身長より長くて。もう、剣っていうより鉄板っていうくらいの厚みと大きさの。
けど、やっぱり剣なんだって思うしかないそれを、クイナは小枝でもを振るみたいな気軽さで、銃とその銃を操作しようとしてた人達を横に一閃。
それだけで、ばらばらになった銃と、腰から二つに分かれたオーシニアの兵隊がごちゃ混ぜになって地面にぶちまけられてく。
双眼鏡なんかなくても、それがはっきり見えて。でも、その銃を使おうとしてたより向こう側で、少し遅れて立ち直った人達が、銃を構えて。
けど、やっぱりその銃も、クイナを傷つけるなんて出来なかった。
だって、小っちゃい頃、決闘で使ったのと同じ両手を大きく左右に伸ばした構えで。その両手に剣を持ったテアが、あの、遠くの人を切り飛ばす技で、その人達を銃ごと縦に両断したから。
先陣のテアとクイナが、塹壕の一番出っ張ってたところをすり鉢みたいにごりごりとすりつぶして。どすどすって追いついてきたバナさんが、土ごとオーシニアの兵隊を抉り取って。
それでも抵抗しようとする人達を、今度は戦車の上の人達が。
その人達が進むのに邪魔な障害物を戦車が砲撃。その後ろに続いてた歩兵さんが、顔を出したオーシニアの兵隊を次々と撃つ。
もう、戦争なんていうより一方的な暴力がふるわれるそこは、どろどろで。ぐちゃぐちゃで。
なんでもないみたいに命が擦り減って、消えてく場所で。
だけど、その暴力ですり鉢の底みたいになった塹壕をひょいひょいって飛び越して、西の方から姿を現した紺色の服を着た二十人くらいの人達――野外演習の日、駅で出会ったうすらいと同じ深い深い紺色で。
教会服と同じような、左右合わせで裾の長い服を着たその人達が姿を見せた瞬間から、状況はくるってひっくり返っちゃった。
手をかざされた戦車が動きを止めて――履帯は回転してるけど、地面をとらえられなくなって。そのまま横滑りして、周りの歩兵を巻き込んで。
横滑りした戦車にぶつかられた他の戦車は、塹壕の隙間に乗り上げて。
身動きが取れなくなった戦車に、さっきまで一方的にすりつぶされてたオーシニアの兵隊が群がってく。
鉄板で周りを囲まれてて。ちょっとくらいの砲撃ならびくともしなくいし、頑丈で足が速い。
戦車ってすごく強いけど。でも、のぞき穴とか転輪の間とか。隙間がない訳じゃなくて。あの、歩兵に取りつかれちゃった戦車みたいに、その隙間から銃を撃たれたり。手榴弾を投げ込まれたら、中に逃げるとこなんかなくて。
だからきっと、あの戦車の中の人達はきっと助からないって、形はぜんぜん違うけど、戦車に乗ってる私にははっきりとわかって。
もしかしたら私達のかめむしくんだってって、お腹の奥の方が冷たくなってくるけど。
そんな私の気持ちなんか関係なく、遠くに見える戦場では、動きが取れなくなった戦車も、その周りにいた歩兵も。
それどころか、僧兵達も、紺色の服の人達――オーシニアの人達が“英雄”って呼んでる、私達と同じ、どこかから転生してきた人達の動きに翻弄されてる。
炎を飛ばしたり雷を呼び出したり。他にも色々、きっとすごい能力を使ってる僧兵達は。だけど、一人一人で戦おうとして。
そのせいでお互いの足を引っ張り合ってて。
一番強いと思ってた人達が浮き足立ったからなのか、動きが取れなくなった戦車とか歩兵とか。
お互いの位置もわからないんじゃないかってくらいぐちゃぐちゃになったその中で、西から来た紺色の服の人達だけが、秩序だって動いてた。
くるくるってダンスみたいに、お互いをフォローしあって。お互いの隙を限りなく少なくして。少しずつ、少しずつ、戦車とか歩兵とかだけじゃなく。僧兵達を圧倒してく。
先頭にいたクイナと、そのすぐ後ろのテア。それを追っかけてたバナさんも囲まれて、追い込まれて。でも、なんとか支えあって。けど、そんなのどれくらいそのままなのかなんてわかんないから
「カレカ、あとどれくらいですか?」
“十分ってとこだろ。それより、ちび。首引っ込めろ!”
“そうだよ。風邪引いちゃうよ!”
だから、私は、私達の仕事をちゃんとして。少しでも早くオーシニアの軍隊を追っ払わなくちゃって。
それだけ考えて、重たい金属製のハッチをごりごりってずらして閉めた。
降り止まない雨のせいでびしょびしょになった服も髪も、ぺったり肌にはりついて気持ち悪くて。ちっちゃくて、なかなかお尻がちゃんと収まらない椅子もびしょびしょで。なにもかもが気持ち悪いんだけど。
そんなの、もう、考えてられないくらい、気持ちがぴんとはりつめてく。
それがなんだか息苦しくて、ふいって深呼吸してみるけど、火薬と油の臭いだけが胸の中に一杯になっただけ。そういうの、乗り物酔いとおんなじくらい気持ち悪くて。げえげえ吐いちゃった。
さっきカレカが行ってたとおり、きっかり十分。
がりがりごろごろって大きな音が跳ね回ってた戦車の中――私達がいる空間は、正式には戦闘室って言うんだけど。その、騒がしかった音が、がごんって衝撃と同時に少し静かになって
“前が停止した”
“なにがあったの?”
「見てみます」
ヘッドフォン越しにカレカに言われて、ハッチを空けて頭を出す。
戦車の中でわだかまってた空気の変わりに流れ込んでくる風が、まだ降り止まない雨をばあって吹きつけて、髪を撫でた。
かめむしの上の、いつもより少し高い視界。
でも、照明弾の光は東の空に遠くなって。戦場はもう見えなくて。けど、砲撃とか銃声とか。おっきな音はまだ鳴り止んでない。
あんなひどい事、すぐにも終わらせたいのに。でも、今、私に出来る事なんかないんだよね。
今出来る一つ一つをちゃんとしなくちゃ、前になんか進めないもん。
だから、真っ暗でほとんど見えない、先頭の戦車のその向こうに目を凝らす。
最後尾を走ってた私達の戦車の前には、他に四両の戦車があって。その先頭の戦車の前に、背の高い草がもじゃもじゃ茂ってる。
戦車の上にいても、草の茂る向こう側は見えなかった。
双眼鏡は持ってきたけど、草に邪魔されたままじゃなんにも見えないし。それ以上に、遠くに打ち上げられた照明弾くらいしか、明かりがなくて。こういう、なんにも見えない時、行き先が大丈夫なのかとか。
戦車が通れる場所なのかとか。
そういうのを調べてもらうために、歩兵と一緒に行動するのが鉄則って典範には書いてあった。
でも、今日は戦車だけで。
だからなのかな。
戦車からひょこっとで手来たコトリさんが、がさがさって草を掻き分けて、もじゃもじゃの中に入ってく。
二~三歩歩いたところで、ずぼって腰くらいまで沈み込んで。でも、ぞりぞりって前に進んで。
一人じゃ危ないし、追っかけなきゃって思ったんだけど
“各車乗員は別命あるまで待機”
身体をぐいって持ち上げたところで、無線で注意されちゃって。だから、じぃっと待つ。
じりじりした時間が大体四分。
また、がさがさって音がして。私と同じ様に身体を乗り出した他の戦車の車長さんが、がしょって銃を向けて。でも、そこには腰まで泥まみれになったコトリさんがいて。
そんなに背が高い方じゃないコトリさんの腰くらいの深さだと、どろんこの層は大体一メートルくらいなのかな?
かめむしくんは一メートル五十センチまで水没しても問題ないはずだから。
うん。
行ける!
“事前情報通り、対岸西に物資集積所。東に向かう斜面手前に炭水塔八、給水中の戦車二両からは蒸気が上がっていない。始動まで少なくとも五分はかかるはずだ”
ヘッドフォンから聞こえるコトリさんの声が、草の向こう側の。その向こうにある景色を伝えてくれて。その声を聞きながら、地図を思い出して、景色を想像する。
“一号から三号までは、東側の炭水塔、及び始動前の戦車を叩く。四号五号は、渡河次第物資集積所に突入”
私達が進むのは西側。
地図で見た感じ、平ぺったい、拓けた空間があって。そこに木で出来た囲いがあるはず。
戦車とか金属製のなにかを壊す訳じゃないんだから
「エウレ、初弾は榴弾を装填しときましょう」
“わかったー”
当たったら飛び散る弾を用意しとく。
なるべく広い範囲に被害を出さなきゃ、戦争なんか終わんないもん。
「カレカ、私達は四号車の後ろに続きます。落伍しないように気をつけて」
“わかってる。ちびも、周囲監視、頼むぞ!”
「はい!」
車長の私の役目は、私が座ってる車長席より低い位置にある運転席のカレカに周りの様子をちゃんと伝える事。
それと、ちょこちょことご機嫌を損ねる無線機を、なだめすかして、周りの戦車との連携を乱さない。
そういうの、全部ちゃんとして。
それで、皆で南部に帰るんだ。
“全車、渡河開始。各車の武勲を期待する!”
ざしざしと耳障りなノイズ交じりなのに、頼もしく聞こえたコトリさんの声と同時に、かめむしくんのディーゼルエンジンがごうんと大きく吼えた。
「五号車、前進!」
““了解!””
私達の戦争が、始まった。
どろどろと低い音が戦闘室の中に響く。
雪の中を進むときと同じ様に、ゆっくりと。でも、履帯を泥にとられたりしないように、慎重に。注意深く、私達の戦車は、泥の海を進んでく。
ほんとは、全速力で駆け抜けたいけど、必要以上に泥を引っかいちゃったら、戦車の重たさはずぶずぶと埋まっちゃう。
そういうの、南部の雪の中とか、雪が溶けてどろどろになった中とか。
今走ってるのと同じ様な。
ううん。
今走ってるとこより、もっとどろどろのとこで練習した私達は、よく知ってる。
知ってるんだけど。
でも、それでも。今、泥沼の中で向こう岸にいるオーシニアの兵隊に見つかっちゃったら。
もし、コトリさんが見つけられなかった戦車がいたら、逃げる場所も。逃げるための速度も稼げない。
そういうの、全部わかっててもカレカの運転はちっともぶれたりしなかった。
“暇だねー”
「そうですね」
なにもかもうるさい戦車の中で、ふわんと話すエウレの声。
運転してくれてるカレカと違って、運ばれてるだけの私達は、確かになんにも出来ないんだけど。
でも、少なくとも、私は暇なんかじゃないよ。
覗き穴から前を見て。後ろを見て。
少し先にいる四号車の位置をきちんと追っかけたりしてるんだから、いつもならほっとしちゃう声のはずなのに、私の心の中はゆすぶられて波打ったまま。静かになりそうもなくて。
でも、そんな波打った気持ちのままだったからなのかな?
四号車の砲塔越しに、なにかが小さく光るのが見えたんだ。
「四号車、一時の方向。なにか光まし……た……」
喉のところにあるマイクのスイッチを入れて、話し始めたのと、があんって音がしたのはほとんど同じタイミングで。その音がして、二秒。
四号車の車体が、ずるずるって横滑りして、そのまま動かなくなっちゃった。
“……五号……、その……った……は、砲げ……”
ヘッドフォンに聞こえた声はノイズで途切れ途切れで。その途切れそうな声の間に、ひゅーひゅーって苦しそうな呼吸が混じってて
「カレカ、四号車を守ります。前に出られますか?」
“やってみる”
「エウレ、砲戦準備!」
“方向指示、お願い!”
「二時に回頭します。十一時に砲を固定して」
ごうんって音を立てて、進路を変えようとして。でも、覗き穴の向こうの景色は少し左に流れただけで、ほとんど動かなくて
“履帯が泥を食わない!前進まで四秒!”
悲鳴みたいなカレカの声がヘッドフォンの中で膨らんで。でも、そんなのかき消すみたいに、四号車からぱかーんって乾いた音が響いてきて。
ほとんど同じタイミングで、お尻がびりびりするくらいの衝撃が、狭い戦闘室の中を駆け回った。
一方的に撃たれてちゃ駄目なんだ!
撃ち返さなくちゃ。あの雪の日みたいに、一方的に殺されちゃう!
殺されちゃうのに!
でも、かめむしくんが動き出すまでに、もう一回撃たれて。四号車の後ろ――燃料タンクがあるすぐ近くから、ちりちりって火が見えた。
「四号車、脱出してください!」
“……五号車、おれ達を守る必要はない。こっちの車体に乗り上げて、俯角で応射しろ”
「でも!」
“こっちはもう、おれしかいない。もたもたしてたら、泥の中に埋まっちまうぞ!”
なんでそんな風に、あきらめちゃうの?
ちょっとの間だけど、郵便屋さんしてたから南部から来た皆が、どんなに帰りたかったか知ってる。
それに、南部で皆の家族が待ってるって。
私は。
知ってるんだから!
「カレカ、四号車に乗り上げてください」
“ちび、お前!”
「エウレ、砲は一時に。俯角八度」
“トレ、そんなの出来な……”
「やりなさい!」
椅子からずるってお尻をずらして、車長席から見えるエウレの背中を蹴った。
ほんとは、こんなことしたくない。けど、なにもしないでいたら、四号車の。それに、四号車に乗ってた人達が南部に残してきた誰かに、なにも言えなくなっちゃう。
だから!
「カレカ、全速!」
喉もとのマイクのスイッチを押さえつけて、お腹に思いっきり力を入れて、叫ぶ。
それと同時に、かめむしくんのエンジンがぎいんって甲高い声を上げた。
身体が背中に向かって押し付けられて、戦車は急な坂を登るみたいにかしいで。覗き穴から見える景色が、雲だけになって。
どこを撃つのかもわかんなくなっちゃう。
そんなの駄目だ。
傾いたままの不自然な姿勢で、重いハッチを開ける。
それから、眼帯を外して。身体をハッチの外に押し出した。
物資集積場の周りのかがり火があるから、目印は十分。でも、明かりがあるせいで、どこから撃ってきたのかわかんなくなっちゃってる。
向こう岸まで、かめむしくんの足なら全速で十八秒。
狙いをつけないまま撃っても、相手の頭を下げさせることは出来るかもしれない。
けど、それじゃあ駄目だ。
目を凝らして、向こう岸に目を凝らす。
探すのは、二秒後の未来に見える、大砲の光。
……見えた!
「エウレ、射角修正一度」
“なんにも見えないよ、トレ!”
「いいから撃ちなさい!」
“知らないからね!”
言い返したエウレの声に一拍遅れて、どがんって音。それから、白い煙がハッチの中からもわって上がってくる。
でも、飛んでった先で爆発した砲弾は、木で出来た壁の隙間を大きく広げるのが“見えた”から
「カレカ、全速!」
“了解!”
「エウレ、次弾装填。榴弾」
“うん”
四号車の上を乗り越えたかめむしくんは、一瞬空中に浮いて。ぼしゃんって泥の中に。ハッチの上に乗り出してたせいで、胸をがんって打っちゃったけど。
でも、うずくまって顔を伏せるなんて駄目!
前を見て、進むんだ!
向こう岸で人が動き回って、少しずつ明かりを消してくけど。もう、位置は覚えたからね。
それに、もう、私達に、砲弾は当たらない。
全部、“見えて”るんだから!
左目に“見える”、飛んでくるはずの大砲の軌跡を避けて、ぐねぐね蛇行しながら全速二十秒。
ようやく履帯ががっちりと土を噛んで、それでぐいっと速度が上がる。
「カレカ、右。信地旋回、二十五度。エウレ、機銃で集積所をなぎ払います」
““了解!””
かめむしくんの車体が右に向かって。視界が左に流れて、その視界を戦車砲のすぐ横についてる機関銃が火を噴いて、がりがりがりって削ってく。
さっきまで私達を撃ってた大砲――近づいてみてわかったんだけど、普通なら絶対水平に撃ったりしない。
だから、無理やりすぎて、ほとんど動かせなくなったそれを、榴弾で一個一個つぶしてく。
私達が撃った榴弾が撒き散らした火とか破片は、積み上げてあった物資の中で、燃えやすいなにかに燃え移って。
その炎はどんどん大きくなってる。
“やったね、トレ!”
「そうですね」
“あぁ、やった!”
ヘッドフォンにエウレとカレカの声が聞こえて。ほっとしたんだけど。
でも。
でもね。
“……号車、五号車、聞……るか!……ん車が……っちに向かった!逃げて、トレ様!”
ノイズまみれのコトリさんの声。
それから、私の左目に“見えた”の。かめむしくんよりはるかに大きい、芥子色に塗られた戦車の姿が。
その砲口と目が合って。だから
「総員降車、逃げて!」
マイクのスイッチに手を伸ばす時間なんかなくて。だから、思いっきり叫んで。
声に反応したエウレの背中が、砲手席のすぐ下の、非常用のハッチに消えてくのが見えて。でも、私の左目には、飛び込んでくる砲弾がはっきり見えてて。
もう、逃げられないって。間に合わないって、わかって。だから、ぎゅーって目をつぶった。
焼けた火箸をつかんだみたいな、痛みなのか熱なのかわかんない感覚が身体中に押し寄せて。
きっと、火薬とか油とか。そんな匂いしかしなくなるはずの戦闘室の中で。私は確かに感じたんだ。
いつか。
そう、私をこの世界につれてきた。あの人の。鈴蘭の香りを。
私、また死んじゃうのかな?
また、父さんにも母さんにもなにも言わないで。
カレカに大好きだって伝えられないまま……。
この世界に来て、十五年過ごした、いろんな景色が目の前にめぐって。でも、そんなのも全部、炎と鈴蘭の香りの中に溶けてく。
全部。
そう、全部。
今回は、いよいよ戦争なエピソードをお届けしました。
前回の予告では、昨日更新って書いてたのに、日付を間違えちゃいました……。
遅刻で格好悪い感じになっちゃって、しょんぼりです。
なんだか最終回っぽい終わり方になっちゃってますけど、もうちょっとだけ続きます。
次回更新は2014/10/09(木)7時頃、久しぶりにあの人が登場のエピソードを予定しています。
更新についてなにか変更があれば、活動報告にて。




