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「これで完了だな」

 俺は店のドアに営業中と書かれた看板を引っ掛ける。

 看板の後ろには外出中と書かれている。

「これでサツキ達の店が完成したね」

 黒髪を頭の左側で纏め肩まで垂らしている、サイドポニーテールの少女、サツキが右から俺の肩に手を回し抱きついて来る。

 小柄な為、俺にぶら下がる感じだ。

彼女が着ている、茶色のダッフルコートに付いているファーが顔に当たってくすぐったい。

俺はくすぐったい為、頭を動かすと彼女と目が合った。

彼女の真っ赤な目に俺が映っている。

俺はその目で見られているのが恥ずかしくなり目を背ける。

「しかし、まだです。仕事をこなして、初めてボク達のこのお店は完成するのです」

 紺色のスーツに身を包んだ、淡い青髪のセミショートの女性、ノゾミが言う。

 彼女は俺より高い目線で言ってくる。

 ドアの上に取り付けた看板には『便利屋‐ ‐』と書いて有る。

 最初の依頼をこなした後に空白部分に店名を入れる。と三人で決めたのだ。

「そうだったね。マコトがそう提案して、サツキとノゾミが賛成したんだよね」

 マコト。それは俺の名前だ。

この便利屋の店主であり、この二人の――だ。

マコト。

サツキ。

ノゾミ。

 誰もが想像していなかった。あんな依頼が来るとは――


――って言うのが一か月前のテンションだよ」

 俺は店内のソファーに寝転がり、呟く。

 十九歳が平日の昼間にゴロゴロしているのだから、ここが家ならば、俺はニートにしか見えないだろう。

「最高のナレーションですね。しかも、一ヶ月前の台詞と一字一句違っていません。凄いですね」

 窓の外を見ながら淡々と俺に言うノゾミ。

 服装は一か月前と全く変わっていない。

「それが分かるお前も凄いよ」

 俺はそんな彼女に言うが、返事は無い。

「まるで宝石のように美しいつぶらな瞳に見とれてしまったなんて。サツキ嬉しい~」

事務用の椅子に座り、窓際に置いて有るデスクに手を伸ばし突っ伏しているサツキが満面の笑顔で言う。

左手の薬指に俺があげた木製の指輪をはめているのがよく見える。

婚約指輪とは断じて違う。

ちなみにサツキが突っ伏しているデスクは、書類入れとして活用する気である。

基本的にお客と交渉する時に使う物は、俺が今寝転がっているソファー、その隣に在るテーブル、そしてテーブルを挟んで反対側に有る同じソファーだけである。

「そんな事言って無い」

 サツキを横目で見ながら冷静に返す。

 いつものおふざけには俺は慣れている。

「ねえ、サツキさ、この二人の――って所が聞こえなかったからもう一回言ってよ~」

 サツキは笑顔でこちらを見ている。

 ちなみに言ってはいないだけで、宝石のように美しいつぶらな瞳なのは事実だ。

「嫌だ」

 サツキを睨み、即答する。

「なんでよ~」

 頬を膨らますサツキ。

「恥ずかしいセリフ言えるかよ」

 そう言い、天井に視線を向ける。

「ツンツンしてないで、少しはデレてよ~」

 サツキがなんか言っているが、無視。

「営業中の看板取れているんじゃないのか?」

 俺は二人に聞こえるように独り言を言いながら、横目で二人を見る。

サツキは動く気配が無い。

ノゾミはドアに向かって歩いて行き、ドアを開けた。

店のドアに付いている鈴が鳴った。

俺が付けた鈴だ。

彼女はドアを少し閉め、ドアの裏側を見ている。

「きちんと営業中の向きで付いています」

 ノゾミはそう言うと店内に入り、ドアを閉めた。

そして彼女はこちらを向く。

「想像していなかったとんでもない依頼が来るのですよね」

「それはふざけて言っただけ」

 俺は起き上がり、きちんとソファーに座る。

「しかし、そう言えると言う事は、キミにそんな考えが有る証拠ですよ」

 俺にそう言うと、彼女は窓際へ行き、窓の方を向く。

「マコトの勘は鋭いからね」

 サツキがこちらを見ないで言う。

 その時、外を見ていたノゾミが鋭い目つきに変わった。

そして「来た」と呟く。

 ノゾミが俺の後ろにやって来た。

 それとほぼ同時に、店内に鈴の音が響く。

俺とサツキは素早く立ち上がり、ドアの方を向く。

俺達三人は同時に「いらっしゃいませ」と言う。

店に入って来たのは、白衣を着て、金色の髪が腰まで伸びている美女であった。

金髪だが顔立ちは日本人である。

身長はノゾミよりも大きい。つまり、俺より大きい。

彼女はこの店、初の――

「お客と思ったらタマさんじゃん~」

 サツキは落胆の声を出し、先程のようにデスクに突っ伏す。

 タマさんはこの店の隣に在るオカルトショップの店主であり、ここの物件の所有者である。

 彼女の御厚意によりここを無償で貸して貰っている。

 ちなみに俺達三人はここの裏に在るアパートの一室で一緒に暮らしているのだが、彼女はそこの大家でもある。

「余だって立派な客だ」

 言葉は少し荒いが口調は穏やかである。

「滞納している家賃の取り立てに来たんじゃないの?」

 サツキは突っ伏したままタマさんに聞く。

 タマさんに失礼だろ。

「お前さん等は全く滞納してないぞ。まあ、明後日に今月の家賃を払わなければ滞納になるが」

 今月の家賃は払えそうに無い。

 この物件の改装に結構使った為、貯金が僅かしかない。

「タマさんは、お店に全くお客様が来ないボク達を可哀想に思い、お客様として参ったと言う事ですか」

 ノゾミがタマさんに言う。

「まあ、そんな所だ」

 ……俺達は可哀想なのですか。

 一ヶ月もお客が来なきゃ可哀想とは思うだろうけど。

「どんな理由であれ、お客はお客。タマさんの事だからちゃんとした依頼内容は持って来ている筈だ」

 俺はノゾミに近付き、耳元でそう囁く。

「どうぞこちらへお座り下さい」

 俺はタマさんをソファーへ案内し、座らせる。

 俺自身はテーブルを挟んで反対側のソファーの端に座る。

 サツキは俺の左隣に座る。

 ノゾミは隣の部屋で緑茶を注いで来て、「宜しかったらどうぞ」と言い、タマさんの目の前に出す。

 そして俺の右後ろに立つ。

「お客様が自分達に依頼したい仕事は何でしょうか。尚、料金は仕事内容によって変化いたしますので仕事内容を伺ってから随時決めさせて頂きます」とノゾミが説明をする。

「余をある物と一緒に護送して貰いたい」

「宜しければ内容を詳しく教えて下さい」

 料金以外の交渉は基本、俺がする事になっている。

「ここから数十キロ離れた山中に住んでいる人物に『ある物』を持って来るように頼まれたのだが、余独りでは不安なので護送して貰いたい」

「その『ある物』と言うのは?」

 法律に引っかかる物は勘弁だ。

「日本酒だ」

 安心した。

「その日本酒の価値は?」

 あまりにも高い物も勘弁。

「古い酒なので不明だ。良い酒とは言えないが珍しい酒だ」

「何故不安なのですか?」

「まあ、道中では多分何も起きないだろうが、どうもその日本酒を頼んだ人物の素性が分らない。その人物と取引をする時に守って貰いたい」

 タマさんは一呼吸を置き、話を続ける。

「不確かな情報によると、元、殺し屋だった人物らしい。だが本当に殺し屋だったのかは不明だ」

 隣に座っているサツキが小さく震えている。

 肩を優しく叩いてやる。

「用心の為と言う事ですね」

「まあ、そんな所だ。生死に関わる依頼だから拒否しても構わない。元々、便利屋に頼む内容じゃ無いからな」

「すみません。少し検討しますので少々お待ちいただいても良いでしょうか?」

「良いぞ」

 タマさんはそう言い、お茶を飲む。

 二人の表情を窺う。

 サツキは「本当にとんでもない依頼が来たよ」って顔をしている。

 ノゾミは「決め難い内容ですね」と言う感じの顔をしている。

「どうしましょう?」

 小声で二人に意見を求める。

「サツキは受けてもいいと思うよ」

「遣り甲斐の有る内容だと思われます。だから、受けた方がよろしいかと思います」

 その二つの意見を聞き、俺は答えを出す。

「多少の不安は有るけれども、危険は可能性の範疇だから大丈夫だろう」

二人は頷いた。

つまり、全員一致で依頼を受ける事に決定した。

 ノゾミはデスクに座り、ボールペンと用紙を取り出し、料金を見積もる。

「すみません。お待たせしました。お客様の依頼を受けさせて貰います」

「それなら有難い」

 彼女は綺麗な笑顔を見せる。

 俺はそこで、肝心な事に気付いたので、聞く。

「日時と場所を教えて頂けないでしょうか?」

 料金を書いていたペンが一瞬止まる。

 小さく「あ」と言う声が左から聞こえた。

 彼女達も気づいていなかったようだ。

「日時は明日。昼間ならいつでも良い。場所は……お前さん等より余の方が道は詳しいので余が案内をする。それで良いか?」

 俺は顔をなるべく動かさず、二人を見る。

両方とも小さく頷いた。

 ノゾミは用紙に少し書き足すと、ペンを持ったまま立ちあがる。

 そして用紙を複数持って来て、その内の一枚とペンをテーブルの上に置く。

「料金はこの程度で如何でしょうか?」

 料金の交渉はノゾミが担当している。

 俺やサツキが行うと安過ぎたり、高過ぎたりしてしまう為だ。

「……妥当な値段だね」

 そうは言ったものの、タマさんは値段を見た時に一瞬顔を曇らせた。

 それをノゾミは見逃さない。

「本来ならばこの値段なのですが最初のお客様と言う事で――」

 胸ポケットに入れておいたペンで料金に横線を引き、用紙に新しい料金を書く。

 逆から書いているのに綺麗な字だ。

「この料金で仕事を致しますが、如何でしょうか?」

 タマさんは新しい料金を見る。

「かなり安くなったね。まあ、この値段で依頼するよ」

 ノゾミは残りの用紙をテーブルの上に出す。

「それでは、この同意書を良くご覧頂いてから、契約書にサインして下さい」

 タマさんは時間をかけて同意書をしっかり読み、『稲田 珠』とサインをした。

「それでは、明日、朝九時にワンボックスカーでお迎えに伺いますので準備をしてお待ちしていて下さい」と、俺は終りのセリフを言う。

「了承した」

 全員が立ち上がる。

 俺は先回りし、この店のドアを開ける。

タマさんはドアの前で立ち止まり、こちらを向いた。

「危険を伴う可能性が有るだけで、まあ、安全だ。依頼した人物も単なるお酒好きである可能性が高いから大丈夫だ」

 最後に俺達の不安を取り除く為にそう言ったのだろう。

 そして、店から出て行く。

『ありがとうございました』

俺達三人は同時に言う。

 俺はドアを閉め、先ほど座っていた所に戻る。

 サツキは再び俺の隣に座り、ノゾミは向かいのソファーに座る。

「ああ言っていたから大丈夫じゃない?」

 サツキは安堵の表情を浮かべている。

「タマさんがボク達を危険な目にあわせるとは思えないですし、安心して良いですね」

 彼女達は安心しているようだが、俺はなんとも言えない不安が有る。

 自分の勘が鋭いとは思っていないし、思い過ごしだろう。

 

 結局、あの後にお客が来る事は無く、閉店時間になった。

閉店し、店内を掃除してアパートに帰って来た。

 俺達が住んでいるアパートは二階建て、六部屋の小さなアパートだ。

 借りているのは、二階の右端の部屋である。

 その真下には大家のタマさんが住んでいる。

「今日の晩ご飯は何かな~?」

 テーブルの前に座っているサツキが言う。

 ノゾミは台所で夕食を作っている。

 タキシードの上にエプロンを着て。

 俺達の内、料理がまともに出来るのはノゾミだけだ。

 俺とサツキが出来るのは良くて目玉焼き程度だ。

 その時、俺のポケットに入っていた携帯電話が鳴った。

 メールの着信音だ。

 携帯を取り出し、確認してみると、タマさんから『修理終了』と言う題名だけのメールが来ていた。

 昨日、冷蔵庫が壊れてしまいタマさんに修理を頼んでおいたのだった。

 その為、台所には代わりの小さな冷蔵庫しか置いていない。

 タマさんは殆どの学問に精通しており、大抵の事は出来る。

オカルトショップの商品も自分で作っているくらいだ。

夜中に下から怪しげな呪文が聞こえてきたりする時も有る。

次の日に「昨日は『初めての黒魔術』ってビデオの撮影をしていた」とタマさんに言われた。

売れるのか?

そして、今時にビデオ?

「サツキ。冷蔵庫修理終わったらしいから取りに行くぞ」

「分かった~。よ~し、サツキ活躍するぞ~」

 サツキは腕を回して張り切っている。

俺は革のジャンパーを着て部屋を出て行き、左端に有る階段を下りて行き、サツキと一緒にタマさんの部屋の前に来る。

インターホンを押す前にタマさんが出て来た。

「部屋の奥に有るから持って行きな。まあ、マコトは役に立たないし、邪魔になるから入らない方がいい。サツキ一人でも十分だろう?」

「冷蔵庫一つぐらい片手で余裕ですけど。サツキのマコトが役立たず、しかも邪魔って失礼です!」

 サツキは両手を握り構える。

「俺はお前の物じゃないから。あと、タマさんに喧嘩売らない」

 彼女のお蔭で生活出来ているようなものだし。

「ドラゴンを嘗めないで下さい。キツネなんかに負ける気は無いね」

 俺の声は届いていない様だ。

「三百程度しか生きていないデカイだけの爬虫類が」

「胡散臭い妖術が使えるからっていい気にならないでね」

 二人はふざけているのでは無く、言っている事は事実である。

 この二人と部屋にいるノゾミは人間ではない。

 サツキは前足が無いドラゴン。正確にはワイバーン。

 タマさんは妖狐。三千年ほど生きているキツネである。

 人間の姿をし、人間と同じ知能を持ち、人間と同じ生活をしているだけである。

 人間を超越した身体能力や不可思議な術を使うが、ただそれだけである。

「サツキ。俺達がこうやって生活出来るのもタマさんのお蔭だし、お前もタマさんがいたから人間の姿で人間として生活出来るんだろ」

 タマさんは妖術で人間の姿になれるがサツキは出来ない。

 ドラゴンと言う名の、翼が生えた巨大な爬虫類なのだから。

 サツキが左手の薬指に付けているタマさんの道具で人間の姿になっているだけだ。

「でもマコトの事を……」

 その俺に対する直向きさ可愛いな。

「そのくらいどうでもいい。タマさんも悪気があって言った訳じゃないはず」

「マコトがそう言うなら……ごめんなさい」

 彼女は深く頭を下げる。

 サツキの頭を優しく撫でる。

「いいですよ。余も失言でしたから」

 タマさんはお淑やかに頭を下げる。

「それじゃあ。取って来るね」

 サツキはドアを開け「おじゃましま~す」と言い、部屋の中に入って行った。

 タマさんはドアが閉まらないように手で押さえる。

「今の時間に運んで他の住民に迷惑じゃないですか?」

「大丈夫だ。お前さん等の隣に一人住んで居るだけだ」

「居るんですか?」

俺は高校に入学した時から住んで居るが、俺達以外の住人を見た事が無い。

「他の住民って聞いておいてそれは無いじゃないか?」

 タマさんはこちらを睨む。

「いや、周りの民家に対して言ったんですけど……」

 彼女は納得した表情を見せた。

「そう言う事か。余の妖術で敷地内の物を人間の意識から消しているから大丈夫だ。まあ、聞こえてはいるが全く気になってない」

俺は頷くしか無い。

「人間が気に止めない様に妖術をかけているのだよ。まあ、気に止める人間は時々いるが、敷地の中に入ってくる人間などボールを取りに来る子供ぐらいだ」

 俺は頷く。

 タマさんは溜め息を吐く。

「余の所には人間以外の色々な者が来る。そんな者が人間と関わると危険だから、関われない様にしている」

 俺も溜め息を吐く。

「人間は危険な生物だからですか?」

 彼女は意外そうな表情を浮かべる。

「どうしたんですか?」と聞いてしまう。

「人間に危害が及ぶからと言うのかと思ったから」

「ダメな一般人の考えと同じにしないで下さい」

「それはすまないな。まあ、理由はお前さんの言う通りだ」

 タマさんは俺の頭を荒々しく撫でる。

「人間は自分が嫌う物に対しては大抵、非情ですから。そして単なる思わくだけで行動してしまう。鮫狩りなんていい例ですよ」

 つい右手を握りしめる。

「まあ、話は少しずれたが。その妖術がかかっているのにも関わらず、お前さんはここへ来てこのドアを叩いた。ドアを開いた時は驚いたよ」

 タマさんは開いているドアを叩く。

「こっちもかなりの美女が出てきて驚きました」

「褒めても何も出ないぞ」

 そう言っているタマさんの表情は柔らかい。

「そして、俺がタマさんに事情を説明したんでしたね」

 俺は当時、実家に住んでいて、そこから高校に通っていた。だが、実家からは交通が不便なため高校になるべく近い場所を探していた。その時にここを見つけたのだ。

「それで、ここに住む事を了承したのだったな」

 タマさんはお淑やかに笑う。

「その後、タマさんから自分が妖怪である事を聞かされましたしね」

「最初は半信半疑だったから本来の姿を見せてあげたけど、驚かなかったな」

「驚きましたよ。でも冷静な方が得をしそうですから」

 そのおかげで素早く携帯で写真を撮れたからな。

「それで、お前さんはどうやってここの存在に気付いたんだっけ?」

「それは貴女がキツネだからですよ。貴女に惹かれたからですよ」

 自分が思っている事を率直に言う。

 タマさんは再び、お淑やかに笑う。

「最初に聞いた時と全く一緒だな。お前さんらしい答えだが、キツネ好きも程々にした方が良いよ」

「考えときます。それと寒く無いですか?」

 もう秋も終わる頃である。

 俺は革のジャンパーの下に厚手の服を着ているから平気だが、露出している顔や手は冷たくなっている。

「寒くないぞ。これは幻影だから。お前さんには見えないが今は本来の姿だ」

「そうなんですか? でもさっきドア開けましたよね。しかも今、手でドアを押さえていますし。幻影なら無理では?」

彼女は「いい所に気が付くね」とでも言いたげな表情だ。

「まあ、念力だ。お前さん等に人間の姿の余がそうしている様に見せているだけだ」

「本来の姿を見せればいいじゃないですか。何でわざわざ幻影を?」

「表情や行動による意思疎通がし難い。お前さんはなんとなく分かるだろうが、サツキとは難しい」

 確かに俺は動物とかの考えがある程度なら分かる。

 超能力と言えるほどでは無い。

 多分、訓練すれば誰でも出来るはず。

「まあ、本来の姿の方が寒くないって事も有るが」

 そう言うと目の前のタマさんは消え、体長二メートルほどの綺麗な毛並みのキツネが現れた。

 この姿がタマさんの本来の姿だ。

「お前さん寒いのだろ? 余で暖まるか?」

 その姿のまま、嬉しい事をタマさんは言って来た。

「もふもふしていいんですか?」

 俺はタマさんを期待の眼差しで見る。

「もふもふ?」

「ふかふかでわさわさな物をギュッってして、もふもふする事を俺個人がもふもふって呼んでいるだけです」

「頭の悪い説明だな」

自分でも頭の悪い説明だと思うぐらい酷い説明だ。

「まあ、柔らかい物を抱きしめる事か」

「具体的にはそうですね」

「まあ、したいならしていいぞ」

 タマさんは胴体と同じくらいある大きな尻尾をゆっくりと振る。

 可愛いと言う言葉では表せないほど可愛い。

「ならお言葉に甘えて」

 タマさんを抱きしめる。

「あったか~。もふもふ~」

至福の時だ。

「狭いから持って来るのに苦労したよぅ~」

 サツキが片手で軽々と冷蔵庫を持って、部屋から出て来た。

 俺達を見て彼女は足を止める。

「……マコト。サツキが頑張っているのにイチャついて……」

 タマさんは俺の腕をすり抜けて何処かへ行ってしまう。

「すまないな」

 簡潔にそう言って俺は全力で逃げる。

「このサツキと言うものが有りながら……この浮気者~!」

 大声で叫んでいる。

振り向くと大きな四角い物が俺に向かって飛んで来ていた。

 

 いつの間にか朝になっていた。

 今俺がいるのは布団の中だ。

 隣を見ると、サツキが寝ている。

 うなされている。

 俺はそんな彼女の頭を撫でる。

 すると苦悶の表情が清々しい表情になった。

 俺は起き上がり、背伸びをする。

 台所の方から美味しそうな匂いがする。

 その匂いに釣られ、台所へ行くとノゾミが朝食を作っていた。

「おはよう」

 俺がそう挨拶をすると、ノゾミはこちらを向く。

「おはようございます。心配しましたよ」

「心配?」

 何の事だ?

「昨日、サツキが投げた冷蔵庫が当たって大怪我をしたのですから心配します。タマさんの処置に不安が有る訳ではないですけれど……」

 『アレ』冷蔵庫か。

……冷蔵庫が飛んで来た所から記憶が無い。

台所を見ると凹んだ冷蔵庫が置いて有る。

……何も言えない。

俺は台所を通り、御手洗いに行き、その後、洗面所で顔を洗う。

 鏡を見ると、寝癖がついている俺がいる。

 寝癖を確認するために髪を触る。

 髪を触って思い出したが、昨日は風呂に入っていない。

「ちょっとシャワー浴びるわ。サツキが起きて来て俺を探すかも知れないから、その時はそう言っておいて」

 俺は台所にいるノゾミに聞こえる様に言う。

 サツキは朝起きて俺が居ないと探し回る為だ。

 それと、サツキは面倒だからである。

「了承しました」

 返事が返って来た。

風呂は洗面所と隣接しているので、俺はここで服を脱ぎ、置いて有る籠に服を入れる。

 洗面所の鏡に俺の上半身が映る。

 胸の中心に有る大きな傷跡と左肩から二の腕にかけての火傷跡が目立つ。

 傷はサツキに、火傷はノゾミに付けられた物だ。

 この二つは治療で消す事も出来るが、俺はそれを望まない。

 出会った時の事を忘れない為だ。

少しばかり思い出に浸っていると「マコト~。どこ~!?」と言いながらサツキがここにやって来た。

サツキは全裸で立っている俺を見て一言。

「あ」

 俺も同じく一言。

「あ」

 数秒間の沈黙。

「サツキ。マコトはシャワー浴びているから」と言うノゾミの声が今頃聞こえた。

 言うのが遅いだろ。

「サツキも一緒にシャワー浴びるから」

 うわ、面倒な事を言い出したよ。

「うわ、面倒な事を言い出したよ」

「思っている事が口に出てるって。なんで面倒なのよ~」

「ベタベタくっ付いて来て邪魔だ」

「その方がいいでしょ」

 気分的に、良い。だが、それだけだ。

「洗っている時はくっ付いて来ると迷惑だ」

「ドラゴンはご主人様と一緒にシャワー浴びないと死んじゃうの」

 兎の迷信みたいな事言っている。

 そんな話は流すか。

「ノゾミ~こいつを頼む」

「そうやってすぐノゾミを頼るし。そんなに嫌な……」

 ノゾミがやって来て、喋っているサツキを掴み、連れて行った。

 サツキが抵抗する間もなく連れ去られた。

「相変わらず無駄が無いな~」と独り言を言ってしまうほどだ。

 その後、ゆっくりシャワーを浴び、服を着替え、台所へ戻って来る。

サツキが椅子に座り、ふてくされていた。

 彼女に近付いて、顔を覗き込みながら頭を撫でる。

「今晩一緒に入ってやるから。機嫌直せよ」

 するとサツキの機嫌は瞬く間に直り、俺の両肩を掴む。

「本当!?」

目がとても輝いている。

少女漫画並みに。

「嘘じゃないよ」

 その俺の言葉を聞いたサツキは満面の笑みを浮かべる。

そんな彼女の隣に座って「今日の九時に車出さないと」と独り言を言う。

 忘れない様にする為だ。

「それまでに色々と準備もありますから食べて下さい」

 ノゾミは俺達の前に朝食を並べる。

 並べ終えると彼女は向かい側に座る。

「いただきます」

「いっただきまーす」

 俺とサツキはそう言い、朝食を食べる。

「美味しいですか?」

 ノゾミが俺達に聞いて来る。

「うん。おいしーよ」

 サツキは笑顔で答える。

「美味しいかな」

「素直に言えばいいのに」

 サツキがぼそっと言う。

「ほっとけ」

 俺はサツキに言い返す。

 そんな俺達を見て、ノゾミは微笑む。

彼女は何をするでもなく、ただ俺達の様子を見ている

 彼女の前には何も置いていない。

 食事を必要としないからである。

正確には俺達が食べている物とは全く違う物を食事とする。

「羨ましいの?」

 サツキがノゾミに聞く。

「羨ましくないと言えば嘘になってしまいます」

 彼女はちょっと物悲しそうだ。

「所詮食べると言うのは単なる栄養補給。食べるのに時間掛かるし、時間が勿体無いだけだよ」

 淡々と述べる。

サツキが俺に向かって「うわ。贅沢」と言った。

ノゾミは俺を見て「ありがとう」と微笑んだ。

「俺に感謝する意味など無いだろ」

 彼女に冷たく言い放ち、ご飯を口に入れる。

本当は少し恥ずかしい。

「機械が『ありがとう』ねぇ……」

 サツキがノゾミを見ながらそう呟く。

 俺はサツキを反射的に睨む。

 彼女はこちらの視線に気付いた。

「ご、ごめんなさい……」

サツキは縮こまる。

「ボクが機械なのは事実なのだから。そんな怒らなくても良いのに」

 彼女自身が言うとおりノゾミは人型の機械。

 いわゆるアンドロイドである。女性型だから正確にはガイノイドだな。

 見た目は普通の女の子にしか見えない。

 いや、可愛い女の子か。

「別に怒ってない。あと、お前の為じゃないから。俺が不愉快だからそうしただけだ」

 牛乳を一口飲む。

「ボクが人間ならそう言われないからマコトが不愉快になる事もないのにね」

 俺はコップを置き、溜め息を吐く。

「大雑把に言えば、お前と人間の違いは、エネルギー源が違って、体の仕組みが違う。ただ……」

「『ただそれだけ』でしょ?」

 サツキにセリフを取られた。

 そのセリフ泥棒を睨みながら頷く。

「ノゾミは性格も感情も存在しているだろ。それが単なるプログラムと言えばそれまでだが。人間の感情なんて脳内物質の化学反応なんだろ。大差無い」

 淡々と述べ、食事を続ける。

「マコトはいつも冷徹な事言うよね……」

 サツキのボヤキにわざわざ返事するのは面倒なので無視。

 ノゾミも答えない。

「無視は酷いよぉ~」

「喋ってないで朝食を取れ」と言いたい気分だ。

「仕事が有るのですから、話をせずに朝食をきちんと取った方がいいですよ。話ながら食べていると満腹感が得られにくいですよ」

 ノゾミが近い事を言ってくれた。

 彼女に感謝。

「は~い」

 サツキはだらけた感じで返事をし、素直に従う。

 彼女は結構良い子だ。

 文句をよく言う。

ただそれだけだ。

「サツキの悪口、頭の中で言ってない?」

 彼女がこちらを向いて聞いてきた。

「お前も俺ぐらい勘が鋭くなったか?」

 俺はワザとらしく、笑みを浮かべる。

「やっぱひ考えへはんだ~」

 彼女は軽く笑いながら言う。

「食べながら喋らないでね」

 ノゾミが優しく注意する。

サツキは頷き、食事を続ける。

 その後、特に会話も無く食事は終わった。

そしていつもの様に三人で協力をして食器を片づけた。

片付けが終わった頃には、約束の時間に近くなっていたので庭の端の方に停めて有る白色のワンボックスカーの中へ移動した。

俺が運転席に。真後ろにサツキ。その隣にノゾミが座る。

冷え切った車内を暖める為、暖房をかける。

ちなみに普通免許を持っているのは俺だけだ。

人間ではない二人は、住民票はおろか保険証等の身分証明書も存在しない為、免許が取れない。

だが人間では無いタマさんは全ての種類の免許を持っている。

何かしらの妖術を使ったのだろう。

それかきちんと取得したのだろう。

受験さえすれば、タマさんならなんでも取れるだろう。

車内が温まったことを実感した後、車をタマさんの部屋の前まで移動させ、エンジンをかけたまま車を降りる。

扉の前に近付くと、タマさんが中から出て来た。

「インターホンは不要ですね」

 思いついたちょっとした冗談を言ってみる。

「まあ、確かに飾りに近いな」

 普通に返された。

 本当にちょっとした冗談だしな。

タマさんの手には包装紙に包まれた大瓶が有る。

これが今回の目的の日本酒か。

「もう準備は出来ましたか?」

「出来たから出て来た」

 俺は「分かりました」と答えた後、先に車に近付き、助手席のドアを開ける。

「気が利くな」

 近付いて来たタマさんが言う。

「このくらい常識ですよ」と営業スマイル。

タマさんが乗り込んだのを確認した後に静かにドアを閉め、俺は反対側から乗り込む。

「それでは案内して下さい」

「それじゃあ案内しますか」とタマさんは言い、俺に指示をする。

 俺は指示通りに車を走らせる。

 最初は右や左に曲がったりして忙しかったが、今は山間部の一本道にいる為、暇だ。

 ルームミラーで後部座席を確認するとノゾミは外の景色を見ている。

隣に座っているサツキは気持ちよさそうに寝ている。

 起こさない様により穏やかに運転した方がいいな。

 穏やかにアクセルを緩めた。

 曲がるときは遠心力がかからないように出来るだけ大きく回る。

「優しいな」

タマさんは気づいた様だ。

「俺は……」

 そこまで言って、続きが出ない。

「どうした?」

 聞いてくるが、俺は答えない。

 答えられない。

「大丈夫」

 ノゾミの声が耳に入る。

 その言葉に後押しされ、言い直す。

「俺は……自分の優しさが嫌いです」

「何故?」

 タマさんの顔を見ていないが、怪訝そうな表情をしている事がなんとなく分かる。

「他人の幸せしか願えないから。他人の為なら、どう思われようとも、どう扱われようとも平気」

 タマさんは何も返して来ない。

聞き入っているようだ。

俺が自分自身の事を喋るときは話を何度も区切る事を分かっているようだ。

「俺は他人の為に自分を平気で犠牲にしてしまう。だから、俺を思ってくれる奴を悲しませてしまう。俺は他人が悲しんでいるのは嫌だから」

 小さく溜め息を吐く。

「他人に優しくしてしまうから、好きな奴を悲しませてしまうから」

 数秒間の間。

「俺が優しくなければ、俺を思ってくれる奴を悲しませる事も無いから」

 無意識にルームミラーで後ろの二人を見てしまう。

「俺って欲深いんですよね。俺以外全ての人が幸せになって欲しいなんて。俺だけが苦しめばいいなんて」

 俺は明るく言う。

 明るく言っている。ただそれだけだが。

 エンジン音とサツキの寝息しか聞こえない。

「そんな願い叶わないのに……」

 そう呟く。

「叶うよ」

 タマさんが強く言う。

 俺はそんな彼女を横目で見る。

 そして鼻で笑う。

「何が可笑しい?」

「だって、絶対無理だから。全ての人を殺したい奴の願いと、殺されたくない奴の願いは同時には叶わないでしょう?」

 返事は帰って来ない。

 俺は話を続ける。

「俺が言っているのは善悪関係無しに全ての人の願いだから。善悪なんて物は、時と場合によっていくらでも変わるから」

「そうか……」

 少しの間、車内が沈黙に包まれる。

「もし――お前さんが善と悪に優先順位を付けるなら善と悪どちらを優先する?」

 珍しい事を聞いてきた。

「なら……悪の方が優先しちゃうかも。悪は可哀想な弱者だから。可哀想って言うのは失礼ですけどね」

「理由は?」

「純粋な悪人はいませんから。その人は正義をしただけ、ただそれが世間で言う悪であっただけって事もありますしね。善人も同じような理由が通りますけどね」

「お前さんは自分の事を善と悪、どっちと思っている?」

「俺は他人に優しくと言うか、甘くしてしまう。だから、苦しみや苦痛などの人が成長する要素を奪ってしまいますから、悪ですね。『他人の幸せ』と言う自分の欲望のままに動いていますから」

 即答した。

「それじゃあ目先だけ幸せだ。他人に本当の幸せは来ない」

「目先と言えでも、『幸せ』ですから。他人が苦しむのは嫌なんですよ。仮初の幸せでもいいんです。そう思っているのも有って悪です」

 急カーブにさしかかったのでスピードを緩め、気を付けてハンドル操作する。

「苦痛を知っているからこそ幸せを知れると思っていますから」

 話に考えを向けられず、とりあえず思った事を言って行く。

「あと……本当の苦痛を知れば本当の幸せを知る事ができるから。本当の苦痛がどんなに辛くても。自分は本当の幸せを知っているって優越感に浸れますから」

 アスファルトの状態が悪くなったので、なるべく振動を与えないように気を付ける。

「たとえ……自分の精神が壊れるほどの辛い事であっても」

 淡々と述べた。

 ふと横を見ると、タマさんが目を擦り、涙を拭っていた。

「すいません……こんな話してしまって」

 つい謝ってしまう。

 彼女は横に顔を振る。

 謝らなくていいと言う事であろう。

「後半はそんなに感情込めていませんから。ただ思ったことを淡々と言っていただけですから気にする事じゃないですよ」

 俺は慌てて言う。

「目にゴミが入っただけ」

「あ……そうですか」

 俺の話の所為と心配したが、違かったようだ。

 慌てて繕ったのが恥ずかしい。

「もう少し行くと道が二手に分かれるから、右の道に行って」

「了解」

 数分走った所で「そこ」と言い、タマさんは道路脇の森林の方を指差す。

 指さした方を見ると、道が二手に分かれていた。

 左の道は今来た道のようにアスファルトで舗装されているが、右の道は道とは言えない。

 タマさんに言われなければ通り過ぎていた。

 車を右の道に行かせる。

 振動が凄い。

「まきょと~みょった?」

 眠そうな声が後ろから聞こえて来た。

 振動の所為でサツキが起きたのだ。

「まきょと~みょった?」

 俺は聞き返す。

「マコト~こんな道通って迷ったの~?」

「いや違う。狐に化かされた」

「え?」

 そう声を上げている所から俺のふざけが分からなかったようだ。

「タマさんの指示通りって事だ」

「そう言う事ね」

 納得した様だ。

 しばらくすると目の前にボロボロの教会が現れた。

 十字架が掲げられている。それぐらいしか分からないぐらいボロボロだ。

「そこが目的地だ」

 教会の前に車を止め、エンジンを切る。

 俺を含め四人全員が同時に降り、教会の方を向く。

 風が吹く。

 この状況を見てサツキが「この雰囲気かっこいい~」とはしゃぐ。

「先に行くから」

 俺とノゾミが教会のドアを開け、中に入る。

 教会の中もボロボロである。

 天井から大きな十字架が吊り下げられているが、鎖が錆びており、今にも落ちそうである。

 人が居る気配は無い。

 後から日本酒を持ったタマさんが、その後にサツキが中に入る。

 タマさんはあたりを見回す。

 彼女は溜め息を吐く。

 そして大きく息を吸い、「エレン居るのだろ!」と大声を出す。

 依頼人の名前だろうか。

 すると奥の暗闇から、キャミソール、ホットパンツ、と寒そうな服装の、ウェーブした赤い髪が腰まで有る女性が現れた。

 年齢は二十歳程度であろう。

「綺麗な人だね~」

 サツキがそう呟く。

 彼女がそう言うのも分かる。

綺麗な曲線を描くスレンダーな体で、整った顔つきの女性である。

「タマちゃんか。お久し~だね」

 声も綺麗である。

「その三人は?」

「余のアパートの住人だ」

 彼女は「ふ~ん」と言う。

「これエレンが頼んだ物だ」

 タマさんは包装紙に包まれた日本酒を前に出す。

「ありがと~」

 彼女はそう言いながらタマさんに近付き、日本酒を受け取る。

 その瞬間、俺はタマさんに体当たりをして妨害をする。

 俺とタマさんは地面に倒れる。

「何やってるの!?」

 サツキが叫ぶ。

「……貴様……」

 俺はエレンに言いながら起き上がる。

「その腕!」

 サツキが再び叫ぶ。

 違和感が有る左腕を見てみると、血が流れていた。

 深い傷ではない。

「タマさんに攻撃するとは……」

 エレンを睨みつける。

「アンタ……見えたのか?」

 彼女は驚愕の表情を見せている。

 見えたとか良く分からない。ただ、危ないと思ったからそうしただけ。

「よくもマコトに!」

 そう怒鳴りながらサツキがエレンに殴りかかる。

 エレンはそれを軽々と回避する。

「ウチと喧嘩する気かい。子供と喧嘩はする気は無いのでね」

 サツキが腹部に目掛けて再び殴りかかる。

 エレンは左手を出し、軽々と受け止める。

 つもりだったのだろうか? 受け止められず、エレンは吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた後、数メートル下の床に落ちる。

血が飛び散る。

普通の人間なら死ぬ。

「サツキ!」

 俺は怒鳴る。

 怒鳴られた彼女は硬直した。

「殺したりしたら……」

 その俺の声を聞き、サツキは震えだす。

「ご、ごめん。ゆ、ゆ、許して……」

 サツキは俺の方を向き、掌を合わせ、後退りをする。

「まだ殺してないんだから、謝る必要無いだろ」

 俺は溜め息を吐く。

「え?」

 彼女は驚愕の表情をし、エレンの方を向く。

 血だらけのエレンがゆっくりと立ち上がる。

「アンタ何もんだよ……」

 エレンは足元が定まっていない。

「そっちこそ何者なの? 人間だったら死ぬはずだけど……」

「ヴァンパイア。肉体は人間の倍ぐらいの性能は有るけど、あれくらいじゃ死なないね。肋骨が数本折れたけど……」

「そんなのが本当にいたんだ……」

 サツキはそこに驚いている。

「んで、アンタは?」

「サツキはドラゴンだよ。タマさんの道具で人間の姿をしているだけ~」

「正確にはワイバーンだが。四足じゃないからな」

 俺が少し説明を加える。

「アンタ火吐けるのか?」

「ワイバーンは吐きません。毒と爪で獲物を狩るんです」

「基本、バカデカイ鷲だな。毒はオマケ」

 分かりやすい様に説明を加える。

「マコト~。口出ししないでよ~」

 こちらを向いてサツキが言う。

その目は潤んでいる。

 虐め過ぎたかな。

「そうか。けっこう戦いがいの有る相手だな……」

 エレンは吊るしてある十字架の真下に行く。

 そして、足元に落ちていた大きな石を頭上に投げる。

 鎖に当たる。

すると鎖は千切れ、十字架がエレンに向かって落ちて行く。

エレンに当たる寸前の所で、エレンは十字架の長い部分を右手で掴み、落ちてくる勢いを使い短い部分を左斜め上に向けて大きく振り回す。

衝撃を横に逃がすと共に、威嚇も込めているのだろう。

「ウチと本気で戦おうじゃないか」

 十字架をサツキに向けて挑発をする。

 何故かノリノリである。

「十字架平気なんだ」

 サツキは呑気である。

 彼女ならあれくらいの芸当は出来るからな。

「そっちがその気なら、マコトの分の仕返しをしてあげるよ」

 サツキも両手を握り、臨戦態勢を取っている。

こっちも何故かノリノリである。

 なんでこんな事になったのだろう。

 ノゾミとタマさんはいつの間にか端の方に座っており、この戦いを観戦する準備ができているし……。

 ……俺の怪我を忘れられている気がする。

「久々に血が騒ぐね」

 そう言いながらエレンはサツキに向かって行く。

 肩に十字架を担いだまま走っているが、速い。

 サツキは動かない。

「サツキは強いよ」とか言っている。

 エレンは走りながら十字架を持ち上げる。

「どれ程の物か見せてくれよ」

 彼女はサツキの数メートル前で止まり、サツキに向かって十字架を振り降ろす。

 彼女がそれを軽々しく振る為「発泡スチロールで出来ているのでは?」と思ってしまう。

 小柄なサツキが巨大な十字架を左手だけで軽々と受け止めた。

 風圧でサツキの髪が揺れ、襲撃で足元の床が砕ける。

「これで本気なの?」

 サツキは溜め息を吐く。

 ……俺の溜め息癖がうつったのかな。

「本気」

 エレンはそう言い、いつの間にか左手に握られていた剣でサツキの首元を切りつける。

 それに気づいたサツキは後ろへ跳ぶ。

 だが、十字架を受け止めていた左手に当たり血が流れる。

「サツキ!」

 俺は叫んでしまう。

「腕は切れてないよね……」

 サツキは独り言を言った後、俺に向かって「大丈夫だよ~」と言いながら左手を振る。

「アンタみたいに力任せじゃないの」

 エレンは勝ち誇った様な口調で言う。

「それがそっちの本気って事だね」

 サツキは楽しそうに笑っている。

「何が可笑しい?」

「そのセリフ、敗北フラグだよ」

 サツキはそう言うと、一度の跳躍でエレンの後ろに跳ぶ。

 エレンが振り向く。

 サツキが再び跳躍をする。

今度はエレンに向かって。

 エレンは剣を捨て、十字架を両手で持ち自分の前に出す。

 盾として使う気であろう。

「それ邪魔だよ」

それに向かって、サツキは右手で殴る。

十字架にヒビが入る。

「もう一発!」

 今度は左手で殴る。

 十字架が砕ける。

「残念だったな。ウチに拳は届かなかったな」

「それも敗北フラグだよ」

 サツキはエレンの両手を掴み、エレンの腹部に蹴りを入れる。

 それと同時に両手を離す。

エレンが吹き飛び、再び壁にぶつかる。

今度は壁にめり込んだ。

「死なない程度にやったからね」

 そう一言言うとこちらを向いて左手でVサインを出した。

「何が良かったのだろ?」「左手は大丈夫だろ」という考えが俺の脳裏によぎる。

 だが、面白かったし、いいか。

「まだ負けて無い」

 壁画となったエレンが壁から出てくる。

「エレン。もう終わりにしな」

 タマさんが言う。

「何でだ!?」

 エレンが怒鳴る。

「余が帰りたいから」

 なんたる自己中。

「んな理由で負けを認められるか! これじゃ『炎竜』の名が廃るよ!」

 エレンがタマさんに歩み寄って言う。

「『炎竜』って……」

 サツキが硬直する。

「ウチの通り名を知っているのか?」

「知らない」と即答するサツキ。

「紛らわしい事するな。期待しちゃっただろ」

 エレンは怒り半分、落ち込み半分って感じだ。

「だって……二、三十年前にサツキの事を退治しに来た人達で自分の事をかっこつけて、異名で名乗ってたのは弱かったから、思い出し笑いしそうになったからさ~」

 サツキは笑いを一生懸命堪えている。

 ちなみにサツキはあれでも三百歳前後だからな。

 人間の年齢に換算すれば十六歳前後だが。

「確かに自称だが……笑うな!」

 エレンは叫ぶ。

 その後、何かに気付いて彼女は考え込む。

「……って、ちょっと待て、ここ五百年で退治されるほどのドラゴンは一匹しか知らないけど」

 ドラゴンは乱獲によって絶滅危惧種となった為、基本は駆除や狩猟したりしてはいけないらしい。

 今の世界に住む俺には分からないが。

 人が語り継がない所で色々あったのだろう。

「サツキだけだね」

「絵空事と思っていたが本当に居たとは……」

「ちゃーんとここにいるよ。因みに嘘じゃないからね」

「信じるよ」と言い、エレンは溜め息を吐く。

「なんでアンタは駆除される事になった?」

「国を滅ぼしたりしたしね~。全てはサツキのお母さん、お父さん、友達を殺し、剝製にした人間への報復をしたからだよ」

 サツキは笑顔で言う。

 今の世界に住んでいて、なお且つ人間である俺に親や友達を剝製にされる気分など分からない。

 でも、彼女が怒りや、悲しみを堪えているのが俺には分かる。

 ……発狂してもいい位の。

「そんなアンタが何で人間と居る?」

「色々有ったの」

サツキはこちらを見て「ね~」と言う。

そう言われても対応に困る。

「色々有ったのか」

 納得した様だ。

 彼女も『色々』有るのだろう。

「御ふざけも済んだ所で、余に話をさせな」

 タマさんがエレンの前に行く。

「ふざけて無い」と彼女は叫ぶ。

タマさんは「はい。これ」と言い日本酒を渡す。

「どうも。タマちゃん」

 エレンはお辞儀をする。

 彼女の髪が優雅に靡く。

「余のアパートに戻らないか?」

「なんで?」

「お前さんが住んでいた所は壊れちゃったみたいだからな」

 この教会はサツキとエレンの所為で住めないぐらいボロボロである。

エレンは「アンタね~」と唸る。

「原因を作ったのはお前さん」

「前回来た時に『次はお手合わせしましょうね』って言ったのはタマちゃんだろ」

「そうだったかな?」

 見た感じタマさんは惚けている。

「この為だったのかよ~。……この女狐め」

「女狐で結構。結構」

 タマさんは嫌らしい笑みを浮かべている。

「それでお前さんは戻って来るのか?」

 エレンは少し考え込む。

「戻るよ。アンタの所為でここがボロボロだし」

「そう、それでいい」

 タマさんとエレンは揃って教会を出て行く。

俺達も出て行く。

そして俺達全員は車に乗り込む。

今度はノゾミが助手席に座り、三人が後部座席へ乗り込む。

「教会はあのままで良いんですか?」

 俺はエレンに聞く。

「元々廃墟みたいなものだったからいい」

 それを聞き、車を走らせる。

 来た道を覚えている為、帰りは案内無しで大丈夫だ。

 だが、もしもの場合は完璧に道を覚えているノゾミに頼る。

「エレンって昔私達が住んでいるアパートに居たの?」

 サツキが隣に座っているエレンに聞く。

「幼い時ね」

「何で今の所に引っ越したの?」

「色々有ったの」

 エレンはサツキの真似をする。

「三十年近くも前の話だし覚えて無いね」

「エレンって何歳なの?」

「四十一。人間に換算すれば二十歳そこそこ」

「そうなんだ~」

 後ろではそんな話をしている。

 真横を見ると不機嫌である。

 俺以外では無表情にしか見えないだろうが、俺には分かる。

「ノゾミ。どうした」

「別にどうもしていないですよ」

「その割には不機嫌そうだが」

「ボクなんて空気同然ですから気にしなくていいですよ」

「さっきの教会で全く相手にされていなかったからか」

 確かにノゾミは特に何もしていない。

「ボクが何もしていなかったのが原因ですからいいですよ」

「そのくらい良いじゃないか。俺なんて怪我したのに誰も処置してくれなかったしね」

 嫌味を込めて言う。

 車内が数秒間静かになる。

「だって、マコトを傷つけたエレンが憎かったから。元凶を取り除かないと」

「サツキの事が気がかりで……。キミに気が回らなくてすみません」

「大丈夫だったか? アンタに怪我させるつもりは無かった」

「その位の怪我大丈夫だ。そんなの処置する必要は無い」

 四人四種の答えが返って来た。

「いいよ」とだけ俺は答える。

 そんなに深い傷では無いしな。

「本当に許してくれる?」

 サツキが聞いて来る。

「俺は基本、嘘はつかないだろ」

「でも……」

「マコトがいいって言っているならいいだろ」

 タマさんが言う。

「うん……分かった」

 サツキは暗い口調で答えた。

 

いつの間にかアパートの近くまでやって来ていた。

俺とノゾミ以外は寝ている。

「想像もしてない依頼来ましたね」

 ノゾミが俺に言う。

「タマさんの依頼とは言え、まさか人間ではないなんてね。しかも、あんな戦いになってしまうなんて」

 彼女のそれを聞いて鼻で笑ってしまう。

「何が可笑しいのですか?」

「俺はそこよりも、元アパートの住人をまた住まわせるための依頼だった所が驚きだよ。日本酒を頼んだ人物の素性が分からないなんて嘘ついて依頼しに来たしね」

「しかし、普通じゃあんな事は在り得ませんよ」

「でも俺達は普通じゃ無いだろ。だからそんなのファンタジー小説に魔法が出てくるぐらいの驚きだよ」

「ならキミの驚きと言うのはどの位の驚きの事を言うのですか?」

「そうだな、実は主人公が悪の帝王だったぐらいの驚きかな」

「微妙な説明ですね。先ほどはまあまあ良かったのに」

 俺も今の説明は微妙だと思った。

「ボクはあの日本酒が高価な物で、それを狙うブローカーとカーチェイスするとか思っていました」

「映画の見過ぎじゃないのか。あと夢見過ぎ」

「酷いですね。夢は見ても良いじゃないですか」

「俺は良い場合も悪い場合も有ると思う」

 淡々と答える。

「マコトはどのくらい想像が当たっていました?」

「想像して無い」と即答する。

「そうですか」と淡々とした声が返って来る。

「基本、想像は当たらないからな。だから現実は物語よりも面白い」

 俺は口を押さえて笑う。

「面白い……ですか……」

 ノゾミは黙り込む。

「俺をバカにしているのか?」

「いいえ。違います。ちょっと引っかかる事が有っただけです」

「引っかかる事って何だ?」

「色々です」

「サツキの真似か?」

 ノゾミは頷く。

「少しアレンジしました」

 俺は口を押さえて笑う。

「それ止めた方がいいですよ」

 彼女が指摘した。


 そんな会話をしているうちにアパートに着いた。

 車のエンジンが切れた事で、着いた事に気付きタマさんとエレンは起きる。

 サツキはまだ寝ている。

「帰って来たよ。起きな」

 エレンが寝ている彼女を揺さぶるが起きない。

「先に降りていいですよ」

 俺が後ろの二人に言う。

「まあ、そのままでも大丈夫だろう」

「そうだね。タマちゃん」

 そう言って二人は車から下りて行く。

「お前さんが出て行った時と少し変わっているから、余の部屋で説明する」

「分かった。タマちゃん」

 二人はタマさんの部屋に入って行った。

「運ぶか」

「そうですね」

 俺とノゾミは降り、後部座席のサツキを二人で協力して、俺におんぶさせる。

 そして、ノゾミはドアを閉める。

 サツキは寝息を立てている。

「まきょと~。遊ぼ~」

 寝言の様だ。

 可愛い奴。

「部屋でこのまま寝かせるか」

「それがいいですね」

 部屋の前に着くと、部屋のドアをノゾミが開けた。

 中に入り、寝室に行く。

布団が敷きっぱなしであった。

そう言えば仕舞うのを忘れていたな。

サツキを布団に寝かせ、優しく布団を掛ける。

俺は音を立てないように寝室を出る。

「今、何時だ?」

「十二時十分ですね。昼食は何に致しますか?」

「待つのが面倒だからカップメンがいい」

「殆ど昼食はカップラーメンじゃないですか。健康に気を使って下さいよ」

「面倒」と即答し、「で、有る?」と聞く。

 ノゾミは首を横に振る。

「昨日の昼食の分で貯蓄していたのは最後です」

 サイフがポケットに入っている事を確認する。

「ちょっとコンビニに行って来る。買う物は有る?」

「無いですね。気を付けて行って来て下さい」

「なら行ってくる。あと、今日は自転車じゃなく徒歩で行くから」

 俺はそう言い、出かける。

最寄りのコンビニはここから数百メートル離れた所に有る。

いつもは自転車で行っているが今日は徒歩で行きたくなったから徒歩で行く。

人通りの少ない商店街を歩いて行く。

実際、少ないどころでは無く、居ない。

周りを見ると全ての店が閉店している。

数年前に出来た大型ショッピングモールに客を取られて行き、全ての店が閉店になった。

途中、そこの脇道のゴミ捨て場に捨てて有る物に目を奪われた。

それはゴミ捨て場に捨てて有るのでは無かった。

それはゴミでは無いからだ。

大量のゴミ袋に半分以上埋まっている人間であった。

自転車で来ていたら見逃していただろう。

俺は無言でゴミ袋を退ける。

退けて見ると、制服を着た女子高校生と言う事が分かった。

泥だらけで汚れており、胴と両腕を、両足同士をビニールテープで縛られており、口にはガムテープが張られていた。

眼は虚ろ。

顔には涙痕が残っている。

「何しているんだ?」

 口に貼って有るガムテープを痛くないようにゆっくりと剥がす。

 彼女はこちらを見るだけで返事は帰って来ない。

 呼吸はしているし、生きているだろう。

「聞こえるかどうかとして、喋れるんだろ。喋れなきゃ口にガムテープなんて貼られないだろ」

 彼女の足を縛っている紐を解く。

 かなり固く結んであったので解くのが大変だった。

彼女をゴミの中から出し、立ち上がらせる。

突然、彼女の腕を縛っていたビニールテープが切れ、右手を俺の胸目掛けて振った。

その右手には大きなガラスの破片が握られている。

ゴミ捨て場に落ちていたのだろう。

 ガラスの破片を握りしめていた為か、彼女の右手は血で赤く染まっている。

 だが、見た感じ深い傷は無い様だ。

「自分で解ける、いや、切れるなら最初からそうしろよ」

 俺は溜め息を吐く。

「俺の苦労が無駄だろ」

 自分の左腕に刺さっているガラスの破片を見る。

 本日二度目の出血だ。

 血がガラスの破片を伝い、滴り落ちる。

 これこそ出血大サービス?

 右手で口を押さえる。

「何を笑っているの」

 俺に寄りかかっている彼女が言う。

「笑っているのがバレたか。これこそ出血大サービスみたいな。下らないなと思って」

 口を押さえて俺は笑う。

「それと、お前、綺麗な声だな」

 エレンよりも綺麗な声だ。

「私をバカにしているの? 本当は笑っているのは無様な私の事でしょ」

「そう思っても結構。まあ、そう思う気持ちも分からなくないけどな」

「あなたなんかに私の何が分かるの!」

 今度は左手が俺の胸を狙う。

 ガラスの破片を持っている。

 先ほどよりも大きい。

 右手で受け止める。

 受け止めると言うより手の平を貫通した。

「ごめん。俺もそんな事よく思っているから、つい」

 右手に刺さったガラスからも血が滴り落ちる。

「あなた痛くないの?」

 彼女は怪訝な表情をする。

「尋常じゃ無く痛いよ」

 淡々と答える。

「ならなんでそんな無表情なの?」

 俺は溜め息を吐く。

 説明するのが面倒だ。

「他人に弱みは見せたくないし、痛がったって痛いのは取れないだろ」

「でも、痛がれば他人に心配してもらえるでしょ」

「確かにそうだな。全然そんな事思いつかなかったな。痛がっても今まで一度も心配された事無いし。むしろ余計にやられるからな」

 口を押さえられない為、鼻で笑う。

「やられるって?」

 彼女はガラスから手を離す。

「今のお前みたいなのを。お前は自分からやったのかも知れないけどな。そこは俺が知る所では無いし」

「自分からやるわけ無い!」

 彼女は怒鳴る。

 俺は鼻で笑う。

 つもりだったが途中で我慢できず口を開き笑ってしまう。

 ガラスが当たらないように右手で口を押さえる。

「何が可笑しい!」

 彼女が怒鳴る。

「元気いいな。お前みたいな奴は好きだぜ」

彼女は口を開き唖然とする。

反論しようと思ったが、何も言えず固まった。

「私を馬鹿にしないで!」

 彼女は骨だけの傘を拾い、振り回す。

 後ろに跳び、避ける。

これ以上怪我して死んだらアイツ達に迷惑だしな。

「もう俺の手助けは要らないだろ。無駄なお節介悪かったな」

 俺はそう言うと彼女に背を向けて離れて行く。

 途中で立ち止まり、彼女の方を向く。

「良く考えたら、ある場所が我慢できないほど痛い」

 彼女は傘を下ろし、怪訝な表情を浮かべている。

「心が痛い。感情を表せないほどね」

 俺はそう言うとそこから立ち去った。


 コンビニには行かずアパートに戻った。

 このままコンビニ行く奴の気がしれないが。

 タマさんの部屋の前に行く。

 開けようとするが、両手が上がらない。

 立っているのも限界である。

 俺はドアに向かって倒れる。

その時、ドアが開いた。

「何して……」

 俺はタマさんの胸の中に入った様だ。

「お前さんどうした!?」

 タマさんはそう言いながら俺を部屋の中へ運ぶ。

「ど、どうしたの?」

 エレンは自体が理解できす、動揺している。

「分からん」

 タマさんはそう言うと俺を奥の部屋へ運んで行く。

 そこに置いて有る机の上に俺を寝かせる。

「余の目を見ろ」

 俺は指示通りタマさんの目を見る。

 タマさんの目が獣の目になっていた。

 そこで俺は意識が途切れた。


 意識が戻った時には、両手に包帯が巻かれていた。

「あれ……?」と俺は間抜けな声を出してしまう。

「起きたか」

 その声の方を見るとタマさんが椅子に座っていた。

 隣にはノゾミが居た。

「急を要したので妖術で眠らせた」

 タマさんはそう言うと立ち上がり、近くに有る机の上から何かを取る。

 左腕と右手に刺さっていたガラスだ。

「きちんと取り除いて処置をした。まあ、傷を癒したが完治はしていないからな」

 そう言うとガラスを置き、俺を起こした。

「何が有ったか余とノゾミに説明をしな」

 俺は有った事を説明する。

「そうか。お前さんらしいな」

 ノゾミが俺に寄って来る。

 そして、俺の頬を叩いた。

「自分を大切にしなさい」

 ノゾミが感情を露にしている。

 珍しい事だ。

「すまない」

 そんな彼女を見て謝る。

だが「だが直すつもりは無い。これが正しいのだから」と続けて言う。

 ノゾミは俺を一瞥し、息を吐く。

「すみません。迷惑をかけて」

 ノゾミが俺の方を向きながら言う。

 俺の後ろにいるタマさんに言っているのだろう。

「いいって。腕が取れても持ってくればくっ付けてやるから」

 タマさんは笑う。

 本当に取れたら持って行くか。

「有り難う御座いました」

 俺はノゾミに連れられて部屋を出て行く。

 俺達は自分の部屋に戻る。

もう、七時である。

サツキはまだ寝ている。

よほど疲れているのだろうか。

寝過ぎで少し心配になって来る。

「今日の功績からして一緒に風呂入っても良かったんだけどな」

「治るまで両腕が使えないのだし、明日一緒に入って洗って貰えば良いじゃないですか」

「俺は一緒に入りたくないんだよ」

「サツキは入りたいのですよ」

 彼女は優しく言う。

 だがどこか寂しそうだ。

「だが……俺はまだお前たちの事を信用していないし」

「疑っていてもけっこうですよ。ボク達の事を信じてくれるまで待ちますから」

 俺は無言。

「ボクとサツキにはキミしかいないのだから裏切らないよ」

「信用していないからそんな事を言っても無駄」

 冷たく言い放つ。

 だがノゾミは笑顔である。

 俺は――その笑顔が悲しそうに見えた。

「マコトとお風呂入って無い!」

 そう言いながらサツキが起きて来た。

サツキは両腕の包帯と血だらけの服を見て一言。

「何が有った~!?」

 サツキが驚愕な表情を浮かべる。

漫画ならホラー漫画風な画風で描かれていそうな表情だ。

絶対描かれていると思うが。

説明面倒だな。それと、例えが微妙だったかも。


サツキには簡単に説明をした。

彼女にはあんまり話したくなかった。

その女子高生を殺しに行ったら困るからだ。

「つまり『それ』を殺せば万事解決だね」と話を勝手に完結された。

「どこらへんが万事解決なんだよ」

笑顔で「復讐するあたり」と彼女が言う。

 羨ましいな。

「俺もお前みたいに笑えたらな……」と俺は独り言を言ってしまう。

 サツキは表情を曇らせる。

「ごめんね。マコト」

「謝る必要は無いよ」

サツキの頭を撫でる。

「きちんと注意しなさい」

 ノゾミが俺に向かって言う。

「殺すときは証拠を残すなよ」

「は~い」

 サツキは元気よく返事する。

ノゾミがこちらを睨む。

「冗談だよ。復讐なんてさせるつもりは無いよ」

 口を押さえ笑う。

「キミが言うと冗談に聞こえないのですからやめて下さい。するならもっと穏便な冗談をして下さい」

「嫌だね」と即答。

 ノゾミは溜め息を吐く。

 彼女が人間では無いのを忘れてしまうほど人間臭い。

 実際、忘れていた。

「何、その溜め息」とノゾミに聞いてしまう。

「相変わらず我が儘ですねって事です」

 失礼な。

「お前たちにしか我が儘言えないんだしいいだろ」

「いいよ~」

「良いですよ」

二人は同時に答える。

「ならいいだろ」

 その後、特に何も無く一日が終わった。

 ちなみに、約束通りにサツキと一緒にお風呂に入った。

 俺が話をするほどの事は無かった。


 今日は珍しくサツキに起こされた。

「嫌な予感がする」

「起きて最初にそれはないよ」

 サツキがしょんぼりする。

「俺の勘は天気予報より当たるんだろ?」

「マコトの勘はもっと的中率有るって。今日の天気はどうなると思う?」

 褒められた。

 ついでに天気を聞かれた。

 窓の外を見る。

 曇っている。

「昼間はこのままの天気で、夕方から晴れるんじゃないかな」

 勘で言っているだけなので的中するとは思っていない。

「さっきテレビ見たら、天気予報では一日中曇りだって」

 俺は「そうか」と答え、布団から抜け出す。

「おはよう」

 そして朝の挨拶をした。

「おっはよ~」

 サツキは元気よく返事をする。

 布団を片づけ、洗面所に行くのに台所を通るとノゾミが料理をしていた。

「おはよう」

「おっはよ~」

 俺とサツキが言う。

「おはようございます」

 ノゾミがこちらを向いて言う。

俺は台所を通り過ぎ、洗面所で顔を洗おう――と思ったが両手の包帯を濡らす訳にはいかないので、タオルを濡らし、顔を拭く。

鏡を見る。

 今日は寝癖がついていない。

 鏡越しに俺を見ているサツキが見える。

 振り向き、サツキを見る。

「何?」

「いや。なんでもない」

 サツキは首を横に振ると、笑顔でそう答えた。

「ならいいが」

 その時、インターホンが鳴った。

「手が離せないからマコトかサツキ出て下さい」

 台所からそんな声が聞こえた。

 俺は玄関に向かう。

 俺の後ろをサツキが付いて来る。

 服装は寝起きのままだが、どうせタマさんだろうし問題は無い。

 玄関のドアを開けると、赤髪の女性が居た。

 包装紙に包まれた大きな箱を二つ持っている。

「エレン……さん?」

 予想と違っていたので一瞬戸惑う。

とりあえず「おはようございます」と挨拶する。

「おはよう。さん付けなくていいよ。友達感覚で良いよ」

 彼女は笑う。

「何の用です?」

「一階の右から二番目に住む事になったから。あとつまらない物ですが」

 包装紙に包まれた箱を俺に渡す。

「これからどうぞよろしくお願いします」

 エレンは軽く頭を下げる。

「こちらこそよろしくお願いします」

 俺も軽く頭を下げる。

「よろしく~」

 後ろの方からそんな声が聞こえた。

「すまないね。こんな朝から」

「いいですよ。それと、これありがとうございます」

「いいよ。迷惑かけたお詫びを兼ねているから。じゃあね」

 俺はドアをさっさと閉める。

「さ~て、ここの隣の奴にも挨拶しなきゃな」

 ドアが閉まる直前にエレンはそんな事を言った。

「え? 隣は空き部屋では?」

 ドアを開けて聞く。

「タマちゃんが言うにはちゃんと住んでいるよ。アンタが来る前から」

 ここに住んで数年が経つが、隣に住んで居る事を初めて知った。

 俺達以外にも住人が居る事を知ったのは一昨日だが。

「隣に住んでいるんですか?」

 彼女は怪訝そうな顔をする。

「住んでいるはず。大抵の連中には分からなくても、アンタの勘なら分かる……」

 そこで彼女は言葉を濁して、少し考え込む。

「どうしたんですか」

「もしかしてアンタ隣に居る存在を感じているけど住人として認識していないんじゃ?」

 サツキは「?」って顔をしている。

彼女が何を言っているのか分かった。

「もしかして『あの子』住人なんですか? てっきり幽霊かと……。サツキとノゾミは見えて無いみたいだし……」

「『あの子』って何? サツキに秘密の友達? つまり食べて良いの?」

 サツキが俺の左肩を右手で掴み、虚ろな目で覗き込んで来る。

「友達では無いよ。もちろん恋人でも。見かけただけ。あと、食べるのは無理だと思う」

 サツキにそう言い聞かせ、エレンの答えを待つ。

「『あの子』って言っているし、ちゃんと認識しているようだな。そう、住人だよ」

 エレンは頷く。

「タマさん。エレン。俺。サツキ。ノゾミ。『あの子』。それで住人全部ですよね」

 俺はちょっと不安になって来た。

「多分そうだと思うけど。そう言う事はタマちゃんに聞いて。それじゃ」

 エレンはそう言うと、隣の部屋の前に行った。

インターホンを押した。

 数秒後、ドアが開いた。

 驚愕。

 本当に住んでいたのか……?

 半信半疑である。

 ドアの所為で住人が見えない。

 本当に『あの子』が住人なのかが気になる。

 するとエレンは何も話さずに中に入り、出て来た。

 手に持っていた箱が無くなっている。

 そして、ドアが閉まった。

 エレンが住人と話をした様子は無い。

 彼女はこちらを向く。

彼女の顔が蒼白になっている。

 足が震えている。

 金魚みたいに口をパクパクしている。

 動けないから、来て欲しいのだろう。

 俺は部屋を出て、エレンに近付く。

 まだサツキは俺の左肩を掴んでいる。

 左肩の感覚が無くなって来たぞ……。

「ま……マコト……」

 声が震えている。

「サツキ。エレンを怪我させない程度に殴れ」

 サツキは即行動した。

 躊躇無く、エレンの顔面を『グー』で殴った。

 エレンは倒れる。

「何するのよ!」

 エレンは起き上がる。

「どうした?」

「アンタが指示させたんじゃないのよ!」

 エレンは怒鳴る。

「そっちじゃなくて。ここの住人」

「ドアが開いたけど誰もいなくて、とりあえず中に贈り物置いたら『ありがとう』って声が聞こえて勝手にドアが閉まっ……た……」

 そう言うと、また蒼白になり震えだす。

 今度はしゃがみ込む。

「もしかしてお前、幽霊とかそう言う系苦手か?」

 エレンは震えながら、こちらを向いて何回も頷く。

 今にも泣きだしそうだ。

「……お前、ヴァンパイアはともかく、本当に元殺し屋か?」と聞きたいぐらいだが、そう聞いたら泣き出すか怒り出しそうなのでやめておく。

「エレンって本当にヴァンパイア? しかも元殺し屋なの?」

 どこかのワイバーンが聞きやがったよ。

 エレンは立ち上がり、サツキの胸倉を掴む。

「本当だ! アンタみたいなペットとは違う!」

 サツキの胸倉を掴んでいる手が震えている。

「マコトのペットならサツキは喜んでなるよ」

 サツキは一呼吸を置き、話を続ける。

「でもそうやって強がっているだけでしょ」

 強く冷たく言い放つ。

「つ、ちゅおがってなんかいない!」

 噛んでいるし、強がっているのは見え見えだ。

「あんな、ゆ、幽霊なんかホントは怖くないし」

 声が震え、目がウルウルしてきた。

「……本当だもん」

 しまいには泣き出した。

 そしてまたうずくまる。

「信じてあげるから泣かないで」

 俺は優しくエレンの頭を撫でる。

「サツキ」

 俺は一言『普通に』そう言う。

 決して感情なんか込めて無い。

「……ご、ごめ、んなさい」

 そう言う声が聞こえると同時に走り去る音が聞こえた。

次に庭に何かが落ちる音が聞こえ。

そしてそこから走り去る音が聞こえた。

振り向くと、サツキはいなくなっていた。

分かってはいたが。

「自分の部屋に帰る?」

 エレンは首を横に振り、震えた声で「怖……暇だからマコトの部屋に行く」と言った。

 エレンを立ち上がらせ、一緒に俺の部屋に行く。

 その時、隣の部屋のドアが目に入った。

 それを見て、悪さなど何もしていないのにここまで怖がられる『あの子』が可哀想だなと思った。

 

俺はパジャマから私服に着替え、朝食を食べた。

包帯を巻いている為、腕を動かし難かったがノゾミが手伝ってくれたおかげで何とか食べる事が出来た。

サツキが『何故か』いなくなってしまったので、サツキの分の朝食はエレンが食べた。

 食べ終わる頃にはエレンは本来の調子を取り戻し、元気になっていた。

「ノゾミの料理美味しかったよ」

「有り難う御座います」

「ノゾミはいいお嫁さんになるよ」

 ノゾミはそれを聞いて微笑む。

「ボクはおそらく一生なりませんけどね」

「どうして?」

「ボクにはマコトがいますから」

 満面の笑みでノゾミが答えた。

 エレンは不思議そうな顔をする。

「事情は、色々です」

 『色々です』はノゾミの代名詞になりそうだ。

 事情と言うのは自分が人間ではないとかそういう事では無いだろう。

 ノゾミの心の事情だろう。

「色々ねぇ」

 エレンは不敵な笑みを浮かべる。

「そういえばエレンは家賃払えるのか? 働いて無いだろ?」

 俺はそんな彼女を見て言う。

「今は払えない。アンタが言う通り、働いて無いから。家賃を払えなくなったからここを出て行ったの」

「どうするのですか?」とノゾミが聞く。

「タマちゃんが『余が連れて来たのだから、払わなくて良い』って言っていたけど、払わないのもタマちゃんに悪いから」

「俺達の店で必要になった時に日雇いで雇うか?」

「是非そうして貰いたいな。アルバイトとかやるつもりだから被ったら無理だけど」

「履歴書を書くのに大丈夫なのか?」

 人間では無い彼女は本当の事は書けない。

 人間と殆ど変わりがないのなら大丈夫だが、彼女はこの見た目で五十歳を過ぎている。

 ……どう見ても二十代だ。

「ウチも人間じゃないけどタマちゃんと同じでちゃんと戸籍有るよ。免許も色々取得しているよ。歳と生まれた年だけは随時、タマちゃんに誤魔化して貰っているの」

 タマさんが戸籍有るのを初めて知った。

 エレンは部屋に掛けて有る時計を見る。

 俺もつられて見る。

 短い針が八時を指している。

「それじゃあ帰るかな。迷惑かけてすみませんね」

 エレンは立ち上がる。

「このくらい迷惑じゃありませんよ。下まで送りますよ」

 俺も立ち上がり言う。

「大丈夫ですよ」

「本当に?」とエレンの目を見て言う。

 彼女は俺から目をそらす。

「ほ、本当だ。大丈夫だ」

 ……大丈夫ではなさそうだ。

「サツキを探しに行かなきゃならないので、そのついでだから気になさらずに」

「それなら仕方ないな」と言った後、エレンが小さく息を吐いたのを俺は見逃さなかった。

 俺とエレンは部屋を出て、隣の部屋の前を通る。

 通る時にエレンが挙動不審になっていたが、「大丈夫だよ」と言ったら少しは落ち着いた様だ。

 階段を下りている時に俺はある事に気付いた。

 俺達の店の前でうろうろしている人物が見えたのだ。

 頭しか見えなかったので、詳細は分からないがお客の可能性も有る。

 便利屋の開店は十時からではあるが、知らないで来た可能性も有る。

 ……知っている人なんていないと思うが。

 ……ロクな宣伝していないからな。

 外で待たせるのも悪いし、帰ってしまう可能性も有る。

 俺はエレンを送った後、店の方に行く。

 十七~八くらいの女の子が店の前に立っていた。

「開店は十時からですよ」と俺は近付き、背後から声をかける。

 彼女はこちらを振り向く。

 こないだの高校生だ。

 私服だが分かった。

 彼女が両手に包帯を巻いているおかげで。

「……あ、いた」

 彼女は驚きの表情でそんな声を漏らした。

「寒い中、すいません。お店の鍵を開けますから少しばかりお待していて下さい」

 一度アパートに戻り、店の鍵を持って来る。

 ノゾミには事情を説明し、家事が終わったら来るように言っておいた。

俺は裏口の鍵を開けて中に入り、中から店のドアを開く。

「こないだはすみませんでした」

 彼女は店に入ってすぐそう言い、大きく頭を下げる。

「あのくらい大丈夫ですよ。だから頭上げて下さい」

 彼女はゆっくり頭を上げる。

そして彼女をソファーに案内する。

彼女はソファーに座る。

俺は反対側のソファーに座る。

「この店の店主をしている、サクライ マコトです。よろしくお願いします」

 俺はお辞儀をする。

 彼女もお辞儀をする。

「私、ヒイロ コトリと言います。よろしくお願いします」

 彼女はお辞儀をする。

 俺もお辞儀をする。

「それで何か御用ですか?」

 営業スマイルで問いかける。

 そうする必要は無いのだが、素で話をするつもりも無いからな。

「確かに用はありますけど……。それより腕大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ」と即答する。

「そちらこそ大丈夫でしたか?」

「大丈夫です。深い傷では有りませんでしたから」

「それなら良かった」

 一呼吸置いた後、話をする。

「ちなみに、その事は警察に言っていないし、知り合いに治療して貰ったから君が俺に怪我させた事はこの店の店員ぐらいしか知らないから安心していいよ」

「なんでそこまで……? 私を警察に突き出してもいいぐらいなのに」

 溜め息を吐く。

「高校生の君には先が有るだろ。ここで躓かせるのも悪いし。俺の犠牲一つで君の過ちが消えるなら安いだろ」

 彼女は少し黙り込む。

「そこまで気遣って貰って……すみません……」

 彼女は涙目になる。

「それで、なんでここに来たの?」

 俺はそんな事を無視して聞く。


 彼女の話を聞くと、俺を探すために最近出来た便利屋に依頼しに来たようだ。

だが、その店主が俺と言う事を知らなかったらしい。

 知っているとは思ってはいないが……。

 この店が出来た事は広まっているらしい。

 嬉しい朗報だ。

 ただ、広まっているのに依頼が来ないと言う事は信頼されてないと言う事であろう。

 気軽に依頼し易くするのも必要だな。

「あの、聞いています?」

「すみません。ちょっと考え事していたもので」

 ちょっと考えに耽ってしまったな。

「聞いて無かったんですね……」

「すみません」

 俺は頭を下げる。

「いいですよ。頭を上げて下さい」

 頭を上げる。

「まだ開店の時間じゃないのにこうやってお店開けてくれたんですし、こちらこそすみません」

 彼女は頭を下げる。

「大丈夫ですよ。頭下げなくていいですよ」

 彼女は頭を上げる。

 その時、裏口からノゾミが入って来た。

「キミが、マコトが言っていた女子高生ですね。初めましてノゾミと言います」

 ノゾミはお辞儀をする。

「初めまして。私、コトリと言います。迷惑かけてすみませんでした」

 彼女は立ち上がり、ノゾミに向かって大きく頭を下げる。

「頭を上げていいですよ。マコトが怪我するのは日常茶飯事ですから」

「そうなんですか?」

 コトリは頭を上げて聞く。

「そうですよ。こないだも強打して気絶しました」

 冷蔵庫の話か。

「こないだのは俺の所為じゃない。サツキの所為だ」

 そう言えばサツキ帰って来ないな。

 今、帰ってきたら面倒になりそうだが。

 ……帰って来た場合に備えてサツキを止める準備をしておくか。

 コトリを殺さないにしても危害は加えるはずだろう。

 ヤキモチ妬きだからな。

「ノゾミ。サツキがそのうち帰って来るかもしれないから」

「了承しました」

そう言うとノゾミは小さく頷く。

俺の言いたい事が分かった様だ。

「で、依頼は無いんだろ?」

「え?」

「え? じゃなくて、俺を探すのが依頼だったんだから、もうその必要は無いんだから依頼は無いだろ」

「無いですけど……。遠まわしに「帰れ」って言っているの?」

 俺は答えない。

「依頼が無いと言う事はお客じゃないし、居たら迷惑ですよね」

 彼女は立ちあがる。

「依頼が必要な時は来ますから。迷惑かけてすみませんでした」

 頭を下げ、彼女は店を出て行った。

「ありがとうございました」ととりあえず言う。

「そんな事ばかりしていたらお客が来ませんよ」

「分かっている。ただ彼女の依頼は受けたく無かったから」

「そうやってお客を選んでいると……」

「違う」

ノゾミの声を遮る。

「コトリが頼もうとしていた依頼を受けたくなかった」

「でも、彼女は無いって言っていましたよ」

「俺の勘が当たっていれば嘘。彼女にはちゃんとした依頼が有った。俺を探していたなんて嘘だ」

「いくらキミの勘が鋭いからと言って、絶対的中する訳ではないですよ」

「俺の我儘と思っていいよ。実際そうだしな」

 俺はソファーにもたれかかり溜め息を吐く。

「あと、サツキが戻ってきてコトリを殺しちゃっても面倒だしな」

 ノゾミは奥の方に行く。

そして戻って来た時には、ノゾミの手の上にはお盆と湯呑みと急須が乗せて有った。

それが紅茶とポットだったらなんかの物語でよく居る執事である。

「サツキならやりかねないですからね」

 ノゾミは緑茶の入った湯呑みを俺の前に出す。

 そして急須の乗ったお盆を少し奥に置く。

 彼女は向かい側のソファーに座る。

「サツキは俺が仲良くする奴には激しく嫉妬するからな」

 湯呑を両手で持ち、緑茶を飲む。

「だけどボクには嫉妬しませんよ」

「俺がお前に好意を持ってない訳では無いから大丈夫」

 彼女は無言。意味が理解出来ていない様だ。

「サツキがお前に嫉妬しない理由はそれでは無いって事」

 今度は首を小さく傾げた。

「俺がお前に好意が無いから嫉妬されないと考えをして今落ち込んだから、そう言っただけ」

「落ち込んだ動きなんてしていませんよ」

「それは知らないけど。ただ、お前が落ち込んだのが分かっただけ。俺の勘違いなら流して貰っても構わない」

 俺は緑茶を飲む。

「勘違いじゃないですよ」

 ノゾミが優しく呟いた。

 俺は湯呑みをテーブルの上に置く。

「……んで、そこの不審者は何をしているんだ?」

 俺は独り言を言う。

 窓の外にいる人物に聞こえるように言う。

 その窓の方を見る。

 ノゾミも見る。

 窓の外の人物はしゃがんで隠れる。

 俺は一瞬目を疑った。

 誰かが居るのは分かっていたが、二人いるとは。

 しかも、サツキとコトリだ。

「ノゾミ」

「了承しました」

 そう言うと彼女は鈴を鳴らし、店を出て行く。

 俺は湯呑みに緑茶を注ぐ。

 外で物音が聞こえる。

 緑茶を飲む。

「マコトといい雰囲気になってちゃダメだよ」と言う怒鳴り声が聞こえる。

 数秒後、何かが壊れる音が聞こえた。

 それ以降、静かになった。

数分後――鈴が鳴り、ノゾミが入って来た。

続けてサツキとコトリが入って来る。

「コトリ。そっちに座っていいぞ」

反対側のソファーに座るように指示する。

「何か壊さなかったか?」

 俺は先程の音の正体を聞く。

「外に置きっぱなしになっていた箒だよ」

 ……何故それが壊れたのか気になるが聞かないでおこう。

「で、コトリは何しに戻って来た?」

 コトリの方を向いて言う。

「頼む事が有ったから戻って来たの」

俺は「そうか」と呟いた後、「サツキ。ノゾミ」と言う。

するとノゾミはソファーの後ろに立ち、サツキはソファーの左側に座る。

そして俺は「どんな依頼ですか?」と営業スマイルで答える。

彼女は俺達の態度の急変に戸惑っている。

「落ち着いてからでけっこうですよ」

 コトリは深呼吸をする。

「私の宝物を取り返して欲しいの。キツネの形をしたキーホルダーだけど、友達に取られちゃって……」

 彼女は俯く。

「キツネのキーホルダーが宝物なんていい趣味しているな」

「仕事中ですよ」

 ノゾミの声が聞こえた。

「とても大切な物なんです」

「とりあえずどんな形なのか紙に書いてもらっていいかな」

 ノゾミに視線を移す。

 彼女はそれに応えて、紙とペンをデスクから持って来てコトリの前に出す。

 コトリはペンを握り、絵を描いていく。

「キーホルダーを取り返す仕事引き受けて大丈夫なのですか? 難しい依頼だと思いますよ」

 ノゾミは俺の耳元で囁く。

「受けるか受けないかはまだ決めて無い。内容次第だ」

 それはノゾミの方を向かずに小声で答える。

「出来ました」

 コトリは紙をこちらへ出す。

「絵上手だな」

 俺はそれを手に取って言う。

彼女は「ありがとうございます」と返事をする。

「それで、これを誰から取り返すのですか?」

 彼女は俯いてしまう。

「クラスメイト……」と言ったのがかすかに聞こえた。

「もっと詳しい情報は無いかな?」

 優しく問う。

「誰が持っているか分からないんで……」

 俺は少し考える。

「ならクラスメイトが分かる写真とか有るといいんだけど」

「柊女学院高等学校の三年B組で……写真は持って来ています」

 彼女はポケットから封筒を取り出し、俺に渡す。

 中身を取り出して見てみると集合写真である。

修学旅行先で撮った写真の様だ。

場所は分からないが日本では無さそうだ。

 生徒の中にコトリを見つけた。

 他の生徒の様に楽しそうでは無い。

「ざっと見て四十人か」

 この中の人物からキーホルダーを取り返すのか。

見ず知らずの俺達じゃ交渉するのもキツイな。

「都合により退学した人がいて今は少し減っています。ちょっと貸して下さい」

 コトリに写真を渡す。

彼女はペンで顔の所に×を付けて行く。

「それに書いちゃっていいのか?」

「いいんです」

 彼女は冷たく言い放った。

「今居るのはこんな感じです」

 再び俺に写真を渡す。

 先ほどと人数に殆ど変わりは無い。

 俺は少しの間考え込む。

「すまないけれど、無理かな。見ず知らずの俺達がキーホルダーを取り返すのは難しい。なるべく平和的に取り返したいから」

「そうですか……。すみません無理を言って」

 彼女は頭を下げる。

「だけど、俺自身の好意ではやってやるよ。その代わり取り返せない場合が有るから」

「ならお金は……」

「俺の好意でやるんだからお金は要らないよ」

「その代わり取り返せない場合が有るんですよね……」

 彼女は不安そうな表情でこちらを見る。

「取り返せない場合が有るって言ったけど、よほどの事が無い限り時間はかかってもちゃんと取り返すよ。約束するよ」

 コトリの目が潤う。

「ありがとうございます!」

 彼女はテーブルに当たりそうなぐらい頭を下げる。

「タダ働きする気ですか?」

 ノゾミに引っ張られる。

「依頼が成功する可能性はかなり低い。それでお金を取るのは悪い」

「失敗したら代金を返すようにすれば良いじゃないですか」

「……本当の所、彼女の力になりたいから。便利屋としてではなくマコトとして」

 俺はノゾミにそう呟く。

「サツキも力になりたいしそれでいいよ」

 サツキにも聞こえていた様だ。

「仕方ないですね」

 ノゾミがやれやれと言う感じで答える。

「それで……依頼は無いんですが、今少しの間ここに居てもいいですか?」

 コトリが俺に向かって言って来た。

「どうせお客来ないしいいよ」

 俺はソファーに踏ん反り返る。

「耳に痛い言葉ですね」

 ノゾミが呟く。

「で、お前に連絡する事が有ると思うから電話番号かメールアドレス教えてくれ。俺に教えるのが嫌ならいいけど」

 俺はポケットから携帯を取り出す。

 鍵を取りに戻った時に一緒に持って来て良かった。

 店に居る時は店の電話を使うし、依頼人の連絡先は紙に書かせるから携帯電話の必要性は無いからな。

「大丈夫です」

 彼女は携帯電話を取り出す。

「俺の携帯電話古いから直接打ちこまなきゃならないから、勝手に打ち込んで、あと俺の電話番号とメールアドレス登録していいから。投げるよ」

 コトリに携帯を優しく投げる。

 つもりだったが傷が痛み、つい力んで強く、しかも変な方向に投げてしまった。

 彼女は携帯を片手で難なく受け止める。

 運動は得意そうだ。

「すまん」と誤った事を謝る。

「大丈夫です」と言い彼女は自分の携帯電話を見ながら俺の携帯電話に打ちこむ。

 普通、自分の電話番号には掛けないから覚えていないのだろう。

 その後、俺の携帯電話を見ながら自分の携帯電話に打ち込む。

「ヒイロ コトリとフルネームで入れました」

 彼女はテーブルの上に携帯電話を置く。

 俺はそれを手に取り確認する。

 緋色 紺鳥と言う名前で電話番号とメールアドレスが入っていた。

「紺の鳥と書いてコトリか……」と呟き自分のポケットに入れた。

「なんでそれが宝物なの?」

 仕事から解放されたサツキが自由に聞く。

友達感覚だな。

「ある人から貰ったんです」

「ある人って?」

「偶然出会った同級生です」

「その時の話聞かせて」

 サツキの目が輝いている。

 コトリは少し黙り込む。

「喋りたく無かったら喋らなくていいよ」

「詳しくは話したくない……。けれど大まかな内容なら話してあげるよ」

 そう言った後、彼女は話を始める。

「数年前、私は落ち込んでいたの。その人は私を優しく慰めてくれて、宝物……さっきのキーホルダーをくれたんです」

「その人はコトリにとって特別な人なの?」

「はい。彼女を尊敬しています」

 話しが噛みあって無い。

「彼女って、女なの?」

「何か変な事言いました?」

「その人が初恋の人かと思ったから。同性愛を否定する訳じゃないけど」

「初恋……そう言っても過言では無いかも。彼女に対する思いはそれほど強いから」

「それほど感謝しているんだね」

「感謝では無くて……」

 彼女は言葉を濁し、俯く。

「もう帰りますね」

 コトリは顔を上げて言い、立ち上がる。

 俺達も立ち上がる。

 そしてノゾミは先回りして店のドアを開ける。

「それじゃあよろしくお願いします」

 コトリはそう言うと鈴を鳴らし、店を出て行った。

「有り難う御座いました」

 俺達三人はそう言いお辞儀をする。

 そしてノゾミがドアを閉める。

 サツキはソファーに座り溜め息を吐く。

「どうした?」

「彼女がマコトを襲った人と同じ人とは思えないよ」

 それほど感じが良かったと言う事だろう。

「双子とか他人の空似……」

「それは無い」

 俺は話を遮る。

「なんで?」

「彼女がちゃんと俺の事を知っていたし」

「なら本人だね」

 納得した様だ。

 俺は依頼の事で少し考え込む。

「…………けど……でも…………」

「何?」

 サツキが聞いて来た。

 考えていた事が少し口に出てしまった様だ。

「いや、何でも無い……それじゃ、依頼をこなすか」

「そうですね」

「それじゃあ一緒にエイ、エイ、オー」

 サツキは一人で元気良く右手を上げる。

 俺とノゾミはやらない。

 ――そんな感じでキーホルダー奪還が始まった。

 まさか、その依頼が俺達の運命を変える事になろうとは――

「マコト風に言うとこんな感じ?」

 そう紙に書いた文字を俺に見せているサツキ。

 丸みを帯びた可愛い文字だ。

「サツキ。ふざけて無いで行くぞ」

 俺は振り向き、ノゾミと共に店を出て行く。

「まってよ~」

 後ろで追いかけてくる足音がした。

 第三者から見れば微笑ましい光景だろう。

だが俺はいい雰囲気では無い

悪い予感がする。

 サツキのふざけが当たるかもしれない。

 当たっても、運命がどのように変わるかは分からないし、気負いする必要は無いな。


「どうですか?」

「いいんじゃないか」

 俺はタマさんの部屋から出て来たノゾミに言う。

 俺の目の前にいるノゾミは先ほどとは服装と髪の長さと胸の大きさが違う。

 ……胸はとりあえず絶壁じゃ無くなったな。

 いつものタキシードでは無く、ワンピースを着ており、髪は黒髪で腰近くまで有る。

 タマさんが所有している服を貸して貰い、髪と胸はタマさんに取り換えて貰ったのだ。

 後者はアンドロイドだからできる芸当だ。

「かわいい~」

 サツキは大はしゃぎである。

 服装と髪と胸を変えたら、超美少女が出来上がってしまうのだから。

「ありがとうございます。しかし何故、ボクなのでしょうか?」

「口調。コトリの友人になりきるんだから注意しろよ」

「なんで私なの~? サツキが適任でしょ~」

 言われてすぐ出来る所がノゾミの良い所だ。

「サツキが口を滑らせたりするし、なにより喧嘩っ早い」

「サツキの喧嘩の早さは天下一品だよ」

「威張るな」

「は~い」

 サツキは元気良く手を上げて返事をする。

 サツキの精神年齢は小学生程度な気がする。

「サツキの精神年齢は小学生程度な気がする」

「また、思ってる事が漏れてるよ~」

 ……まあいいか。

「感情は銀行並みのセキュリティなのに、考えはノンセキュリティだね」

「サツキ……と思ったらノゾミか。口調変わっているから間違えそうになった」

「間違えたよね」

「サツキ」

 サツキは後ろに下がり「ごめんなさい」と強く謝る。

「で、ノ……」

「ごめんなさい」

 ノゾミは素早く謝る。

 その後、サツキに耳打ちをする。

「それはサツキの口が甘い所為だよね」

 サツキがノゾミに言う。

 ノゾミは頷く。

 何の事だか分からないが、聞いても教えてくれないだろうから気にしない事にする。

「ノゾミはコトリと合流してくれ」

 電話で連絡を取り、駅で待ち合わせする事になっている。

「で、俺とサツキは待機だ。何か有ったら連絡頼む」

「分かった」

「待機なんてつまんなーい。サツキも行きたーい」

 サツキが駄々をこね始めた。

「ノゾミが情報を集めたら行動するから。我慢しな」

 サツキの頭を撫でる。

 彼女は元気良く「はーい」と返事をする。

「行って来るね~」

 ノゾミはそう言うと出かけて行った。

「ちょっとお菓子買って来る。何か食べたいもの有るか?」

「コンソメポテチ~」

「分かった」

 俺はそう返事すると、店の外へ出て行った。

 

 店でお菓子を食べながら待っていると、携帯電話が鳴った。

 画面を見ると『望』と出ている。

 そう言えば漢字で登録しておいたな。

 俺は電話に出る。

「はい。どうした?」

『コトリさんのクラスメイトの事がある程度理解しました。しかし、帰るのは無理そうです。ボクが便利屋と言う事がバレそうです』

「なら、待ち合わせするか。場所はそっちで決めて良いよ」

 電話の向こうで話し声が聞こえる。

『鉄橋の下で待っています』

 そして通話が切れた。

 携帯電話をポケットに入れた時、嫌な予感した。

「サツキ!」

 俺は叫ぶ。

サツキはその声に驚く。

俺は気にせず店を飛び出す。

鉄橋に行くには車よりも走った方が早い。

「どうしたのよ。マコト!」

 後ろから声が聞こえる。

「嫌な予感がした。いや、嫌な予感がする」

「ノゾミが危険にさらされてるの?」

「分からない」

 本当に分からない。

 今まで感じた事の無い不安だ。


 近道をして二、三分で鉄橋の下へやって来た。

 鉄橋の下はただでさえ暗いのに、天気が曇りなのも後押しして、より一層暗くなっている。

 そこにノゾミの姿は無かった。

 代わりに、地面に倒れている複数の女性の姿が有った。

その中央には赤色のワンピースを着た何かが立っていた。

 それは人間なのは分かっているが、俺の頭は人間と認識してくれない。

「コトリ……」

 俺はそう呟く。

 その立っている何かはコトリだ。

 着ている服も元々赤色なのでは無く、赤い液体で染まっている事が分かった。

 周りに倒れている人も同じ様に染まっている。

 しかも倒れているのは彼女と同年代ぐらい女性である。

 耳を澄ますと苦しそうなうめき声を上げているのが分かる。

「サツキ!」

 俺は怒鳴る。

 隣にいる筈のサツキから反応が無い。

 いつもなら返事をするのに。

 俺は隣を見る。

俺の服の袖を掴み震えていた。

ダッフルコートを着こんでいるので寒さで震えているのでは無いはず。

恐怖で震えている。

ヴァンパイアを容易く制したサツキが。

「お前は俺が守ってやる。だから安心しろ」

俺はサツキの正面に立ち、目を見て話をする。

 言われて安心したのか、サツキの震えが止まる。

 そして彼女は深呼吸をする。

「ありがとう。それで、彼女達を助ければいいの?」

 俺は頷く。

「分かったよ」

 サツキはそう言いながら一番近くに倒れている人に近付き、様子を見る。

 俺はその間に携帯電話を取り出し、一一九と押す。

 繋がるまでの時間がもどかしい。

……俺は見るまで袖を掴まれている事に気付かなかった。

……気付けないほどに怯えていたのか。

繋がる合間にそんな考えが浮かんだ。

だが何に怯えていたのだろう。

最善を尽くす事しか頭に無かった。

「マコト」

 誰かが俺を呼んだ。

「そんな奴を助けちゃダメ」

その声がした方を見ると、コトリが俺を見ていた。

 眼は虚ろで焦点が合っていない。

 何かを呟いている。

 よく見ると両手に光る『何か』を持っている。

 暗くて良く見えないが、俺の頭は『何か』が危ない物と認識をする。

 次の瞬間、俺は携帯を落とした。

 いや、落としてしまった。

 彼女が俺の顔面に向かって左手に持った『何か』を投げたからだ。

 俺は避けるのに必死で携帯を落としてしまった。

 落ちた携帯から声が聞こえる。

 繋がったようだ。

 俺はそれを拾おうとした。

 だが、途中でそれを諦めた。

 コトリがこちらへ向かって走って来たからだ。

 こちらへ来る途中彼女は、倒れている人の――

手を――

足を――

体を――

頭を――

なんの躊躇いも無く踏みつけた。

弱々しい苦悶の声が上がる。

俺は後ろへ下がる。

そして最後にコトリは俺の携帯を踏みつけた。

俺は携帯を拾う為に彼女を退かそうとする。

すると彼女は俺に『何か』を振りかざした。

俺は手で頭部を守りながら後ろへ跳ぶ。

無理やり後ろへ跳んだ為、着地できずに尻餅をつく。

俺はコトリをただ見る。

そこでコトリが持っている『何か』の正体が分かった。

赤く染まった果物ナイフである。

右手首に違和感が有る為、見てみると少し切れている。

 そしてすぐにコトリに視線を戻す。

 聞こえないが何かを呟いているようだ。

「マ……マコト! 大丈夫!?」

 サツキが叫ぶ。

 横目で見ると、サツキは自分の服を破き彼女達に巻いている。

 俺はすぐにコトリに視線を戻す。

「今、そっちに……」

 俺は手で制する。

「いや、来なくていい。お前はそのまま処置していろ」

 コトリに視線を向けたまま言う。

「でも!」

 サツキが叫ぶ。

「今、お前がこっちに来なかったのは偉いぞ。ちゃんとそいつらを優先したんだからな」

 俺はそう言い、コトリの腕を掴みにかかる。

 コトリが暴れる為、体のあちこちにナイフの刃が当たる。

 彼女は両手でナイフを持ち振り上げる。

 俺は彼女の両手を両手で捕まえる。

 ナイフが振り下ろされる。

 ナイフが俺の顔面の手前で止まる。

やっと抑えつけた。

だが気を抜けば俺の顔面にナイフが突き刺さる。

「根競べしようじゃないか」

 俺がそう言うが、反応は無い。

「マコト!」

「お前さん達大丈夫か!?」

 ノゾミとタマさんの声が遠くから聞こえた。

「怪我人を優先してくれ」

 俺は二人を見ずに言う。

 実際、見る余裕など無い。

「元からそのつもりだ」

「すみません。ボクはタマさんを呼ぶ事しか出来ませんでした」

 そんな声が俺の横を通り過ぎた。

「十分だ」

 俺はノゾミに言う。

 俺の左手の包帯が赤く染まって行く。

 傷が開いた様だ。

 彼女の両手の包帯も赤く染まって行く。

 彼女もそのようだ。

「このまま抑え続けるのもきつい。そいつらをここから退避させてくれ」と俺は叫ぶ。

「まあ、緊急事態だからしょうがない」

 タマさんのそんな声が聞こえた。

 数秒後、静かになった。

 横目で一瞬見ると周囲に誰もいなくなっていた。

 ナイフが徐々にこちらに向かっている事に気付いた。

 俺は手を放し、体を捻りながら後ろへ必死に跳ぶ。

 ナイフが頬に掠る。

 地面に背中を打つ。

 彼女が倒れている俺に向けてナイフを振り下ろす。

 俺は寸前で横に転がり避ける。

 素早く立ち上がり逃げるが、壁に阻まれる。

 逃げる方向を誤った。

 コトリが何か呟きながらゆっくりと近づいて来る。

 近付いて来た時に何を言っているのか理解した。

「あんな奴助けるし、マコトも私の友達じゃないんだ。マコトも私を騙すつもりだったんだ」

 焦点の合っていない目がこちらを見ている。

 俺は答えない。

「答えないって事はやっぱりそうなんだ」

 彼女はナイフを振り上げる。

 俺はそれを呆然と見上げる。

 それを止める気など無い。

 ナイフは振り下ろされ、俺の右肩に突き刺さる。

 血が流れる。

「……そこじゃ死なない。確実に殺すなら頭か首か心臓に刺さなきゃ」

 俺は彼女の目を見る。

 返事は無い。

 コトリはナイフを抜き、先ほどよりも強く同じ所にナイフを突き刺す。

 血が飛び散る。

 俺は彼女の目を見る。

「俺を殺したいのだろ?」

 彼女はナイフを抜き、俺の首にナイフを近付ける。

「あなたを殺してアゲル」

 俺は彼女の目を見る。

「いいよ」

「本当に殺すよ」

「どうぞ勝手に」

 俺は淡々と言う。

 彼女の目から涙が流れる。

 そして彼女は口をゆっくりと開く。

「死ぬ時ぐらい泣き叫んでもいいでしょうよ! 何であなたは笑っているのよ!?」

 笑っている?

 気づかなかった、俺が笑うなんて事をしているなんて。

 俺はコトリの目を見る。

彼女の眼に映った俺は確かに笑っている。

「彼女達みたく泣き叫んでよ。笑わないでよ」

「他人に弱みなど見せたくない」

「少しぐらい他人に弱みを見せたっていいじゃない」

「少しでも強く見せなきゃ」

「私はあなたが弱い事なんて分かっているの。だから泣きなさいよ」

「嫌だよ。だって強くなければ他人から愛されないだろ」

「強くなければ愛されないなんて嘘」

「俺は嘘だとは思って無い」

「もっと彼女達を信頼しなさいよ。あなたには信頼してくれる彼女達が居るじゃない」

「俺は信頼していない」

「なんで信頼しないのよ?」

「俺を信頼する奴なんて居ないからだ」

 俺は彼女の目を見る。

 いや、彼女の目に映った俺の虚ろな目を見る。

 光を灯さない虚ろな目。

 苦痛を知る目。

 絶望だけが映る目。

「ならあなたを信頼しているのが居たらどうなのよ」

「それは無いが。もし居たらそいつは価値の無い奴だね」

 コトリは黙り込む。

「俺は死んでもいい人間だから。生きている意味も無い人間だから」

「あなたは死んでもいい人間でも、生きている意味が無い人間じゃ無いわよ」

 俺は溜め息をつく。

「そんな人の区別が出来ないからお前は、『ゴミ』なんて呼ばれるんだよ」

 彼女の表情が一変する。

ナイフを斜め上に振り上げ、ナイフの刃先を俺の首元に向ける。

 そうだ。

それでいい。

だが、俺の前で腕の動きが止まる。

「なんで自分を愛せないの!?」

「自分を愛したら他人より自分を優先するだろ」

「他人を悲しませない事がそんなに大事なの? 他人を不安にさせない事がそんなに大事なの? 他人を怯えさせない事がそんなに大事なの?」

「大事だ」

「あなたが自分を大切にしない所為で私が苦しんでいるのが分からないの!?」

「分からないな。俺なんかを思う奴など存在しないから」

 彼女は涙を流し、ナイフを落とす。

「他人を大事にしなくていい。だから自分を大事にして」

 俺はそれを聞き、気を失った。


 目が覚めた。

「ここは……?」

 答えの代わりに叩かれた。

 俺を叩いたのはタマさんだ。

「出血し過ぎだ」

 血だらけのタマさんが言う。

 俺は寝ている。

 ここはタマさんの部屋だ。

 最近同じような事が有った気がする。

「お前さんの所為で、今まで溜めて置いた血が無くなったわ」

 再び叩かれる。

「すいません」

 何に使う気だったのだろう。

 そして俺に手を差し出す。

 俺は掴み、起こして貰う。

「左肩の傷は一生残るから」

 タマさんに上着を渡される。

「そんな傷、他にも有るんだから気にしないよ」

 俺は傷を確認しない。

 サツキとコトリが俺の近くに居た。

 奥の方にはノゾミが立っていた。

「あいつ達は?」

 服を着ながらタマさんに聞く。

「きちんと治療して、余とお前さん達の記憶は消して、家に帰した」

「そうか」

「コトリが連れて来たんだよ」

「傷つけたのはコトリさんですけどね」

ノゾミが言う。

「ありがとう。コトリ」

「……私はあなたを傷付けたのよ。憎くないの?」

 コトリは涙痕が付いた顔で言う。

 俺は溜め息を吐く。

「全て俺が悪いんだから仕方無い」

「全て自分が悪い? そんな勘違いも大概にして」

彼女は俺の左頬を叩く。

「痛くなかったの?」

 彼女は俺の左肩を優しく触る。

「……精神の苦痛に比べたら、何てことないね。お前もそんな事分かっているだろ」

「そうじゃない。心が」

「本当は……泣きたいぐらいだよ」

 だが俺は泣かない。

「泣けば楽になるのに……」

 彼女は涙を流す。

 俺は口を押さえて笑う。

「泣くなよ。許してやるからさ」

「私を許してくれるの?」

「お前達も許してあげるだろ?」

「許さないと言いたいけど、サツキ達もマコトに同じような事したしね」

「しましたね」

「傷つけたの?」

「そうだ」と俺が答える。

「サツキの時は切り刻まれて重傷。ノゾミの時は火傷、感電で重傷。タマさんが居なかったらとっくに死んでいるな」

 俺は笑う。

「だからサツキ達は許して……あげると思ったら大間違いよ!」

 コトリは豆鉄砲食らった鳩の様である。

 ……声にすると意味が分かりにくい。

「マコトを傷つけた罪は重いから。その罪の償いとして毎日マコトに会いに来なさい」

「毎日は酷いだろ」

 俺は突っ込む。

「なら出来る限りの範囲で!」

 かなり緩くなったな。

「お店が休みだったら裏のアパートに来て下さいね」

 ノゾミが言う。

「恋敵増やしてどうするんだ~?」

 タマさんがぶっきらぼうに言う。

「サツキの恋敵なんて現れない。だってマコトは永遠にサツキにゾッコンだから」

 違います。

 そして、ジェネレーションギャップを感じた。

「ゾッコンって使う奴久しぶりに見たな」

 タマさんが言う。

「ゾッコンって死語ですか?」

「まあ、正確には古語だ」

 そこで俺はある事に気付く。

「そう言えばキーホルダーは?」

 皆答えない。

「捨てられていたって事か?」

 全員頷く。

 俺は少し考え込む。

「俺の革ジャンどうなった!?」

「そこに有りますよ」

 ノゾミが壁際を指差す。

その方向を見ると、椅子に血だらけの革のジャンパーが置いてあった。

俺は飛び降り、そこに駆け寄る。

手に取ると、左肩の所に穴が空いている。

「俺のお気に入りの革ジャンに穴が……」

「ごめんなさい」

 後ろから謝る声が聞こえた。

「大丈夫だよ。まだ使えない訳じゃないし」

 俺は振り向かず、革のジャンパーのポケットを漁る。

「あった」

 俺は振り向き、コトリにそれを優しく投げる。

「これは……?」

「お前のじゃないけどお前の物と同じ物だ。俺がお前のキーホルダーを見つけるまで持っていてくれ」

 彼女は掌の上のキーホルダーを見て困惑している。

「今日は疲れたから帰ってくれ」

 俺はコトリに冷たく言い放つ。

「サツキ。コトリさんを送って」

 俺がそう指示すると、サツキはコトリの腕を掴んで引っ張って行く。

「すみませんでした」

 半分引きずられながらコトリはそう言った。

「ボクも行きます」

 ノゾミは二人に付いて行った。

 そして、見えなくなった。

「タマさん革ジャン綺麗に直せる?」

「もちろん」

タマさんは笑顔で答えた。


二人がなかなか帰って来ない為、タマさんに許可を貰い、店に移動した。

二人が店に入って来た。

「なんで寝てないの?」

「何故、安静にしていないのですか?」

「暇だから」

 二人は呆れる。

「コトリさんに聞いたらあのキーホルダーは世界に一つしか無い物らしいですよ。なんで、マコトが同じ物を持っているのですか?」

 ノゾミがそんな事を聞いて来た。

 聞かれるとは思った。

「『彼女』が自分で作った物だろ。『彼女』が同じ物を作れば世界に一つだけじゃないだろ」

「確かにそうですね」

「コトリにあげた時は世界に一つだけだったって話だろ」

「なんでマコトは『彼女』が作ったと言う事知ってるの?」

 サツキは首を傾げる。

「コトリさんから聞いたのでしょう」

「いや違うよ」

 二人は俺を見る。

「俺がその『彼女』だから」

 二人は驚く。

 ……何で驚くんだよ。

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