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プラネタリウム

「え? 今から?」

「うん」


 思っても見なかった突然のお誘いに、嬉しさの余り思わず声が上擦ってしまう。いつも忙しい彼の事だから、今日は絶対会えないと思っていた。


「でも……今日は園がお休みだから子供達がいるの。だから、せっかくだけど……ごめんなさい」


 せっかくのお誘いなのに断ざるを得ない。

 後ろ髪を引かれる思いだが、こればっかりはどうする事も出来ないと受話器を握り締めながら、彼女は肩を落とした。

 彼にとって、彼女の存在は沢山いる女性の中の一人かもしれないが、子供達にとってはかけがえの無いたった一人の母。シングルマザーとなってからは、恋愛面だけでなくとも幾度とこういった選択を強いられてきたが、彼女の出す答えは全て一緒だった。


「子供……れて……よ」


 後方で騒ぐ子供達の声で、彼の言葉がかき消される。片耳を指で押さえ、はしゃいでいる子供達を横目で見ながら、彼にもう一度聞きなおした。


「え? ごめんなさい、何て?」

「子供達も連れておいでよ、うちの子達も連れて行くから」

「──」


 彼女は一瞬自分の耳を疑ったが、次の言葉でやはり聞き間違いではないのだと、気付いた。


「今からそっちに向かうから、子供でも楽しめる所へ行こう」

「……うん!」


 その言葉を聞いて思わず笑みが零れる。

 いつもは子供達の気持ちを最優先にして、園に行っている間の少しの時間しか会うことが出来なかった。お互いに子供が成人する日まで、もう二度と恋はしないのだと誓って居た二人だったが、ひょんなことで出会い───そして恋に堕ちた。

 誓いを破ってしまったことへの背徳感に苛まれ、我が子には決して気付かれてはいけないと誰にも彼の事を話さずに今までやって来た。それが、彼からの思い掛けない言葉により、頑なにそれを守って来た彼女の心に変化をもたらした。

 今まで我慢していた感情が堰を切って溢れ出る。罪悪感とか、後ろめたさとか、一切合切流れ出て、最後に残ったものは彼女の本当の気持ちだけだった。


 ──もう、迷わない。

 彼の一言で彼女の心の支えが一気に取れた。



 ◇◆◇


「お待たせ」


 家の前に大きな車が止まり、運転席の扉から降りてきた彼が後部座席のドアを開けてくれた。彼女の子供達は挨拶もろくにせず、普段乗る事の無い大きなミニバンに我先にと乗り込んでいく。車内には勿論彼の子供達が既に居て、興味深そうに新しい小さな友達を見つめていた。


 彼女は彼の子供達と挨拶を交わすと、彼に促されて助手席へと乗り込んだ。

 背後では彼の子供達によって自分の品評会が始まるんじゃないかと内心ビクビクとしていたが、彼らの視線はどうやら違う所へ向いている様だった。


「わぁー、かわいい!」


 年上のお兄ちゃんとお姉ちゃんに囲まれた子供たちだったが、彼女の心配も余所にすぐに打ち解ける事が出来たようだった。彼女と彼はお互い目を合わせ、ホッと胸を撫で下ろしていた。




 ◇◆◇


「プラネタリウム?」


 移動中にすっかり仲良しになった子供達は、車を駐車場に止めた途端、二人を置いてさっさと行ってしまった。

 子供達が行ったのを確認した彼は、歩きながら彼女の手を捕まえた。


「うん、ここなら子供も退屈しないでしょ?」

「う、うん、そうね」


 てっきり喜んでもらえると思っていたが、どうもそうではないらしい。彼女のわずかな表情の変化は、すぐに彼に見破られた。


「気に入らない?」


 そう言って、彼女の顔を覗き込む彼に、彼女は慌てふためいた。


「ううん! 違うの! ……その、――プラネタリウムって基本、真っ暗じゃない?」

「うん、そうだね?」

「その、寝てしまいそうで……あははーっと」


 言い難そうにそう言うと、彼はピタッとその場で止まり怪訝な顔をした。


「何? もしかしてまだ夜働いてるの?」


 そう言われると判っていたかのように、彼女は上目遣いで彼を見ながら黙って頷いた。


「ええっ!? 夜働くのはもう辞めるって言ってたじゃん? 大体、昼も夜もって働きすぎだって。体壊すよ? っていうか、そもそも君は仕事なんてしなくていいんだよ、生活費くらい僕が出すから」

「そういう訳には」


 今まで何度もこの事について話し合ってきたが、彼女はいつでも首を縦に振る事は無かった。『自分の子供だから、自分の力で育てたいの』彼女はいつもそう言っていた。

 意地でも仕事を辞めようとしない彼女に、彼はお手上げだと言わんばかりに肩を竦める。


「ったく! ──もう、判ったよ。でも一人で頑張りすぎるんじゃないよ? いつでも僕を頼っていいんだからね?」

「うん、ありがとう……」


 二人は微笑み合うと、既に始まっているのかすっかり真っ暗になった会場の中にそっと入っていった。


 子供達は既に座っていて、頭上に広がる星座達を口を開けながら見入っている。彼女の子供達の横に彼女が座り、そしてその横に彼が腰を下ろした。

 上を見上げていると自然と背もたれが倒れ、暗闇と囁くようなナレーションが相俟あいまって、寝不足の彼女はあっという間に体がポカポカと温かくなっていく。

 時折、隣に座って居る子供達がなにやら話しかけてくるが、辻褄の合わない返事を返し、いつしかその瞼は閉じられてしまった。






「あっ、ねぇねぇ、あの星座って君の――あ、寝ちゃったかな?」


 彼が星座を指差しながら彼女に顔を寄せると、幸せそうに目を瞑った彼女の規則正しい寝息がスースーと聞こえる。


「……」


 まるで小さな子供の様なその寝顔がいとおしくて、彼の口元が緩む。彼女の手にそっと手を伸ばすと、ふと、誰かの視線を感じた。


「?」


 彼女の幼い子供達が、彼と繋がれた母の手をじっとみている。彼に見られているのに気付いた子供たちは、慌ててもう片方の彼女の手を握りしめた。それはまるで“取られてたまるもんか”と言わんばかり。

 そんな小さな騎士ナイト達に彼の心は簡単に奪われてしまった。


「ママが好き?」

「うん、好き!」「しゅき!」


 声を揃えてそう言うと、彼の目尻がますます下がっていく。


「そっかー。あのね、実は僕も君たちのママが好きなんだけど、ママと手を繋いでていいかな?」


 子供たち二人はお互い顔を合わせ、しばらく考えた後、


「うん、いいよ!」「いいよ!」


 と元気良く答えてくれた。


「わぁ、有難う! ……あとそれとね? ──君たちのママを僕のお嫁さんにしたいんだけど……許してくれる?」


 どさくさ紛れにそんなお願いをしてみるが、その質問に関しては即座に返事が返って来た。


「それはダメ!!」「メッ!!」

「ええー、ダメー? どうして?」


 そう尋ねてみると、二人は自信満々とばかりに胸を張った。


「ママは僕と結婚するんだから!」「僕とけっこんしゅるのっ!」


 一人の男性と二人の男の子に求婚されているとも知らず、彼女はすやすやと深い眠りについている。

 彼は彼で思いもよらぬライバルの出現に、『参ったな』と困惑していた。


「でも、おじさんだったらいいよ!」「えっ!? ……い、いいよっ!」

「本当? ありがとう」


 笑いを必死でこらえながら彼はポケットの中をまさぐる。そして、頭上にちりばめられた星座を見上げると、子供達もつられて一緒に見上げた。

 彼は手を伸ばし、その星を掴むような仕草をする。目を丸くしている子供達を見て微笑み、ゆっくりその掌を広げていった。


「わぁーお星様?」「おほししゃま??」


 彼は得意気な顔をして、握り締めた彼女の薬指にゆっくりとそれを沈めていく。それは、頭上に降り注ぐどの星達よりも光り輝いていた。

 そんな彼の様子を、ただじっと見守る子供達に向かって微笑み、


「ママには内緒だよ?」


 そう言って彼は人差し指を口元に置くと、まるで悪戯っ子の様にウィンクをした。



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