見透かされて
空気の澄んだ良く晴れた今日という日。念願叶った二人は外出することに決めた。
行き先はどこにしよう?
そこまで何で行こう?
そんな普通の恋人同士の様な会話が、二人にはとても新鮮であった。
「僕、遊園地行きたいな」
「あ、いいわね。じゃー電車にのって行く?」
彼は嬉しそうに満面の笑みを浮かべながら大きく頷いた。
子供の頃から他の子どもよりも秀でた知能を持つ彼。‘天才少年’ともてはやされて今の今まで生きて来た彼は、常に周りを大勢の大人達に囲まれて過ごして来た。
そんな彼と出会ったのは、今から3年前。彼の担当のピアノ教師が産休に入り、音大を卒業したばかりの彼女は、高校に進学したての15歳の彼の代行ピアノ教師として、このお屋敷に派遣されて来た。そして気がつけば、産休に入った前の教師はそのまま退職し、彼女から‘代行’と言う名称は姿を消した。
いつも何処か寂し気な顔をしたその少年の肌は、夏を過ぎた所だと言うのに何処にも屋外へ遊びに行っていないだろうと言う事が容易に判るほど、白く透き通った肌をしていた。
自分にも同じ様な経験をした事があった彼女はそんな彼を不憫に思い、幾度と無く彼の両親を説き伏せ、今日、3年越しのその願いを叶える事が出来るのだった。
「ねぇねぇ、お弁当は?」
「もちろん作ってあるわよ、デザートもね」
彼はそれを聞くとまるで子供のようにあちらこちらを跳ね回り、体全身を使って喜びを表している。
「ねぇ、そろそろ出かけようよ!」
催促をする彼を尻目に彼女は電車での行き方をパソコンで調べている。機械類が苦手な彼女は操作に手間取り憤慨した。
「あーもう! 上手くいかないわね」
「?」
マウスを片手にカチカチッとクリックばかりを繰り返す彼女の側へ、『どうしたの?』と彼が近づいてきた。
まるで彼女を囲うようにして、パソコンデスクと彼女が座って居る椅子の背もたれに手を置き、視線を落として画面を覗き込む。
先程浴びたと言っていたシャワーのせいか、ふわっとシャンプーの香りが鼻孔をくすぐり、ピンピンと跳ねるようにしてセットされた彼の髪が自分の頬を掠めたことで、彼の顔が極至近距離にある事にやっと気が付いた。
「……、――。」
画面に食い入るようにして真剣な表情を浮かべている彼は、つい先ほどまで子供の様に飛び跳ねていた彼と同一人物とは思えないほど途端に大人びた顔になり、つい変に意識してしまう。
18歳になった彼はちゃんと自己主張が出来る様になり、以前の面影を忘れてしまうほどたくましくなっている。
少し低くなった声、広い肩幅。ヒールを履いた状態で同じくらいの視線に位置していたはずが、いつの間にか彼女が見上げる様になっていた。
出会った頃は幼い印象だった彼も、3年も過ぎると立派な大人の男性に変化を遂げ、最近では立場が逆転している事もしばしばあった。
わざわざこんな時に思い出さなくてもいいのに、以前、彼から『好きだよ』と言われた事が脳裏を過ぎり、それが頬に熱を集めだす。
画面に顔を向けていても、自分の顔のすぐ横にある彼の顔が気になって仕方が無い。
「あーこれはね、こうするといいよ」
そういって彼女が握っているマウスの上から彼が手を重ねる。
彼の大きな手に包まれた彼女は、いつの間にか画面よりも彼の長くてすっとした指を見つめていた。
無駄な肉も無い筋張った手の甲が男らしさを強調しているものの、この指からつむぎ出される繊細な音色に、教えて居ると言う立場を忘れ何度も心を奪われた。冷たいと思っていた彼の手の平はあたたかく、大きな手は彼女の手の甲をすっぽりと包みこんだ。
「ほら、出来た!」
彼が嬉しそうな顔をこっちに向けたのを感じ、彼女は慌てて彼の方へと顔を向ける。
“……近い”
彼の息が口元にかかる程の距離。
いかにも必死で平静を装う彼女のその姿は、いとも簡単に彼に更なる煽りを招く。
彼の表情がみるみる変わり、垂れ下がっていた目尻がじわじわと元の位置へと戻り始めた。
彼は彼女の目を射抜くと、少しづつ視線を下にずらしていく。その視線が彼女の口元で止まると椅子に掛けていた手を彼女の口唇に伸ばした。
「ねぇ…… 今、貴女が何を考えてるか当ててあげようか?」
「なっ、……」
声を発しようとする彼女の口唇に彼が人差し指を押しつけ、『シーッ』と囁いた。
――一体なんて言われるのだろう?
自分の気持ちが見透かされてしまうのは流石に気恥ずかしく、でもきっとごまかしきれないと思って居る彼女は呼吸を忘れ、彼の目をただじっと見つめていた。
彼が彼女の口唇を焦らすように指でなぞり始め、
「……はやくお弁当食べたいなぁ。 ――でしょ?」
そう言って、悪戯っ子の様な顔で笑った。
18歳と言う年齢のせいか、大人の男性の魅力と子どもの様な部分も併せ持っていて、最近では彼女もすっかり手に負えなくなってしまった。
彼女の緊張が一気に解け、自分が考えていた事が彼にばれずに済んで良かったと、内心ホッとする。
「もう! そんな事考えてないよ!」
説得力に欠ける朱に染まった頬でそう言うと、
「今のは冗談だよ。――だって僕も同じ事考えてたんだからね」
そう言うや否やあっという間に、彼女にチュッと軽い音を立てて口づけた。
今起こった事を理解するのに手間取っている彼女にフッと微笑むと、体勢を戻して彼女に背中を向けた。
流れるように行われたキスに年下ながらも余裕を感じられたが、照れくさそうに鼻をこすりながらうつむいている彼を見ると、不思議とかわいいとさえ思える。
彼女は何も言葉を発する事無く、ただそんな彼の姿をじっと見つめていると、それに気付いた彼が振り返り、
「さあ、行こう! 早く行かないと、僕出掛けるの嫌になっちゃいそうだよ」
困った顔でそういいながら彼女に手を差し出した。
LOVE IS MAGICAL