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8話

 僕はケイヤのうしろを、遅れを取らないように、ペダルを漕ぎ続ける。

『ようこそ○○温泉へ』

 道路に大きな看板がかけられている。それを過ぎると、ホテルや旅館が目立ってきた。街の中心部には、お土産を売る店や、遊技場が並んでいる。温泉街特有の雰囲気だ。

 この場所は突き出した半島の付け根にあたり、ここから山を登る道に入っていく。コンビニで飲み物を買って、道路の縁石に座って飲んだ。

 目の前に山がそびえ立っている。自転車で超えようなんて、まともじゃない。ケイヤだって見上げて、自信のなさそうな顔をしている。誰がこんな計画立てたんだって、文句の一つも言いたくなる。今更そんなこと言ったからって、どうなるもんでもない。引返すってわけにもいかない。まぁ、行くしかないのかと、覚悟を決める。覚悟は決めたが、自分から出発を切り出す気力がない。縁石に座ったまま、地面に点々と染みを作る汗の滴を数えていた。


 ケイヤは立ち上がると、両手でズボンについた砂をはたいた。座っている僕のことを上から見下ろす。仕方ない。僕はゆっくり立ち上がり、ゆっくりとズボンの砂を落とす。そして、ゆっくりと自転車にまたがる。

 坂を上り初める。勾配はきつい。とたんによろめき倒れそうになる。自転車のギアを低くしてどうにか耐える。たいして進まないうちに太ももの筋肉がパンパンに膨らんではち切れそうになる。

 傾斜にそってホテルが点在していたが、やがて建物はなくなり、山の中の道となる。

 僕の前をケイヤが走っている。懸命についていこうとするが、引き離されてしまう。悔しい。悔しいけどどうしようもない。僕とケイヤの距離はだんだんと開いていく。

 しばらく行くと、ケイヤが止まって、地図を広げている。道が左右に分岐している。僕が追いつくと、少し休むかと自転車から降りて、ガードレールの横に腰をかけた。僕もケイヤの横に座る。分岐した道が合流した場所に『ようこそ○○温泉へ』という看板が立てられていた。

「やっと温泉街から出ただけか」

「登りの四分の一くらいきたよ。大丈夫か?」

 ケイヤが地図を見ながら言う。

「ェヘェェェ……」

 僕は力なく笑うしかなかった。

「この道、どっちに行っても峠には出られそうだけど、左は大回りしてるから、右から行ったほうがきっと近いと思うんだけど」

 ケイヤは僕に地図を見せた。僕は地図を見る余裕もなく、見もせずに頷いた。


 出発する。太陽は山の斜面の向こう側に隠れている。空はまだ明るいけど、木々に囲まれた道は薄暗い。ヒグラシがいたるところで鳴いている。カナカナと高音で鳴き続ける声は不気味だ。また僕はケイヤに引き離され始める。負けるか、と思うのは気持ちだけで、身体が言うことを聞かない。せめて、歩いたりせず、自転車でこの山を上りきってやる。汗が額から流れて、目に入る。それがすごくしみる。涙が出る。何度も拭うんだけど、止まらない。

 車はときどき擦れ違うくらい。近くに自動車専用の有料道路が走っているから、多くの人はそっちを使うんだろう。

 うしろからすごいスピードで白いバンが上ってきて、僕らを抜き去っていった。前を行くケイヤのすぐ脇を通り過ぎて、ぶつかったんじゃないか 僕はケイヤのうしろを、遅れを取らないように、ペダルを漕ぎ続ける。

『ようこそ○○温泉へ』

 道路に大きな看板がかけられている。それを過ぎると、ホテルや旅館が目立ってきた。街の中心部には、お土産を売る店や、遊技場が並んでいる。温泉街特有の雰囲気だ。

 この場所は突き出した半島の付け根にあたり、ここから山を登る道に入っていく。コンビニで飲み物を買って、道路の縁石に座って飲んだ。

 目の前に山がそびえ立っている。自転車で超えようなんて、まともじゃない。ケイヤだって見上げて、自信のなさそうな顔をしている。誰がこんな計画立てたんだって、文句の一つも言いたくなる。今更そんなこと言ったからって、どうなるもんでもない。引返すってわけにもいかない。まぁ、行くしかないのかと、覚悟を決める。覚悟は決めたが、自分から出発を切り出す気力がない。縁石に座ったまま、地面に点々と染みを作る汗の滴を数えていた。


 ケイヤは立ち上がると、両手でズボンについた砂をはたいた。座っている僕のことを上から見下ろす。仕方ない。僕はゆっくり立ち上がり、ゆっくりとズボンの砂を落とす。そして、ゆっくりと自転車にまたがる。

 坂を上り初める。勾配はきつい。とたんによろめき倒れそうになる。自転車のギアを低くしてどうにか耐える。たいして進まないうちに太ももの筋肉がパンパンに膨らんではち切れそうになる。

 傾斜にそってホテルが点在していたが、やがて建物はなくなり、山の中の道となる。

 僕の前をケイヤが走っている。懸命についていこうとするが、引き離されてしまう。悔しい。悔しいけどどうしようもない。僕とケイヤの距離はだんだんと開いていく。

 しばらく行くと、ケイヤが止まって、地図を広げている。道が左右に分岐している。僕が追いつくと、少し休むかと自転車から降りて、ガードレールの横に腰をかけた。僕もケイヤの横に座る。分岐した道が合流した場所に『ようこそ○○温泉へ』という看板が立てられていた。

「やっと温泉街から出ただけか」

「登りの四分の一くらいきたよ。大丈夫か?」

 ケイヤが地図を見ながら言う。

「ェヘェェェ……」

 僕は力なく笑うしかなかった。

「この道、どっちに行っても峠には出られそうだけど、左は大回りしてるから、右から行ったほうがきっと近いと思うんだけど」

 ケイヤは僕に地図を見せた。僕は地図を見る余裕もなく、見もせずに頷いた。


 出発する。太陽は山の斜面の向こう側に隠れている。空はまだ明るいけど、木々に囲まれた道は薄暗い。ヒグラシがいたるところで鳴いている。カナカナと高音で鳴き続ける声は不気味だ。また僕はケイヤに引き離され始める。負けるか、と思うのは気持ちだけで、身体が言うことを聞かない。せめて、歩いたりせず、自転車でこの山を上りきってやる。汗が額から流れて、目に入る。それがすごくしみる。涙が出る。何度も拭うんだけど、止まらない。

 車はときどき擦れ違うくらい。近くに自動車専用の有料道路が走っているから、多くの人はそっちを使うんだろう。

 うしろからすごいスピードで白いワゴン車が上ってきて、僕らを抜き去っていった。前を行くケイヤのすぐ脇を通り過ぎて、ぶつかったんじゃないかってドキリとしたけど、接触はしなかったみたいだ。


 空は青からオレンジ色に変わってきている。ケイヤは僕の遥か先を走っている。僕だって、何度もくじけそうになりながら、頑張ってるんだ。

 うしろを振り返ると、上り口の温泉街が見える。けっこう高くまで上ってきている。その向こうに通ってきた海岸がかすんで見える。その先にも半島があって、海岸は全体で大きな弧を描いて湾になっているのが分かる。

 何かすごいところまで来てしまった。

 多分、もう少しで峠にたどり着くはず。峠さえ越えてしまえば、あとは坂を下るだけだ。この坂を上り終えたら、峠かと思う。しかし、坂を越えると、少しの間平坦な道になって、先にまた上り坂が待っている。今度こそ! その先に頂上があると信じて、ペダルを踏む。

 何度も失望を繰り返している。心が折れそうになった。そのとき、次の坂の頂上にケイヤが立っているのが見えた。ケイヤが手を振って笑っている。

 僕はフラフラと蛇行しながら、ケイヤの元にたどり着いた。ケイヤは待ちかねていたようで、地図を見ながら言った。

「お疲れ! あとは下るだけだから、このまま行こうぜ。早くしないと日が暮れちゃう」

 峠では、道が二股に分かれていて、ケイヤは左の道を下っていく。僕はデイパックからペットボトルを取り出し、水分補給するとケイヤのあとに続いた。

「イエェェェ――」

 全身に風を受けながらケイヤが叫んでいる。僕もそれに続く。風が気持ちいい。景色がうしろに吹っ飛んでいく。今までの苦労がすべて報われた気がする。

「麓まで競争な」

 僕が並ぶと、ケイヤは楽しそうに言い、スピードを上げる。左右に大きく蛇行する坂道で、ケイヤはほとんどブレーキをかけずにカーブに入っていく。僕は我慢しきれず、ブレーキをかけてしまう。またもやケイヤに引き離される。

 ケイヤはものすごいスピードで坂を下っていく。僕も必死に追いかける。

 右側に分岐する道があったが、ケイヤはスピードを緩めずにそこを通過する。右側の道は、斜めうしろに分岐していたので、僕らの方向からだと見づらい。目的地を指す標識が出てたけど、木の枝が覆いかぶさって、よく見えなかった。

 ケイヤはすでに前のカーブを曲がっている。僕は見失わないようにするのが精一杯だ。

 そのとき、視界が開け、海が見えた。

 ――背筋が凍った。


「ケイヤ!!」

 あらん限りの声を出した。

「ケイヤ! とまれ!!」

 ケイヤは遥か先を走っていて、僕がどんなに叫んだって、声なんか届かない。

「ケイヤ! とまってくれよ」

 そんなの分かっているが叫び続けた。

 ――お願いだから、ケイヤ気付いてくれ。

 僕は叫びながら泣いていた。「ケイヤ!」叫ぶたびに、声はむなしく山々に吸収されていく。涙と鼻水とよだれで、僕の顔はグチャグチャになった。胃の辺りがムカムカして吐き気がした。全身を寒気が襲う。

 ――多分、今僕が感じているのは、恐怖だ。


 目の前に広がる湾の形は、見覚えのあるものだった。麓に温泉街の街並みも見える。ケイヤはカーブを抜けることに集中して、景色なんて見ていないんだ。こんなことがあるはずがない。これは夢なんじゃないか。本気でそう思った。

 僕らは上ってきた坂を、違う道で下っているんだ。

 

 僕がカーブを抜けても、ケイヤの姿は見えなかった。次のカーブをすでに曲がってしまっているんだ。僕はもう叫ぶのを止めた。何も考えられなかった。ブレーキを握ることさえ億劫に感じた。

 俺、方向音痴なんだ、そう言っているケイヤの姿が脳裏に浮かんだ。あれは確か、よっちんと三人で駅前に映画を見に行ったときだ。映画館の前で待ち合わせしたら、ケイヤがいつまで待っても来なくて、あとで聞いたら、全然違う方向に行ってたんだ。

 観にいったのは何の映画だったけ? 結局その映画は観れたんだっけ? 

 ――何も思い出せない。

 ――もうそんなのどうでもいい……


 覆っている木々が途切れ、視界が開けるたびに海は近づいてくる。僕はもう何も感じなくなっていた。


 しばらく行って、道が合流したところで、ケイヤが待っていた。目がキョトンとして、顔が青ざめているように見える。ケイヤのうしろには『ようこそ○○温泉へ』と書かれた大きな看板が立っていた。

 

ってドキリとしたけど、接触はしなかったみたいだ。


 空は青からオレンジ色に変わってきている。ケイヤは僕の遥か先を走っている。僕だって、何度もくじけそうになりながら、頑張ってるんだ。

 うしろを振り返ると、上り口の温泉街が見える。けっこう高くまで上ってきている。その向こうに通ってきた海岸がかすんで見える。その先にも半島があって、海岸は全体で大きな弧を描いて湾になっているのが分かる。

 何かすごいところまで来てしまった。

 多分、もう少しで峠にたどり着くはず。峠さえ越えてしまえば、あとは坂を下るだけだ。この坂を上り終えたら、峠かと思う。しかし、坂を越えると、少しの間平坦な道になって、先にまた上り坂が待っている。今度こそ! その先に頂上があると信じて、ペダルを踏む。

 何度も失望を繰り返している。心が折れそうになった。そのとき、次の坂の頂上にケイヤが立っているのが見えた。ケイヤが手を振って笑っている。

 僕はフラフラと蛇行しながら、ケイヤの元にたどり着いた。ケイヤは待ちかねていたようで、地図を見ながら言った。

「お疲れ! あとは下るだけだから、このまま行こうぜ。早くしないと日が暮れちゃう」

 峠では、道が二股に分かれていて、ケイヤは左の道を下っていく。僕はデイパックからペットボトルを取り出し、水分補給するとケイヤのあとに続いた。

「イエェェェ――」

 全身に風を受けながらケイヤが叫んでいる。僕もそれに続く。風が気持ちいい。景色がうしろに吹っ飛んでいく。今までの苦労がすべて報われた気がする。

「麓まで競争な」

 僕が並ぶと、ケイヤは楽しそうに言い、スピードを上げる。左右に大きく蛇行する坂道で、ケイヤはほとんどブレーキをかけずにカーブに入っていく。僕は我慢しきれず、ブレーキをかけてしまう。またもやケイヤに引き離される。

 ケイヤはものすごいスピードで坂を下っていく。僕も必死に追いかける。

 右側に分岐する道があったが、ケイヤはスピードを緩めずにそこを通過する。右側の道は、斜めうしろに分岐していたので、僕らの方向からだと見づらい。目的地を指す標識が出てたけど、木の枝が覆いかぶさって、よく見えなかった。

 ケイヤはすでに前のカーブを曲がっている。僕は見失わないようにするのが精一杯だ。

 そのとき、視界が開け、海が見えた。

 ――背筋が凍った。


「ケイヤ!!」

 あらん限りの声を出した。

「ケイヤ! とまれ!!」

 ケイヤは遥か先を走っていて、僕がどんなに叫んだって、声なんか届かない。

「ケイヤ! とまってくれよ」

 そんなの分かっているが叫び続けた。

 ――お願いだから、ケイヤ気付いてくれ。

 僕は叫びながら泣いていた。「ケイヤ!」叫ぶたびに、声はむなしく山々に吸収されていく。涙と鼻水とよだれで、僕の顔はグチャグチャになった。胃の辺りがムカムカして吐き気がした。全身を寒気が襲う。

 ――多分、今僕が感じているのは、恐怖だ。


 目の前に広がる湾の形は、見覚えのあるものだった。麓に温泉街の街並みも見える。ケイヤはカーブを抜けることに集中して、景色なんて見ていないんだ。こんなことがあるはずがない。これは夢なんじゃないか。本気でそう思った。

 僕らは上ってきた坂を、違う道で下っているんだ。

 

 僕がカーブを抜けても、ケイヤの姿は見えなかった。次のカーブをすでに曲がってしまっているんだ。僕はもう叫ぶのを止めた。何も考えられなかった。ブレーキを握ることさえ億劫に感じた。

 俺、方向音痴なんだ、そう言っているケイヤの姿が脳裏に浮かんだ。あれは確か、よっちんと三人で駅前に映画を見に行ったときだ。映画館の前で待ち合わせしたら、ケイヤがいつまで待っても来なくて、あとで聞いたら、全然違う方向に行ってたんだ。

 観にいったのは何の映画だったけ? 結局その映画は観れたんだっけ? 

 ――何も思い出せない。

 ――もうそんなのどうでもいい……


 覆っている木々が途切れ、視界が開けるたびに海は近づいてくる。僕はもう何も感じなくなっていた。


 しばらく行って、道が合流したところで、ケイヤが待っていた。目がキョトンとして、顔が青ざめているように見える。ケイヤのうしろには『ようこそ○○温泉へ』と書かれた大きな看板が立っていた。

 


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