7話
六年生を送り出す、卒業式があった。よっちんと一緒に学校で過ごすのも、これで最後だ。毎年歌っている『今日の日はさようなら』が、何でこんなに苦しんだって、腹が立つ。
式が終わったあと、僕ら三人は並んで歩いていた。公園の前まで来た。ここはよっちんが、木登りして下りられなくなった場所だ。
「本当は、今年の初めに、引越しの話はあったんだ。早く言おうと思ってたんだけど、なんだか話しづらくて、ごめんね」
よっちんが目の前の小石を蹴飛ばす。
「お正月に母さんが、再婚したいって言い出したんだ。でも、もしぼくがどうしても嫌なら断ってもいいって」
「じゃあ、断ればよかったじゃないか。よっちんだって本当はそのほうがいいんだろ?」
ケイヤはよっちんが蹴った石を、もう一度蹴る。
「うん。よく分からない……
母さん離婚してから、ずっと落ち込んでて、ぼくは母さんが元気になるようにって、いろいろ努力したんだ。わがままは言わないようにとか、笑顔でいようとか、まぁ、そんなことくらいしかできないんだけど、できるだけ頑張ってはいたんだ。だけど、母さんは少し微笑んでくれるんだけど、すぐに暗い顔に戻っちゃう。夜、一人で泣いていることも、一度や二度じゃなかった」
公園には桜の木がたくさんあって、満開のときは花見の客が押し寄せる。お祭りみたいになる。
蕾は大きく膨らんでいるが、まだ花は咲いていない。
「それがさぁ、去年の暮れから、母さん急に明るくなって、洋服も華やかになったんだ。よく笑うようになったし、綺麗になった。そのころに田代さん、つまり今度の再婚相手に出会ったらしいんだ。
ぼくが嫌だって言ったら、あの暗くて、泣いてばかりいる母さんに戻ってしまうんじゃないかなって思ったら、言えなかった。それに、ぼくがどんなに頑張ってもできなかったことを、田代さんは簡単にやってのけたんだ。母さんに本当に必要なのは、ぼくよりも田代さんなんだと思う」
桜の木に、一輪だけ花が咲いている。今年見る、最初の桜だと僕は思った。
「その相手は、どんな奴なんだ?」
ケイヤは蹴っていた石を拾い、桜の木の根元に向かって投げながら言う。
「うん。とってもいい人だよ。いい人過ぎる感じ」
よっちんも一輪だけ咲いた桜を見つけたようだ。上を向き、目を輝かせる。
「翔くんやケイヤ君と一緒に過ごすのよりも、母さんが笑っていられることのほうを選んだんだ。裏切り者だよね。本当にゴメン」
「そんなことないよ……」
そのあとの言葉が続かなかった。お母さんの幸せを願うのは当たり前だし、僕だって、よっちんの立場だったらそうしたに決まってる。だけど、やっぱりよっちんと会えなくなってしまうのは寂しい。どうしようもないことなんだろうか? どうにかすることはできないのか? そのためだったら、僕はどんな努力でもする。一生懸命勉強して、今度のテストで百点取るとか、毎日ランニングして、運動会で一等になるとか―― 今の僕らには、努力することすらできない。
ケイヤも桜を見つけたようだ。上を向き見つめている。そしてつぶやくように言う。
「離れたって、俺たちの何かが変わるわけじゃないよ。何も変わらない。
会えなくなることで、よっちんの家族が幸せになるなら、それくらいは我慢するよ。大丈夫。何も変わってないんだから、裏切りとかそんなことあるわけない」
よっちんが引っ越すころには、桜は満開になっているんだろう。僕らがどんなことをしようが、感じようが、春は勝手にやってきて、夏が来て、また冬になる。
――ただ、それだけのことなんだろう。
引越しの日、僕とケイヤは見送りに行った。
よっちんのマンションの前は桜並木になっていた。穏やかな春の風が吹き、その風の形に桜の花弁が舞っている。
マンションから引越し業者の人がよっちんの勉強机を運び出している。よっちんのお母さんが、僕らに挨拶する。その声が少しはしゃいでいるように聞こえる。僕らは首をすくめるようにして、挨拶を返す。
「できるだけ、丁寧に作ったんだけど」
よっちんは僕とケイヤそれぞれに箱を渡す。開けると中には完成したガンダムのプラモデルが入っている。よっちんはプラモデルを作るのがすごく上手だ。細かいところも精確に作るし、何より塗装の技術が半端じゃない。エアーブラシを使って、何回にも分けて塗り、そのあと研磨までする。とても時間がかかる。よっちんの部屋に行ったとき、飾られている何体ものプラモデルがあって、僕とケイヤで、すごいなって、見とれていたんだ。
「これ、俺たちのために、わざわざ作ってくれたのか? 時間かかったろう」
ケイヤは今にも泣き出しそうな顔をしている。
「うん、ぼくにできることってこんなことしかないから、一生懸命作ったんだ」
プラモデルの部品、一つひとつによっちんの気持ちが込められているのが分かった。夜中に丁寧にパーツを組んでいるよっちんの姿が、目に浮かんだ。
「ありがとう。大切にする」
僕が言う。隣のケイヤの口が、ありがとう、と動いたが、声が出ていない。
業者の人が、荷物の搬出が終わったので、そろそろ出発すると言う。それによっちんのお母さんが明るい声で答える。
「困ったことがあったら、いつでも助けに行くからな」
多分、ケイヤはそう言ったんだと思う。
「頑張れよ」
僕は手を差し出した。もしかすると、よっちんともう会えないのかもしれない。鼻の奥がジンとして涙が出そうになった。でも、泣かなかった。もし、泣いてしまったら、本当にこれで最後になってしまうような気がしたからだ。
よっちんも泣いていない。僕の目を見つめて、しっかりと手を握り返してきた。
よっちんの手は、思っていたよりも大きくてしっかりしていた。おとなの手みたいに頼りがいがあった。
よっちんは僕との握手のあと、ケイヤに手を差し出した。ケイヤはその手を握る。ケイヤは顔をクシャクシャのして、涙を流している。何か言ったが、よく聞き取れなかった。多分、――いつでも行くとか、そんなことを言ったんだと思う。
「ありがとう」
よっちんは言うと、お母さんの運転する軽自動車に乗った。引越し業者の車に続いて、よっちんの乗った車もスタートする。
よっちんはうしろを振り返り、いつまでも手を振っている。僕とケイヤも車が見えなくなるまで、手を振り続けた。
横を見ると、ケイヤが服の袖で涙を拭っている。
強い風が吹き、一斉に桜の花弁が舞い上がった。桜色に染められた世界の中、僕はケイヤと二人きりで立っていた。