6話
ケイヤはデイパックから地図を取り出し、現在位置を確認する。
「向こうに見える、あの山を越えて、下ったところが今日の目標だ」
ケイヤの指差す方向を見る。海岸が延々と続く向こうに、半島が突き出している。その半島に、薄紫色にかすんだ山々が連なっている。あれを超えるつもりらしい。
反対側を見ると、僕らの通ってきた海岸が見える。人でにぎわう海水浴場は色とりどりのビーズを散りばめたみたいに、カラフルな模様になっている。ずいぶん走ったはずだけど、思ったほど離れていない。山までの距離の三分の一くらいしかないように見える。その先に、峠の上り坂が待っているんだ。――身体が急にだるく感じる。
僕らは自転車を漕ぎ始める。風が強くなってきた。向かい風だ。ペダルは重く、いくら漕いでも進まない。車の渋滞は解消されて、急に閑散とした雰囲気になる。午後の日差しは、勢いを増し、正面から僕らを照らし続ける。僕らは一言も喋ることなく、黙々とペダルに力を入れる。
ケイヤが僕の前に出る。正面からの風が少し和らいだ気がする。ケイヤは風よけになってくれているのかもしれない。それでも僕はケイヤについていくのがやっとだ。ケイヤのお父さんは自転車のプロなんだ、僕なんかとは生まれ持った才能みたいなものが違うのかもしれない。だからって、負けるわけにはいかない。僕はケイヤに必死についていく。
景色が少しずつ変わる。砂浜は岩だらけの磯となり、道路沿いに干物やみやげ物を売る店が目立ってきた。山はだいぶ近づいたが、その大きさがいいよ実感できるようになり、よけい憂鬱になる。
あの山の向こうに、よっちんがいるんだと思うと、少し力が湧いてくる。よっちんとは春休みの引越しの日から、もう四ヶ月も会っていない。
「春休みに転校することになったんだ」
よっちんが突然言い出したのは、五年生の三学期がもうすぐ終わろうとしているころだ。
僕らの小学校は毎年クラス替えがある。四年のとき、五年のときは運よく三人とも同じクラスになることができた。昼休みに教室で、六年のクラス替えで奇跡は起こるかとか、そんな話をしていたときだと思う。
突然のよっちんの発言に、僕とケイヤは、意味を上手く汲み取ることができなかった。よっちんの得意な、センスのないジョーク、なのかと思った。それにしては、迫真の演技だ。最後のほうは言葉になっていなかった。
「本当かよ?」
ケイヤが言った。
「ごめん……」
よっちんはうつむいたまま答える。
「どこに引っ越すんだ?」
僕が聞くと、よっちんは聞いたことのない土地の名前を言った。
「遠いのか?」
「この前行ったときは、高速道路を使って、車で三時間くらいかかった」
「三時間……」
「…………」
「何でそんな遠いところに越さなきゃいけないんだ」
ケイヤがイライラした声で聞く。。
「母さんが再婚するんだ。その相手がそこに住んでる。母さんの職場の工場があって、そこの人なんだ。打ち合わせに本社に来ているときに、知り合ったらしい」
怒りのようなものが湧き上がってきた。だけど、それを何処に向けたらいいのか分からない。
「そんなのあるかよ!」
ケイヤが真っ赤な顔をして怒鳴っている。
「でも、お母さんが結婚するんじゃしょうがないだろう」
僕は聞き取れないような小さな声で、自分に言い聞かせるように呟いた。
「翔はそんなんでいいのかよ!」
「いいも悪いもないだろう。よっちんの家族のことなんだから」
「なんだよ!」
ケイヤはそういうと、教室から出て行ってしまった。
「新しいお父さんと一緒に住むのか?」
僕は、ケイヤが出て行った教室のドアを見ながら言った。
「うん。そうなると思う。ごめん」
「よっちんが謝ることないだろ」
「だけど……」
よっちんは三月末に引っ越すことになった。僕らに残された時間は二週間を切っていた。もっと話さなくちゃいけないことが、たくさんあるように思えた。もっとしなくちゃいけないことも、もっと伝えなきゃいけないことも。
残された時間を大切にしなければいけない。思えば思うほど、態度がぎこちなくなる。時間だけが流れていった。今まで、僕らはどんなことを話していたんだろう。いつも何をしていたんだろう。自然に振舞うことができない。