17話
ケイヤは自転車を道路に上げようとしているところだった。
「ケイヤ! あっちの道だ!」
僕は指差し、道路から畑にジャンプした。ケイヤも後からついてくる。僕らは最近、空き地で、マウンテンバイクに乗ってジャンプの練習をしていた。練習がこんなところで役に立つなんて考えもしなかった。横を走るケイヤに、向こうの道に犯人が現れるかもしれないことを伝えた。
畑の中を突っ切っていく。何個かキャベツを潰してしまったけど、緊急事態だからしょうがない。砂埃が舞い上がる。段差はジャンプで超える。
正面に、僕らより背の高いトウモロコシの畑が壁のように立ちはだかっていた。人一人がやっと通れるくらいの農作業用の道がある。僕とケイヤはそこを全速力で走り抜ける。ハンドルに当たって、何本かのトウモロコシをなぎ倒してしまう。ナスの苗木を、支柱ごと引き抜きながら突き進む。土が盛られた一メートルくらいの隆起があった。それをジャンプで乗り越えようとする。思ったよりもスピードが出ている。空中に飛んだ瞬間に恐怖に包まれる。ケイヤは上手く着地して走り抜けていった。僕は前のめりの姿勢で地面に突っ込む。思わずブレーキを握ってしまう。前輪がロックし、そのまま自転車は一回転する。背中を強く地面に打ち付けるが、耕された土の上なので、強いダメージは受けていない。ケイヤは僕のことを振り返りながら走り続けている。僕もすぐに立ち上がると、放り出され、タイヤだけが回転している自転車を起こして、再び走り始める。
畑を抜けて、道路に上ると、見渡す限り道路上に車はいない。息切れした呼吸を整える。
心地よい風が、全身の汗を乾かすように吹いている。その風が、道路わきに生えている雑草を揺らし、サワサワと音をたてている。小鳥のさえずりが聞こえる。シュウマイみたいな丸い雲が、早いスピードで幾つも流れていく。広大な田園地帯に雲の影が水玉模様をつくり、同じスピードで進んでいく。――なんかお腹が減った。
「大丈夫か?」
「全然、平気」
転んで泥だらけになったTシャツを叩きながら僕は答える。
「よっちんどうだった?」
「再婚相手にもよっちんと同じ年の子供がいたんだって。そいつがスゲー嫌な奴らしいんだ。よっちんのこと殴ったりするんだって」
「何だって! そんな奴、ボコボコにしてやろうぜ!」
「よっちんはそいつと、これからも一緒に暮らさなきゃいけないんだ。一回やっつければ済むって話じゃないだろ?」
「一回でダメなら、何回だってやってやる」
「だから、そういう話じゃ――」
「おい。見ろ!」
向こうのほうから白いワゴン車がこちらに近づいてくる。本当にこっちに戻ってきたみたいだ。ケイヤの表情が険しくなる。車の姿は次第に大きくなってくる。他の車はいない。
どうしたらいいのか分からない。僕らは無言のまま、近づいてくる車を見つめていた。
ケイヤは自転車にまたがったまま、道路を封鎖するように立ちはだかる。この道路は二車線なので、ケイヤだけでは完全に道は塞げない。
――マジかよ。
僕もケイヤと一緒に並んで道路を塞いだ。
白いワゴン車の姿は大きくなっていく。向こうは強盗の犯人なんだぞ。こんなんで止まるかよ! でも、僕だけ逃げ出すわけにはいかない。車はスピードを緩めずに近づいてくる。ケイヤのことを見る。ケイヤはじっと車を見据えたまま動かない。ケイヤを置いて逃げるわけにいかない。一人で逃げ出すくらいなら、このまま死んだほうがいい。僕は目をつぶった。
ずいぶん長い間、目をつぶっていたような気がする。もう車は来ないのか? 思った瞬間、ものすごい衝突音がした。同時に、握っていた自転車のハンドルに衝撃がはしり、僕は自転車ごと、よろよろと倒れる。僕の自転車の前輪に車は接触したみたいだ。目を開けると、ケイヤが車のボンネットの上を飛んでいる。飛んでいるケイヤの形が、影絵みたいに青空をくり抜く。金属が擦れあい、潰れる大きな音がする。倒れた僕の前を無数のオレンジ色の火花が移動していく。ケイヤの自転車が車の下に入り込んで火花を上げているんだ。去年、僕とケイヤとよっちんで花火をしたことを思い出す。――また三人で花火をすることなんてあるんだろうか……
ドスンという鈍い音がした。ケイヤが地面に転がっている。
車は、火花を上げながら蛇行して走り、ハンドルを取られたのか畑の中に落ちた。土埃が舞い上がる。突然、静寂が訪れる。さっきと何も変わっていないように、風がサワサワと道路わきの草を揺らす。遠くのほうで、蝉が鳴いている。僕の頬の下にあるアスファルトが、日に照らされ、焼けるよに熱い。熱いけど、なんか気持ちいい。このまま眠ってしまいたい。
運転席のドアが開いて、中から犯人が出てくる。ふらつきながら、道路に上ってくる。僕が立ち上がろうとすると、ケイヤが僕よりも早く立ち上がり、犯人に向かって走り出す。
「ケイヤ!」
僕は叫びながら、ケイヤの後を追いかける。
「無理するな!」
ケイヤは犯人に追いつくと一瞬の躊躇いもみせずに飛びかかった。犯人はケイヤを振りほどこうと左右に身体を動かすが、ケイヤはしがみついたまま放れない。犯人はズボンのポケットから何かを取り出す。右手に持ったそれが銀色に輝いている。ナイフだ! もっと早く走りたいのに、手足の動きがスローモーションみたいになって歯痒い。犯人は右手を振り上げ、今にもケイヤを突き刺そうとしている。僕はギリギリのところで、ナイフを持った右手にしがみついた。犯人はゴリ田なんかより断然デカイ。身長が百八十センチ以上ある。腕の筋肉もすごく太くて、僕一人じゃとても押さえきれない。だけど、絶対にこの手を放しちゃいけないんだ! どんなことがあったって! 僕は腕に噛みつく。犯人は信じられないような力で僕を引き離そうとする。無理だよ! いくらなんでも、こんなの無理だ! ふと、犯人の肩越しにうしろを見ると、よっちんが自転車でこちらに向かってくる。犯人はよっちんには気付いていない。よっちんは真っ赤な顔をして、ママチャリで突進してくる。
よっちんはそのまま、犯人の背中に激突した。犯人はマントヒヒの雄叫びみたいな声を上げて、道路に倒れた。すかさずよっちんが犯人の胸の上に馬乗りになり、僕が右手、ケイヤが左手の上に乗って、押さえ込んだ。
さすがに三人に押さえられては動けないらしく、犯人はしばらく騒いでいたけど、そのうち大人しくなった。
遠くのほうからパトカーのサイレンが近づいてきた。
パトカーが何台もやってきて、たくさんのお巡りさんに囲まれた。犯人は手錠をかけられて、その中の一台に乗せられ、連れていかれる。犯人の乗っていたワゴン車の中から、人質になっていた女の人も救出された。救急車が来て、女の人は救急隊員に抱えられながら乗った。ケイヤは自分では大丈夫だと言ったけど、あれだけ激しく車とぶつかったのだから、念のために一緒に病院へ行くことになった。
「じゃあ、また後でな」とケイヤは言うと、微笑み、手を振りながら救急車に自分で乗り込んだ。顔色が悪い気がしたけど、こんなことの後だから仕方がないと思った。
僕とよっちんは二人でパトカーに乗って警察署に連れて行かれる。同じような質問に、何度もなんども答えさせられてうんざりした。夕方近くなって、ケイヤの爺ちゃんを車に乗せて、僕の両親がやってきた。嘘をついてこんなところまで来てしまったので、絶対に怒られると覚悟してたけど、意外にもそんなに怒られずに済んでホッとした。母さんは僕を抱きしめると涙を流した。母さんに抱きしめられることなんて、何年もなかったので、恥ずかしくて、居心地が悪くて、くすぐったくて、本当に困った。
よっちんの家族も迎えに来ている。よっちんの新しいお父さんは、優しそうな人で安心した。驚いたことに、お父さんの連れ子という奴も警察の待合室に来ていた。本当に驚いた。そいつは勝気そうな目をしていて、鼻筋が通っていて、唇が生意気そうで、髪の毛が長くて、女の子だった。僕らの学校で一番可愛いと言われている、長瀬魅月よりも三倍くらい可愛かった。よっちんが出て行くと、よっちんの頭をポカンと平手で殴って、心配かけるなって、少し涙ぐんでいる。なんとなくだけど、今回のよっちんの悩みについて、僕はもう、そんなに心配しなくてもいいのかなって気がした。
ケイヤが病院から戻ってきた。みんなに囲まれて、少し恥ずかしそうに笑っている。爺ちゃんがケイヤの顔をなで回していた。ケイヤは爺ちゃんのされるがままになってじっと動かずに笑ってる。
ケイヤは調べがあるから、まだ帰れないみたいだ。ケイヤのお父さんもこちらに向かっていて、夜には着くらしい。ケイヤの爺ちゃんを残して、僕らは先に帰ることになった。
よっちんんとケイヤの顔を見ていたら、急に涙が溢れ出てきた。どんなに離れていたって、住む世界が違ったって、俺たちが友達だってことには変わりないんだ、って、ケイヤが言っていたのを思い出す。そうだ、どんなことがあったって、僕らの友情は変わらない。よっちんも大粒の涙を流している。多分、これから僕らはたくさんの苦しいことや、恐ろしいこと、辛いことに出くわすんだと思う。怖いのはしょうがない。でも、逃げちゃいけないんだ。勇気を出して一歩を踏み出せば、きっとその先に何かが見えてくる。それは夢とか希望とかいわれるものなのかもしれないし、あるいは全く違ったものかもしれない。よく分からないけど、僕らは一歩いっぽ進んでいくしかないんだと思った。
僕とよっちんはケイヤを残して部屋を出る。よっちんが手を振ると、ケイヤは恥ずかしそうに笑っていた。