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10話

 雨は一段と激しさを増し、土砂降りだ。前を自転車を押して歩くケイヤの姿も、霞んでよく見えない。突然、閃光が光り、ケイヤの背中がフラッシュを浴びたように、浮かび上がる。地響きを伴う雷鳴が轟く。道を渓流のように水が流れる。

 ケイヤはときどき振り返るが、僕と目を合わせようとはしない。僕がついてきているのを確認すると、すぐ前を向いて、自転車を押す。

 ケイヤだって、わざと間違えたわけじゃない。それは分かっている。だけど、ゴメンの一言ぐらいは言うべきだろ。何であいつは謝らないんだ! やっぱり腹が立つ。

 最初、看板があった二股道でケイヤが僕に地図を見せたとき、僕は地図を見ることもしなかった。判断も責任もケイヤに押し付けていた。そして、ミスをしたときだけ責めるのは、卑怯なのか。僕にはケイヤを怒ったりする資格があるのか。よく分からない。疲れた。何も考えたくない。もう眠い……


 いつの間にか、雨は小降りになっている。日は沈み、周りは真っ暗だ。道路灯に照らされた見覚えのある景色。やっと峠にたどり着いた。ケイヤが地図を広げる。僕は横に並んで、その地図を見る。

「さっき、この道をケイヤが見逃して、左のほうへ行っちゃたんだよ!」

 責めるつもりはもうなかったけど、語気が少し強くなる。

「うん……」

 ケイヤはそれだけ言うと、自転車に乗って坂を下り始める。

 自転車のライトを点けるが、二人の持っているLEDライトは、こちらの存在を相手に知らせるもので、照明としての機能は高くない。峠に道路灯があった他は、道路沿いの照明はない。空はまだ厚い雲で覆われていて、自転車のライトがなければ、目の前にかざした自分の手も見えないほど暗い。僕はケイヤのライトを頼りに進んでいる。ケイヤはほとんど先が見えないはずだ。目の前に、急に山肌が現れ、ケイヤの自転車が危なくそれに接触しそうになる。バランスを崩して足をついた。

 ケイヤは再び漕ぎ出そうとする。

「もう無理だよ!」

 ケイヤは、黙って走り出すが、何メートルも進まないうちに、側溝に落ちそうになって慌てて自転車を止める。

「だから無理だって! これ以上進めないよ」

 道の脇に車が一台止められるほどのスペースが開いている。僕はそこに自転車を置くと、地べたに座り込んだ。雨はやんだようだ。地面は濡れているが、僕だってビショビショだ、構うことはない。ケイヤは僕から三メートルくらい離れたところに座る。自転車のライトは点けてあるが、真っ暗でほとんど何も見えない。ケイヤが闇の中に薄っすらと浮かんで見える。僕と同じように膝を抱え込んでうつむいている。地面がヌルヌルして気持ち悪い。絶対、虫とか出てきそうだ。そう思うと、何も見えないのはすごく怖い。風で揺れて物音がするたびに、僕はビクリとする。二の腕のところで、何かが動いた気がした。慌てて払いのける。見えないから、虫がいたのか、滴がたれたのか分からない。とてもじゃないけど、こんなところで眠れるわけがない。

 ――だから嫌だっていったんだ!

 お腹が減った。山の下まで降りる予定だったから、食べ物なんて持ってない。予備の食料くらい何か買っておけばよかったんだ。僕はデイパックの中からペットボトルを出して、水を飲む。

 ケイヤは膝を抱えたまま動かない。まさか一人で寝てるんじゃないだろうな!

 涙がこぼれる。止まらない。嗚咽が漏れそうになる。ケイヤに泣いてることを気付かれるくらいなら、死んだほうがましだ。歯をくいしばって、舌を上あごに押し付け、必死に堪える。落ち着いたかと思うと、次の感情の波がやってくる。左右の膝の間に顔をうずめて、呼吸を整える。ゆっくりと息を吸う。その息をゆっくりと吐く。息を吸う。吐く……



「おい、起きろよ」

 ケイヤの声で僕は目を覚ます。どうやら、膝を抱えたまま眠ってしまったらしい。目を開けると、周りの景色が違っている。全てのものが青白い光に包まれている。濡れたアスファルトに僕の影がうつっている。ケイヤの顔もハッキリ見える。

 空を見上げると、覆っていた雲は消え去り、真ん丸の月が高く昇っていた。手も服も、倒れた自転車も、全てが青く輝いている。木々の葉についた水滴が、月光を反射して煌き、巨大なクリスマス・ツリーのように見える。世界の全てが、青いセロファン紙を通して見たようだ。4年の夏休みの工作で作った、水族館を思い出す。煎餅の箱に青いセロファン紙を張って、中に厚紙を切り抜いた魚やサンゴを貼り付けた。僕はその世界に入り込んでしまったような錯覚を覚えた。

 ――まるで海の底だ!


「もう少しマシなところまで移動しよう」

 ケイヤはもう自転車に手をかけている。

 道路に引かれたセンターラインが僕らの進む道を示すように光っている。これなら十分進むことができる。風は強く、濡れたまま、眠ってしまったため、真夏とはいえ身体は冷え切っていた。

「せめて、この風が防げる場所を探そう」

 ケイヤは自転車にまたがり、僕のことを振り返る。

「う、うん」

 僕は目をこすりながら立ち上がると、倒れていた自転車を起こす。身体の節々が堅く固まっている。一度伸びをして、自転車にまたがる。

 それほどスピードは出さない。海の底を滑らかに進むイルカの気分だ。さっき間違えた、分岐を右に曲がる。両脇を木々に囲まれているが、正面には大きな満月がある。月の光がこんなにも明るいなんて、信じられない。青い世界が緩やかにうしろに流れていく。

 カーブを曲がると、海が見えた。前とは違う形の海だ。月は海上にあり、海にも大きな月が揺らめいている。その周りに、航行する船のライトが瞬いている。陸地には家々の光が天の川のように連なっている。

 僕はケイヤに並んだ。

「何か、すごいな」

「うん。宇宙旅行してるみたいだ」

 ケイヤの瞳の中にも、無数の星が輝いているように見えた。

「ホント。すごいよな!」

「すげーな!」

「「スッゲー!」」

 僕らは二人揃って、何度もなんども「スッゲー!」と叫びながら、坂を下った。

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