野球少年
1. 彼は、野球少年。
小学生の頃から友達と草野球をしてきた。
野球少年は草野球ではエースで4番。それなりに野球ができる方であった。
有名な野球選手については知らないし、特段ファンになる球団もない。ただ、メジャーリーグのすごい野球に憧れた。
とんでもなく速い球。速い送球。魔法のようなダイビングキャッチ。絵に描いたようなタイミングでのホームラン。歓声と、たくさんの声援、そして何より女の子からモテる。
彼は、そういうものに憧れていた。
そんな彼も今日から中学生である。野球部というものに所属しよう。そうすれば野球をしていられる。野球をすればメジャーの真似事をもっとできる。そう信じていたのだ。
冷ややかな床、大きな体育館に難しい話が響いている。隣の丸坊主の男の子が話しかけてきた。
「このあと、野球部の見学に行こう」
彼は野球少年とバッテリーを組んでいた。名前は……。
もう忘れてしまったが、仮にAとしようではないか。
「当たり前。この学校でも天下取ろうぜ。」
田舎の名もない中学校。ここから伝説が始まる。そんな確信があった。
2. 見学と練習
少年とA以外にも多数の見学者がいた。その頃は野球の神様が日本から輩出され、毎日話題となっていたのである。
監督の怒号が響く。
「ノック行くぞ!!!」
「今の取れただろ!声出せよ!」
「忘れ物をした!?練習から出てろ!!」
コワモテでヤクザのようであった。
「厳しそうだな……」
Aが呟く。
「なーに。どこの野球部もこんなもんよ」
Aも無言で頷く。
少年はキツい練習にも怒号にも怯まない。入部を決めていた。俺がここの中学でエースで4番になるのである。
怒号や厳しそうな練習とは裏腹に、野球少年の胸は高鳴っていた。
練習が終わり、キャプテンが一年生に向かって走ってくる。
「はい。こんな感じがいつもの練習です。うちはオフは基本的になくて、土日も練習か試合があります。部員の数は30人くらいかな。入ってくれると嬉しいな。」
キャプテンは優しそうである。
優しい先輩は大好きだ。入部しよう。
Aと少年は入部を即座に決めた。
入部して半月。
「眠い」
Aは朝が弱かった。この野球部には朝練もある。夜は18時まで練習だ。
中学へは自宅から徒歩30分。いきなり環境が変わった中学生には少しキツい。
「情けないなぁ。しっかりしろよ。」
野球少年は連日の早朝からの練習にもかかわらずピンピンしていた。まずはトンボかけ、ボール拾い。終わらない筋トレ。
少年が漫画で読んだ野球部そのままの体験がそこにはあった。
「ダラダラするな!!!走れ!!」
ゆったりと歩いていると、自転車に乗った監督が後ろから現れた。野球部の監督は神出鬼没で怒鳴ってくる。
怒鳴られるということは見込みがあるということだと少年は思っていた。
「はい!!すいません!!」
2人は、その日も走って朝練に向かった。
とはいえ、試合に出られるわけもなく、とにかく基礎練習と声出し。先輩たちの試合の応援。
そんな日々を続けて約半年。
キャプテンを含む三年生が夏の大会に負け、引退した。
「我々は……負けた……しかし、次の君たちにこんな思いをさせたくない。だ……だから。頑張ってくれ。」
俺がこの部を背負って、大会で優勝してやる。
少年の決意は一層高まった。
3. ベンチ入り
少年とAが入部して一年。野球部の人数は新一年生を含め50人になっていた。
野球少年は、春の大会へのレギュラーに、それどころかベンチにもなれなかった。
毎日練習し、練習終わりにも素振りや投球練習を近所の公園でしていたのに。
おかしい。
Aはベンチに入っていたのに。
「お前たちは、全員野球で先輩たちの無念を晴らしに行く。実力次第で俺は試合に出すので練習を怠るな。そして攻撃中も守備中も、声を出せ。お前たちは声が足りない。だから負けるんだ。」
ただ、実力主義のようである。
声の大きさには自信があった。
すぐレギュラーになれるだろう。焦らず続けよう。
Aは俺のバッテリー。先に行って修行してもらおう。
少年は前向きであった。
4. 応援
そんな思いとは裏腹に、Aはその夏、早速試合に出た。
野球少年は試合にて毎回声を張り上げていた。
にもかかわらず、監督は最近少年に声すらかけない。
何をすれば良いのか、それはもちろん応援であろう。
Aは頑張っている。Aを、チームを応援するのが全員野球、サポートするのだ。それが認められる日が来るまで。
スコアをつけ、分析し、声を張り上げる。
2年生になったそんな少年に出場機会が与えられることはなかった。応援と練習と雑用。夜の自主練も欠かしたことはなかった。
たまにレギュラー陣が授業中の居眠りやサボりで監督に叱責されているのを見る。
しかし、そういう奴ほど何故か野球が上手いのである。
練習試合に一回出場できなかったとしても、その次には何事もなかったように試合に出ている。
実力主義とはこういうことらしい。
5. 三年生
野球少年は3年生になっていた。
流石にベンチには入ることができた。
Aは正捕手としてレギュラーになった。
監督は今年も実力主義のようである。
練習を重ねて幾星霜。
少年にもある日、練習試合へ出場する機会ができた。
一番手と二番手の投手が安い焼肉屋で変なものを食って腹を下したらしい。
Aとの久しぶりのバッテリー。
Aのリードは格段に上手くなっていた。
少年は投げる。
投げ続ける。
しかし、指が痺れる。頭が痺れる。
上手くコントロールが定まらない。
「何故だ。」
『緊張』と『萎縮』
少年は怖かった。
ようやく回ってきたチャンス。
ものにできなければ、実力主義のこの部では生き残れない。
あれだけ練習したのに、1回でフォアボール二つ、既に視界がぼやけていた。
ノーアウト一二塁、Aが走り寄ってくる。
「肩の力を抜け。できる。大丈夫だ。」
頼りになるアドバイスだ。
気が緩んだ瞬間、スタンド、ベンチ、守備からの応援が耳に入る。こんなにも大きな声で応援されていたのか、俺は。
これらの声は少年を奮い立たせる。
はずだった。
声は全く心に届かない。
そこから届くのは、萎縮と、とりあえず何か叫ばなくてはという心。
Aが戻ったあと、少年は逆にその声援にさえ、飲み込まれた。
フォアボール三つ目、あとがない。
落ち着け、まず入れる。
そこからである。
少年は落ち着いて、ゆっくりとボールをAのリードに向けて投げた。
『カキーン』
ホームラン。
監督の叱責も何も心に響かなかった。
6. 夏の大会
主人公は夏の大会をベンチで迎えた。
そしてあっけなく、一回戦で負けた。
少年の中学野球人生は終わった。
同期のキャプテンの言葉などよそに、少年は考えていた。
野球漬けの日々。何を得たのだろう。
それだけだった。
7. そして
受験が始まる。
少年は受験勉強など一切してこなかった。
Aも同様である。
Aと久しぶりに話した。
「なんだったんだろうな、3年間」
少年は問う。
「わからん。とりあえず、一緒に勉強しようぜ。中卒で終わるわけにはいかねぇよ。」
Aも野球で推薦など夢のまた夢だったようである。
少年はAとともに、引退後勉強し、共に一般的な高校に入った。
後になってわかったことだが、あの監督は、野球部にいたことがなかったらしい。監督は単に社会科教師になり、たまたま野球部を任されただけの素人だったらしい。
Aと高校の学友と有意義な生活を過ごせるようになったただの少年には、もう関係のないことだった。




