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月の光と葵の乙女  作者: 三好八人衆
桶狭間の戦いの章
9/42

第八話

今川義元、桶狭間の地に散る―――

大高城にこの報告が入った瞬間、松平・鵜殿勢が詰める本丸は水を打ったように静かになった。その中で、松平元康の側に座する家臣団の長老鳥居忠吉の目は末席に座る少年に向けられていた。ただ一人いたのだ。誰もが思わなかった『義元敗死』を予告した少年が。それが―――数月前、月の使者として松平家にやってきた鷹村聖一だった。




「これこれ、何をしておるのだ」

それに気がついたのは忠吉が城内を見回っていた時の事。松平の兵士が荷駄を整えている場面に出くわしたのだ。荷駄泥棒か―――と思うには堂々とし過ぎていたのだが。

「あ、御家老様」

荷駄をまとめている兵達の中からひとりの兵が戸惑った様子で歩み寄ってきた。

「実はわしにもよく解らんのです。『近々、この城を退き払わなければならなくなるから荷駄をまとめてくれ』と言われたのですが・・・」

「なるほど・・・それは誰に言われたのじゃ?」



目的の少年は本丸御殿の縁側に腰掛けて弓の手入れをしていた。周囲に人の気配はなく、ひとりきりのようだった。彼が先にこちらに気が付き、あいさつをしてきた。

「忠吉様、見回り御苦労さまです」

鷹村聖一。月の使者として異界から戦国乱世を鎮めるために派遣されたという少年―――

「そなた、兵に荷駄をまとめるよう命じたらしいが・・・」

「はい。確かに僕が兵の皆さんに荷駄をまとめるよう指示しました」

「なぜじゃ?我が軍は天をも突く勢い。移動するにもまだまだ日があろう」

さすがに義元も先の戦いで先陣として戦った松平勢を清洲城攻略には使うまい。移動するにしても清洲城が陥落してからだと忠吉は思っていた。

「・・・忠吉様、これからちょっと秘密のお話をしたいと思います。この話は、忠吉様の胸の中にとどめておいていただけないでしょうか」

少年の真剣な眼差し、そして口調に忠吉は感じ取った。これは大事(おおごと)を話すつもりだと。

「もうまもなく、今川義元公が桶狭間の地で織田信長に討たれます」

「なっ・・・!?」

息をのむ忠吉に、聖一は続けて言う。この後の日本史の事を。

「義元公が戦死した事により、尾張・美濃・伊勢・三河・遠江・駿河の勢力図は大きく変わります。甲斐の虎は海を手に入れ、名門今川は歴史の表舞台から姿を消し、織田は北、そして西に、松平は東に軍を進めることでしょう」

「・・・なぜ、それをわしに?」

ゴクリ、と生唾を飲む。その事が事実なら、日本の勢力図は大きく変わる事だろう。

「忠吉様なら、僕の荒唐無稽な話を聞いてくださる度量とそれを受け止めてくださるだけの胆力があると考えたからです」

「・・・わかった。この話、わしの胸の中に収めておく。だが、いつかは殿に話をするように」

「ありがとうございます。元康にはいずれ、話します」




「殿!御所討死という報が真ならば、孤立する前に撤退するが上策かと愚考いたしまする」

「この数正も同意にございます。殿、撤退いたしましょう」

酒井忠次が静寂を打ち破り、身を乗り出して元康に進言する。石川数正も同意見のようで、他の家臣団もこの意見に追従している。

「・・・分かりました。松平勢も退却します。集結地は我が家の菩提寺『大樹寺』です!」

『ははっ』




大樹寺は松平家4代目当主・松平親忠が建立した寺で元康の祖父清康、父の広忠が眠っている。

大高城から退却した松平軍だったが、今川の代官が支配している居城の岡崎城には入れなかったため、大樹寺に本陣を構えていた。

その本堂で元康はひとり、考えていた。

(義元様が討ち死になさった・・・)

三河に戻った頃には、『義元戦死』の報告は事実であると確認ができていた。あまりにあっけない結末に彼女は呆然としていたのだ。

これで、自由―――彼女が待ち望んだ独立の芽が出てきた。それなのに―――彼女はいきなり見知らぬ地に放りだされ、迷子になったような気分になっていた。

母とは遠く離れ、父はすでに亡くなり、頼る一族はなく、元康はひとりぼっちだった。

彼女に仕える者達、そしてその家族や郎党たちの命や生活が少女の双肩に重くのしかかってきたことを実感した時、元康は思い知ってしまった。

―――自分は、何も知らない小娘だったんだな、と。

『自由が欲しい』。聖一にそんな啖呵を切ったが、はたしてどうだ。自由を得た途端、途方に暮れてしまっている自分がいる。

「ふぇっ・・・」

情けなくて、悔しくて。

あふれる涙を堪えきれず、少女は涙を流した。




「・・・元康?」

「え、せ、聖一さん!?」

夜、聖一がすすり泣く声に誘われて本堂に入ってみると、そこには肩を震わせて涙を流す少女の姿があった。

「な、何でもないですよ!泣いてなんていないですから!」

「・・・まず僕は『泣いてるの』って聞いてすらないのだけど?」

「う、うう・・・」

顔を真っ赤にして俯いた元康に、聖一は腰を落として顔を合わせた。

「・・・僕なんかが元康の事を分かってあげられるとは思わないけど、話してくれる事で解決する事もあるかもしれないよ?」




どれだけの時間が経っただろう。10分間だったかもしれないし、1時間は経っていたかもしれない。どちらにしろ、時計のない聖一にはわからない事だったし、どうでもよい事だった。

「・・・そう・・・そんなこと考えてたんだ」

「そう、なんです。大きな事言って、頼りない主君ですよね、私・・・」

シュン、と落ち込んで小さくなる元康。

(聖一さん、呆れてるだろうな・・・)

俯いて顔を上げられずにいると彼女の頬をむに、と指が掴み、『ふぇ?』と顔を上げようとした―――



ぎゅうぅぅぅぅぅ~



「痛い痛い!いたいでふ聖一ひゃん!」

元康は涙目で腕をバタバタさせて抵抗するが、聖一は頬の肉を放さない。しばらく彼女の頬で遊び、満足した聖一は赤くなった頬を放した。

「ねえ元康?頼りなくてもいいんじゃないかな?」

「えっ?」

キョトンとした表情でこちらを見上げる元康の頭を優しく撫でながら、聖一は諭すように語りだした。

「昔のどんな英傑だって、大業をひとりでやり遂げたわけじゃない。多くの部下や周りの人たちの力があったからこそ成し遂げられたんだ。だから情けなくなんてないし、むしろみんなを頼ったっていいと思うよ?」

「・・・はいっ!容赦なく頼っちゃいますね!」

涙を浮かべながら、元康は笑顔でうなずいた。思わず、ドキッとしてしまいそうな魅力的な笑顔だった―――




大樹寺に逗留して数日後。聖一は酒井忠次に十数名の兵を借り、渡辺守綱とともにとある場所へ向かっていた。

「鷹村様の言っていた、『いい所』ってどこだろう?」

実のところ守綱もこの新しい上司から何も聞かされていないのだった。ただ、『落し物を拾いに行くからついて来て』と言われただけで。

しばらく聖一乗る馬の轡を取りながら歩みを進めていると、ある事に気が付いた。いや、守綱だけでなく、後ろを歩く酒井隊の兵士達もなにやらざわめきはじめている。

そう、この道の先にあるのは―――

「岡崎城・・・」

松平家累代の居城・岡崎城が悠然とそびえ立っていた。馬を降りた聖一はみんなの方に向き直り、なぜか開け放たれている大手門を背に悪戯っぽく笑った。

「ねぇみんな。僕らの目の前にはこんなに大きくて立派な城が捨てられている。もったいないと思わない?」

わざとらしい聖一の問い掛けに兵士達も得心がいったのか、もっともらしくうなずいたり「そうだそうだ」と声をあげる。

「城の主を読んで字のごとく城主というけど、こんな立派な城の主に相応しい方はどこかにいないかな、守綱?」

話を振られた守綱の頭のなかにはすでに答えが出ていた。大声でその人物の名を呼ぶ。

「はいっ!松平元康様がこのお城の主に相応しいと思います!」




こうして元康は岡崎城に入城し、戦国大名へ―――いや、後に意識するであろう大望へ向けて一歩前進したのだった。

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