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月の光と葵の乙女  作者: 三好八人衆
桶狭間の戦いの章
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第七話

昨夜から降り続いた雨は未だに勢いが衰えず、尾張の平野に潤いを施す。闇が世界を支配した頃、清洲城の城門が開かれ一騎の騎馬武者と数名の徒歩の兵が飛び出した。

「サル!まずは熱田神社に向かう故、柴田・佐久間達に集結するよう伝えろ!」

「はいっ!」

尾張織田家当主・織田信長と木下秀吉、そして彼女の親衛隊の者たちである。

「急げよ!義元めにひと泡吹かせてやるぞっ」



熱田神社に到着した信長は、ここまで着いて来た兵たちに休息を命じると本殿に向かった。柏手を打ち、神仏に必勝を祈る。

(・・・神様なんかに祈るなんてオレの柄じゃねぇが、打つ手は神頼みでも打っておかなきゃな)

「殿!柴田権六、ただいま参上いたしましたぞ!」

「おぅ!遅いぞ勝家!」

柴田勝家に続いて林秀貞・佐久間信盛や森可成などの諸将が到着。その兵数は2千に膨れ上がった。

「いいか皆の者!」

熱田神社の境内、集った織田の兵を前に月明かりを背にした信長が叫ぶ。

「敵は数万、こちらは2千・・・数の上では圧倒的に不利だ!だがな、敵はすでに緒戦の勝利に驕り軍を桶狭間で休ませているという報告が入った!」

「時は今!これより今川軍本陣に奇襲を仕掛け、義元の首級を挙げて末代までの栄光とせよ!」

『―――オォォォォォォォォッ―――!』




尾張国桶狭間―――今川軍総帥今川義元はこの地に本陣を敷き、5千の兵に守られて休息を取っていた。

(雨・・・か。思えばここまでの道のり、平坦なものではなかったのぅ)

江戸時代とは違い、家を継ぐ嫡男の判断基準があいまいだった戦国時代。そんな時代、足利将軍家の連枝である駿河守護職今川家の7代当主氏親の5男として義元は生まれた。足利一門には『嫡男以外は僧籍に入れるべし』という決まりがあり、義元もこれに従い出家していた。父の氏親は僧として育てるべく彼の教育係として禅僧の太源雪斎を付けた。やがて氏親が没すると当主となった長兄の氏輝に呼び戻されるが、元々病弱だった長兄は早くに亡くなり、次兄の彦五郎も同日に亡くなると今川家の当主を巡って亡父氏親の3男で異母兄の玄広恵探(げんこうえたん)と正室の子で氏輝の同母弟の義元が争う『花倉の乱』が勃発。氏親の正室で実母の寿桂尼や太源雪斎、岡部・朝比奈などの有力家臣団に擁された義元はこれに勝利し、恵探と恵探派の勢力を滅亡させた。

家督継承後は甲斐の武田信虎と結び、新興勢力である小田原の北条氏綱や尾張の織田信秀と戦いながら三河の松平広忠を傘下に収めるなどして勢力を拡大していった。三河に侵攻し、傘下の将・松平広忠を攻撃してきた織田信秀を小豆坂の合戦で撃破し、その勢力を減衰させると、さらには父の信虎を追放し、家督を継いだ信虎の娘信玄、氏綱の死後に家督を継いだ北条氏康と手を結んで後顧の憂いを断つ。

さらには今川家の分国法『今川仮名目録』に条例を追加し、今川家を戦国大名へと変貌させた。そして、今回の上洛戦―――

「人間五十年・・・余の人生の集大成じゃ。明日には清洲城を攻め落とし、信長を屈服させてくれる」

杯に注がれた酒をグイッと飲み干し、美女と名高い敵将織田信長が従順に傅く姿を想像しほくそ笑む。そこで、ふと気がつく。

「なにやら前線が騒がしい・・・お主、ちと見てまいれ」

「はっ」

「まったく・・・休息しておるとはいえ、ここは敵地で戦時中ぞ。喧嘩するとは何事じゃ」




この時、義元はまだ前線の騒ぎが喧嘩による騒ぎだと思っていた。顔を真っ青にした小姓が転がり込んでくるまでは。




「申し上げます!この騒ぎは雑兵どもの喧嘩ではございません!お、織田軍の奇襲でござる!」

「なんじゃと!?」

床机から立ち上がった義元は小姓を押しのけて陣幕の外に出た。その彼の目に映ったのは―――

統率された動きを見せる織田木瓜の旗に圧倒される、二両引の旗の林だった―――




紅き美女は戦場に舞う。返り血のしぶきを浴びながら、美しく、優雅に。桶狭間の地に降り立った織田信長は今川の兵を斬り捨てながら味方の兵を叱咤激励する。

今川治部大輔(じぶだゆう)を逃がすな!この機を逃せば、織田は滅びると心得よ!」

『応っ!』

斬りかかってきた今川の兵を斬り捨て、(むくろ)を放り捨てる。雑兵の首はいらない。狙うは敵総大将・今川義元の首ただひとつ!

「チッ、サル!義元はまだ見つからんか!?」

「はいっ、さきほど毛利新助と服部小平太が本陣に突入していったのですが・・・」

あまり時間をかけては各方面に出ている部隊に本陣からの急が知れ渡り、こちらの部隊は敵の増援に囲まれ全滅するだろう。早めに決着をつける必要があった。




混乱状態に陥った大軍ほど役に立たないものはない。義元を守っていた5千の兵はいきなり現れた織田軍に慌て、何も出来ぬままに討ち取られる者や逃げ散る者が相次いだ。

総大将の義元も太刀を奮って群がる織田兵と戦っていた。

(余は・・・余はこんなところで死ぬわけにはいかぬのだ)

足利一族の名門今川家の嫡流として生まれ、『東海の弓取り』とまで言われた自分は天下人を約束された人間のはずだった。

それが今、雨を浴びながら群がる雑兵を斬り捨てることに必死になっている。華美な鎧は泥や返り血に染まり、荒い息を吐いている。

「織田の郎党、服部小平太見参!」

名乗りとともに肉を貫く鈍い音、そして激痛。腹部に槍が刺さったようだ。

「うぐっ・・・!下郎がっ」

腹部に槍が刺さったまま斬りかかってきた服部なる郎党を斬り払う。

(これまでか・・・痛みに意識が朦朧としてきたわ)

「ぐおっ!?」

押し倒され、衝撃に呻く。そして―――首に突き立てられる。

「今川治部大輔義元が首、織田の郎党毛利新助が討ち取ったり!」

義元が薄れゆく意識の中で最期に聞いたのはそんな勝鬨だった。




こうして三河・遠江・駿河三ヶ国の太守として勢力を振るった今川義元は戦死。この後、東海地方の勢力図は大きく塗り替えられる事になる。



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