第六話
聖一は砦の中で馬を疾走させながら流鏑馬の要領で矢を放っていた。標的は櫓の上から矢や鉄砲でこちらを狙ってくる兵士達。地上の敵は驚異的な脚力とスタミナで聖一の馬に並走する守綱が蹴散らす。そして馬を捨てて辿り着いた本丸では敵味方入交わっての乱戦となっていた。
「あっ、鷹村様!本多様が!」
「くっ、なんとか援護したいけど・・・」
中央で忠勝が組み伏せられる場面が視界に入った守綱が悲鳴をあげる。忠勝は今にも首を刎ねられそうな状況だ。守綱も間に合わず、弓で援護したいところだが周りには敵兵と戦う味方の兵も多くいるため、味方への誤射も考えられる。だが、状況から忠勝を助けるために放てる矢は一本。
(やれるか?いや・・・やるんだ)
聖一は箙から矢を取り出し、弓に番える。引き絞り―――狙うは仲間を討たんとする敵の武将。チャンスは一度だけ。
緊張に波立つ心を無理やり落ち着け、平静な心を作り出す。
「このっ」
「うおっ」
矢の飛ぶ射線上で鍔迫り合いをしていた味方の兵の身体が、敵兵を押して射線上から消えた。
「今だっ!」
弦から放たれた矢は、風を切って飛んで行き―――敵将の首を過たず射抜いた。
「忠勝っ!大丈夫!?」
聖一は忠勝のもとに駆け寄り、倒れ伏した敵将の下敷きになっていた彼女を救い出す。やや顔色が悪いが、心配するほどのことではなさそうだ。
「あ、ああ。大丈夫だ」
肩を揺さぶられて我に返った忠勝は、なんとか聖一に返答する。それよりも気になる事があった。もちろん彼女の傍らで横たわっている首から矢が生えた佐久間盛重の遺体だ。
「ところで・・・鷹村、この矢はお前が射たのか?」
「うん」
否定する必要がない為、うなずく聖一。まだ大将首を取った事に気が付いていないのか「忠勝を助けようと思って必死だったんだ」と言い訳じみた事を口にしている。
(乱戦の最中で、ただ一矢で敵将の首を射抜いただと?)
彼の弓の腕は聞き及んではいるが、盛重ほどの剛の者の隙を突いて首を射抜くとは―――
「鷹村、お前が射ぬいたのは佐久間盛重―――大将首だぞ!よくやったな!」
忠勝は嬉々として首を取り、髻を握って聖一に名乗らせようと首を渡そうとしたところで―――限界だった。
カッと目を見開いた敵総大将佐久間盛重(生首)に射すくめられた聖一は、その場で嘔吐してそのまま気絶した。
「敵将、佐久間大学を三河松平の客将鷹村聖一が討ち取ったりぃ!」
気絶した聖一に代わって忠勝が首級を挙げて勝鬨を挙げ、松平軍の勝利を天に告げる。兵士達も己の得物を夕暮れに突き上げて勝利を祝い、自らが生きながらえた事を何かに感謝する。それは無事を祈って自分を送りだした両親であり、愛する妻であり子供であり親愛なる友人であったりするが、それは人それぞれだ。
丸根砦を突破した松平軍は、兵糧を大高城に運び込むことに成功した。城将の鵜殿長照や城兵たちは長期にわたる兵糧攻めで餓えて痩せ細っていたが、それでもなんとか生きながらえていた。
亡くなった元康の父よりも年上で立場的には上であるはずの城将鵜殿長照は、自分の子とあまり変わらぬ年頃の彼女の手を取って何度も何度も頭を下げて感謝の意を告げた。自然とその動きが出るほどこの城を囲まれた彼らは苦しい思いをしてきたのだろう。
一方聖一は、運び込まれた大高城本丸の一室で目覚めた。すでに鎧は解かれ、楽な格好で横にされてある程度清潔になっていた。
「お、起きたか、鷹村」
「・・・あれ、忠勝?いてくれたの?」
目を覚ました聖一が最初に視界に入れたのは、枕元で心配げにこちらを見下ろしている本多忠勝だった。聖一と目があった彼女はなにやらあわあわとしている。
「い、いや、私は殿にお前の介抱を頼まれただけであってな、別にお前の事が心配で付き添っていたわけではないからな!」
「うっそだぁ。お兄ちゃんがうなされてたらもう泣きそうな顔でうろたえてたじゃん」
「う、うるさいぞ!」
康政にからかわれた忠勝が頬を赤らめて子供を相手にした本気の追いかけっこを始め、康政はキャーキャー騒ぎながら部屋中を逃げ回る。
(とりあえず生き抜いたんだな・・・僕は)
大高城本丸には総大将の元康や長老鳥居忠吉など松平軍の重鎮たちが詰めて今後の動きについて話し合っていた。
「義元公は沓掛からこの城に入り、清洲の信長を攻撃するつもりでしょうな」
「物見の報告では、清洲勢は味噌を買い集めているそうじゃ。討って出ず、籠城するつもりかのぅ」
武将達の雑談を尻目に、元康は天守から曇り空が広がる尾張の平野を眺めていた。
「ひと雨、来そうですね・・・」
清洲城の大広間では織田家の重臣一同が詰め、悲壮感を漂わせながら意見を飛び交わせていた。
「ともかく、打って出るほかあるまい!」
「馬鹿な!柴田殿は殿を玉砕させるおつもりか!?」
上座で大欠伸する織田信長のすぐ近くに並ぶ髭面の大男―――織田家臣団筆頭格のひとりである柴田勝家が握りこぶしを叩きつけて主戦論を叫べば、彼と向かい合って座る細身の男―――筆頭家老林秀貞が反論する。
夕方から始まった軍議。すでに子の刻を回ったが、信長の口からは一言の言葉も出ていない。彼女は紛糾する会議に目もくれず、ただひたすらに目を閉じ、時に欠伸をしながら―――まるで、何かを待っているようだった。少なくとも、末席で主君の様子を観察していた秀吉にはそう感じた。
「権六(勝家)、佐渡(秀貞)」
『はっ!』
「俺は寝る。お前らもいったん家に帰れ」
この一大事にこのお方は何を言っておるのだ―――ポカンと口を開いた柴田・林を背に、信長は本当に自室に引っ込んでしまった。主君がおらずば軍議ができぬとばかりに、そしてフルフルと巨体を怒りにふるわせる勝家の怒号から逃れるために、居並ぶ諸将はこそこそと家路についた。
「・・・ったくうるせぇなぁ、あの雷親父」
清洲城内に響き渡った勝家の怒号に舌打ちをしつつ、信長は奥まった一室を目指した。彼女が向かう先は、柴田勝家や林秀貞をはじめとした重臣たちの中でもただ一人しか入ることを許されていない部屋であった。
「殿、お帰りなさいまし」
「おぅ、五郎左。奇妙はいい子にしてたか?」
その人物の名は丹羽長秀。織田家重臣の紅一点にして、信長が私的に最も信頼する家臣である。そして、彼女の腕に抱かれている『奇妙』と呼ばれた赤ん坊は―――
「奇妙、よい子にしておったかー?母さまが帰ったぞー」
長秀から受け取った赤ん坊を優しく抱く。この赤ん坊こそ信長の子・奇妙丸である。
(吉乃・・・俺は、必ずこの決戦に勝つ。冥府から見守っていてくれ)
今は亡き奇妙丸の父に向かって、信長は勝利を誓う。
雨はすでに本降りになっていた――――




