第五話
永禄3年5月12日、今川義元は2万5千の大軍を率いて駿府を出陣。岡崎城で松平元康隊と合流して三河沓掛城に入城し、早速軍議を開いた。
現在今川の勢力は尾張にも食い込んでいるが、その最前線たる鳴海城は丹下砦・善照寺砦・中嶋砦に圧迫され、大高城は丸根砦・鷲津砦によって鳴海・沓掛の城との連絡を遮断されている。
なかでも鵜殿長照の守る大高城は兵糧不足が著しく、陥落寸前だという報が入っていた。大高城が落ちれば、鳴海城まで孤立して尾張攻略戦の出鼻が挫かれてしまうのは必定であった。
「・・・そこで、まずは大高城に兵糧を入れねばならぬ。この任、わしは元康の松平勢に託したいと思う」
「大高城へ兵糧を入れろだと!?御所(義元)は我らを捨て石にするつもりか!」
「もう~・・・忠次うるさいよ~!」
沓掛城外にある松平軍本陣に酒井忠次の怒号が響いた。さらにその彼に文句を垂れる康政の声も。
「忠次。私達に拒否権はないんです」
「それはそうでござるが・・・」
元康に厳しくたしなめられ、渋々ながらも席に着く。しかし、康政を含め居並ぶ松平家臣たちの気持ちは忠次と一緒だった。
「ともあれ、我らは任を果たさねばなりませぬ」
重苦しい雰囲気の中、石川数正が軍議の司会を務める。
「今回我らが兵糧を運び入れなければならぬ大高城は、織田方の丸根砦と鷲津砦によってこの沓掛城との連絡を遮断されております。大高城に辿り着くためにはこの織田方の砦を突破しなければならないのですが―――」
広げられている尾張国の大高城・鳴海城周辺の地図。敵総大将・織田信長の居城清洲城もある。
「丸根と鷲津。このいずれかの砦を攻略せねばなりません。鷲津砦は朝比奈勢が担当してくれるようですが、我らには―――」
「兵糧という荷物がある、か」
数正の後を引き継いだ本多忠勝が重々しく呟く。松平軍は義元から貸してもらった兵も含めて2千。そのうち荷駄隊は500。戦闘に投入できるのは1500の兵。
城を攻める際のセオリーとして、攻城側は籠城側の3倍の兵力が必要とされている。物見の報告によれば、丸根砦の主将・佐久間盛重の兵は900。数こそ松平軍が勝るが、砦の防備を踏まえれば互角、いや劣勢であるといってもおかしくはなかった。
松平軍の戦闘要員1500に対して丸根砦に籠る佐久間軍900。この後大高城を保持するのに出来るだけ損害は抑えたいところだ。
「朝比奈勢、動きだしました」
「ありがとう、半蔵」
音も無く元康の背後に現れ、自軍の状況を伝えたのは黒装束の小柄な人物。『半蔵』と呼ばれたその人物は松平家でも謎に包まれた人物で、男か女かそれすら分かっておらずすべてを知るのは主君の元康だけであった。その人物の名は服部半蔵正成。松平軍の隠密頭を務める者だ。
「では、私達も動き出しましょう」
元康の号令のもと、松平勢は動き出し、聖一も元康の後ろから騎乗して続く。
(ついに始まるんだ)
体が震えるのは武者震いか、それとも―――
「大丈夫ですよ」
「―――え?」
声をかけてきたのは、先日聖一に仕えることになった長槍を得物とするツインテールの少女。彼の馬の轡を取るこの少女の名は渡辺守綱。通称を『半蔵』といい、『鬼の半蔵』と呼ばれる服部半蔵正成に対してこちらの渡辺半蔵守綱は『槍の半蔵』と呼ばれる。
彼女は明るい笑顔で聖一を見上げ、元気づける様にグッと握りこぶしを握った。
「鷹村様は私がお守りします!」
「・・・そうだね、信頼してるよ。守綱」
すこしずれた守綱の答えだったが、それでも彼女の笑顔に何がの呪縛が解かれたのか体の震えはもうなくなっていた。
織田軍の砦・丸根砦では、大柄な男が砦の中に敷かれた陣幕の奥で戦いの時を待っていた。彼の名は佐久間盛重。織田信長家臣で丸根砦を守って今川軍を迎え打つ将である。
「申し上げます!今川軍先鋒朝比奈勢、鷲津砦に攻撃を開始しました!」
「して、松平勢は?」
「酒井忠次を先鋒にこちらに向かってきております。数は1500ほど」
盛重は大刀を杖に立ち上がると、全員に配置に付くよう命じた。敵将は主君・信長の幼馴染であった松平元康。中々の戦上手であり、最近は『月の使い』とやらも味方に付けた者だとか・・・
「その実力、拝見させてもらおう」
丸根砦の城壁から矢が降りそそがれるなか、忠次率いる先鋒隊は丸太を抱えて門に二度三度突撃。そしてついに、轟音をあげて城門が破られた。
「わしに続けぃ!勢いに乗じて、佐久間大学(盛重)の首を挙げん!」
「本多隊も出るぞっ!酒井隊に大将首を取らせるな!」
酒井隊が砦に突入し、本多隊もこれに続く。本陣より両隊の動きを確認した兵の報告を受けた元康は、采を振って号令を下す。
「今です!総攻撃を開始してください!」
松平隊指揮下の忠義の厚い三河侍たちは本来の主の号令に勇ましく怒号を挙げて突進していく。
「聖一さん・・・大丈夫ですか?」
「大丈夫、行ってくるよ元康」
心配げに見つめてくる元康にうなずき返し、聖一は馬腹を蹴って駒を進める。
(今から、命のやりとりをしに行くんだ。今まで非現実の世界だった場所に―――)
丸根砦に突入した松平軍は、城壁が突破されて砦の織田兵を討ち破りながら砦の本丸へ足を進めていたが―――
「ヌゥゥゥン!」
本丸に控えていた一人の武人を前に丸根砦完全制圧は足踏みとなってしまう。大太刀を振って迫りくる松平兵を斬り捨てる彼の名は佐久間大学頭盛重。彼の周りには斬り捨てた松平兵だけではなく、盛重を守るために散って逝った織田兵の遺体もあった。
「我こそは佐久間大学!松平の衆に我の首を奪わんとする勇者はおらぬか!?」
「ここにおる!」
返り血を浴びて雄叫びを挙げる盛重の前にさっそうと現れたのは、大槍を携えた長身の女性。
「我こそは松平元康が臣・本多平八郎忠勝!佐久間殿、貴殿の首我が貰い受ける!」
「・・・ふん、貴様如き小娘が我の首を狙うなど笑止!返り討ちにしてくれよう!」
しかし、盛重の侮りは槍を構えた忠勝の目を見て即座に改めざるを得なかった。こちらを見据える彼女の目―――それはまるで上空から獲物を狙う鷹の如き鋭き眼。
(油断すれば、やられるのはわしだ・・・)
「はぁぁぁぁぁぁっ!」
「ぬぅぅぅぅぅぅん!」
気合の雄叫びを挙げ、突進した2人。盛重の大太刀と忠勝の愛槍『蜻蛉切』の矛が交わり―――火花を立てる。
周りの兵たちはお互いが生きるために殺し合い、剣戟を交わすなかで一組の男女も戦いを繰り広げていた。
男は敗戦と悟りながらも、武士としての意地を見せんが為に太刀を振るい、少女は落ち目の主君の為に功名を挙げんと槍を繰り出す。
均衡を保っていた2人の死合いは、呆気なく終わりを迎えようとしていた。
「うわっ!?」
少女―――忠勝が死体に足を取られ、後ろに転倒したのだ。この機を逃す盛重ではない。彼は忠勝の手を蹴って槍を弾き飛ばし、抵抗する少女を組み伏せたのである。
「く・・・くそっ・・・!」
「はぁ・・・はぁ・・・お主は・・・ようやった。だが、この盛重の方が一枚上手だったという事よ・・・さぁ、その首をもらうぞ」
忠勝は暴れて盛重から逃れようとするが、さすが鍛えているとはいえ、少女が大人の男に抵抗できるものではなかった。首を押さえられ、白刃が突きつけられてとうとう彼女は覚悟を決めて目を固く閉じ、来るべき瞬間に備えた。
(無念だ・・・殿の未来を見る前に果てることになるとは・・・)
彼女の脳裏に浮かぶは主君・元康の顔。康政、元忠の仲間達。そして―――
(な、なんで走馬灯にあいつの顔が浮かぶのだ・・・!)
そこで忠勝はふと不審に思う。なぜ自分の首に太刀が刺さる感触がいつまで経っても来ないのかと。
恐る恐る目を開けてみる。そして彼女の視界に映ったのは―――
「な・・・なんだ・・・これは・・・」
目を見開き呆然とする盛重、そして彼の首を貫く一本の矢。佐久間大学頭盛重は空気が抜けた風船のようにへなへなと倒れ伏した。
「忠勝!大丈夫!?」
「本多殿、御無事ですか!?」
呆然とする敵味方を掻き分けて現れたのは、弓を携えて現れた聖一と彼の護衛を務める渡辺守綱であった。