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月の光と葵の乙女  作者: 三好八人衆
桶狭間の戦いの章
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第四話

出陣を数日後に控えたこの日、元康と聖一の松平家一行は元康の居城・岡崎城に戻ってきていた。もちろん彼女に領地が返還されたわけではない。今川軍先鋒の任を果たすため、本領に戻って戦闘準備を整えていたのだ。

元康の本隊について従軍する以外はたいして役目がない聖一は、岡崎城を出てブラブラと散歩に出かけた。というのも、少し1人になりたかったのだ。

彼の胸には、ある人物からの言葉が突き刺さっていた。




元康達が三河に戻る数日前、聖一は元康の代理として今川館を訪れていた。当主の代理といっても手紙を届けるだけの簡単なもので、手紙を届け終えた彼はさっさと帰ろうとしていた。

「これ、そこの者!」

耳障りな甲高い声に、聖一の足は止まった。振り向いて見ると、そこには狩衣に烏帽子姿の20代前半の神経質そうな若者が立っていた。幸か不幸か、聖一は彼の名を知っていた。

彼の名は今川氏真。国主今川義元の嫡男で20代中盤の若者だ。流れてきている公家に師事しており蹴鞠や和歌に優れるが、戦国大名としての覇気に欠けると父を嘆かせているという噂を聞いたことがある。

「何かご用でしょうか、氏真様」

聖一もなんとなく嫌悪感を覚えている人物ではあったが、さすがにこの国の主の息子とあれば多少の不快感は無視して付き合わなければならない。

「ふん、その方が麿の元康に付きまとっておるという月の使者か。あれも愚か者じゃのう。名門・今川家の御曹司たる麿の求愛を蹴った上、このような戯けた者を祭り上げるとは・・・。これだから容姿がいいだけの田舎者は・・・」

噂によると氏真は極度の女好きで、人質としてやってきた元康に度々求愛しているのだとか。そのため松平家臣たちからは煙たがられている。

「元康を自分のものにしたいくせに、彼女のことを何も知らないんですね」

「なに?」

自分を『戯けた者』といわれるのはどうでもよかった。ただ、初めて会った日に自分の想いを隠したりせず、まっすぐにぶつけてくれた彼女を貶されるのには我慢がならなかった。

「元康は、愚か者でもなんでもありません。目標のために一生懸命やっている子です。容姿だけがいい?田舎者?戦国武将の彼女にとってそんなことどうだっていいじゃないですか。彼女のそんなところすら見抜けないあなたが彼女に釣り合うとは思えないですけどね」

「な・・・なんだ・・・!」

聖一が一気にまくし立て、氏真は顔を真っ赤にして激怒しているようだったが、怒りのあまり言葉が出ないようだった。

「おぬしの負けじゃ、氏真」

処罰されることも覚悟していた聖一の耳に、しわがれた声が入ってきた。2人が声のする方向を見てみると、そこにはお供の次女を連れた小柄な尼姿の老婆が。彼女を見つけた氏真は顔を一気に蒼白にする。

「お、お祖母さま・・・」

(この方が、寿桂尼・・・)

彼女こそ今川義元の母にして今川家の分国法『今川仮名目録』の制定にも携わった『女大名』・『尼御台』と呼ばれた才女、寿(じゅ)(けい)()なのだろう。

「氏真。お前は嫁ももらい、ますます今川家の次期当主として内外にその姿勢や気概を見せねばらなぬというのに・・・」

寿桂尼は溜息をつき、不肖の孫を見上げて嘆いた。

「三河の小娘の尻を追いかけ、さらにはどこの者とも知れぬ小僧に言い負かされるとは!今川家の先は暗いぞよ!」

後で自室に来るよう氏真に伝え、固まった孫の横をすり抜けて聖一の前に立った。聖一も同学年の少年に比べれば低い方だが、寿桂尼はさらに小さかった。

ただ、彼女の細く小さな目から放たれる眼光は鋭く、こちらの心の底まで見通すようだ。

「お主が鷹村とやらかえ。妾が寿桂尼じゃ」

「はい。僕が鷹村聖一です」

「・・・ふむ。そなた、綺麗な目をしておる。だが・・・」

寿桂尼は聖一の顔を挟み、しげしげとその瞳を覗き込む。

「そなた、人を殺せるのかえ?」

「っ!」

「この世は戦国・・・そなたは自分の身と松平の家を守るために、人を殺さなければならん。だがそなたの目は綺麗すぎる・・・人を殺した事がないのだろう?いざとなった時、そなたは人を殺せるのかえ?」

彼女の問い掛けに聖一は何も答えることができなかった。以前義元を狙った刺客に向けて矢を放った事があったが、それは肩を狙ったもので命を奪うつもりはなかった。

だが、いま聖一がいるのは平成の平和な日本ではなく血で血を洗う戦国時代。農民ですら自らが生きるために落ち武者を殺す時代だ。

いつかは彼も戦場に立ち、人を殺めなければならない時が来る。お前にその覚悟があるのか――

寿桂尼はそう聖一に問うていたのだ。



「人を殺せるのか・・・か」

聖一は力なく歩み続け、辿り着いたのは岡崎城近くの川―――矢作川。その岸に腰を下ろし、ボンヤリといまも昔も変わらないのであろう河の流れを眺める。

「おお、探しましたぞ鷹村殿」

「あ・・・忠吉様」

後ろから声をかけてきたのは松平家臣団の長老・鳥居伊賀守忠吉。鳥居元忠の父である彼はやはりというか、娘と同じ穏やかな雰囲気を醸し出している好々爺だ。

忠吉は聖一に断って隣に腰掛けてしばらく一緒に川を眺めていたが、唐突に忠吉が口を開いた。

「鷹村殿。何か悩みがおありですかな?」

「―――どうしてそう思われるのですか?」

「顔に書いておりますよ。よければ相談に乗りましょうか?」

聖一の様な若輩の考えなど、経験豊富な人生の先輩にはお見通しという事だろうか。

「はい。少し悩みがありまして・・・」




自分が元いたところには合戦がない平和なところだという事。聖一自身も殺し合いなどをしたことがない事、そしてその事を寿桂尼に指摘された事―――

忠吉は聖一の話を黙って聞いていた。話し終えた後も彼はしばらく黙っていたが、しばらくして口を開いた。

「・・・わしの初陣も鷹村殿と同じくらいの年頃でしたな。もちろん当時のわしも人を殺した事はなかった」

忠吉の初陣は元康の祖父で名将の誉れ高い松平清康に従っての合戦だった。その時に初めて忠吉は人を殺した。敵は当時の鳥居忠吉少年より一回りくらい年長の敵兵だった。最後の時に女性の名前を呟いていたから恐らく所帯持ちだったのだろう。忠吉は彼の家族から働き手をその手で殺してしまったのだ。

「わしは、彼の家族から働き手を奪ったという悔恨の念より『自分が死ななかった。生き残った』という喜ぶ気持ちが強かった事を覚えておるし、今でも戦に出て敵兵を―――人を殺すたびにそう思っておる」

ただ、と彼は聖一の肩を叩いた。

「人を殺すのは仲間を、味方の兵を守るため。無益な人殺ししないと心に刻めばよろしかろう」

「仲間を、守るため・・・ですか」

「うむ。これはあくまでも自己暗示で殺人という罪から自分を守るための都合のよい文句かも知れんが・・・」

聖一の脳裏に浮かぶのは松平家の人たち。


やたらとやかましい、だけどいつだって頼りになる酒井忠次。


溜息をつきながら彼の手綱を握る石川数正。


乱暴な口調ながら何かと世話を焼いてくれ、元康への忠誠心溢れる本多忠勝。


ただいるだけで場が和み、自分を兄と慕ってくれる榊原康政。


みんなの頼れるお姉さん、慈愛の心に満ちた鳥居元忠。


そして―――

『あなたに、嘘は付きたくないですから』

(元康・・・)

―――ああ、簡単なことじゃないか。自分に必要なのはたった一つの決心。

「逃げるわけには、いきませんからね」

『現実から逃げない』ことだ。


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