~エピローグ~
雪の降る三方ヶ原台地に、鷹村聖一と徳川家康は立っていた。つい数月前に合戦が行われ、多くの死者を出した場所は、すでに遺体は葬られて経も読み上げられたあとだ。
「ねぇ、聖一さん。聖一さんは、未来から来た人なんですよね」
「・・・誰かから、聞いたんですか?」
聖一の問いに、彼女は首を振る。
「大陸の昔話に『天の御遣い』っていう、三国の英雄と一緒に乱世を駆け抜けて、平定に導いた人のお話があるんです。お話によれば、予言の流布とともに現れたその人は当時の人が見たこともないキラキラ光る服を着て、時折聞きなれない単語を使い、味方の武将の死を予言したのだそうです・・・でも、このお話の結末には色々な説があるそうで、彼と英雄たちがどんな最期を迎えたかはわからないんです。これは私の推測にすぎないんですけど・・・その人は、未来の世界から来たんじゃないかって私は思うんです。だから『月の使者』なんて言われてた聖一さんも未来から来た人なんじゃないかって―――」
そこまで言って隣に並んでいた彼女は正面に来ると、聖一を見上げていたずらっぽい笑みを浮かべた。
「思ったんですけど・・・別にそんなこと、どうでもいいんです」
ギュッと聖一を抱きしめて彼が戸惑うのを尻目に、呟いた。
「だって・・・私が大好きなのは、ここにいる聖一さんなんですもの」
頬を染めて見上げてくる家康。黒曜石のような黒い瞳に射抜かれ、聖一の胸の鼓動が早くなる。
『ここは、男らしく応えてやるのが男じゃないかのう?』
(あなたは、姉川の時の・・・)
脳裏に響くのは、姉川合戦の時に脳裏に響いた老人の声。威厳がありながらも、少しこちらをからかう様な感情も込められている。
(・・・僕の答えは、初めからひとつです)
『ほう?』
こちらを見上げてくる家康に、想いを伝えるべく口を開いた――――
「私のことは、2人きりの時は『竹』って呼んでください」
浜松城に返る道すがら、一頭の馬に2人で乗る。家康に覆いかぶさるようにして手綱を握る聖一を見上げて、彼女は言った。
「それは?」
「この国では、こんな言い伝えがありまして―――」
―――平安の昔、河内源氏の棟梁源義朝は夢の中で声を聴いたという。
「明日生まれる汝の娘を跡取りとして育てよ。さすれば源氏の世が来るであろう」
この夢を見た翌日に懐妊中だった妻が出産した。子の性別は―――女。
義朝は迷いに迷ったという。彼にはすでに側室の子とはいえ長男の義平に二男の朝長がおり、彼らを差し置いて娘を当主にする―――
当時は女性が当主になるなど前代未聞だった。それも清和天皇の血を引く名門清和源氏の当主に女を据えるなど、ほかの一族の反発を招きかねない。
しかし、義朝は夢の中の宣託に賭けてみた。ただし娘を男装させ、周囲には男と隠して育てたのだ。嫡子と定めた彼の娘は男として育ち、清和源氏の棟梁にふさわしい風格を徐々に身に着けていくにつれ、やはり我が選択は間違っていなかったと義朝は確信した。
そしておこった平治の乱。義朝は敗死し、娘は敵の総帥・平清盛に捕らわれた。しかし、娘は父の復讐の為に自らを源氏嫡子とは名乗らず、『都から逃れる義朝の娘』として振る舞った。清盛は娘を嫡子と同一人物と知らず、また敵の娘を手元に置いておく気にもならず、一命を助けて伊豆に流罪とした。
娘は後に平氏討伐の兵を挙げ、壇ノ浦にて父の敵・平氏を滅ぼすことに成功する。征夷大将軍に就任し、鎌倉に幕府を開いた娘は自分が女であることを初めて公表。ざわつく御家人の前で、演説したのだ。
―――もはや男であれ、女であれ、実力のある者が家を統べる時代が来た。我は女の身でありながら、皆を統べ、平氏を滅ぼし、この国を平定してそれを今まさに証明した―――
娘―――鎌倉幕府初代将軍・源頼朝が清盛に捕らわれた時に、父への復讐を目指して生き延びるために名を使い分けた―――そのエピソードを基に、女性が武の道を志すときは『男性としての名』と『女性としての名』を持つようになり、それが発展して『女性としての名を夫にのみ明かす』という風習が広まったのだ。
「姫としての名前―――それが『姫名』です」
「竹―――『竹姫』か」
聖一が名前を反芻すると、彼女は彼を見上げて微笑んだ。
「なんですか―――『あなた』?」
愛しい彼女の笑顔。彼女と出会うため、彼女と歩むために自分はこの世界にやってきたんだ。
聖一は、疑いなくそう思った。
あとがき
いかがだったでしょうか?『月の光と葵の乙女』はこのエピローグでとりあえず一区切りをつけさせていただきたいと思います。
でも、聖一と家康のお話はまだ終わってはいません。彼らのお話はまだ、中盤戦を迎えたばかりです。最後に登場した『姫名』ですが―――番外編で信長が吉乃に呼ぶよう言っていたあれも『姫名』です。由来は『姫としての名前』そのままです。
次章『月の光と葵の乙女~天正争乱~』でも、新たな仲間と歩む彼らを見ていただきたいと思います。
それでは、また次章でお会いしましょう。