第三話
「うわぁ・・・」
「どうですか?日本一の山、富士山ですよ!」
ある晴れた日、元康は聖一を誘って遠駆けに出かけた。行く先は日本一の山、富士山。その山は今も昔も変わらぬ雄姿を聖一に見せつけていた。
「元康、あそこの丘でお昼でも食べない?お弁当作ってきたんだ」
「えっ!聖一さんのお弁当ですか!?食べたいです!」
聖一と元康は富士山を一望できる丘に腰掛け、弁当を広げた。聖一は幼いころから弓道の師範をして留守がちな両親に代わって台所に立っていた為、料理の腕前にはそれなりに自信を持っている。この日、元康に振舞ったのは鶏肉や魚が中心の揚げ物料理がメインのお弁当だ(当時庶民に石臼の様な製粉技術が広まっておらず、そばやうどんを庶民が口に出来るようになるのは江戸時代からである。戦国時代、小麦は飼料用として使われていた)。
「わ、これ美味しいです!」
「そう?お口にあったならよかった。ほら、ナスの素揚げもあるよ」
「ふぇーっ!私ナス大好きなんです!」
2人は弁当をつつきながら、様々な会話を弾ませる。元康は特に雪化粧をした富士山の素晴らしさについて、尾張での人質時代に連れて行ってもらった鷹狩について熱く語ってくれた。
「・・・でも、もうすぐ攻め込むんですよね。その尾張に」
今川義元が上洛を決意したのはつい先日。陣触れが告げられ、今川上洛軍の先鋒には松平元康が命ぜられていた。
「信長殿って、どんな方なの?」
「・・・一言でいえば、破天荒な人です」
おちこんでいた元康を励ます様に話題を変える。幸い元康は笑顔を取り戻して信長とのエピソードを語ってくれた。
「とのーっ!」
尾張国清洲城。織田弾正忠家の居城であるこの城に、元気な少女の声が響き渡った。
「なんだ、サル」
「殿、面白い情報を手に入れましたよ!」
『殿』と呼ばれたのは、縁側で行儀悪くまんじゅうを食べている女性。行儀は悪いがかなりの美女で、気の強そうな紅い瞳と赤毛が特徴だ。
一方『サル』と呼ばれた方は、金髪を短髪にした小柄で活発な印象を相手に与える少女。
赤毛の女性はこの清洲城の主にして、織田弾正忠家の当主である織田信長。そして金髪の少女は信長の家臣である木下秀吉である。
「殿は『月の使者』ってご存知ですか?」
「ああ。三河から広まった与太話だろ?まさかサル、本当にいるなんて言いやしないだろうな?」
こちらを振り向きもせずまんじゅうを食べる信長。「それがですね・・・」と秀吉は揉み手をしながらにんまりと笑う。
「いるんですよ、本当に」
「・・・なんだと?」
信長はさすがに食べる手を止めて、秀吉に向き直る。主君の興味を惹いた事に満足げな彼女は懐から『藤吉郎めも』と書かれた紙を取り出して読み上げだした。
「今は三河の松平元康に仕えているみたいで、名前は鷹村聖一。弓の名手で義元の命を狙った隠密を仕留めたとか」
「ほー・・・」
「あと料理が上手いらしいです」
「それはどうでもいい・・・義元の動きはどうなっている?」
彼女は立ち上がって自室に向けて歩きだし、その後ろを秀吉が続きながら報告を続ける。
「つい先日上洛軍の陣触れを発しました。先鋒は松平元康勢2千。今川本軍は朝比奈泰朝や岡部元信、三浦義就、井伊直盛や飯尾乗連ら主力を率いて2万余。義元の本隊は5千ほどになる模様です」
これに対する織田軍の備えは鷲津砦に一族の長老織田秀敏、丸根砦に猛将佐久間盛重が控えて今川軍を迎え撃つ構えだ。
「さーて、お前の戦ぶりを見せてもらうぜ・・・元康。そして、月の使者とやら」
信長は瞳に危険な光を輝かせ、妹分と彼女に仕えるまだ見ぬ敵に舌なめずりをした。
時は永禄3年4月。今川軍が尾張に攻め込む約2ヶ月前の事だった―――