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月の光と葵の乙女  作者: 三好八人衆
武田信玄の章
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武田信玄の章~第一話~

甲斐国・躑躅ヶ崎館。武田家当主武田信玄は、執務室で一通の書状に目を通していた。書状の送り主は京・足利将軍家である。

「『軍を率いて上洛し、織田信長を討て』・・・ですか」

「御屋形様、いかがいたしましょうか?」

彼女の側に控える少女・高坂昌信(こうさかまさのぶ)が書状を傍らに投げ捨てた主に問いかけると、信玄は面倒くさそうに立ち上がりながら告げた。

「どうせ将軍自身の意思ではなく、一色達幕臣が弾正忠を煙たがっているだけでしょう。巻き込まれるのは面倒ですし、いまはその時ではない。『合戦の仕方を忘れた』・・・とでも返事を書いておいてください」

「御意」

彼女の有能な秘書であり、彼女の閨の相手でもある昌信が自分の意図を汲み取った様子に満足してとある場所に向かった。







信玄が向かったのは、躑躅ヶ崎館のなかに建てられた練武館と呼ばれている修練場である。連日、武田一族や家臣の子女が武芸に励んでいる。

彼女が歩を進めていると、その練武館から何か重いものが落ちる『ドシーンッ!』という音が聞こえてきた。信玄はため息をついて扉を開けると、そこには彼女の想像通りの光景が広がっていた。

武田家の家臣の子であろう、数人の大柄な少年が壁にもたれかかって気絶していた。無事に立っている少年少女も顔を青ざめさせて目の前の人物と対峙している。

長い金髪を靡かせた長身の少女で、信玄と同じ紅色の瞳。

「勝頼・・・昨日の事が気に入らないからといって、彼らに八つ当たりするのはやめなさい」

彼女こそ、甲斐武田家の後継者にして信玄の実の娘・武田四郎勝頼である。勝頼は憤激収まらぬ様子で、その整った顔を真っ赤に染めて叫んだ。

「母上!何度でも言わせてもらいます!なぜワタシは他家の家臣を婿にもらわなければならないのですか!?それも、徳川とかいう新興勢力の、『月の使者』と胡散臭い奴に!」

勝頼の叫びにその場にいた一同はざわめいた。「四郎様が婿を・・・!?」「明日は槍が降るのではないか?」「嫌です、四郎様!婿なんて貰わないでください!私があなた様の嫁になりますから!」と囁き声や叫び声が聞こえる。

信玄は再び溜息をつくと、娘を引っ張って自室に連れだした。






「勝頼、私も何度も答えましょう。そなたは清和天皇の血を引く親羅三郎義光公の立てた甲斐源氏武田家の跡取り。いずれかは殿方に操を捧げて子を成さねばなりません」

信玄の自室で2人は向き合って座り、信玄は娘に昨日告げた事を再び話しだした。

「そして、その女当主となれば婿にはそれなりに釣り合う者でなければなりません。しかし、残念ながらそれに釣り合うだけの若者が武田一族にも家臣の子息にも見当たりませんでした」

「じゃあ、一族の者を養子に取ればいいじゃないですか」

過去にも武田家の当主に女性が立った時があり、今回と同じようにその人物に釣り合うだけの器量を持った男性が一族と家臣に現れなかった時があったそうだ。その時は、当主の晩年に一族内で生まれた有能な者を養子にして家督継承を済ませたそうだが・・・

「四郎、あなたは本気で言っているのですか?いまの周辺諸国の情勢を見て」

「・・・」

勝頼とて分かっている。周辺諸国の事情を見てみれば、自分が非現実的なワガママを言っているぐらい。

北に母の宿敵上杉謙信、東にかつての同盟者北条氏、西に新興勢力の織田氏と徳川氏。現在は西と結んでいるものの、母が上洛と天下取りを志している以上、いずれは敵対するのは間違いない。

「徳川家の破竹の勢いが始まった時期と、『月の使者』鷹村聖一が現れた時期は重なります。彼が何らかの関与をしているのは間違いありません」

「しかし母上、鷹村は徳川家の精神的支柱でしょう?そんな人物を徳川が手放すとは思えないのですが・・・」

昨日と違って冷静になっている勝頼は、気になった事を母に質問したが「そうでしょうね」と返された。

「しかし、勝頼。私はあくまで徳川家には婿入りという形で『友好』を求めたのです。十中八九、家康は断ってくるでしょう・・・ならば好都合。婿を『受け取る』のが『奪い取る』に代わるだけ。少なくとも、戦を起こす大義名分にはなるでしょう。少々乱暴な名分ですが、それを通すだけの力が我らにはあります」

―――日の本に名高き名門武田家が、新興の徳川家に頭を下げて友好を求めたにも拘らず無下に断るとは無礼千万。踏み潰してくれん―――








「こんな提案、呑めるわけないではないか!」

徳川家居城・浜松城の本丸御殿で、本多忠勝がその整った容貌を怒りに染めて怒鳴った。他の家臣達も同様で、怒りと戸惑いの表情を浮かべている。

「事実上の人質要求・・・信玄公は私に武田家に膝を屈せと言っているのですね・・・」

もし武田家の要求に応じて聖一を差し出すような事になれば、徳川家に従っている豪族たちから弱腰とみられて見くびられるだろうし、織田家の心象もよくないだろう。断れば、合戦である。

「・・・正直、状況的には武田家に優位に動いております。武田が動くとあれば、織田を封じるために比叡山・浅井・朝倉が動き出すでしょうし、我らと友好関係を結んでいる越後の上杉にも何らかの妨害工作を取ってくるでしょう。相模の北条氏康(ほうじょううじやす)が唯一、武田に対抗できる人物でしょう・・・しかし、病で先が長くないと聞きます。息子の氏政では少々武田と戦うには心許ないかと・・・」

北条氏康といえば、関東管領上杉家と古河公方足利家の連合軍8万を8千の軍勢で撃破した名将にして生涯無敗を誇った人物だが、息子の氏政は安房里見家と上総国で行われた三船山合戦で敗北し、武田家との三増峠の戦いでも小田原城の包囲を解いて撤退する武田軍追撃の総大将として本隊を率いたが、進軍が遅れて武田軍の甲斐への帰国を許している。

さらに相模小田原の北条氏と徳川家の関係は微妙だ。家康は氏康の娘婿である今川氏真から遠江を奪って追放した事がある。

「最悪・・・武田勢に対して我が徳川は単独で挑まねばならない、という事ですね・・・」






家康以下重臣たちが浜松城で軍議を開いている頃、聖一は隊を率いて天竜川沿いに来ていた。この天竜川こそ、徳川領と武田領の境目となっている川である。

「鷹村様、ご覧ください。武田勢にございます」

兵が指し示す先には、武田菱の旗を背負った武田兵がこちらと同じように川の向こう側で巡回していた。

「御用心あれ。武田勢はいつ変心して襲いかかってくるかわかりませぬゆえ」

「うん。先日も内藤殿が襲撃されかけたとか・・・用心はしておくに越した事はないよね」

先日も徳川家臣・内藤清成(ないとうきよなり)が兵を率いて巡回していたところを武田勢の襲撃を受けたと報告を受けている。

徳川兵たちは武田勢の襲撃に備えて完全武装。聖一自身も弓を携えていつでも戦えるようにしている。







幸いにもこの日は武田勢の襲撃はなく、聖一達が巡回を終えて浜松に帰還しようとした時のことだった。

「貴殿が鷹村聖一ですね?」

川の向こう側から、一人の女性が馬に乗って現れたのは。

彼女は小柄な体に豪奢な鎧を纏った身分が高い人物のようで、長い金髪に紅色の瞳を輝かせてこちらを見据えている。体格は小さいが、見る者を圧倒する雰囲気を纏った王者の風格を漂わせている。

「はい、そうですけど・・・あなたは?」

彼女の姿を見た兵士たちが顔をひきつらせていたが、全員が聖一の後ろにいたためその様子を彼が見る事はなかった。

聖一の反応に、女性はクスリと笑う。口元を隠して微笑む姿がとても絵になっていた。

「ふむ。私が一方的に貴殿の事を知っているというのは、平等ではないですね。こちらも名乗るとしましょう」

彼女は優美な仕草で顔にかかった髪を手で払い、堂々と宣言した。

「私は甲斐武田家当主、武田信玄。貴殿を我が娘の婿に貰い受ける者である!」







武田信玄の宣言とほぼ同時刻、浜松城で家康もまた、家臣を前に宣言していた。

「私は武田信玄の膝下に屈するつもりも、聖一さんを武田家に譲るつもりもありません。私は、私の大切な者を守るため・・・武田と戦います!」

主君の決意に、彼女に命を捧げると誓った三河武士たちは『応ッ!』と応えた。

徳川軍と武田軍が三方ヶ原で激突する、数ヶ月前の事だった―――


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