第二話
元康の駿府での住まいは、武家町のほぼ中心にある。彼女の屋敷の両隣りは岡部氏・朝比奈氏と今川家の重臣の屋敷が並び、元康達の生活を監視している。この松平屋敷の新たな住人である鷹村聖一の朝は早い・・・というわけではない。
「起きろ、鷹村!朝だぞ!」
ふすまを勢いよく開けて、布団で寝転がっている聖一を怒鳴りつけたのは銀髪を少年の様にショートカットにした少女。
「・・・う~・・・、忠勝ぅ・・・もう少し寝させて・・・」
彼女の名は本多忠勝。日本史上、指折りの猛将である彼も、この世界ではナイスバディの美少女である。
モデルの様な長身と、元康とは対照的なメリハリの付いたボディ。勝気な瞳が彼女の性格をそのまま表しているようだ。
「ほら、さっさと起きんか!殿がお待ちだぞ!」
「・・・元康が?」
寝ぼけた目をショボショボさせながら起き上ろうとするが―――彼の頭に拳骨が落ち、再び布団の中に沈没する。
「殿を呼び捨てするな!」
「あははー!お兄ちゃん、また頭におっきなたんこぶ作ってるー!」
忠勝に連行されてきた元康の部屋で聖一を出迎えたのは、日本人形の様な少女の爆笑だった。彼女の名は榊原康政。通称の『小平太』から『平ちゃん』と呼ばれており、可愛らしい容貌から松平家のマスコット的な存在である。
「ダメでしょう、忠勝。朝から聖一さんに拳骨なんて落としちゃ・・・。聖一さん、痛くないですか?」
一方で忠勝を窘め、聖一を気遣うのは桃色のロングヘアの女性―――彼女は鳥居元忠。女性陣の中では最年長で、みんなのお姉さん役を務めている。
「うう・・・しかし元忠殿、鷹村が・・・」
「『鷹村が殿を呼び捨てした』とでもいうのでしょう?そもそも暴力はメッ、ですよ」
人差し指を立てて、子供に諭す様に忠勝を叱る。姉的存在の元忠には勝気な彼女も弱いのか、肩を落としてシュンとしてしまった。
松平家中での聖一の立場は『客人』というのは微妙なものだ。元康は呼び捨てでよいとは言ったが、松平家臣団の中ではそれを快く思っていない者もいる。
(改めなきゃ、いけないんだろうな)
「い、いや、でも起きなかった僕も悪いですし・・・頭も大丈夫ですから、気にしないでください。忠勝もごめんね、毎朝」
萎れた忠勝を見かねて聖一が助け船を出すと、忠勝はたちまち復活して豊かな胸を張る。
「うむ!中々殊勝な態度だ。全くお前は私が起こしてやらんと朝も起きれんからな!」
聖一の謝罪に彼女は満足したように大きくうなずく。それを横で見ていた康政は「単純・・・」と呟き、微笑ましく家臣たちの戯れを見ていた元康は、パンパンと手を叩いて騒ぎに一区切りつけさせる。
「さ、おふざけはそこまでにして―――」
主君の言葉に水を打ったように静まる一同。元康は、今朝皆を集めた理由を語りだした。
「義元公が、聖一さんをお呼びです」
それは、ある意味で皆が恐れていた事だった。
駿河・遠江両国の守護職である今川治部大輔義元の居城は今川館といい、後に大御所となった徳川家康の隠居の城となった駿府城は今川家滅亡後にこの地を有した家康によって建てられた。その為まだ『駿府城』というものは存在しなかった。
ともあれ今川館は足利将軍家の名門今川家の居館に相応しく、立派な造りとなっている。小姓に評定の間に連れられて元康とともに面会したこの館の主今川義元は立派な体格、悪く言えば肥満体形だった。
(現代のメタボのおじさんより肥ってるかも・・・それにしても)
元康とともに義元に謁見した聖一が抱いた感想がそれだった。そして、周りに居並ぶ家臣たちの反応も様々だった。
興味津々とこちらを観察する者。
胡散臭げにじろじろと見る者。
これらは自分に対してだが、聖一ではなく元康に視線を送る者もいた。そのほとんどが、彼女のスレンダーな身体を舐めまわすように見つめていた。
(・・・下種め)
元康や彼女の家臣たちは、この様な連中から主の純潔を守る為に苦心してきたのだろう。しかし、その中でも2人を見守る様に優しい眼差しを送る人物もいた。この様な人達が影ながら元康を守り、支えてきたのだろう。
「ところで、鷹村とやら」
「は、はい」
物想いにふけっていると、上座の義元が対面して初めてこちらに対して口を開いた。
「そちは月の国から来たそうだが、なにか武芸は嗜んでおるのか?」
『月の使者』という事で勝手に『月の住人』という事にされているが、面倒なのでそのままにしている。未来から来たという事を知られて歴史が改ざんされたらまずいのではないか、と思っているからだ。
そして、元康の目的の為にはまず彼には死んでもらわなければならない。
「はい。幼いころから弓を少々・・・」
「ほほぅ!弓か!どれ、余にその腕前を見せてみよ」
「かしこまりました」
義元は立ちあがると、巨体をゆすりながら元康と聖一を従えて中庭に向かった。どうやらそこで義元は弓の稽古をしているらしく、そこを使わせるようだ。
(義元の語尾、『おじゃる』じゃないんだ)
聖一は義元の大きな背中を追いながら、そんなどうでもいい事を考えていた。
「ささ、やってみよ」
「はい」
広大な今川館の庭はもちろん広い。馬を走らせる馬場や、義元が趣味で飼っているのだろう鯉が放されている池が広がっている。そのなかの弓の練習場に一行は来ていた。
義元自ら弓と矢を手渡され、的に相対する聖一。付いて来た重臣たちと元康が見守る中、足を開いて構え、心を落ち着ける。矢を番え、周囲の目を黙殺し、弦を引き絞って―――
(――――っ!?なんだ・・・?)
その刹那、殺気を纏った刺すような眼差しが聖一を貫いた。義元や元康、そして今川家の家臣たちはみな聖一の後ろにいる。問題の殺気は―――
(2時の方向か!)
聖一は気を入れなおすと、弓を的から外し―――弦から指を放す!
ドスッ!
手応えを感じた音とともに、中庭に生えていた大木から落下する黒い影。そして―――僅かに鼻をついた、火薬の香り。火縄銃を持っていたようだ。
「曲者ぞ!者ども出会え!」
「殿をお守りせよ!まだほかにもおるかも知れぬぞ!」
曲者は即座に今川家の兵たちによって捕らえられて連行された。重臣たちが兵達に曲者の仲間がいないか探すよう指示を出す為に動き出すなか、狙われた義元は上機嫌で聖一を褒めていた。
「いやいや、素晴らしき弓の腕よの。まるで古の那須与一の再来の如き腕前じゃ。よく余の命を救うてくれた、感謝するぞ」
「ありがたきお言葉にございます」
「ほほほ、元康はよき者を拾ったのう。余としても縁起が良いわ」
「殿、お呼びでございますか」
「おう、泰朝。近うよれ」
義元はその夜、重臣の朝比奈泰朝を自室に呼び出していた。泰朝は髭面の異丈夫で、義元が明日の今川家を支えてくれると期待する若手の武将の一人だ。
義元が小姓に用意させた車座に泰朝が腰掛けると、義元は深く溜息をついた。
「・・・泰朝よ。最近のバカ息子の様子はどうじゃ」
『甲斐の女虎』武田信玄と『相模の獅子』北条氏康と三国同盟を結び、後顧の憂いをなくした義元が上洛戦に際して唯一不安なのが後を任せる嫡男の氏真の事だった。
今川家の城下町・駿府には都を追われた貴族たちが数多くその身を寄せ、華やかな文化が花開いていた。義元の父・氏親や自身も彼らから和歌や蹴鞠の手ほどきを受け、氏真もその影響を受けている。
しかし、氏親や義元は教養として身に付けてはいたものの、2人は戦国武将として『文と武』のバランスを保っていた。ところが氏真は和歌や蹴鞠に傾倒してしまい、武将としての覇気や政治への関心を持つ事が出来ないでいた。
(もしわしが急死するような事になったら、今川家はどうなってしまうのじゃ・・・)
泰朝は氏真とは同い年で、幼馴染である氏真付きの家臣として宛がわせており定期的に氏真の言動を報告させているのだった。
「は。やはり雪斎様がお亡くなりになられて以降、放蕩具合に拍車がかかる毎日・・・最近では三河の元康に執心の模様にござる」
今川軍の軍師にして三国同盟を取りまとめた太源雪斎が死去した事は、彼に育てられた義元個人としても今川家としてもショックな出来事だった。
「やれやれ・・・北条から嫁をもろうたというのにまだあれの女狂いは治らんか」
泰朝が去った後、一人になった義元はいつも呟く。『元康が我が子ならば』と。
「元康が我が子なれば、わしはいつでも死ぬことができるのにのぅ・・・」