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月の光と葵の乙女  作者: 三好八人衆
姉川決戦の章
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姉川決戦の章~第二話~

今年初めての投稿です。本年もよろしくお願いします!

近江国・小谷(おだに)城。琵琶湖北部の山岳に建つ堅牢な山城である。

この城の主・浅井氏は元々京極氏の家臣であったが、浅井新三郎亮政(あさいしんざぶろうすけまさ)の代に主であった京極氏を傀儡として戦国大名と化した。亮政は南近江守護六角氏や越前朝倉氏と戦いながら勢力を拡大。彼の息子・下野守久政(しもつけのかみひさまさ)は父には劣るものの、外交手腕で戦国の荒波を渡ろうとした。しかし家臣たちはそれをよしとせず、幼い頃より文武に秀でた彼の息子へ強制的に家督を譲らせたのである。

浅井家三代当主・備前守長政(びぜんのかみながまさ)に―――








家督を継いだ長政。元服後は従属先である六角義賢の一字を取って賢政(かたまさ)と名乗り、六角家臣の娘を妻としていた。しかし家督相続後に独立の兵を上げ、六角家に反旗を翻す。討伐に来た義賢自ら率いる六角軍を野良田の戦いで撃破し、独立を果たした。それを機に、妻と離縁して『長政』と名乗る様になった。そしてその働きが尾張・美濃で勢力を広める織田信長の目にとまり、彼女の妹・お市を娶る事になる。

絶世の美女の名に恥じぬ美女であるお市と猛き美男子である長政の夫妻は仲睦まじく、幸せな時間はいつまでも続くと思われた。








しかし、夢のようなその時間は長政の父久政が彼の私室に怒鳴りこんできた事により終わりを迎えた。








「長政!」

「いかがしたのですか、父上」

長政は怒鳴りこんできた父の様子が尋常ではない事を悟り、顔が険しくなる。なにか嫌な予感がする。彼の直感がそう囁いていた。

「尾張のうつけめが、越前に兵を向けよった!約定を破りおったぞ!」

(―――ついにこの日が来てしまったか・・・)

父の報告に、長政は内心で溜息をつく。彼が妻と幸せな生活を営むなかで、この日が来る事を何よりも恐れていたと言っても過言ではない。

織田家と浅井家との同盟の際、織田家の仇敵である越前朝倉氏との関係についてこんな条件を盛り込んでいた。

『万が一、織田家が朝倉家と矛を交える際は、浅井家に一言相談ある事――――』

「父上、私は義姉上から山岳行軍訓練とお聞きしておりましたが・・・」

「馬鹿者!朝倉殿から密使が来たわい!若狭から越前に入り、金ヶ崎城を目指して行軍しておるとな・・・もはや織田家の約条違反は明白!我が浅井は朝倉に味方し、織田の背後を突くべきじゃ!」

「―――っ!父上!義姉上は大志あるお方・・・それを討つ事は日の本の損失かと・・・」

彼はなんとか父に反論するが、久政は意に介さない。

「ふん、大志のみで戦国の荒波を乗り越えられはせん。朝倉殿がうつけを討ち、公方様をお助けしてこの国を制すればよい」

「しかし・・・」

「家臣達からも信長討つべしの声が高い。ここでお前が信長めを討てばいいだけの事・・・これ以上の問答無用じゃ!」

「父上!」

長政の声を背に、久政は部屋を後にした。部屋の外では小姓たちがバタバタと慌ただしく動いている―――恐らくは戦闘準備を整えているのだろう。

「殿、具足を・・・」

「・・・ああ」

彼のもとにも小姓が鎧を身につけるよう催促に現れた。事態は当主であるはずの自分が知らぬ間に進んでいるらしいと感じ、諦観の笑いを浮かべるしかなかった。








織田・徳川軍は京から浅井領を通過して朝倉領若狭国に侵入、手筒山城・金ヶ崎城を攻め落とし、残すは木ノ芽峠に布陣する朝倉軍を打ち破るだけであった。

しかし―――浅井長政の寝返りによりそれは果たせず、連合軍は越前より撤退。信長の即断と殿(しんがり)を務めた摂津国守護池田勝正に率いられた木下秀吉や明智光秀の活躍もあって大した損害もなく京へ退く事が出来た。しかし―――







「うう~・・・荷駄がほとんどなくなっちゃいました・・・」

「だから言ったじゃないですか・・・『撤退の時は荷駄を捨てましょう』って」

三河に戻る道すがら、家康は馬上でメソメソと泣いていた。隣で馬を進める聖一は彼女を慰めながら説教をしている。

「ああ~・・・撤退戦の時ね・・・」

「殿は貧乏性ですからね」

その理由を察した榊原康政と鳥居元忠は、互いに顔を見合わせて苦笑する。

彼女達の主・徳川家康はなかなかの貧乏性で、幼い頃より織田家や今川家の人質として過ごしたため金銭や物資的に不自由な時期が長かった。その為か服は自分で作れるし、簡素なものが多い。献上品の茶器や茶壺もあまりありがたがらずに倉庫にしまったままにしておく事が多い。茶の作法は心得てはいるのだが。

そのせいか、今回の撤退戦でも兵糧を積んだ荷車を捨てきれずに荷駄隊が朝倉軍に蹴散らされてしまうという残念な結果になってしまった。最終的に荷駄隊が全滅する前に聖一が背負わせている米俵などを捨てるよう命じて壊滅は免れた。

「ともかく、池田殿達の活躍で我らの被害は少なかった・・・信長様はすぐにでも反撃の兵を挙げるでしょう」

つまり、徳川家康と家臣たちの名が一躍広まる契機となるあの戦いが―――







六月。初夏を迎えた頃、織田信長は再び大動員令を下した。離反した浅井長政を討伐するため2万8千の軍を率いて北近江へ侵攻を開始したのである。彼女の同盟者である三河の徳川家康も5千の軍勢を率いてこれに合流。

織田軍は丹羽長秀に小谷城の支城・横山城を包囲させて浅井軍を堅牢な小谷城から引きずり出して決戦を仕掛ける構えを見せた。

迎え打つ浅井軍も朝倉家から一門の朝倉景健率いる1万余の軍勢と合流。長政は小谷城から打って出て、川を挟んで連合軍と対峙した。その川の名は『姉川』。

今ここに、三河徳川軍団の名を世に知らしめた『姉川の戦い』が幕を開ける―――



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