姉川決戦の章~第一話~
越前国。
平安時代の平氏政権時には平清盛の長男平重盛一家の領国として重きをなし、室町幕府下では足利一門の斯波氏の領国であった。
現在の国主は斯波氏の家臣であった朝倉氏。一乗谷城を居城とし、当代の朝倉左衛門督義景で越前国主となって5代目である。
その越前国、北陸に位置するとだけあって冬は寒い。一乗谷城内の当主の間で、その人物は火鉢を抱えて寒さをしのいでいた。
「・・・寒いですわね。景鏡さん!景健さん!この寒さをなんとかしなさい!」
そんな無茶な事を言ってのけたのは火鉢を抱える金髪の長い髪をクルクルと縦ロールにしている女性であった。
彼女こそ越前国主・朝倉義景である。名門朝倉家の当主後継として生まれた彼女は、幼い頃より高い教養を身につけ、朝倉家当主として相応しい風格を備えていた。
・・・ただ少々、父親が彼女に甘かったせいで我がままに育った嫌いはあるが。
「殿~・・・無理言わないでくださいよ~・・・」
「この越前が寒いのは今に始まった事じゃないじゃないっすか・・・」
彼女の無理難題に苦笑しながら答えたのは2人の少女。ひとりは黒髪をおかっぱにした少し真面目そうで気弱そうな少女。もうひとりは水色の髪を短髪にした少年の様な印象の少女だ。
少年のような印象の少女は朝倉孫三郎景健。気の弱そうな少女は朝倉式部大輔景鏡。共に朝倉軍を支える武将で、特に景鏡は朝倉軍の総帥である義景の代理として朝倉軍の指揮を執っている。
「と、ところで殿。野州殿のご返事は?」
義景の機嫌を直そうと思ったのだろう、景健が話題を変えようとしたところ、彼女の主は簡単に上機嫌になった。
「おーほっほっほ!浅井のご隠居は『有事の際は嫁を殺してでも御味方する』とまで言って来ましてよ!備前殿は父君の言う事に逆らえませんし、あの野生児も私を討つつもりでこの越前までのこのこやってくるのでしょうが・・・骸を晒すのはあちらのほうでしてよ!おーほっほっほっほっほっほっほっほ!」
遠江国浜松城下では戦火からの復興がもう終わりつつあり、徳川氏の支配のもと、街は活気を取り戻しつつあった。
(人っていう生き物は、いつの時代もたくましいものなのかな)
「聖一さん、どうしたんですか?」
「いえ、なんでもありませんよ」
彼の隣を歩く少女が、こちらを見上げてきた。人目を惹く容姿の黒髪の美少女と一緒に歩いていれば、嫌でも注目の的になるだろう。ただでさえ、彼らの存在はこの浜松では―――いや、すでに日の本中に広まりつつあるのだから。
少女の方はこの浜松城を居城として三河・遠江を支配する大名徳川家康。そして少年の方は徳川家の軍師にして『月の使者』として名が広まっている異邦人鷹村聖一である。
「えへへ、聖一さんと『でぇと』です♪」
嬉しそうに微笑んで、聖一の腕をギュッと抱きしめる家康。彼女のささやかに自己主張する胸のふくらみが腕に当たって彼をどぎまぎさせるのだが、どうせ彼女はそんなこと気が付きもしないだろう。
(そもそも、なんで彼女とデートしているんだっけ・・・)
京から戻った聖一と彼個人の家臣である渡辺守綱は、浜松城に居を移した主君・徳川家康のもとに帰還の報告を行っていた。
上座に座る家康と向かい合って座る聖一と守綱。三人だけの空間。外からは街づくりをしているのだろう、職人達の活気ある声が響いてくる。
「・・・というわけでして、帰還が遅れました事をお詫び申し上げます」
「いいえ。聖一さんも守綱もよく頑張ってくれました。織田のお姉様からもお2人の活躍を称える書状が届いていますし、私も鼻が高いです。ああ、そうだ。守綱、あなたは早くご両親に御無事な姿を見せてらっしゃい」
「は、はい!では失礼します!」
緊張していたのだろう、少し焦ったようになりながら守綱は部屋を辞した。家康と二人きりになる・・・
「さてと・・・聖一さん」
「な、なんでしょう・・・」
いかにも「私、怒ってます」といった感じで睨んでくる家康。恐くはないはずだが、迫力はある。
「私、とっても心配したんです」
「そ、それは・・・」
「わかってはいるんです。三人衆と斎藤龍興が襲ってきた事はいきなりの事ですし、聖一さん達は巻き込まれただけですもの。でも、すごく心配した人に何もないっていうのは酷いと思います」
「う・・・確かにその通りですね」
「ですから―――」
その結果が、今回のデートと相成ったわけである。ちなみに家康に『聖一さんの国では逢引の事をなんというのですか?』と問われてそれに答えてから、彼女は『でぇと、でぇと』と嬉しそうに口ずさんでいる。
「う~ん・・・平和だなぁ」
彼女と二人、浜松の町を歩きながら聖一は真っ青な空を見上げて呟いた。
しかし、それはかりそめの平和に過ぎなかった。その数日後、織田家からの使いが浜松城の城門をくぐったのである。
使者の口上は―――越前出陣。
足利将軍家による上洛命令に従わぬ朝倉義景を討つという名目のもと、徳川家にも出陣命令が下ったのである。