聖一、上洛の章~第六話~
その知らせが本圀寺の仮御所に飛び込んできたのは、元旦も過ぎて聖一が三河帰国の準備を進めていた時だった。仮御所に飛び込んできた騎馬武者は、焦りの為か馬から転げ落ち、憔悴した様子で明智光秀の前で報告を行った。
「三好三人衆と斎藤龍興率いる軍勢がこの御所に向かって進撃しております!数は3千ほどと思われます!」
「くっ・・・!」
光秀は歯噛みして仮御所の防備の薄さや現在の戦況の悪さを悔やんだが、過ぎた事はどうしようもない。彼女はいつもの冷静な仮面を纏って指示を下す。
「すぐさま防備を整えよ!それから勝竜寺城の細川藤孝殿や摂津の池田勝正殿ら各方面に援軍要請を出せ!」
光秀の指令を受けた騎馬武者たちがすぐさま本圀寺を脱出し、各方面を目指して散る。
(予測してしかるべきだった!殿が主力を率いてご帰国なさった隙に三人衆が逆襲の兵を向けてくる事など・・・!)
ここまで接近されるとなると、もう義昭を逃がす事も出来ないだろう。本圀寺に立て籠もって周辺諸国の援軍や本隊の到着を待たねばなるまい。
「明智殿!」
「鷹村殿・・・」
防衛戦の策を練る光秀のもとに甲冑を纏い、手に弓を携えた徳川家の将・鷹村聖一が同じく甲冑姿に槍を携えた渡辺守綱を従えて現れた。
「我ら徳川勢50名、明智殿の指示に従います。何なりとご下知を」
慌てて武装し出した織田勢とは違い、徳川勢はすでに武装を整えて整列している。その姿がなんと頼もしいものか。
「よろしく頼みます」
明智光秀率いる将軍警護の軍は300名ほど。対する斎藤龍興率いる襲撃部隊は1500にも達した。
「者ども!敵援軍は三好勢が盾となってくれておる!積年の恨み、今こそ晴らそうぞ!」
応っ、と勇ましく叫ぶ彼らは織田家に降るをよしとせず、龍興を慕ってここまでやってきた者たちだ。積年の恨みを晴らさんとする彼らの士気は高い。
「皆の者、援軍は必ず来る!それまで耐えなさい!」
対する光秀率いる御所警護部隊は屋敷内の襖や畳を縁側に立てて並べ、土嚢を積んで即席の盾として屋敷内に立て籠もる。
「放てっ!」
雷鳴のような音が鳴り、銃口が一斉に火を噴いた。彼女が率いるは織田家でも随一の実力を誇る鉄砲隊だ。本圀寺の兵を乗り越えて殺到してきた斎藤兵が、鉛玉にその命を散らす。
「むぅ・・・明智め、代々に渡って斎藤の家に刃向かうとはな」
寺の外で指揮を執る龍興が、敵将の名を聞いて苦虫を噛み潰したような顔をすれば、光秀も弾込めを行いながら呟いた。
「叔父上を討った仇敵・斎藤義龍の息子と再び相対すとは・・・」
―――歴史上もっとも有名な親子喧嘩のひとつ、『長良川の戦い』。美濃国の梟雄・斎藤道三とその子・斎藤義龍がそれぞれ自分に従う国人を率いて激突した。大半の国人が従った義龍軍に対し、道三軍に従う者は僅かだった。
明智家は道三の外戚である事から道三軍に味方したが、道三軍は敗北。総大将の道三も討死し、明智家も居城・明智城を攻められて没落した。
(この戦い・・・絶対に負けられません)
鷹村隊は明智隊とは違って鉄砲はないものの、弓を並べて塀を登ってくる敵勢を射ち落としていた。そのなかでも一際目を引いたのは、聖一の速射と守綱の奮戦であった。
「やぁぁぁぁぁぁぁ!」
守綱が身の丈に合わぬはずの長い槍を振りまわして、矢の雨を突破した敵兵をなぎ倒していく。
そして彼女の隙を突いて迫ってくる敵兵には―――
「はっ!」
ヒュッ!
「やっ!」
ヒュッ!
鈍い音を立てて、敵兵の身体を射抜く。ただし殺しはしない。これは味方にも徹底させていた。
「殺しちゃったらそのまま遺体は放っておけばいいけど、怪我を負った味方を捨ててはいけないでしょ?そしたら、味方を回収する人や怪我を治療するのに人を割かなきゃいけないから、すこしは攻勢が収まると思うんだ」
聖一の狙いはそこであった。そしてその通り、射抜かれたり、槍で殴り倒された敵兵達は仲間たちに助けられて後退していった。ついでに、塀を乗り越えようとする敵兵の勢いが気持ち収まった気がする。
日が沈み、両軍は戦闘を停止。斎藤・三好勢は一時後退した。
斎藤・三好軍が一時後退した頃、帰国の途へ就いていたはずの軍勢は京を目指して疾走していた。軍勢の中になびく旗の家紋は『三つ盛り亀甲に花菱』。江北の雄・浅井長政率いる軍勢である。
「急げ!我らの速さが義姉上と幕府の命運を左右すると心得よ!」
先頭を駆ける浅井備前守長政は柔和な顔立ちに勇ましさを乗せて、疾走する兵士たちを叱咤する。
『江北の若鷹』と称される浅井長政―――その戦いぶりが、京で示されようとしていた。