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月の光と葵の乙女  作者: 三好八人衆
聖一、上洛の章
22/42

番外編~織田信長編(上)~

尾張国でいま最も勢い猛き者―――織田信秀(おだのぶひで)の嫡子信長は長身で乱雑に切った紅の髪の毛と同色の瞳が特徴の美女であるにもかかわらず、その辺の悪童が着るような粗末な着物で街を取り巻きとともに練り歩き、野山を駆け回る野生児、常識を知らぬ無法者―――として『うつけ』と呼ばれ、将来彼女が名将信秀の後を継ぐ事に不安を覚えている家臣も数多くいた。そんな彼女は今日も今日とて取り巻きと相撲を取った後、取り巻きのひとりである乳兄弟(めのと)(同じ乳母の母乳で育った者の事)の池田勝三郎がこんな話題を提供した。

生駒(いこま)のかぐや皇子だぁ?」

「はいっ、姐御。丹羽郡小折に屋敷を構えている生駒家宗はご存知でしょう?」

「ああ、馬借屋の・・・」

生駒家当主・生駒家宗(いこまいえむね)は灰・油の商売と馬借で富を築き、屋敷を構えた土豪で尾張国ではなかなかに名を知られている存在だった。

「そうです。その家宗の息子が教養に富んだ大層な美男子で、各方面から婿入りを求められているそうですが、家宗は断る一方だそうで・・・」

「ああ、それで『かぐや姫』・・・いや男だから『かぐや皇子』か。なかなか上手いことを言うやつがいるもんだな」

愉快そうに笑った信長とその取り巻きたちだが、ふと、彼らの姐御は笑いを引っ込めて思案顔になったかと思えば、ニヤリと笑った。その笑みを確認した彼らは即座に理解した。『また何か企んでるな・・・』と。

「よっしゃ、お前らついてこい!」

「どこに向かうんで?」

立ち上がった信長に追従した勝三郎達に「決まってるだろ」と当たり前のように言い放った。

「生駒屋敷だ。皇子サマの顔を拝みに行こうじゃねぇか」








生駒屋敷は高い塀に囲われ、深い堀も備えた小さな砦くらいの規模だった。この屋敷の最奥には小さな庵があった。

「若様~!」

「どうしたんだい、藤吉郎?そんなに慌てて」

その庵にこの屋敷に仕える少女・木下藤吉郎があわてた様子で飛び込んできた事に、庵の主は少しも慌てた様子は見せなかった。

パタパタと世話を任されている主のもとに駆け寄り、その顔を見た藤吉郎は毎度のことであるが、『この人ほんとに男なんだろうか?』という疑問を持つ。

病弱であまり外に出ないため、日焼けの跡が一分もない肌。優しく、穏やかな顔と口調。サラサラと肩まで伸ばされた綺麗な黒髪。布団に入っていて今は隠れているが、柳のような細い腰。

彼こそ巷で『かぐや皇子』と呼ばれる絶世の美男子・生駒吉乃である。

「若様、『尾張のうつけ』をご存知ですかっ!?」

「ああ、この間話してくれた織田信長殿の事でしょう?」

写本をしていた『平家物語』を閉じ、脇に退かせる。病に倒れて以降、これが彼の唯一といってもよい―――いや、許された趣味であった。

「そ、その信長殿が我が屋敷にやってきて、殿に若様に会わせろと・・・」

「私に?信長殿が?」

信長は『うつけ』として有名であるが、それと同じくらい『女殺し』としても有名であった。数多くの側室を抱える父の信秀が嘆くほどの女好きで、男との浮いた話は皆無だとか―――

(私に何の用だったのだろう?)







「あいたたた~・・・あの怪力親父め・・・」

屋敷の主人の愛息である吉乃が小首をかしげていたころ、信長とその取り巻きたちは生駒屋敷から文字通り放り出されていた。

「まさか姐御が猫掴みされて放り出されるとは思ってなかったですね~・・・」

「まったくだ・・・あとお前らはやくどけ!重いんだよ!」

生駒家宗によって信長の上に積み重ねられていた取り巻きたちは、姐御の怒声に慌てて上から退く。やっと信長のすぐ上に乗っていた勝三郎が退くと、信長は舌打ちをして叩き出された生駒屋敷を睨みつける。

「生駒の怪力親父がああまでして守ろうとする息子・・・ますますお目に掛けたくなったぜ」

「噂では京の山科言継(やましなときつぐ)卿も娘の夫に、と自ら訪れたこともあるとか・・・」

「ほー、あの山科卿が・・・」

内蔵頭(くらのかみ)山科言継は朝廷の財政一切を任された責任者であり、各地の大名などとの広い人脈を持ち、なおかつ蹴鞠・和歌・医療など各方面の才能にあふれた優れた人物だった。

以前にも尾張国を訪れ、織田信秀とその家中に蹴鞠や和歌の伝授を行って天皇の即位式の為の献金を確約させた事があった。

また気さくな人柄で、持ち前の医療の知識を駆使して皇室や公家はもちろん庶民にまで診察し無理に治療費を取らなかったため、庶民からも人気のある公家である。

「ふーん・・・ますます気になるなぁ・・・」

「姐御・・・?」

地面に胡坐で座り込み、腕組みをしてなにやら考え出した信長。その様子に勝三郎は嫌な予感がした。

(姐御がこれをした後に叩きだされた答えがまともなものだった事はないんだけど・・・)

「勝三郎!帰るぞ!」

「は、はいっ!」

しかし意外にも信長はその歩みを那古野(なごや)城に向けた。慌てて追従する勝三郎達は本当に彼女が城に戻るのか信じられないでいたが、城の門をくぐり、待ち構えていた信長の守り役である平手政秀(ひらてまさひで)の憤怒の表情を確認した時、はじめて姐御が本当に城に帰ることにしたんだなと確信した。







「うるせ~んだよな・・・爺は」

蒸し風呂の中で、湯気にまみれて一日の汗を流しながら信長はぼやいた。平手政秀の説教は長時間に及び、しかもそれが信長への愛情溢れるものなのだから邪険にもできない。

「それにしても気になるな・・・かぐや皇子」

なぜだか、自分は彼に会わなければならない気がする。彼女の勘がそう告げていた。









その夜―――那古野城主・織田信長の姿は生駒屋敷の前にあった。全身を黒装束に包んだ怪しい姿で。

「よし・・・そんじゃ行くか」

信長は懐から鉤爪がついた縄を取り出し、遠心力を利用して兵に鉤爪を引っ掛ける。縄を頼りに空堀を突破し、塀を登って音もなく生駒屋敷内に忍び込む。

「確か、屋敷の奥にある庵に住んでいるんだったな・・・」

物陰に隠れて見回りの兵士から逃れながら、勝三郎が手に入れた生駒屋敷の地図を月明かりに照らして確認する。

潜入した地点が偶然にも庵に近かった場所らしく、奥の方に窓から僅かな明かりの灯った建物が見えた。

「あれが、皇子サマのお住まいか・・・」

庵はどこにでもありそうな、人ひとりが暮らすような粗末な小さな造り。溺愛しているという父の家宗の意向ではない事は明らかだろう。ということは―――

「なかなか質素なものが好きなやつらしいな」

なんとなく好感が持てた信長は、フッと笑みを浮かべて呟いた。

「さて、皇子サマに夜這いを仕掛けに行くか」







「うん・・・?」

燈篭の明かりを頼りに『源氏物語』を読んでいた吉乃は、微かに聞こえた気のする物音に顔を書から離した。

「誰か・・・いるの?」

枕元に置いてある刀を手に取り、ゆっくりと物音のする先―――土間へ歩みを進めた。同年代の少年と比べて線の細い感の否めない身体だが、刀の腕ならその辺の強盗に負けない自信がある。

「駄目だなぁ」

「っ!だれ・・・!」

ふと背後に気配が現れ、簡単に刀を奪われて腕を後ろ手に取られた吉乃は叫ぼうとするがその口も防がれ、そのまま引きずられて布団に押し倒される。

そして、2人は初めて顔を合わせた。









―――胸が高鳴った。少年を押し倒した信長は、確かに自分の胸が高鳴った事を自覚した。

(な、なんだよおい・・・なんでこんなに落ち着かないんだ!?)

異性となら胸にサラシを巻き、裸同然の恰好で遊んでいても恥じらいなど覚えた事のない自分が、肌を一切露出させていない格好なのに、なぜか彼を前にすると緊張する。

心臓はやかましく音を立て、顔は熱を帯びる。彼女にとって初めての経験だった。







吉乃は突然の侵入者の手から逃れようとバタバタと暴れるが、力が強く、抜け出せない。薄明かりの中でボンヤリと侵入者の顔は見えた。

―――女だ。野性的な美女が口をふさいでこちらを組み敷いている。

「ん・・・むぅっ・・・やぁっ・・・」

このまま何をされるのだろうか。世間知らずな吉乃には想像もつかず、恐ろしかった。

殺されてしまうのか。それとも、人買いに売られて甲斐の鉱山に送られてしまうのだろうか。

―――実のところ、彼の想像は全て裏切られた。

「んうっ!?」

手が放されたと思ったのもつかの間。吉乃の唇に、侵入者の唇が重なった。








(あ、あれ・・・オレ、何してんだ・・・?)

至近距離には驚愕の為だろう、見開かれた彼の瞳。自分もなぜこんな事をしたのかがわからない。羞恥に頬が熱を帯び、目を閉じて、彼を抱き寄せる。

「んん!ん~~~~~~!」

(あ、いかん)

パタパタと腕の中で暴れる彼に、やっと我に返って唇を放した。ペタンと少女のようにへたりこんだ吉乃にかなり気まずくなった信長は、ゴホンと咳払いをしてから話しかけた。

「え、え~とだな・・・吉乃!」

「は、はい」

照れ隠しに、改まった様子で彼の名を呼ぶと、放心状態から抜け出した吉乃は少し乱れていた衣服を整えて彼女に向き直った。

「オレはこの国の那古野城主・織田信長だ」

「私はこの屋敷の主・生駒家宗の子・吉乃と申します。信長様のお噂はよくお聞きしています。それで信長様、こんな真夜中に何の御用でしょう?」

「あ、え~と・・・だな」

今さらな自己紹介に今さらな侵入目的の質問だが、それを突っ込む人間は今この場にはいなかった。そして信長も、今さら『夜這いにきました』なんて答えたくはなかった。気持ちの問題だが。

口籠る信長に、きょとんと小首をかしげる吉乃。その仕草にさらに信長の気持ちは浮足立った。

(その顔でそんな可愛い仕草をするな~!)

「え、ええ~い!吉乃!」

「はい?」

最大級のパニックに陥った信長は、勢いのままに吉乃に告げた。







「オレは、お前を婿にする為に来た!吉乃っ!オレのモノになれ!」








「・・・ほぇ?」







生駒吉乃(1528?~1566)

史実では、尾張国の豪族・生駒家宗の娘。正式な名前は『お類』であるようだ。織田信長の母・土田御前(どたごぜん)の一族・土田八平次(どたやへいじ)に嫁いだが、夫が戦死して後、生家の生駒家に戻っていたところを信長に見初められて彼の側室になる。信長の嫡男である信忠をはじめ、信雄・徳姫(徳川家康長男・信康の室)を生むが、最後の子・徳姫を生んだ後の産後の肥立ちが悪く、亡くなった。若き日の豊臣秀吉が彼女(というより生駒家に?)に仕えており、彼女の伝手で織田家へ仕官したという説あり。信長最愛の女性であったという。

彼女が産んだ子・名前・待遇・享年など様々な異説があり、戦国時代の他の女性同様、謎に包まれた人物である。彼女の家は生駒本家として尾張徳川家に仕えた。

この作品では、絶世の美男子として登場する。身体が弱く、一日の大半を写本や読書をして過ごすが、剣術の腕前はそこそこ。

なかなかの天然ぶりで、信長を振り回したり、やきもきさせるのだろう・・・か?



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