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月の光と葵の乙女  作者: 三好八人衆
聖一、上洛の章
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聖一、上洛の章~第三話~

清洲・小牧山を経て美濃国へ入った徳川軍は織田家の居城・岐阜城に入城し、織田信長に謁見して到着の挨拶を済ませた。

「よく来てくれた。徳川殿の軍の御力、この信長頼りにしておりますぞ」

久しぶりに会った信長は相変わらず野性的な美女であったが、なにか一回り大きくなった・・・そんな気がした。

「我ら微力ながら、織田殿の上洛のお手伝いをさせていただきます」

聖一は主将の松平信一とともに深く首を垂れた。







夏が過ぎた9月、徳川・浅井両軍を加えた織田軍は、足利義昭と正親町天皇の『尾張・美濃の皇室領の回復を命じる』内容の綸旨を奉じて岐阜を出立。その軍勢は5万とも6万ともいわれた。

「背後の武田家が沈黙を保っているというのも不気味ですな・・・」

「織田家に京を保持されるよりも、海がほしいんでしょう。今川家が弱体化している今が好機ですから」

轡を並べながら信一と聖一は織田家の背後にいる強大な存在について、改めて畏怖を感じていた。今回の上洛戦及び遠江侵攻戦は、武田家の同意なくば成立しなかったといっても過言ではない。

そしてこの武田信玄という巨大な存在は、後に織田・徳川両家にとって大きな壁として立ちはだかるのである。









近江国―――巨大な湖・琵琶湖を抱えるこの国は、不安定な状態にあった。かつて管領代にもなった近江守護六角家は政争に敗れて逃れてきた足利将軍を保護し、擁立して中央の政争に関与するほどの力を有していた。六角氏の最盛期を築いた名将六角定頼の死後、その子の六角義賢も将軍足利義輝や管領細川晴元を擁して中央の実力者だった三好長慶と戦うなど勢力を振るったが、自身の引退後、北近江の新興勢力で従属させていた浅井氏が台頭してくる。義賢は大軍を率いて浅井討伐に出陣するが、野良田の戦いで大敗を喫して勢力を減衰させてしまう。

宿敵浅井家が織田家に味方して足利義昭を擁したのに対し、六角家は三好家と手を結び、三好家が擁する14代将軍・足利義栄(あしかがよしひで)に味方して織田軍の前に立ちはだかったのだった。








「―――六角家が義昭公を擁する我らに対して義栄公を擁して我らに敵対していることは皆様承知のことでしょう」

近江国に入る前の軍議で、司会役の明智光秀は相も変らぬ冷静な様子で軍議の場にいる諸将に向けて発言した。この場にいるのは進行役の光秀に木下秀吉と名乗った元気そうな小柄な少女、穏やかな雰囲気の女性・丹羽長秀に昭和の雷親父を絵に描いたような厳しそうな雰囲気の大柄な男性・柴田勝家に佐久間・森・滝川等織田家臣団に加えて、信長の妹婿浅井長政の姿もあったが、信長自身の姿はなかった。恐らくは光秀と打ち合わせ済みなのだろう。

信長の妹・市の夫である浅井長政は寡兵を率いて六角の大軍を破った勇将という事で、どんな人物なのか聖一は内心楽しみだったが―――

(・・・予想外だ・・・)

聖一から見て上座に腰掛ける浅井備前守長政は、勇将とは程遠い外見の武将だった。

この戦国時代では珍しくないという金髪を短髪にした紅顔の美男子で、優しげな雰囲気と笑みを絶やさない好青年であった。

そんな回想をしているなかでも、光秀の説明は続く。

「六角軍は本陣の観音寺城を始めとして和田山城・箕作城など十八の城を構え、近くの和田山城から攻撃を開始すると読んでいるようですが―――」

光秀は冷笑を浮かべ、六角軍の読みを嘲笑った。

(怖っ!)

そして聖一はそんな彼女に恐怖心を抱いた。

「わざわざ敵軍の罠にかかってやる気はありません。我が軍は舞台を三手に分け、稲葉殿の隊が和田山城へ、柴田殿・森殿、そして私の隊は本陣の観音寺城へ、木下殿・丹羽殿、そして浅井・徳川両家の隊、そして本隊は箕作城を担当していただきたい。何かご質問は?」

一同を見渡して沈黙が確認されると、光秀は解散を言い渡してその場はお開きとなった。






信長率いる織田軍は近江国に侵攻。六角軍は十八の城に籠ってこれを迎え打つ。新興勢力と旧勢力の激戦が繰り広げられる―――






「―――かと思ったんだけど」

箕作城の本丸で戦後処理の指揮を執りながら、聖一はぼやいた。

「やっぱり六角軍が蹴散らされるのはこっちの世界でも変わらないんだ・・・」

箕作城に籠った六角軍は、一度は攻め寄せてきた織田軍を撃退するも、その夜に木下秀吉の提案で行われた夜襲の前にあっけなく城を明け渡した。

観音寺城の六角義賢・義治親子は重要拠点の箕作城が落ちると聞くや、観音寺城を捨てて甲賀郡へ落ち延びたという。

これで南近江は事実上織田家の手に落ち、京までの道筋はあっけなく確保されたのだった。


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