聖一、上洛の章~第二話~
雀が鳴き、爽やかな風が流れる三河国の朝。岡崎城の城門前に、織田信長の上洛軍に合流する徳川家の援軍が集結していた。その数は1千ほど。三つ葉葵の旗を立て、整列して佇む姿は堂々たるものだ。
この援軍を率いる大将の松平信一と副将の鷹村聖一は、鎧で身を固め、脇に兜を置いて大広間で家康に出陣の報告を行っていた。
「では、殿。これよりこの松平信一と・・・」
「鷹村聖一。織田信長殿への援軍の将として京へ出陣いたしまする」
「両名とも使命を果たし、武勲を挙げて無事に帰ってきてください」
『はっ』
2人とも頭を垂れ、兜を取って大広間を辞して大手門前で待っている兵に合流―――
「あ、そうだ。お兄ちゃん!」
「え、な、なに!?」
しようとしたのだが、聖一の手を小さな手がグイッと引っ張って止めた。振り返ってみると、手と声の主は彼を『兄』と慕う榊原康政だった。彼女はゴソゴソと袖を探り、小さな四角い布袋を取りだした。
「はい!お守りだよっ!お兄ちゃんにあげる!」
確かにそれは現代でもよく目にするお守りだった。ただし、ちょっと歪で手作り感が漂うものだった。
「これは、小平太がつくってくれたの?」
「うん!お兄ちゃん弓は上手だけど、とってもよわっちいから怪我なく帰ってきますよーにってお願いしながら作ったの!」
彼女は裁縫に慣れていないのだろう。形は歪だったが、温かみのあるものだったし、刺繍された『必勝祈願』の文字でなんとなく無事で帰ってこれそうな気がした。
「ありがとう小平太。これで勇気百倍だよ」
「へへへ~!」
得意げに小さな胸を張る康政の頭を、謝意を込めて撫でると彼女はくすぐったそうに首をすぼめた。
「た、鷹村っ!」
今度こそ大広間を辞して大手門に向かって廊下を歩いていると、聞きなれた声がかかって聖一は足を止めた。
「忠勝?」
足を止めて振り向けば、そこには銀髪の少女―――徳川家一の猛将本多忠勝が木製の小箱を抱えて立っていた。
「お前に選別をくれてやる!」
「えっ?あ、ありがと」
ズイッと押し付けられた木箱を、断りを入れて開けると、そこには手首に付けられるくらいの大きさの数珠が納まっていた。
「わ、私が戦場で掛けている数珠を作っている職人に同じ数珠の小さなものを作ってもらったんだ!私が自分の手首に付ける予定だったんだが、やはり邪魔になってしまったからお前にやる!べ、別にお前の無事を祈ってわざわざ用意した物じゃないぞ!本当に私のお古だからな!」
パタパタと腕を上下させながら、聞いてもいない事を告白して顔を赤らめて自爆する忠勝に、聖一は苦笑して左手首に付ける。
「うん、ちょうどいいサイズ・・・大きさだ」
「そ、そうか!」
あからさまに胸をなでおろして安堵した忠勝に心の中だけで苦笑しておき、聖一は彼女の両手を掴んで「ありがとう、忠勝」と謝意を告げると、さらに顔を真っ赤にさせて「さ、さっさと行かんか!」と怒鳴られ、追い立てられるように大手門の方向に向かった。
首から康政にもらったお守りを、左手首に忠勝からもらった数珠を付けた聖一はすれ違いざまに激励の言葉をかけてくる家臣たちに見送られながら門に向かう。
「聖一さん、遅いですよ」
「えっ、元忠さん・・・それに殿!?」
その門の前で待っていたのは、鳥居元忠、それに聖一の主君徳川家康だった。2人の様子は対照的で、元忠はニコニコ、家康は顔を俯かせてなにやらモジモジとしている。
「ええっと・・・?」
「ほら、殿。聖一さんが困っていますよ」
「・・・う~・・・ええ~と・・」
困惑している聖一とモジモジしている家康とを見かねて、元忠が家康の背を押して聖一の前に押し出す。
「せっ、聖一さん!」
「は、はい」
意を決した様子で、家康は聖一の顔を見上げてズイッと後ろ手に隠していた物を差し出した。
「これっ、どうぞ!」
「え・・・これって殿の脇差じゃないですか!」
彼女が手に持っているのは、柄と鞘に徳川家の家紋『三つ葉葵』が彫られている彼女愛用であるはずの脇差だった。
「私の物はいくらでもありますから、よかったらもらってください。・・・そ、それに聖一さんがそれを持ったら私とおそろい・・・ですし(ゴニョゴニョ)」
「本当ですか!ありがとうございます!」
最後の方はゴニョゴニョと口籠ってて聞こえなかったが、聖一は頭を下げて彼女に礼を述べた。
信一と聖一が率いる自軍の背を見送った家康は、門に背を向けて本丸へと歩き出した。
「彦ねぇ、今から気の抜けない戦いが始まりますね」
「ええ。遠江を得て今川が消えるという事は、『甲斐の女虎』武田信玄殿の率いる戦国最強の武田軍と国を接するという事ですものね」
ふだん穏やかな元忠の表情にも、畏怖が浮かんでいた。それほどまでに恐ろしいのだ―――武田信玄という戦国最強の女傑は。
「岡崎城の留守は数正に任せ、我が軍は武田家との打ち合わせ通り遠江へ進めましょう」
少しでも気を抜き、隙を見せれば老獪な虎はすぐさま襲ってくる。
戦国大名徳川家の前途は、洋々とはいかないようだった。