聖一、上洛の章~第一話~
冒頭に述べている足利将軍家の将軍争いは、家系図がないのでちょっとややこしくて分かりにくいかもしれません。
気になる方はウィ○ペディアでどうぞ。
足利将軍家の権威の失墜は応仁の乱で完全に始まったものの、それでもまだその要因となった8代将軍足利義政の実子である9代将軍足利義尚の代には、まだ将軍家に反旗を翻した近江国守護六角高頼を親征する力があった。しかし、義尚の後任として10代将軍に就任したいとこの足利義材(後に義尹、義稙と改名。8代将軍義政の弟足利義視の子)の代に義尚の実母・日野富子らが起こした『明応の政変』と呼ばれる軍事クーデターにより将軍職を追われ、いとこの足利義澄(義政の異母兄で伊豆国に堀越公方として下された足利政知の子)が11代将軍に就任した。
その後も義稙・義澄間で再就任と追放を繰り返して諸大名や幕府内部の権力争いに翻弄され、室町幕府の権力は失墜していきついに―――
父祖の遺志を継ぎ、幕府の復権を画策していた13代将軍足利義輝(義澄の子・12代将軍足利義晴の子)が、いとこに当たる足利義栄を擁した三好三人衆と松永久秀率いる軍勢に襲撃されて殺害される『永禄の変』が起こった事により、幕府の権威は完全に失墜したのであった・・・
義輝には2人の弟がいた。鹿苑寺の住職をしていた弟は三好・松永軍に騙し討ちにされたが、もうひとりの弟は大和国興福寺におり、彼は幸いにも幽閉されるだけで済んだ。義輝の遺臣たちは彼を助け出し、近江を経て越前国主朝倉義景のもとに逃れた。そしてその地で元服し、足利義秋(後に義昭)と名乗る。
しかし義景が背後の加賀国一向一揆に手間取って義昭を奉じて上洛できないと判断すると、今この国で一番勢いに乗っている勢力に上洛を頼む事を決意した。
その勢力の当主の名を、織田信長という。
「余が義昭である。上総介、出迎え大儀!」
「はっ」
織田信長は美濃国のある寺において、政治的重要人物を迎えていた。彼女が平伏する向かい側、上座にその人物が座していた。
外見年齢は10代前半の小柄な少年で、どこかぼんやりとした容貌ながら口調や端々の仕草からは生まれながらの高貴さが窺える。
彼こそ室町幕府の『正当な血統』を誇る13代将軍足利義晴の子・足利義昭である。
「信長よ、余の上洛の為に力を尽くしてくれよ」
「はっ。この信長、全力を尽くして義昭様の上洛に貢献させていただきます」
深紅の長髪を礼儀用に纏めた織田家当主たる長身の美女は、後ろに控える小柄な才女とともに彼に向かって深く平伏した。
義昭の御座所を辞した織田家主従。夕日が2人と護衛の兵を照らすなか、信長は光秀を近づけて問うた。
「なぁ光秀・・・義昭公はお前の目から見てどんな感じだ?」
「凡庸、の一言に尽きます」
信長の問いに、光秀はバッサリと義昭を斬り捨てる。
「しかし殿の大業に花を添えるぐらいは出来るでしょう。血統だけならば、あれは殿を―――いや日の本の誰よりも優れています。存分に利用価値はあるかと」
信長は光秀の『目』―――つまり観察眼や戦略眼を高く評価し、信頼している。彼女の見立てと自分の見立てが一致した事に満足し、ニヤリと笑む。
「さて光秀よ。これから次にオレがする事は何だ?」
「徳川家及び江北の浅井備前殿への援軍要請、そして六角家へ義昭公への協力要請でしょうか?」
「正解だ」
寵臣の答えも自分の答えと一致した事に満足した信長は、隣で馬を並べる彼女を引き寄せてその唇に軽く口付けした。
「なっ・・・!と、殿!お戯れを・・・」
「光秀!今夜オレの閨に来い。褒美に可愛がってやるよ」
主君から与えられる『褒美』の内容に、『鉄面皮』『氷姫』などと陰口をたたかれている彼女の表情は熱に浮かされたようになっていた。
その夜、岐阜城の自分の寝室で光秀と褥の上で一戦した信長は、昇天して気絶している光秀を置いて手拭いで汗をかいた自らの豊満な身体を軽く拭く。
「光秀を可愛がる前に侍女に風呂を焚かせておいて正解だったな・・・」
この時代の風呂は現在の様な浴槽に湯を張ったものではなく、蒸し風呂が主流だった。風呂に籠って汗を流しながらある人物に想いを馳せる。
「徳川からは援軍を得られるとして・・・遠江攻略を控えた家康自身は来ないだろうから名代が軍を率いてくるはずだが・・・鷹村は来るのかな?」
清洲城で出会った『月の使者』たるあの男の姿を思い浮かべ、フフッと笑みを浮かべる。
(家康はあいつに御執心みたいだからな・・・もっとも自分に自覚はないみたいだがな)
恋愛面の経験が薄いに違いない妹分の恋の行く末がどうなるのか、少しだけ気になる信長だった。
「くしゅん!・・・うー、風邪でもひいちゃったのかな・・・?」
足利義昭が織田家に身を寄せたという情報は、津波のように周辺諸国に広まった。
「ふむ・・・尾張のうつけが天下へ勇躍しますか。小娘ごときに上洛を先に越されるのは無念極まりないですが、私の本拠地が京から遠く離れたこの甲斐である以上、これは仕方ない事」
山に囲まれた甲斐国で『虎』の異名を誇る女傑が溜息をつき、
「フッ・・・また新しい乙女が天下取りへ名乗りを上げるか。いずれボクと激突する日も来るのかな?」
雪深い越後国で『龍』の異名を誇る男装の麗人がまだ見ぬ敵に心を躍らせ、
「きーっ!あの貧乏公方、よりにもよって我が朝倉家の宿敵たる織田家の世話になっているですって!許しませんわよ・・・!」
華やかな文化が花開く越前国では、名門を誇る女当主が地団太を踏んで悔しがり、そして動き出していた。
「織田家との和議を至急まとめなさい。続いて三河の徳川家康に同盟の申し込みを。軍を南に進め、海を手に入れに行きましょう」
『甲斐の女虎』武田信玄は宿願の『海』を手に入れるべく軍を南下させ―――
「さぁボクの子猫ちゃん達、一向一揆の蔓延る越中国を攻めて上杉の『義』を見せつけようじゃないか!」
『はいっ、お姉様!』
『越後の龍』上杉謙信が、長年の宿敵である一向一揆を攻め潰す為に西に軍を進め―――
「そちらがそう動くなら・・・私にも考えがありましてよ・・・!」
『名門朝倉』の当主である朝倉義景が知謀を働かせる。
そして、新興勢力たる三河国徳川家の客将鷹村聖一は―――
「うう~ん・・・結構大きなヤツがいます~・・・」
「・・・・」
当主自らの膝枕で耳掃除を受けていた。
「・・・コロス」
「ええっ!?」
隠密頭の殺気をまともに受けながら。
「じゃあ、聖一さんの耳掃除も終わりましたし、評定を始めましょうか」
「耳掃除いりました!?」
家康の天然ボケに聖一がツッコミを入れ、彼が一同から冷たい目線を浴びるなかで軍議は始まった。
「さて、先日織田家から上洛の為に援軍を求める書状が来た事は皆さんご存知でしょう」
一同がうなずくのを確認して、進行役の石川数正は続けた。
「同時に武田家から、『共同して今川領侵攻を攻めないか』と共闘要請が来ています。殿、いかがいたしましょう?」
数正から意見を向けられた家康は少し考える仕草をした後に、ゆっくりと言葉を紡ぎだした。
「織田家への援軍は当然出すとして・・・援軍の数、率いる将を決めなければなりません。武田家ともどこを境界線とするか、これを決めなければなりませんね」
つまり、織田家への援軍はもちろん武田家との共闘は彼女にとっても望むところであった。
「その事ですが・・・織田家への援軍の将は、僕にやらせてくれませんか?」
「聖一さんが・・・ですか?」
控えめに挙手して立候補したのは、針のむしろに座らされていた聖一だった。
「今回の上洛戦、織田家と我が徳川家をはじめとした同盟諸国の威信をかけたものであることは間違いないです。将軍家の足利義昭・・・公を擁し、彼の御方を将軍職に就けることはこの国の勢力図を一変させることになるでしょう」
そこで一呼吸置き、説明を続ける。
「ここからは個人的な希望になるのですが・・・僕は京を見てみたいのです」
「京を?」
「はい。この戦国乱世で戦っていく上で、合戦だけでは僕たちは生きてはいけません。朝廷や公家たちとの交渉など・・・この国の中央たる京でしか学べないことが多いと思うのです。僕はまだまだ力不足ですし、殿の御役に立つために周辺が落ち着いている今のうちに動いておきたいのです」
聖一の想いを聞き、一同に沈黙が下りる。最初に口を開いたのは長老鳥居忠吉だった。
「殿、よろしいではありませんか?鷹村殿の御志、この鳥居忠吉感服いたしました」
「爺・・・」
「さすがにまだまだ一軍の将として送るのは拙者も不安ゆえ、藤井家の松平信一殿を主将に鷹村殿を副将において送り出してはいかがでしょうか?」
松平一族の傍流のひとつである藤井松平家の当主・松平信一は早くから家康に仕え、その信任も厚い勇将で、元々彼が援軍の将として派遣されるのは規定事項だった。
「・・・聖一さんは、やっぱりお姉様のこと・・・?」
「殿?」
「ううん、なんでもないです」
コホンと咳払いをして、家康は気を取り直して宣言した。
「数正は武田家と境界線や今後の動きについての交渉、聖一さんは信一と上洛軍の打ち合わせ、残りの者は引き続き私と遠江進攻の軍議に入ります!」
『ははっ!』
(なんだろう、このモヤモヤした感じ・・・)
家康は、『聖一が信長のもとへ行く』ということを考えると、清洲城で目撃してしまったあの光景を思い出してしまい、胸の中によくわからない不快感が生まれていた。
その正体に気がつかないまま、いよいよ聖一は京へと旅立つ―――
豆知識
越中国の一向一揆は越中国般若野の戦い(1506年)で当時の越後守護代長尾能景を討ち取っている。この能景は上杉謙信の祖父に当たり、謙信にとって越中一向一揆は祖父の敵にあたる。