三河平定の章~第四話~
それは、些細なことから始まった。三河国西尾城主で徳川家の家臣・酒井正親率いる軍勢がならず者の一党を追い、その首領を正親自らが捕縛する事に成功したのだが、その場所がまずかった。
三河国本證寺。摂津国石山に総本山がある本願寺教団の三河国における拠点の一つで、家康の父広忠から守護不入(犯罪者追跡や徴税の為に幕府によって設定された特定の地に立ち入ることを禁じる権利)を認められていた。
寺の敷地に入ってならず者を捕らえた正親の行動をこの守護不入の特権に反するとして本證寺は西三河の門徒や他の本願寺の味方に呼びかけて家康に対して蜂起したのである。
―――これが、家康三大苦難の一つ『三河一向一揆』の発端である。
そして、この三河一向一揆が三大苦難たるゆえん―――それは『犬のように忠実』と揶揄される徳川軍の家臣達から家康に反旗を翻した者が少なからず出たからである。
岡崎城内では挙兵した一向一揆軍に対して備えるべく、小姓たちが歩き回って軍備を整えていた。
そんな慌ただしい雰囲気の中、岡崎城の本丸では家康を中心に酒井忠次・石川数正たち重臣が軍議を開いていた。
「此度の反乱軍には、先に我らが撃破した吉良義昭や今川与党の残党や桜井・大草の松平一族、そして・・・本多一族の一部や上野城主酒井忠尚など一部の家臣の一族も反乱軍に加わっております」
「桜井家や大草家はお祖父様の代から反抗的でしたけど・・・」
「やはり、この様な乱世では信仰に縋りたいというのが人間なのでしょうか・・・」
数正の報告に、家康と聖一は溜息をつく。しかし『戦国大名』であり、三河国徳川領の治安を守る者としてこの反乱を放置するわけにはいかない。
「だけど私はこんなところで止まるわけにはいかないのです。反乱軍を討つため、出陣します!」
『ははっ!』
数日前の事だった。聖一が寝起きしている岡崎城の一室に、彼直属の武将である渡辺守綱が神妙な面持ちで現れたのは。
「暇が欲しい?」
「はい。我が父が病に倒れたとの報に接しまして、父に代わって城の守りの指揮を執らねばならず、しばらくの間鷹村様直属から殿の直属部隊に配属を代えさせて頂きたく・・・お願いに上がりました」
守綱は普段の明るさが全くなくなり、こちらを見つめる眼差しには必死の色が込められていた。
「・・・分かった。殿には僕から話しておくよ」
「ありがとうございます!」
平伏した守綱に、優しく声をかけた。
「君の居場所はここだよ。いつでも用意して待ってるからね」
「・・・よかったのか?彼女は嘘をついているぞ」
守綱が出て行ってしばらくした後、聖一の背後から突如声がかけられた。黒装束の鋭い雰囲気を纏う少女―――あるアクシデントから知り合った徳川家の隠密頭服部半蔵正成である。
「知ってるよ。多分、一向一揆軍に味方するつもりだね」
「貴様は馬鹿か。渡辺の様な有能な将をわざわざ敵方に渡す馬鹿がどこにいる」
「馬鹿って二回言われた!?」
「・・・貴様の部下だ、好きにしろ」
フン、と鼻で笑って半蔵は去っていった。ただ、嘲笑ではないのは何となくわかった。