3.図書室の午後
レティシアは、ほっとして笑いだしてしまった。
遠くから、私室を覗く魔法なんて、なかったのだ。
「と、いうわけで。
次のステップとして、鞄に手紙を入れてくるタイミングを見極めるのはどうかしら。
あなた達、普段、どういう風に過ごしているの?」
同学年だが、レティシアは50人以上の生徒が所属する一般クラス。
カタリナは、アルフォンスやジュスティーヌ、ノアルスイユらと同じ少人数の特別クラスで、受けている授業も同じではない。
ちなみに、ヴァランタンは騎士クラスで、座学少なめ、鍛錬多めのカリキュラムだ。
レティシアは、一日のスケジュールを思い起こした。
「ええと……一般クラスは、まず朝一でホームルームがあって、課題ノートの返却なんかもします」
「あー……朝、教員室から台車で箱を運んでいる生徒を見るけど、あれって課題ノートなのね」
課題ノートは、学校指定のハードカバーノート。
表紙には、授業名と生徒の名が刻印されている。
毎回、指定された課題を提出し、教師と助手がコメントして返すので、しっかりした造りになっているのだ。
「ええ。特別クラスなら、先生がお持ちになるんでしょうけれど。
一般クラスは人数が多いので、級長が運ぶことになっていて。
そのまま、同じ教室で、語学や魔導理論の共通授業を受けます。
午後は選択授業なので、鞄を持って、教室を移動することがほとんどです」
「一般クラスは、階段教室よね。
席は決まっているの?」
「はい。なので、鞄はお昼すぎまで机の脇にかけています。
離席する時もかけっぱなしなので、クラスメイトがいじることもできます。
本当は、休憩時間も鞄を持ち歩ければいいんですが、一度試したら、なぜわざわざ持っていくのかと周りに驚かれてしまって」
「そう。必要もないのに鞄をいちいち持ち歩いている生徒がいたら、教室で盗難でも起きてるんじゃないかって話になりかねないしね。
先生方は、あなたの鞄に触れる機会はあるのかしら」
レティシアは、教師の動きを思い出そうとした。
「先生方が立ち入られるのは、基本的に教壇のまわりだけです。
階段が、結構急ですし。
私の席は一番後ろですから、そんなところまでいらっしゃるのは見たことがありません。
あと、一般教室の清掃は夕方なので、掃除の方が触れることも、まずないと思います」
「なるほど。授業が終わった後は?」
「図書室でグループ発表の準備をしたり、後はお友達と食堂や中庭でおしゃべりしたり。
今季は『大陸史演習』で、毎週発表しなくちゃいけないので、週に2日は打ち合わせをしています。
その時も、鞄を置いたまま離席することがあるので……手紙を入れられているのは、教室か図書室じゃないかと」
ふむ、とカタリナは考え込んだ。
「どうしましょう。
こまめに鞄の中を確認しましょうか?」
実は、二通目が来てから、レティシアは授業ごとに鞄の中のものをすべて出して確認しようかと考えた。
だが、そんなことをしたら、級友たちが手紙に気づくかもしれない。
なので、人前ではなるべく鞄を開けないようにしていたのだが──
「んん……封印魔法で、開けられたら即検知できるようにするのはどう?」
「え。封印魔法ですか?
でも、あれは『膜』が見えてしまいますよね」
封印魔法とは、無属性の魔法だ。
名前の通り、封筒や鞄、扉などを封印する魔法で、魔力がある者はほぼ使うことができる。
絶対破れなくなるわけではないが、無理に破られると、術者に伝わる。
そして、魔力が一定以上ある者には、半透明の膜のように目視できる。
教師にも生徒にも、見えるはずだ。
「封印魔法って、魔力が見えるのは表側だけなのよ。
内側から反転させてかければ、別に見えないわ」
「内側から反転??」
すっと、侍女がカタリナの鞄を差し出してきた。
学院の鞄は、フラップのついた手提げ鞄。
毎日、教科書や辞書を押し込んでいるレティシアの鞄はだいぶ太くなってしまったが、カタリナの鞄はびっくりするほど薄くて綺麗なままだ。
「まず、内側をよく見て、イメージできるようにしておく。
鞄を閉じて、内側を思い浮かべながら、その上に『封印』を生成するの」
カタリナは、鞄の内側を眺め、すぐにフラップを閉じた。
鞄の上に、手のひらを広げる。
「封印」
短く唱えると、カタリナはレティシアに鞄を渡してきた。
レティシアは、本気でフラップを開こうとするが、まるで開かない。
カタリナの魔力が、レティシアよりはるかに強いからだ。
見た目は、なにもかかっていないようにしか見えないのに。
だが、魔力検知をかけると、確かに鞄の内側に魔力を感じる。
「と、いうわけ。
少し、練習してみるといいわ」
ここでやってみなさいと、カタリナは顎を軽くしゃくってみせた。
手間取りはしたが、なんとか「内側から」封印魔法をかけられるようになった。
自室に戻ってから、口の中で呟く程度の詠唱で済ませられるよう、何度も練習する。
翌日の放課後、レティシアは図書室に向かった。
図書室は、特別棟の2階にある。
開架型書庫と個人閲覧室、グループ用のスペースに分かれていて、まわりを広い回廊で囲まれた、大きな部屋だ。
レティシア達が使う席はだいたい決まっていて、中庭側の大きなテーブルだ。
既に、同じグループのアドリアンとソフィーが座っている。
「レティシア。通商条約の年表、これでいいかな?
大丈夫なら、模造紙に書く作業に入りたいんだけど」
伯爵家の次男であるアドリアンが自分のメモを見せてくる。
メモは、活字体で書かれていた。
筆記体のぐにぐにした線が嫌いなのだ。
几帳面な彼は、このグループの実質的なリーダーだ。
「あー……確認します」
レティシアは、教科書とノートを取り出した。
さりげなく鞄をぽんと叩いて、封印魔法をすぐさま張り直す。
「アドリアンったら、いっつもレティシア様に頼って。
私だってちゃんと調べてるのに」
男爵家の長女、ソフィーがむくれた。
ソフィーは、又従兄弟のアドリアンが好きなのだ。
「ソフィー。君は、今回は模造紙の清書係だろ?
ああ、ガブリエル。君のメモは大丈夫か?」
ソフィーを軽くいなして、遅れてやってきたガブリエルに、アドリアンは声をかけた。
「あー……ちょっと遅れてる。
悪い。手合わせで、思いっきり右手を打たれちまって」
騎士爵の長男であるガブリエルは、ちらっとレティシアの方を見た。
どうやら、ヴァランタンが相手だったようだ。
ガブリエルは騎士クラスだが、歴史が好きで「大陸史演習」をとっている生徒。
どうも、ヴァランタンをライバル視しているようで、手合わせで敗けた後は、レティシアに対しても、少し構えて接してくることがある。
ガブリエルは、右手を皆に見せた。
手の甲が、赤くなって腫れている。
「結構酷いな。これじゃ困るだろ」
アドリアンが顔をしかめた。
「セシル! ちょっと来い!」
近くの閲覧席で調べ物をしていた級長のクリストフが、立ち上がって声をあげた。
クリストフは、放課後はたいてい閲覧席で勉強をしている。
カウンターで受付をしていた図書委員のセシルが、慌ててやってきた。
「治してやれ」
クリストフは、セシルにぞんざいに命じた。
「は、はい……」
この二人、婚約しているのだ。
一般クラスの級長であるクリストフは侯爵家の跡取りで、金髪碧眼のいかにも優美な貴公子。
小柄なセシルは子爵家の三女で、もじゃもじゃのダークブラウンの髪に黒縁眼鏡。
どうにも不釣り合いな婚約で、そのせいかクリストフはセシルをメイドかなにかのように扱っている。
ほかの女子生徒には、いつも紳士的なのに。
セシルはガブリエルの右手を取り、「治癒」と短く詠唱した。
一瞬で、魔法陣が生成され、ぽわぽわした光が、患部に吸い込まれていく。
みるみるうちに、赤みはかなり引いていった。
「凄いな。レディ・セシル!
ありがとう、助かったよ!」
ガブリエルは、右手を胸に当て、左脚を後ろに引く、騎士の礼をとった。
「い、いえ……」
セシルはおろろっとすると、クリストフに小言をくらう前に、さささとどこかに消えた。
仏頂面で、クリストフがその後ろ姿を見やる。
不意に、バンと机を叩く音がした。
「……あなた達、うるさすぎるわよ。
ああ、いやだいやだ。行儀の悪さって、伝染るのかしら」
隅の丸テーブルに陣取っていた侯爵令嬢のエレーヌだ。
キッと、レティシアを睨む。
エレーヌの取り巻きの令嬢たちが、一斉に頷いて、まるでからくり人形のようだ。
クリストフが、エレーヌのところに行き、皆を代表して謝ってくれる。
「……俺、そんなにうるさかった?」
こそっと、ガブリエルがアドリアンに聞く。
「ガブリエルは、地声が大きいからなぁ」
違う。あれはレティシアに言ったのだ。
エレーヌは、ヴァランタンの母方の従姉妹。
昔から、レティシアが気に入らないようで、なにかにつけて目の敵にしてくる。
アドリアンに頼まれたチェックが終わったレティシアは、立ち上がった。
「……ちょっと、資料を探してきます」
言いおいて、レティシアは少し離れたところにある本棚の列の間に入った。
鞄はレティシアの席の脇、床の上に置いたままだ。
息を潜めて、本棚の隙間越しに皆の様子を観察する。
アドリアンには、少々強引な時もあるが、常識的な優等生。
彼があんな手紙を送るだなんて、到底考えられない。
だが、普段から活字体で書いていること、手紙で一度、名前が言及されていたのが気になる。
あれは、手紙の主はアドリアンではないと思い込ませるためだったのかも。
ソフィーには、思い込みが激しいところがある。
同じグループのレティシアが学院から消えれば、演習の時間だけでもアドリアンを独占できると短絡的に考えたのだろうか。
だが、定規を使って活字体で書くといった小細工は、ソフィーらしくない気もする。
ガブリエルは、基本的にはおおらか。
でも、ヴァランタンとの勝ち負けには妙にこだわっている。
歴史好きと言うわりには、「大陸史演習」の授業についていけていないのも、気になる
もしかして、ヴァランタンの弱みを握るために、レティシアと接触する機会を求めて、無理に演習をとったのだろうか。
クリストフ。これも優等生。
昔、アルフォンスの御学友候補として宮中に招かれたけれど、勉強が進みすぎていたので外れたと、誰かに聞いたことがある。
丁寧な人柄で、課題ノートを生徒に返却する時は、教壇脇に並べておいてもいいのに、取り違えるといけないと、毎回一人ひとりに配っている。
そんなところが教師達に評価されているし、せっかく級長にも選ばれたのに、自分から問題を起こすほど馬鹿ではないはずだ。
セシルへの態度からして、見た目通りの優等生ではないのかもしれないが。
セシル。眼鏡っ子の図書委員。
レティシアは、あまり話したことはない。
だが今日、改めてクリストフとの関係がいびつなことを目の当たりにした。
婚約者に正当に扱ってもらえない恨みを、他の令嬢にぶつけようとしていて、たまたまレティシアが眼に留まったのかもしれない。
それに、彼女は魔力もコントロールも幼い頃から突出していて、神童と言われていたそう。
なにか思いも寄らない魔法を使って、レティシアの鞄に手紙を入れてきているのかもしれない。
エレーヌ。レティシアには、厳しい小姑のように接してくる令嬢。
去年、もうちょっと普通にレティシアに接してくれないかと、ヴァランタンが申し入れてくれて、これでもマシになったところだ。
この学院で、レティシアを嫌っている人ランキングを作るなら、1位はエレーヌだ。
彼女自身は特別クラスだが、取り巻きは一般クラス。
面白半分に、皆でそれっぽい手紙を書き、誰かにレティシアの鞄に入れさせてる──そんなこともありえなくはない。
そこまで考えて、レティシアは頭を横に振った。
こんな風に人を疑うのは、良くないことだ。
皆、それぞれに癖はあるとはいえ、同じ学び舎で学ぶ仲間なのに。
ため息を一つついて、レティシアは適当に見つけた資料を手に、席に戻った。
作業を進めながら、ふと視線を感じて振り返る。
セシルが逃げて空になったカウンターから、昨年度から入った司書補佐の青年──確か、ジュール・モレルがこちらをじっと見つめていた。
二十代前半くらいに見えるが、もっさりした存在感のない青年だ。
だが、こちらに向けているのは妙に醒めた眼で、レティシアはぞくっとした。
その日、手紙は来なかった。
木曜も、手紙は来なかった。
そして金曜も。
鞄を開ける前に念の為魔力検知をかけ、封印魔法に気づいて諦めたのだろうか。
このまま、忘れてくれればいいのに──
だが、土日を挟んで月曜の夕方。
自室に戻ったレティシアは、課題を進めようとしてノートを開き、悲鳴を上げた。
封印は一度も破られていない。
なのに、例の薄い青の便箋が、今日返ってきた「北方諸国文化」の課題ノートに直接挟み込まれていたのだ。




