2.真紅の罠
洗いざらいぶちまけて、手紙も見せてしまった後──
いつの間にか、レティシアは眠り込んでいたようだ。
ふと目を開けると、鎧戸もカーテンも締め切った薄暗い部屋の中、デスクライトだけつけて机に向かっているカタリナの背中が見えた。
「起きたのね」
カタリナが振り返った。
「す、すみません……」
慌てて身を起こすと、侍女がささっとレティシアの背にクッションをあてがった。
今、何時なのだろうと時計を見上げると、13時半過ぎ。
午後の授業が始まっている。
カタリナに、1日分、授業を休ませてしまった。
どうしようとレティシアは焦る。
「気にしないで。授業なんかより、この手紙の方が興味深いわ。
よく、保存しておいたわね。
普通なら、考えなしに破り捨ててしまうでしょうに」
思いの外、カタリナの声は優しかった。
レティシアは、思わず涙ぐむ。
「で、相手に心当たりはないのね」
「は、はい」
「書かれていることを、まとめてみたのだけれど」
カタリナは、なにか細かく書き込んだ紙をひらひらとひらめかせた。
ノートを広げたくらいの紙一枚に線を何本か引き、大きな表を作ったようだ。
「授業中の出来事は、どの授業の話なのか、全部ぼかされてる。
先生に当てられて巧く答えたとか、しくじったとか、あなたを観察していればいずれ出てきそうな具体的なエピソードが、実は書かれていない」
「は、はあ」
言われてみれば、そうだ。
「一方、校内であなたとすれ違えば見て取れることや、放課後の出来事なんかは具体的。
髪に結んだリボンの色とか、図書室で誰と話していたとかね。
要は、不特定多数が観察できることしか、具体的なことは書いてない。
書き手は、かなり慎重に、身元を特定できないよう内容をコントロールしてるってこと。
この手紙、単なる恋情の噴き上りで書かれたものじゃないわ」
カタリナは断定した。
「ちなみに、実際の出来事と、手紙に書かれていることが違っていたことはあった?」
「……ありません。
あったら、少しは安心できたんですけど……」
そう、とカタリナは頷いた。
「寮で、手紙を入れられている可能性はある?」
「は?」
レティシアは、眼をみはった。
そんなことは考えたこともなかった。
「わたくし達、夕方に寮に帰って来るじゃない?
わたくしは特別室だから自分の部屋で夕食をいただくけれど、あなた達は食堂で食べる。
夕食を食べたり、談話室でおしゃべりしたりしている間に、こっそり部屋に忍び込んで、手紙を入れることだってできるでしょ?」
レティシアは、慌てて今までのことを思い出した。
「私は、寮に帰ってすぐ、鞄を開けて中のものを全部取り出すんです。
今までの手紙はすべて、そのタイミングで気が付きました」
「几帳面なのね。
じゃ、校内に立ち入らない、寮の人間は除外していいってことね」
レティシアは、きょとんとした。
誰が除外できるのか、とっさに理解できない。
「寮監やメイドが、なにかの事情であなたを恨んで嫌がらせをしてるって可能性もあるでしょ?
寮監なら家同士の因縁とか、メイドなら些細なことで逆恨みとか、あなたが知らないところで恨みを買ってることだってありえるじゃない」
そうか。言われてみれば、そういう可能性もあったのだ。
レティシアが納得して頷くと、カタリナは腕組みをした。
「それにしてもこの手紙、妙よね」
「妙……ですか?」
「単なる恋着で書いたものじゃないとしたら、戦略的に気味の悪い手紙を送りつけて、あなたを弱らせたがっているってことになる。
令嬢なら絶対に書けないと言える表現はないから、実は女性が書いたのかもしれない」
レティシアは、ぞっとした。
むしろ、女性がこんな手紙を書くとか、悪意がひずみまくってて怖い。
「一方で、『慎ましやかな寝間着』とか、絶妙にニチャァとした、いやらしい表現も混ぜているのよね。
これ、女だったらなかなか思いつかないと思うのよ。
やっぱり、男性なのかしら」
最後の方は、自分に呟きながらカタリナは考え込んだ。
レティシアが言葉もなく見つめていると、ふと目を上げ、にんまりと笑みを浮かべる。
なにか思いついたようだ。
「ゼルダ。まだおろしていない寝間着はあるかしら」
「ございます」
「じゃ、後で彼女に差し上げて」
「え? あ、あの??」
レティシアは戸惑った。
なにがなんだかわからないが、カタリナの寝間着をくれるということなのだろうか。
「返すには及ばないし、お礼とかなんとか、面倒だから考えないで頂戴。
ま。今日はゆっくり休むとよいわ。
でも、なにも食べないのは良くないわね。
パン粥くらいならいけそう?」
「あ、あ。……は、はい」
カタリナは、侍女に視線をやった。
侍女が、心得たとばかりに頷く。
カタリナは立ち上がった。
「ああそうだ。また手紙が来たら、開かずにわたくしのところに持ってきて。
あなたは、もう、こんな馬鹿げた手紙を自分で読む必要はないわ」
カタリナは、話は終わったとばかりに、すっと出ていってしまった。
パン粥を食べて、またうとうとしたレティシアは、控えめなノックの音で、目が覚めた。
さっきの侍女だ。
すすっと入ってきて、ベッドの裾の方に薄い平たい包みを置く。
「さきほど、お嬢様がおっしゃっていた品にございます」
もう、貰うしかないようだ。
「ご配慮、重ね重ねありがとうございますと、カタリナ様にくれぐれもお伝えください」
「承りました。
これは実験ですので、おやすみになる時は必ずご着用くださいとのことです」
「実験? どういうことですか?」
「そしてこれは、お見舞いの茶でございます」
レティシアの疑問をまるっとスルーして、侍女は紙袋を差し出してきた。
「身体の緊張を緩め、眠りを深くするものですので、おやすみ前に。
沸騰直前の湯を注いで、浸出時間は長めにとってください。
ティーコージーを被せて、10分以上置くのがよろしいかと」
「は、はい……」
立て板に水で説明されて、レティシアはもがもがとお礼を伝えてほしいと繰り返すしかなかった。
侍女は、ささっと下がる。
あとには、レティシアがぽかんと取り残された。
「ええと……」
仕方なく、薄葉紙を開いて、レティシアは固まった。
真紅だ。
真紅の厚地のシルクだ。
普通なら、こんな見事な生地は、ここぞという時に着るドレスに使うはず。
レティシアは、金満公爵家の贅沢ぶりに呆れた。
そして──
「ええええええええええ……
カ、カタリナ様、こんな寝間着をお召しになっているの!?」
広げてみると、袖どころか肩もない、細いストラップで吊ったキャミソール型だ。
胸元はがっつり刳られていて、裾には、花模様のスカラップ刺繍も入っている。
こんなセクシーな寝間着を、令嬢が着ていいものなのだろうか?
しかし、レティシアも年頃の娘。
おしゃれには、もちろん興味はある。
カタリナ様のお申し付けなのだからとか、色々自分に言い訳しながら、レティシアはこっそり着てみることにした。
「すご……」
なめらかな肌触りに、うっとりしてしまう。
それに、思っていたより、温かい。
だが、姿見に自分の姿が映ったのを見て、レティシアはげんなりした。
「うん。知ってた……」
お胸は、かっぽかぽに余っている。
一方、ウエストはぴっちぴちだ。
伸びのある生地でなければ、入らなかったかもしれない。
この寝間着、どう見ても、カタリナの体型に合わせて、公爵家で仕立てているものだ。
女性としての差を、見せつけられまくった気がする。
「……あ。そういうことか」
レティシアは、カタリナの意図にようやく気がついた。
この寝間着、誰がどう見ても「慎ましやかな寝間着」とは言えない。
これを着て寝ているのに、また「慎ましやかな寝間着」と書いた手紙がきたら、当てずっぽうで書いているだけだと判断できる。
そうだ。あの手紙の主に、やられっぱなしでいるだなんて、耐えられない。
まずは対抗策を練り、行動してみるしかない。
きっと、カタリナ様も助けてくれる。
どうして助けてくださるのかは、わからないけれど。
レティシアはぐっと拳を握った。
夕食は、普通にお腹が減ってきて、食堂で食べることができた。
部屋に戻ったレティシアは、久しぶりに杖をとった。
昔、ヴァランタンの祖母に、杖術の手ほどきを受けたのだ。
両手で短く持って軽く振り、突きの動作を繰り返すと、身体が暖まって気分もほぐれる。
レティシアは、貰ったお茶を飲むと、真紅の寝間着に着替え、わくわくしながら眠った。
翌日、レティシアはいつも通り登校した。
授業を休んだのは初めてだったから、同じクラスで、わりとよく話すアドリアンや、級長のクリストフなど男子生徒にも心配された。
ヴァランタンやアルフォンス達ランチ仲間も、元気になってよかったと言ってくれた。
逆に言えば、よほど自分は「丈夫がとりえ」だと思われているようだ。
だが、久しぶりにしっかり眠ったせいか、以前のように楽しく過ごすことができた。
寮に戻ってから鞄を開けると、案の定、空色の封筒が出てきたが、もう動揺する必要はない。
言われた通り、カタリナの特別室に持っていった。
別棟にある特別室は、レティシアの部屋とは違い、寝室に居間に分かれ、専用のバスルームに侍女用の部屋までついている。
7、8人でお茶会ができそうなほどゆとりのある居間に案内されると、クリーム色のドレスに着替えたカタリナに、ソファに座るよう勧められた。
すぐに、お茶が出てくる。
手紙を一瞥したカタリナは、高笑いした。
「やっぱりね。まだ慎ましやかな寝間着がどうとかって書いてるわ!
手紙の主、あなたの部屋を覗き見てるわけじゃないのよ!」




