1.「いやらしい手紙」
「まただわ……」
ある春の夕方、ミラヴァ伯爵の次女・レティシアは、令嬢寮の自室で鞄を開けて、半泣きになった。
見覚えのある、薄い青の小さな封筒が教科書の間に挟まっている。
ここは、16歳から18歳までの貴族の子女が入学を許される、全寮制の貴族学院。
二年生になったばかりのレティシアは、栗色の髪に緑の眼の、あまり目立たないタイプ。
なのに、新学期が始まってから、妙にいやらしい手紙を勝手に鞄に入れられている。
レティシアは、幼馴染であるサン・フォン侯爵の三男ヴァランタンと婚約している。
赤毛の気のいい大男である婚約者は、同い年。
ヴァランタンは、同学年の王太子アルフォンスの「御学友」の一人なので、学院ではそこそこ目立つ存在だ。
だから、レティシア自身は地味令嬢とはいえ婚約していることは、皆、知っているはずなのに──
レティシアは、ため息をつくと、なるべく角を持つようにして、手紙の封を切った。
封筒には、宛名も送り主も、いつも書かれていない。
愛しのレティシア、今日は図書室で一生懸命勉強していたね。アドリアンと楽しそうに話していたけれど、あんな男のどこがいいのかな。寮に戻って、ようやく一人になった時はため息をついてたのが聞こえたよ。でも、ぐっすり眠る君の寝顔は、本当に可愛かった。あの慎ましやかな寝間着は清楚で、君らしくて最高だ。ああ、早く君をあの愚鈍な赤毛から救い出したい──
ごく薄い便箋には、いつものようにびっしりとわけがわからないことが書かれていた。
ぺらぺらの便箋は、学院の購買で百枚一束で売られている安価なものだ。
揃いの封筒も、ごく薄手。
普通、貴族は家紋を入れた厚手の便箋や封筒を用いる。
だが、こそっと走り書きした手紙を、綺麗な形に折り畳んで授業中に回したり、メッセージを書いて扉に差し込むのならこちらが便利なので、学院ではよく使われている。
胃がキリキリと痛くなって、慌ててお茶を飲んで誤魔化す。
少し落ち着いたところで、レティシアは、机の上の本棚に置いた書類ケースを降ろした。
最初の手紙から、このケースにすべて保管しているのだ。
レティシアの父は、財務官僚である宮廷貴族。
不適切な会計を追及することもある立場だからか、公人である貴族は、常に記録を取ることが大切なのだと幼い頃から叩き込まれてきた。
「同じね……」
以前の手紙と並べて、呟く。
字は、活字体。
しかも、定規を使って書かれているので、筆跡の癖もわからない。
インクも、標準的なブルーブラックだ。
レティシアは、封筒の裏に通し番号と見つけた日付を鉛筆で書き込んだ。
週に2、3通送りつけられて、もう8通目になる。
「一体、誰なのかしら……」
文面からして、男子生徒だろうとは思う。
自分で試してみたが、定規を使って文字を書くのは、結構面倒だ。
なのに徹底して行っているということは、几帳面なタイプなのだろう。
それか、自分が筆跡を見れば思い当たる間柄なのか。
内容を見ると、授業中のふとした仕草を書いてくることもあれば、昼食の時のこともある。
授業中のことは、同級生でないとわからないはずだが、ここは貴族の学院。
生徒同士は血縁地縁でクモの巣のようにつながっているから、自分が出席していない授業の出来事だって、調べることはできなくもない。
いや。手紙の主は、この寝室を覗いていると何度もほのめかしている。
ならば、授業中の様子だって監視できるはずだ。
不意に、コンコンとノックの音がして、レティシアはびくっと肩を跳ねさせた。
「レティシア様ー! お夕食ですよー!」
稀少な光魔法が使え、乗馬も大の得意だが、礼儀作法がさっぱりなので「野生の男爵令嬢」と呼ばれているジュリエットだ。
天真爛漫なジュリエットに、こんな話は聞かせられない。
「……ああ、今日はいいわ。
気分が優れなくて」
扉口まで出て告げると、ピンク色の髪をツインテールにしたジュリエットは心配そうな顔になった。
「大丈夫です? 最近、お昼もあんまり召し上がってないですよね??
お医者様、呼んでもらいます?」
心配させてしまっていたようだ。
ランチは、ほぼ毎日、ジュリエットと一緒。
というより、二人とも王太子アルフォンスのランチ仲間なのだ。
学院に入学して、最初のランチ。
金髪碧眼、超絶美形だが少々ほんわかした王太子アルフォンスは、幼い頃から宮中に上がって共に学んだ「御学友」であるヴァランタンと、宰相ノアルスイユの三男・グザヴィエと共に、食べようとした。
その時、ヴァランタンが、レティシアを呼んで改めてアルフォンスとノアルスイユに紹介し、流れで一緒に食べることになったのだ。
最初は男子三人に女子はレティシアだけで、ちょっと居心地悪い気もしたが、やがて乗馬の授業でアルフォンス達と親しくなったジュリエットが加わった。
そして、新年、デビュタント・ボールの折りにアルフォンスはシャラントン公爵令嬢ジュスティーヌに求婚し、婚約が成立。
新学期からは、ジュスティーヌも一緒に食べるようになったのだが──
もしかして、王太子アルフォンスと比較的親しいことが、あの手紙に関係しているんだろうか。
レティシアにとって、アルフォンスは気の優しい、奥手な男子。
去年一年、どう見てもジュスティーヌに恋をしているのに、もだもだうじうじしているのを、生暖かい気持ちで見守ってきた。
だが、なんといっても王太子だし超絶美形。
もっとアルフォンスに近づきたい者に、妬まれていてもおかしくはない。
「……大丈夫よ。家から持ってきた薬もあるし」
レティシアは、無理に微笑んでみせた。
「そですか? じゃあ、あとでスープとパンでもお持ちしますね」
そのくらいなら、なんとかなりそうだ。
「ありがとう、頼むわ。ジュリエット」
「いえいえいえ。レティシア様には、いつもお世話になってますもん!」
ぺこりとお辞儀すると、ジュリエットは食堂へ降りていった。
その後も、何度も手紙は届いた。
気をつけているのに、いつの間にか「いやらしい手紙」は鞄に入っているのだ。
最初に受け取った時は、地味な自分にどうしてこんなものを送ってくるのかと、半笑いする余裕があった。
だが、次第にレティシアの心は削られていった。
食は細くなり、夜も眠れない。
自室では、鎧戸を閉め、分厚いカーテンを引いても、視線を感じる。
離れたところを見ることができる魔法は、現在の魔法体系にはない。
だが、特定の家にだけ密かに伝えられる特殊な魔法というものもあるし、優れた魔導師なら新たな魔法を作ることだってできる。
裸になるのが恐ろしくて、風呂はバスタオルを巻いたまま最短で済ませるようになった。
特に、昼食が辛かった。
食欲はまるでないのに、いつも通りに振る舞うために、無理やり詰め込むように食べなければならないのだ。
皆が談笑している輪にも、入れない。
それでなくとも、王太子の婚約が決まって、学院はお祝いムードなのだ。
あんな卑劣な手紙を出す者がこの学院にいると言い出して、水をさすわけにはいかない。
家族にも、打ち明けることはできなかった。
こんな屈辱を受けていると知ったら、両親は怒り狂い、自分を退学させるだろう。
友人もできたし、努力して良い成績もとれているのに、たった一年で辞めさせられるのは絶対に嫌だ。
それに。
あんな手紙を送られていることがわかったら、婚約者のヴァランタンはどう反応するのだろう。
自分を信じて、手紙の主に怒ってくれるだろうとは思う。
だが、自分にもなにか隙があったのかもしれないと疑われたら?
ヴァランタンとの婚約は、政治的な思惑が絡んでいるわけではない。
もともと別荘が隣同士で、親同士の仲が良く、子ども同士も悪くなかったので、結ばれただけの婚約。
ヴァランタンと結婚するのは、別にレティシアでなくてもいい。
自分に瑕疵ができれば、婚約解消されてもおかしくないのだ。
誰にも言えないまま、レティシアは苦しんだ。
苦しんでいるうちにも、また新たな手紙が来る。
落ち着けるのは、授業がない週末だけ。
でも、勉強が手につかず、授業ごとに提出しなければならない課題ノートも遅れがちになっている。
月曜の朝、ついに限界が来た。
どうにかカフェオレを半分流し込み、紺色の制服をまとってさざめきながら校舎へ向かう生徒達の最後尾を、とぼとぼと歩んでいた時。
今日一日、どうやってしのげばいいんだろう、とぼんやり思った瞬間、強い吐き気が込み上げた。
反射的に、レティシアは並木道から林に駆け込んだ。
手近な樹にすがりついて、吐けるだけ吐く。
涙で、視界が滲む。
手紙の主は、こんな無様なところも見ているんだろうか。
だったら、あんな手紙、止めてくれればいいのに。
ずるずるとしゃがみこんで、肩で息をしていると、後ろで枯れ葉を踏む音が聞こえた。
「……ゼルダ。介抱を」
「は」
そっと誰かが近寄ってきて、肩に触られた。
振り返ると、口元にほくろのある妙に色っぽい侍女がいる。
その向こうから、サン・ラザール公爵令嬢カタリナがレティシアを見下ろしていた。
カタリナは、レティシアの同級生。
国一番の金満公爵家の三女で、金髪縦ロールがトレードマークの、誰もが二度見する美人。
子供の頃から、将来は王太子妃になるだろうと目されていた。
実際には、アルフォンスは、子供の頃からの思い人であるジュスティーヌと婚約したわけだが。
レティシアにとって、カタリナは「雲の上の人」だ。
同い年だし、子供の頃から顔は知っている。
だが、いかにもきらびやかなカタリナに対して、レティシアは量産型令嬢。
もちろん挨拶はするが、個人的な話などしたことはない。
そのカタリナが、自分をじいっと見下ろしている。
憐憫なのか、嫌悪なのか、それとも別のなにかなのか。
表情から、なにを考えているのかまったく伺えない。
侍女は、水筒から茶を分けてくれ、口をゆすいでから飲むよう勧めてくれた。
丁寧ではあるが、カタリナが自分に命じたのだから、レティシアは介抱を受け入れるに決まっているとでも言わんばかりの態度だ。
この主従、いちいち圧が強い。
本当なら全力で遠慮しなければならないところだが、従うしかなかった。
「あなた、部屋はどこ?」
「……一般寮A棟の、三階です」
「送っていくわ。
今日の一限、北方諸国語なのよ。
あれ、苦手なのよね」
カタリナは、くるりと踵を返した。
ええと? と戸惑っているうちに、レティシアの鞄は侍女に奪われている。
侍女に身体を支えられ、レティシアは寮の自室へ連れ戻された。
レティシアは改めてうがいをし、少しすっきりした。
侍女に、いつもの寝間着、クリーム色のネグリジェに着替えさせられる。
ベッドに座るよう勧められ、座ると布団をかけてくれる。
甘くて濃いお茶も与えられた。
じんわりと、身体が温まる。
レティシアの支度が終わったところで、おもむろにカタリナが現れた。
まさか、廊下でレティシアが着替えるのを待っていたのだろうか。
カタリナは、入ってくるなり勉強机の前の回転椅子に勝手に座った。
くるりとこちらを向いて、脚を組む。
「で。丈夫が取り柄のあなたが、一体どうしたの?
ダイエットを頑張りすぎた……にしては、ここのところ、やつれっぷりが酷すぎるわ」
「あ、ああああ。そ、その……!」
できるだけ普段通り過ごして、隠しているつもりだったのに。
ろくにつきあいのないカタリナにまで、とっくにバレていたのだ。
「言ってごらんなさい。
というか、正直に言うまで、わたくし帰らないわよ」
カタリナは、尊大に言い放つ。
レティシアは、なにもかも白状するしかなかった。




