1 婚約破棄よりもだいじなこと
「公爵家の娘ともあろうものが、このような愚かしい行いをするとはな。ノエラへの嫉妬に狂い、理性を忘れたか。問題を起こし続ける君とこれ以上婚約を続けることはできない。この婚約は破棄する」
場にざわめきが走る。
ここは、鉄板の婚約破棄会場──貴族学園の舞踏会ホールだ。
今日は、学園の創立記念日の前夜祭。
ドレスや燕尾服など、生徒たちは皆思い思いの衣装を身にまとっている。
金髪の凛々しい顔立ちの第二王子は、自らを正義と信じて疑わないまっすぐな眼差しで、壇上から元婚約者を見下ろした。
元婚約者──彼女の名は、ブランシュ=ラヴォワ。
鮮やかな朱色の髪に、金の瞳。
整った目鼻立ちだが、猫のような釣り目気味の大きな瞳が、若干きつい印象を与える。
彼女は、体の線を拾う艶やかな朱のドレスを着こなして、背筋を伸ばして王子を見上げていた。
「かしこまりました。……ですが」
「反論は、許さぬ」
ブランシュは口をつぐむが、内心大きなため息をついた。
(違うんだってば……)
もういい加減にしてほしい。
ブランシュが言いたいのは、婚約者がいるのに、理性をなくしてノエラ嬢にべたべた付きまとっているのは誰だとか、公爵家の後ろ盾をなくしてどうするんだとか、そんなことじゃない。
ましてや、婚約破棄を撤回してくれとか、そんなことを言いたいんじゃない。
その小脇に抱えているノエラ嬢とは、むしろよろしくやってほしい。
正直、そんなことはどうだっていいのだ。
(そうじゃなくて)
ブランシュは右の手をぐっと握り締める。
彼は、そんなことをしている暇があるなら、もっとやることがあるはずだった。
(あなたは、聖女パーティの聖騎士なんだから!!)
ブランシュが訴えるように王子を見上げると、王子の前に、次の一人が立ちふさがる。
「残念です。ブランシュ嬢。あなたがノエラ嬢にそんなひどいことをしていたなんて。生徒会長命令です。今後、ノエラ嬢に近づくことを一切禁止します」
感情のこもらない口調でそう告げた魔道侯爵家の跡取りは、銀の髪を揺らすと、魔道契約書を高々と掲げた。
「はい、わかりました。……ただ」
「異論は認めません」
(そうじゃないの……)
こっちもか。
ブランシュが言いたいのは、ノエラ嬢をいじめるとかいじめないとか、そんなくだらないことじゃない。
彼がノエラ嬢の使った、食堂の使用済みの食器の収集癖があろうが、ストーカーまがいの変態行為をしていようが、それこそどうでもいい。
(そんなんじゃなくて……)
ブランシュは左の手をぐっと握り締める。
彼は、そんな無駄なものを集めて、無駄な魔道契約書を作っている暇があるなら、もっとやるべきことがあるはずだった。
(あなたは、聖女パーティーの賢者なのよ!?)
そして三人目だ。
「そろそろ諦めたら? ブランシュ嬢。こだわりを捨てて、現実を見た方がいいよ。醜い嫉妬で行う行為では、愛を得ることはできないよ。僕は、愛するなら、誰かを蹴落とすんじゃなくて、直接アタックしてくれるほうがうれしいな」
優しく、甘やかな口調の公爵家の次男は、くせのある橙色の髪をかき上げて片目つぶる。
周囲で、キャーっと令嬢たちの黄色い声があがる。
「そうではありません」
「ブランシュ嬢、君の為を思って言ってるんだよ。だから、僕がほしくなったら、やり方を間違えないでほしいな」
(……もう、いい加減疲れたわ)
ブランシュが言いたいのは、蹴落とすとかアタックするとか、愛とか嫉妬とか、そんな恋愛の話なんかじゃない。
この男が、実はノエラと一番よろしくやっているのだけど、そんなことだって、どうでもいい。
(私が本当に欲しいのは)
ブランシュはぐっと唇をかむ。
彼は、そんな恋愛ごっこを繰り広げている暇があるんだったら、もっとやるべきことがあるはずだった。
(勇者は、さっさと聖剣を探しに行きなさいよっ!!)
最後に、王子の影から一人の少女が進み出てきた。
「ブランシュ様」
ふわふわのストロベリーブロンドの髪を震わせて、小動物のような愛らしい仕草で、ブランシュを仰ぎ見る。
彼女の名はノエラ=シャレット。
子爵家の令嬢だ。
誰が見ても文句なしにかわいい、この世界のヒロインだ。
ブランシュは何か言われる前に、今度は自分から声をかけた。
彼女なら、きっとわかってくれる。
だって、彼女は──。
「ねえ、ノエラ様。あなたは聖女なのよ。北の魔物の不穏な動きは聞いているでしょう? あなたには、聖女としてこの世界を救う力があるの。そちらの男性方に言い寄られて困っていらっしゃるならば私がお助けするわ。どうか目を覚まして……」
「ブランシュ! ノエラの清らかさと愛らしさは確かに聖女に匹敵するが、それを理由に彼女に聖女の務めを強制するのは、暴論ではないか」
「あなたは、ノエラ様を聖女に仕立て上げて、我らから引き離そうとするおつもりですか⁉」
「うーん、僕は、だから、直接アタックしてもらえた方がうれしいんだけど」
(ぜんぶ、ちっが――――うっ)
「ノエラ様。あなたも転生者ならわかるでしょう?」
ブランシュは、彼女にその言葉をぶつける。
彼女が転生者なことは間違いないのだ。
彼女の瞳は、一瞬、ごまかすようにあさってのほうを向く。
「すみません、私には何をおっしゃられているのか」
(ええ? この期に及んでごまかすとかないでしょうっ)
「それに、ブランシュ様がおっしゃることが本当なら、私はここを離れて魔王討伐に参加するということですよね。そんな野蛮なこと、とてもではありませんが、私には無理ですわ」
顔を青ざめさせてふらつく彼女を、王子が支える。
(そんな、彼女に断られたらっ)
「ノエラ様! 聖女が立ち上がらなければ、世界は魔王に滅ぼされてしまいます」
「ブランシュ! まだ言うか。そこまで言うならば、お前が為せ。聖女の献身は、お前にこそふさわしいだろう。高貴なる者の義務をかかげる、ラヴォワ公爵家の娘である、お前こそがな」
ブランシュは、ぎゅっと唇をかむ。
「試しました。私では、……無理なのです。私には、聖魔法が使えません」
「はっ。言うに事欠いて、存在すら疑われる聖魔法とはな。ノエラにも使えるわけがなかろう」
「ノエラ様なら……いいえ、なんでもありません」
ノエラになら使える。
でも、ブランシュには、それを証明する術がない。
(本当に、ダメなの? この世界は、滅びるしかないの? いいえ、気弱になっちゃだめよ。可能性は、まだあるわ)
ブランシュが唇をかみしめて前を向いたその時、舞踏会ホールの入り口にざわめきが走った。
波が引くように、ホールの人々が、次々に道をあける。
現れたのは、漆黒の髪に、青銀の瞳の怜悧な美貌の美丈夫だった。
深い黒に金の縁取りをあしらった夜会服を身にまとい、しなやかな身のこなしで、まっすぐにブランシュたちのほうへと歩いてくる。
「ディアボリ公国の公子アルフォンス様だ」
「公式の場所へおいでになるなんて、久しぶりだわ」
「先月、人を殺したらしいぜ」
「花嫁探しに来ているというお噂、本当かしら」
漏れ聞こえる声には、憧れ、興味、恐れが入り混じる。
ブランシュの正面に立つ王子は、近くまでやってきた漆黒の男に相対した。
「久しいな。アルフォンス公子」
冷たく視線が行き交う。
ブランシュの住むこのベルギラント王国と、アルフォンスの治めるディアボリ公国は、隣国とはいえ常に緊張をはらんだ関係だった。
その関係は、王子と公子、この二人の関係にも反映されていた。
誰もが、アルフォンスの答えに注目していた。
けれど、彼は、沈黙を保ったままだ。
ゆっくりと視線を巡らすと、王子の斜め前にいた、一人の女性に目を向ける。
そして、アルフォンスは、口を開いた。
「無事、婚約破棄されたようだな」
アルフォンスが話しかけた相手が、王子ではなくブランシュだとわかると、再び場がざわめいた。
「……ええ」
ブランシュは、彼を見上げた。
「では、俺のものになる覚悟ができたということだな」
「あなたが約束を守ってくれるならね」
三度、場が騒然とする。
アルフォンスはブランシュのそばに近づき、その手をとり、指先に口づける。
王子様然とした色気のあるその仕草に、ブランシュの頬は熱くなる。
けれど、彼の本心をブランシュは知っている。
これは、取引なのだ。
アルフォンスはブランシュにしか聞こえないように顔を傾けると、小さくささやく。
『世界の危機を救うまで、お前は俺のものだ』
『いいわ。その契約受けて立つわ』
ささやき交わす二人の様子は、周囲にはまるで睦言を交わしているように見えている。
『あなたのお望み通り、愛人でも仮面妻でも名ばかり婚約者でも、何でもこなしてやるわよ──それで世界が救えるのなら』
アルフォンスは、そんなブランシュの決意に、冷たい笑みで応えると、ブランシュを横抱きに抱えあげた。
「きゃあっ」
落ちるのが怖くて、その首にしがみつく。
「降ろしてよ!」
「いいのか? ここで?」
周囲に大注目されているのに気づいたブランシュは、恥ずかしさで、アルフォンスの胸に顔をうずめるしかなかった。
「勘弁してよもうっ」
会場の外に出て、やっと顔を上げられるようになると、ブランシュは叫んだ。
「何を?」
アルフォンスはブランシュを降ろさず、彼女の耳元に問いかける。
耳元を掠める吐息が、ブランシュの体をぞくりと震わせる。
「ひっ。そ、そそそういうやつっ」
耳を押さえてきっとにらみつけると、本当に落ちそうになって、逆にアルフォンスに抱き締め返された。
近くなったアルフォンスの無駄にいい顔が憎らしい。
(取引に、耳元の甘いささやきとかいらないんだってば!!)
「もう、始めから全部間違ってるのよ」
こんな乙女ゲームのスチルみたいな場面はいらないのだ。
ブランシュは、こんなものは全く望んでいない。
だから、声を大にして言いたい。
「私が転生したこのゲームは、乙女ゲームじゃないんだってばー!!」




