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第1話~1月、ガーネット~

エルフの森の入り口──そこは季節に関係なく常に微かな薄霧がたなびき、朝露をまとった草葉の匂いが静かに立ち上る、幻想的な緑のトンネルだった。木々の枝は天蓋のように重なり合い、葉と葉の隙間からはやわらかな木漏れ日が斑に差し込んでいる。風が葉を揺らすたび、小さな妖精の羽音のようなざわめきが森をくすぐっていく。


 その森の境界を抜けた先に、ぽつりと一軒の小さな石造りの建物があった。


 店の名は《フェアリーダスト》。

半円形の扉には真鍮の取っ手が光り、古びた看板には手彫りで店名が記されている。扉の上には小さな風鈴が吊るされており、客が入るたびに澄んだ音を鳴らす。


 店内に一歩足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのは色とりどりの光。ショーケースには丁寧に磨かれたルース(裸石)や、繊細な金属で編まれた指輪やネックレスが、虹色の光を湛えて並べられている。天井からは吊るされたガラスランプがぼんやりと照らし、石の輝きと妖精の羽ばたきを柔らかく反射していた。


 小さな羽音と笑い声が空気の中を舞う──名の通り、店内には小さな妖精たちが自由に飛び回っていた。商品棚の上でうたた寝している者もいれば、ルーペ片手に石の品質を確認するような真似をしている者もいる。


 この幻想的な空間を営むのが、店主のレイ・エルディアス。 銀の糸を束ねたような髪は、陽の光を受けると淡く青く反射し、肩にかかるほどの長さで静かに揺れる。瞳は深いエメラルドグリーン。澄んだ湖のように透き通りながら、どこか懐かしい温もりを湛えている。

そして、特徴的なのはピンと尖った耳。

だが、森のエルフよりも長くないそれ。

レイはハーフエルフだった。

 その容姿は男性とも女性ともつかず、中性的な魅力を宿していた。声もまた同様で、柔らかなテノールの響きは、聞く人の印象によってどちらとも感じられる。


 今日もレイは、窓際の作業机に座り、妖精たちの声を聞きながら静かにルーペを覗いていた。机の上には彫金細工用の工具が整然と並び、小さな布の上にはレイによる検品待ちの色とりどりのルースたちが、ランプの光を受けて静かに輝いている。


 だがそのとき──


「ぴーっ!ぴいいいいっ!!」


 甲高い妖精の声とともに、店の奥で微かな騒ぎが起きた。


 ショーケースの陰から、小柄な少年が姿を現した。

年の頃は十歳前後だろうか。

ぼろぼろのマントを羽織り、泥のついたブーツのまま店に入り込んだその少年は、棚に飾られていたネックレスのチェーンを握りしめている。


 虹色に輝く金剛石のネックレスをマントの中に隠そうとしていた少年を見た数匹の妖精がぱっと飛び上がり、少年の頭上で鋭く羽音を立てながら騒ぎ始めた。


「う、うわっ……っ、くんなよっ!」


 少年は驚いて後ずさり、ネックレスを落としそうになる。それを空中から舞い降りた妖精が素早く受け取り、棚の上に戻す。


 ぴいぴいと鳴き叫ぶ妖精たちに追い立てられるようにして店の隅にまで下がった少年の背後から、ふと静かな足音が響いた。


「少年。盗みは、駄目だと教わらなかったのかい?」


 少年がびくりと肩を震わせて振り向くと、そこにはレイがいた。光が差し込む窓辺に立つその姿は、淡く青く透ける銀髪と、翡翠のような眼差しに包まれていた。


 その静かな問いかけは、責めるようでも、怒っているようでもなく、ただまっすぐに、少年の心を映すようだった。


「……そんなの、知ってるよ。でも……」


 小さな声だった。少年は目を伏せ、肩をすぼめながら、震える唇で言葉を絞り出した。


「女の子って……綺麗なもんが好きなんだろ? ……誕生日なんだ。俺の、幼なじみが、明日……。俺、何も持ってなくて……。喜ばせたかっただけなんだよ。ここなら、綺麗なもんを置いてるって聞いてて…」


 その声には、年齢にはそぐわない真剣さと、どうしようもない悔しさが滲んでいた。


 レイは少年をじっと見つめた。

その眼差しには、咎めよりも、ほんの少しの懐かしさと、胸を締めつけるような優しさがあった。


「そっか。……ごめん、今何月だっけ?」

「……一月」


 少年はつぶやくように答えた。


 すると、レイは微かに目を細め、「ちょっと待っててね」というとカウンターの奥に手を伸ばした。引き出しの中から、小さな黒い布に包まれた物を取り出す。その動作は、まるで大切な宝物を扱うように慎重で、丁寧だった。


「それなら、これがいいかもしれない」


 彼が布をそっと開いた瞬間、深紅の光がふわりと宙に浮かぶように広がった。

まるで熟れたザクロの実を閉じ込めたかのような、濃く、美しい赤。ルースの表面には微細なカットが施され、店内の光を受けて複雑に反射していた。


「……ガーネット、だよ。これが一月の誕生石」


 少年の目が、ほんの少し見開かれた。

憧れと驚きが、曇りのない瞳に広がってゆく。


「がーねっと……?」


「そう。古代語で“種子”って意味の“グラナトゥス”が由来なんだ。ほら、ザクロの種に似てるだろう?」


 レイは指先で石をくるくると回しながら、静かに続けた。


「この石はね、“真実の愛”や“忠誠”を象徴すると言われている。大切な人への想いを伝えるには、ぴったりの宝石なんだ。どうかな?」


 少年はしばらく黙っていたが、不意にズボンのポケットをがさがさと探り、くしゃくしゃの紙幣と銅貨を取り出した。

手のひらの上で、それらは汗で少し湿っていた。使い古されたコインと皺の寄った札、それが少年の全財産だった。


「……これで、足りる?」


 レイは石と硬貨を交互に見つめ、やがて穏やかに微笑んだ。


「充分だよ。君の真心が、何よりの対価さ」


 小さなルースは、やわらかな革の袋に丁寧に包まれ、両手を差し出した少年にそっと手渡された。


 それを受け取る少年の手が、少しだけ震えていた。  けれど、その目にはもう、怯えも、罪悪感もなかった。希望と、少しの誇らしさが灯っていた。


店の扉が軋みとともに開くと、ひんやりとした1月の冬の空気が一気に店内に流れ込む。

 少年はルースの入った小さな袋を大事に胸に抱き、何度も何度も頭を下げた。頬は赤く、耳まで真っ赤に染まっている。


「この石をジュエリーに仕立てられるくらい大人になったら、またおいで」


ふんわりと笑うレイの顔を見た少年は、輝く満月を見たような顔をしながら、もう一度大きく頭を下げた。

 扉の外は、うっすらと雪の降り始めた森の入り口。霧の向こうで、枝々がきらめくように揺れていた。


 少年は一度だけ袋の口をそっと開き、中の深紅の宝石をのぞき込む。

 その瞳に映るのは、ザクロのように熟した赤。

──真っすぐに想いを伝えるための、小さな勇気の結晶だった。


「ありがとう……!」


 振り返らずに叫んだその声は、小さくとも凛としていて、真冬の空を突き抜けるようによく響いた。


 レイは店の中から静かにその背を見送った。扉がゆっくりと閉まり、風鈴が小さく鳴る。

 それが止むまで、レイは黙って佇んでいた。


「ふぅ……」


 吐き出した息は白く、少しだけ寂しさを含んでいた。

 肩の上には、さっきまで騒いでいた妖精たちが次々と舞い降りる。緑の羽根、紅の羽根、光の粒のような小さな存在たち。


「レイ、あれ……本当に売っちゃってよかったの?あの石、けっこう……いい質だったよ?」


 耳元でくるくると飛ぶのは、紅玉色の羽根を持つ妖精だった。小さな腕を組み、心配そうに眉を寄せている。


 レイは、軽く肩をすくめながら、優しく微笑んだ。


「石の価値は、重さや透明度、希少性だけで決まるもんじゃないよ」


 彼はカウンターの上に置かれた帳簿を開き、日付の横に小さく“ガーネット 1”と書き込みながら、続ける。


「その石が“贈られる理由”──それこそが、最も美しい価値なんだ」


 視線をふと上げると、店の片隅にある古びた木箱に目が留まる。

 埃をかぶったその箱には、旅の途中で手に入れたままのルースたち、かつて誰かに贈ろうとして贈れなかった、いくつもの小さな想いが眠っていた。


 レイは言葉を継がず、ただ静かにその箱に微笑みかけると、そっと背を向ける。


「……さて、次は何を磨こうかな」


 再び手にしたルーペの先で、小さなサファイアがランプの光を受けて淡く煌めく。

 店内の灯りが、ほんの少しだけ強くなったように見えたのは──気のせいだったろうか。


 その頃、店の扉の向こうでは──

 森を抜ける少年が、ふと立ち止まり、振り返って手を大きく振った。にかっと笑ったその顔には、まだ幼さが残るけれど、その背には確かに、誇らしさと前を向く意志が宿っていた。


 ──レイが少年に言ったひとこと──


「この石をジュエリーに仕立てられるくらい大人になったら、またおいで」


 それを胸に刻んだ少年、ティオは──

 十数年の時を経て、立派な若者となり、幼なじみの少女の指に贈るための、たったひとつの婚約指輪を仕立てにやってくる。


 けれど、それは──また、別の話。

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