六章 斉王と忠王
斉王、禁軍を出して、忠国との境にある国境に軍を進めたと一報が届き、李盛は禁軍を二手に別けることを進言していた。
「まさか、あの斉王が動くとはな。して、数はどのくらいなのだ?」
「はっ!その数…、三十万とのこと!」
伝令の言葉に、皆ざわめく。
忠王は、フッと笑った。
「よくもまあ、隠し持っていたものだな。しかも、このタイミングで軍を動かすとは、陳王と示し合わせたようではないか。」
「偶然ではないでしょう。盛邦が、助言したと思われます。」
そう言い、李盛の右目から、血が滴り落ちていることに気づく。
それを見て、忠王は、ギョッとする。
「李盛!大事ないか!?」
「はい。それよりも、軍の編成をし直す必要があります!帝には、引き続き蒼仁と仝徳にまかせ、兵の増強をするため、禁軍を一部向かわせます。」
「ああ。それで、事足りるだろう。榛王も、帝に軍を出すと言っていたから、心配あるまい。」
忠王の言葉に、李盛は暗い顔をする。
「…陛下。恐らくは…、榛王を頼ることはしない方が良いと思われます。」
右目から、血の涙を流し、手を当てている李盛を見て、忠王は目を見開いた。
「…そうか。なら、軍の編成は、お前に任せるとしよう。」
「はっ!」
李盛は、前で手を組む。
「まず、蒼仁軍に二万の兵を向かわせます。そして、残りの兵十万の禁軍を、斉国との国境に進軍させます。榛王の軍が、一体どんな状況にあるのか、物見を送り様子を伺います。」
「よし、すぐにとりかかれ!」
「はっ!」
李盛は、帝に進軍中の仝徳に伝令を向かわせた。
「マジかよ!まったく、無茶言ってくれるぜ。しゃーねぇ。仁、俺たちの実力で、帝をお守りするぞ!」
「おうっ!」
※
斉国と忠国の国境では、合戦が行われようとしていた。敵の数は、三十万という馬鹿げた数で、対して忠王軍の禁軍は十万で、二万の兵は帝に裂いているため、厳しい戦いになるのは明らかだった。
「忠王よ。お前たちの命運もこれまで!大人しく、城を明け渡すことだな!」
斉王は、いつになく強気である。
「黙れ!まんまと猿に乗せられおって。友人として、恥ずかしいぞ、根歩!」
斉王は、眉をピクリと動かす。根歩とは、幼い頃に忠王が呼んでいた斉王の本名である。
「何が友人だ、興清!今まで、散々わしをこけにしおって!今こそ恨みを晴らしてくれるわ!」
「おうおう、いつになく元気がいいじゃないか根歩!この俺に敵うかどうか、見ものだな!」
忠王は、ハハハッと高笑いし、姿を消していった。
その後ろで、斉王が青筋を立てて怒りを抑えていた。
「大口を叩けるのも今のうちよ!今に見ておれ!!」
斉王は、威勢良く馬を返した。
「…馬鹿が…!」
友人と争うことが、嬉しいはずがない。だが、忠王はその気持ちを抑えていた。乱世に生きる者同士、戦いは避けられないのだ。
陣営のテントに戻り、待っていた李盛と梓伯、嵩高仔たちと、軍議を始めた。
「はっ!我が軍は、十五万。それに対して、斉王の禁軍は三十万です。どうやら、あちらは持久戦をとる構えのようです。自国から、次々と兵糧を運んでいます。」
「三十万なんて、馬鹿げた数をよくも集めていたもんだな!」
梓伯が、腕を組んで考え込む。
「おそらく、殷国だった民を仲間に加え、このような数になったと思われます。でなければ、辻褄が合わない。ですが、相手は烏合の衆と言って良いでしょう。短期間に、兵の統率をするのは、容易ではないです。」
嵩高仔が、顎の髭を撫でながら言う。
皆で作戦を立てようとしている時に、伝令が来る。
「申し上げます!斉王軍、一騎打ちを所望でございます!」
「うむ。相手は誰だ?」
「そ、それが…。」
兵の戸惑いに、忠王と李盛は顔を合わせる。
「なんだ。申してみよ。」
李盛は、兵を促す。
「はっ!それが、その将は"菟均"と名乗っているのです!」
「菟均!?」
忠王は、目を見開く。
「なぜ、榛王の弟が…!?」
「やられましたね。榛王が、敗れていたのなら、後ろ盾は望めません!」
李盛は、顎に手を当てて考える。
「待て、興清!そいつは、本当に菟均なのか?」
言い放ったのは、菟均を最も知る男、梓伯だった。
「どういうことだ?」
「俺たちを動揺させるための偽者とも考えられる。ならば、俺が確かめれば済むことだ!」
梓伯の申し出に、忠王は、うむ、と頷く。
「よし、梓伯よ。お前に任せよう!」
「おうっ!」
梓伯は、馬に跨り、砦の門を出て行った。
戦場のど真ん中には、大男が馬に跨り、梓伯の姿を見るなり、フッと笑う。
「お前が出てくると思っていたぞ、梓伯!」
男の姿を見て、梓伯は目を見開く。
「菟均!?…いや、まずは手合わせして、本物かどうか確かめさせてもらう!」
梓伯は、馬を走らせ、勢い良く太刀を振り上げる。男は、それを立派な矛で受け止める。
「っ…!」
その瞬間、梓伯は目を見開いた。
「これで、信じる気になったか、梓伯よ!」
梓伯は、刃をなぎ払い、体制を立て直す。
「その切っ先。紛れもない菟均!だが、ならば、なぜお前がこんなところにいる!?」
二人の鋭い激突に、火花が散る。周りで見ている兵士たちは、ただ二人の死闘を、声を上げて見ていた。
「梓伯よ。我らの軍は、既に敗れた!兄者や妹も、行方が知れんのだ!」
「なにっ…!?ならば、なぜこちらの国に助けを求めてこなかった!」
梓伯の言葉に、菟均は苦々しい顔を見せる。
「兄者たちを探している間に、斉国の軍に囲まれて、行き場を失い、野に下るしかなかった!梓伯よ、今我々は敵同士。私は、兄者たちの行方が知れるまで、ここに留まるつもりだ!」
「…菟均。」
菟均は、梓伯の武器を叩き落とし、馬を返して去って行った。
梓伯は、寂しそうな菟均の後ろ姿を見送ることしか出来なかった。菟均の勝利に、斉王軍は大きな歓声をあげた。
梓伯は、陣営に戻り、忠王に菟均の言葉を伝えるのだった。
「…なんと!それでは、帝が持ちこたえることは出来ない!」
「どうやら、あちらは全てお見通してのようですね。」
李盛の右目からは、また赤い血が滴り落ちていた。
そこへ、伝令が駆け込んでくる。
「申し上げます!忠国都に、榛王だと名乗る男が一人、救援を求めて駆け込んできました!」
「榛王!?ならば、私が参ります!どうか、ご命令を!」
李盛が、忠王に進言する。
「許す!榛王を、直ちに我が陣に加えさせるのだ!」
「御意!」
李盛は、直ちに都に向かうのだった。
一週間後。ボロボロの姿になった榛王が、李盛と共に忠王の陣に加わった。
「忠王様。こんな、情けない格好で申し訳ありません。」
榛王は、前で手を組む。
「良い。難儀だったな、榛王。よくぞ、生き延びた!」
「いえ。…ところで、道中に柳軍師様から聞き及びましたが、菟均が、あちらの軍に居ると!」
「うむ。」
「直ぐに、書状を書き、こちらに来るように伝えましょう!」
忠王の軍は、菟均の活躍に手間をとっていた。なんとか、梓伯が堪えたが、三十万もの軍を相手にするのは、とても手を焼いていた。
「助かる!しかし、斉王が許すかどうか…?」
「心配には及びません!菟均ならば、私の生存に直ぐに駆けつけるでしょう!」
榛王は、笑って答えた。
その言葉通り、菟均は、榛王の書状を手にすると、目にいっぱい涙を浮かべて、体を震わせて歓喜した。
「兄者〜!この菟均、すぐにお側に参ります!!」
だが、馬に跨り脱走しようとする菟均の前に、斉国の兵士が立ちはだかった。
「そう、アッサリと逃がすか!」
「我らが恩を、仇で返すか!?」
「ええい、どけい!俺と兄者の絆を、誰にも止められない〜!!」
菟均は、今までにない力で一騎当千し、三百もの兵士をなぎ倒して、砦の門まで駆けつけてきた。門の上には、榛王が立っていた。
「お〜い!菟均〜!!」
榛王が手を振ると、菟均は泣きながら向かってくる。
「兄者〜!お探し申し上げておりましたぁ〜!!」
後ろから、菟均に矢が放たれるが、どれもかわしていき、門の中に入って来る。
「菟均!!」
「兄者ぁ〜!!」
菟均は、馬から降りて、榛王は門の前に駆けつけると、二人は硬い兄弟のハグを交わした。
「あぁ~!兄者ぁ〜!!よくぞ、ご無事でぇ!!」
「お前こそ!よくぞ、無事でいてくれた!!」
暑い抱擁に、周りで見ていた忠王の兵士たちは、嬉しいやら、なにやら、見守ることしか出来なかった。
そこへ、忠王たちが歩いてくる。
「よく、一人で無傷のまま来れたな菟均!」
梓伯が、腕をコツンと叩く。
梓伯の言葉に、ようやく落ち着いた菟均が、涙を拭きながら答える。
「なんの!兄者の元に居られるなら、なんということはない!」
梓伯は、ハハッと苦笑いする。さすがに、忠王と梓伯の兄弟の仲は、これほど暑苦しくない。
「して、蝉嬌の行方は?!」
榛王は、首を横に振る。
「すまん!私がついていながら、守ってやれなんだ!」
菟均は、悲しそうに下を向く。
「その件なら、俺の影に調べさせよう!」
忠王が、前に出る。
「おお。まことですか!?ありがたい!」
「その代わり、斉王の軍を、倒す手助けをしてもらうぞ!」
「もちろんですとも!」
榛王が、拳を握り意気込み、菟均は、うん、と頷く。
その頃。踊り子衣装に、首輪をつけられた蝉嬌が、首輪ごと鎖を引っ張られていた。
「ヒヒッ!朕の妃にしてやったのだ。ほれ、酒を飲め!」
その男の猿顔に、蝉嬌は、イーッと口を開き、抵抗する。
「こしゃくな!」
男は、蝉嬌の顎を掴み、無理矢理酒を入れる。蝉嬌は、むせて咳き込む。
「もう、朕の天下は間近なのだ!今更抵抗しても、無駄な足掻きよぉ!」
男は、高々に笑う。
蝉嬌は、下を向く。
「兄者…!菟均兄者…!」
気の強い蝉嬌は、折れそうな心を抑えて、泣きたい気持ちを堪えた。
※
斉国の兵は、菟均という後ろ盾を失い、防戦一方かと思っていたが、何やら一歩下がり、こちらの様子を伺っていた。
「陛下。実は、都に戻った際に、有力な者を連れて参りました。」
李盛は、テントの中に呼ぶ。中に入って来たのは、背が低く、福耳を持った男だった。
「お初にお目にかかります、忠王陛下。私、悠尚と申します。私、軍武器を考えますのが得意でして、この様な軍武器を構築してはいかがかと思い、助言致します!」
悠尚は、様々な軍武器を模した図案をかかげて、皆に見せる。
「…なるほど。これがあれば、一気に敵を叩く事が出来る!」
忠王は、ニヤッと笑う。
「では?」
「許可する!すぐに、作るよう、皆に伝達するのだ!」
「御意!」
忠王は、悠尚を中心に、早速とりかからせた。その間も、斉王の兵は何も動こうとせず、疑問に思っていた。
李盛は、何となく陣の中を歩き周り、様子を伺っていた。すると、ガコッという奇妙な音がして、周りを見渡す。そして、少しだが、足元に振動がある事に気づく。
まさか、と思い、地面に耳を当ててみると、ガコッ!ガコンッ!という音が響いていた。
「何ということだ!」
李盛は、急いで忠王の元へ行く。
「陛下!あやつら、地面に穴を掘って、我らが軍に侵入するつもりです!!」
「なんだと!?」
それを聞いて、榛王が、ハッとする。
「そういえば、我らの軍の中にも、斉王の軍が突然現れたのです!それで、不意をつかれて…!」
忠王は、ハハーンと顎に手を当てる。
「李盛。その音がしている、場所を特定しろ!そして、残りの兵たちに、ある物を用意させろ!」
「ははっ!」
斉王は、遠くの景色から忠王軍の居る国境を不適な笑みで見ていた。
「目にもの見せてくれる、興清!」
だが、突如自軍のど真ん中に、大きな岩の塊が空から降ってきて、兵士たちを押しつぶした。
「ぎゃあぁ!!」
「うわぁ~!!」
大岩は、次々と降ってくる。
「な、何事だ!?」
文官の一人が、斉王に進言する。
「こ、これは、投石機であります!」
「と、投石機だと!?おのれ!兵の数が減る前に、いち早く地下から攻撃を進めるのだ!」
「御意!」
言っている間に、斉王の兵は半数以上の損害を受けていた。
斉王の命で、地下を掘っていた兵士たちは、一気に地面に穴を開ける。そして、一気に外へ出ようと、一人の兵士が手をかけると、そこには、煮えたぎった油を入れた釜を持った忠王の兵士たちが、待ち構えていた。
「いらっしゃいませぇ〜!」
忠王の兵士は、一気に釜を流し込む。
「ぎゃあぁ〜!!」
次々と、穴という穴に、油を流し込まれて、斉王の兵士たちは、熱くて暴れる。それに加え、火が投げ込まれる。
「ぁああぎゃあ〜!!」
凄まじい多くの悲鳴が、戦場に響き渡る。
戦場を、焼けた人間の臭いが漂い、皆鼻を抑える。
斉王の陣営から掘った穴からも、煙が出ている。
「お、おのれ、興清〜!!」
斉王の兵士は、あっという間に四分の一になり、もはや戦どころではなくなり、敗退をきした。だが、その機会に乗じて、大量に持っていた兵糧を、梓伯、嵩高仔の軍が、ちゃっかりと頂戴した。
斉王は、数少ない兵士たちと共に、斉国の都である迂迩に撤退した。
その気を逃すはずもなく、忠王の禁軍は、迂迩に攻め込んだ。迂迩には、優秀な文官は沢山いるが、武人は居ない。
城を奪うのに、時は掛からなかった。
梓伯は、斉王の妃たちや子供を集めていた。まだ、中には自分の子供と同じ年の子供も居る。だが、血を絶やすために、生かしておくことは出来ない。
「母上ぇ〜!」
子供を庇う親子を見て、梓伯は振り上げた太刀の手を止める。それを見て、嵩高仔が声をかける。
「梓伯様。私が、やりましょうか?」
梓伯は、一度目を瞑る。これは、これから自分が背負っていく業なのだ、と目を開ける。
「いや。問題ない!」
梓伯は、刃を振っていった。城中に、女子供の悲鳴が響き渡る。
忠王は、城に火をつけた斉王の居る玉座に行く。
斉王は、兜を取り、玉座の前で胡座をかいている。
「どうやら、人生を勝ち得たのは、俺のほうだったようだな、根歩。」
斉王は、剣を床に立てる。
「お前は、初めて出会った時から大嫌いだった!いつも、お前が俺の前を行き、俺を踏み台にしていたのだ興清!」
「ああ、その通りだ。お前は、使いやすかったよ。最後の情けだ。解釈してやろう。」
「いらん!これでも、我が一族は永きに渡り栄えてきた!わしの代で、終わるのは無念だが、潔く散ってみせよう!!」
そう言うと、斉王は、懐から小太刀を出し、首を斬った。
「うぐっ…!さ…らば…!!」
忠王は、血が飛び散る斉王の最期を見守る。
「見事だ、根歩!」
息絶えた斉王を見送り、忠王はその場を去った。
斉王の最期を、盛邦は、千里眼で見ていた。
「うまい具合に、役に立ってくれたな、斉王。おかげで、陳王が帝にならせられた!」
帝の玉座の下には、ふくよかな体格の帝が、息絶えており、帝の玉座に座って居る陳王は、帝の格好をしていた。
「ホホホッ!良きに計らえよ、盛邦!」
「御意に!」
陳王は、まんまと盛邦に操られていた。