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五章 紅の眼の一族

 一人の青年が、ある村がは旅立とうといた。 

 青年は、その村から出るのが初めてで、期待と不安を膨らませていた。本来ならは、村を出ることは掟違反となるのだが、彼だけは異例のことだった。

「精霊よ、戦士の御魂を守りたまえ…。」

 長老が、青年に御呪いを施す。青年は、胸に手を当て笑みをこぼす。

「行って参ります!」

「ああ。そなたの力で、あの方を助けてやるのだ!」

「はい。」

 はっ、と掛け声と共に、青年は村を飛び出していった。獣にまたがる青年を、村人たちは心配そうに見守った。

「どうか、あの方を…!」

「大丈夫さ。彼ならやってくれる!」

 村人の期待を一身に背負って、青年は忠国の都へと向かうのだった。

 李盛は、ふと何か嵐のような予感を胸に抱き、ふと窓の外を見上げる。

「どうした李盛?」

 忠王は、足を止め李盛の方へ振り向く。左眼の千里眼が、密かに輝いていた。

 李盛は、フッと笑う。

「どうやら、一騒動きそうです。」

 李盛の言葉に、忠王は、そうか、と笑って見せる。

 時々、李盛は千里眼の力が発動し、このように忠王に助言するようになった。あれほどきらっていたモノのヒントはくれるが、答えを教えることは決してしない。また、忠王も深く追求することはない。

 忠王曰(ちゅうおういわ)く、千里眼は一つの道しるべでしかない。人の道は、千里ではなく、万里に匹敵する。そのため、全面的に信じ、頼ることをしないという。

 それに、忠王は、なんでも自分の力で得なくては、気が済まない性質なのだ。

「私は、一月ほど紅嘉(こうか)へ行って参ります。色々と、物資を集めなくてはいけませんので。」

 紅嘉とは、忠国の都から右下に位置する港街で、漁船などの出入りが多いため、他国から武器や食料などの物資を買い占めている。

 漁業がとても賑わった場所であるが、香辛料など、ある物が少ない事に、李盛は疑問を抱いていた。

 それは、塩である。塩がなくては、物流的にも損失することになる。

「ならば、梓伯(しはく)を連れて行け。護衛なしでは、危険でならない!」

 殷王(いんおう)に拉致されてからというもの、相変わらず、忠王は李盛を一人にさせることはしなくなっていた。

 李盛としては、何より心強い影が居るので良いのだが、過保護の忠王はそれを許さない。自分の事を思ってくれるのは嬉しいのだが、これではまるで子供の扱いをされているようで、あまり良い気になれない。

「いいえ。梓伯様には、一刻でも早く優秀な兵たちを集めていただかなくては。私などのために、(まつりごと)を遅らせるわけにはいきません。」

「ならば、俺が…!」

「陛下には、まだ目を通していただかなくてはならない書類が山程あります!一週間もの間、政務をほっぽっりだし、城下町で婦女子とよろしくやっていた分、よろしくお願いしますよ。」

「ムッ!よいではないか、女子と戯れるぐらい!」

「側室を百人以上も置いておきながら、まだ負担をかけるおつもりですか?この忠国とて、資金はあまりないのですよ!」

 忠王は、李盛の言葉に反論出来なくなる。

 李盛が来てからというもの、忠王のお遊びは更にパワーアップし、知らぬ間に城を抜け出しては気ままに帰って来るという有り様だ。まあ、おかげで李盛は一人で寝る時間が増えたのだが、帰ってきてはいちいち李盛の顔を覗きにくる。心配なら、わざわざ城を抜け出すことをするなと言いたいところなのだが、どうもこの忠王は、一つの場所に留まるということが苦手らしい。思い切り羽を伸ばさないことには、先に進めない。全くもってダメ王なのである。

 だが、本音を言うと、近頃李盛が世継ぎの話しをし出した時に、李盛がまったく自分の好意に気付いていないことに、苛立ったり、焦ったりしていた。一緒に床につくと、蒼仁の言っていた通り、襲わずにいつまで持ちこたえられるか、自信が無くなっていた。李盛とは、身体だけでなく、心から繋がりたいのだ。

            ※

 李盛が城に来てからというもの、忠王は密かに民兵の募集をかけていた。街にお触れを貼り、腕に憶えのある者は我が軍への志願を求めると言った。

 忠王は、密かな野望を秘め、着々と事を運んでいた。

「よし、始め!」

 志願者たちは、一対一の勝負を挑ませた。武器は、好きな物を選ばせ、参った、と言わせるか、気絶させた方が勝ちだ。もちろん、戦闘不能に陥った場合もそうである。勝負の監視役を務めているのは、梓伯である。剣豪で名高い忠王の弟であり、忠王の次に優れていると言われている。

 梓伯は、マントを羽織った一人の青年へ眼を向けた。

「おい。あの威勢の良いのは、誰だ?」

 横にいた、梓伯の軍師である、嵩高仔(すうこうこ)が、はっ、と言い、紙を見る。

「彼は、茨駕(しが)から来た甜奉(てんほう)という者です。城外には、彼が連れてきた奇妙な獣がいるとか…。」

「茨駕?とんだ珍客だなぁ。」

 梓伯は、はぁん、と顎を撫でる。

 茨駕というのは、忠国の東南に位置する場所である。先々代の忠王の時代のおり、茨駕とは不仲で、未だに忠王との因果関係にあるという。詳しい情報が入らない今、忠王はそこへの警戒を怠らないのだが、百年もの間、冷戦状態が続いている。その茨駕の住人は滅多に人里に姿を見せないため、とても珍しい。

「何かな。只ならぬ殺気が、こっちに向いているが…。」

 梓伯は、甜奉を見ながら苦笑する。

 甜奉は、あっという間に相手を倒していき、ほとんど身動きすらしていない状態だ。それでいて、スキあらば、梓伯へ斬りかかろうとしている。

 梓伯は面白がっているが、恨まれる覚えがないため、ずっと首を傾げていた。

 甜奉を恐れ、相手にする者がいなくなり、場はバラつき始めていた。

「どうした。誰も、そいつと相手する者はいないのか?」

 梓伯の言葉に、その場にいた誰もがお互いに顔を見比べていた。

「あんたが、俺の相手になれ!」

 突然、甜奉は梓伯へと剣を向けた。それを見て、誰もがざわついていた。

 梓伯は、フッと笑う。

「そうだな。理由もなく、斬りかかられるのもしゃくだし。良いだろう!」

 その場に居た誰もが、おおっ、と声をあげる。忠王の次に強いと言われている剣豪の腕が見られると、歓喜した者までいた。

 梓伯は、手元にあった剣に手をかけようとしたが、突然後からそれを遮る者がいた。

「俺が、相手しよう。」

「おっ、お前…!」

 梓伯は、男の姿を見て唖然とした。男は、木刀片手に甜奉の前へと歩いて行った。

「最近、身体を、動かしてなかったのでな。お相手願うよ。」

興清(こうせい)!」

 梓伯は、声をかける。

 甜奉は、男の姿に、更なる殺気を見せた。会場にいた誰もが気づくぐらいの凄まじい殺気に、どよめきが耐えない。

「…お前は…!」

「おおっ、威勢が良いな!」

 興清は、甜奉の獣のような姿に笑みをこぼした。

「その尖った耳と、その青い瞳…!忘れはしない、忠王!!」

 甜奉は、勢いよく興清へ飛び掛かった。会場は、忠王という言葉に更に驚きを増していた。

 興清は、ニッと笑うと、甜奉の鋭い爪をなんなく受け止めた。

「惜しいな。だが、俺の首はお前ごときにくれてやる気はせんのだ。」

 甜奉は、眼を見開く。

 興清は、勢いよく甜奉を壁へ飛ばしたのだった。

 甜奉は血を吐き、その場に倒れ込む。

「あ〜あ。やっぱり、木刀じゃ折れちまったか。」

 興清は、折れた木刀をその場に捨てた。会場内は、その凄まじさに静まりかえっていた。

「興清。お前、無茶ばっかすんな!仮にも、殺気ある奴相手なんだぞ!?」

「ああ。なんか、訳ありみたいだな。しかも、あの紅い瞳。見覚えがあると思わないか?」

 興清に言われて、梓伯が甜奉の瞳を見ると、ハッとする。確か、忠国の財宝の中に、紅く丸い物がよくあった。

「まさか、こいつって…!?」

「李盛が言っていた一騒動ってぇのは、こいつのことかもしれんな。」

 忠王は、やれやれとため息を吐く。


 忠王は、茨駕との因果関係を調べていた。茨駕の民が、忠国、いや、忠王に対して物凄い殺気を見せるのは何故なのか、腑に落ちなかった。

 甜奉は、幽閉されて五日が経っていた。その間、二度も脱獄しようとしたのだった。仕方なく、甜奉は王座へ連れて行かれる事になった。

「甜奉、と言ったな。なぜ、この城を出ようとしない?」

 忠王の言葉に、誰もが、え、と疑問視する。

 甜奉は、この城の中をうろちょろして、まるで誰かを探しているようだった。

「お前、李盛の部屋へ侵入していたそうだな。」

 甜奉は、ピクリと眼を動かす。

 忠王は、その反応に笑みをこぼす。

「正直な奴だ。なんの理由があって、李盛に会いにきた?」

「…。」

 甜奉は、睨みをきかせたまま何も言わない。

「言わぬのなら、その首を跳ねるぞ!」

「っ…!」

 忠王の凄まじい覇気に、甜奉は身を縮める。

「…お前たちは、そうやって俺たちの一族を脅かした!俺は、貴様から千里眼の主を助けに来たのだ!!」

「李盛は、俺のモノだ。それに、李盛の主は俺だ。勝手に連れていかれては困る。」

「何を世迷言を!お前たちに、我ら同胞の苦しみが分かるものか!!」

 甜奉は、獣の姿になり、自分を抑えていた兵たちをなぎ払った。そして、玉座に座る忠王めがけて襲いかかった。

「くどい…!」

 忠王に敵うはずもなく、甜奉は威勢良く後ろの門まで吹き飛ばされた。門の左右に構えていた兵たちは、凄まじさに横へ逃げる。

 甜奉は、よろけた身体を起こそうとする。

「お前たちの真意は分からんが、そんなに李盛に会いたいのなら、会わせてやろう。だが、余計な手間を取らせてくれるなよ。」

 甜奉は、紅の眼を忠王に向けた。


 その頃。李盛は、赤く染まった夜空を見上げていた。

「李盛様。忠王陛下が、至急城へお戻りになるようにと。」

 李盛の影である月慶(げっけい)が、李盛に語りかける。

「…分かった。」

 李盛は、顔が冴えない。何か、胸騒ぎが収まらないのだ。

 あの日、城を出立したのも、何か嫌な予感が拭えなかったからだった。

「陛下に伝えてくれ。三日後には着くと。」

「御意。」

 この李盛の嫌な予感は、的中してしまうのだった。それがなんなのかは、定かではないが、自分にとっても忠国にとっても良くないことには違いなかった。

            ※

 今夜は、紅い満月の夜だった。忠王は、酒を片手に何か思い悩んでいた。

「陛下。何か、陳国(ちんこく)の方で不穏な動きがあるとか。」

 側近の櫂華(かいか)が、忠王の元を訪れる。

「あの猿王めが、何やら帝への進行を始めたらしいのです。」

「帝へ!?あの、猿め…!」

 帝とは、この世界では国々の中心にある国のことを指す。そこには、名の通り帝がおわすのだが、それぞれの王たちによって権限全てを剥奪され、国家のシンボル的な存在になっていた。王たちにとって、帝は神にも等しい。

「どうやら、あの猿は自ら帝となろうと考えているらしいのです。」

「何を馬鹿な!そもそも、誰もそんなことを許すわけがない!」

 隣で聞いていた嵩高仔(すうこうこ)が、驚きの声を出す。

 忠王は、フッと笑う。

「あの猿には、そんなことはどうでも良いのだ。自分の理想だけで生きようとしている。だが、おかげでこちらは楽をした。奴のおかげで、国を敵に回さずに済んだ。帝への面目が立つというものだ。」

 櫂華は、忠王の言葉にため息をつく。

「陛下は、帝をお助けにならないのですか?」

 忠王は、ただ笑うだけだった。


 数日後。忠王の元に、榛王(しんおう)が訪れるのだった。

「久しいな!その後、変わりないか?」

「おかげさまで。そちらも、お元気そうでなによりです!」

 忠王は、榛王と対面する。

 榛国(しんこく)は、忠国の下に位置する国である。とても農業の盛んな国で、民にとって、とても過ごしやすい国なのだ。

 忠国と榛国の仲は、良い友国関係である。榛王をいつも後ろで守っている豪将の菟均(うきん)は、榛王の弟で、梓伯とは親しい友人関係にある。同じ兄を持つ者同士、気持ちが分かるらしい。

「興清!」

「おう!でっかくなったな、蝉嬌(せんきょう)!」

 蝉嬌は、榛王と菟均の妹である。子猿のようによく動き、いつも兄たちの傍をぴょんぴょん跳ねている。忠王の側へ行くと、いつも忠王の肩へ跨るのだ。

「わぁ〜い!久しぶりだね興清!いつ、あたいを嫁にもらってくれるのぉ?」

「こ、これ蝉嬌!忠王様から降りるのだ!」

「ははっ!構わん、いつものことだ。残念だが、お前は、まだまだお子様だからな。嫁にはまだ早い。」

 榛王は、すみません、と頭を下げる。

「菟均、梓伯に会ってきたらどうだ。まだ、あいつの嫁に会ってないだろう?」

「は、はあ…。」

 菟均は、戸惑いながらも榛王の方をちらりと見る。

「なに、なにもしやあしない。二人で、内密の話しがあるだけだ。」

「はあ、しかし…。」

 菟均は、困った顔を向ける。

「行って来い。梓伯殿も、さぞや話しが積もっているだろう。」

 榛王は、菟均を促す。

 菟均は、では、と足早にその場を離れるのだった。

 忠王と榛王は、その後ろ姿を見て和む。

「あいつめ、梓伯殿の所へ行くのをずっと我慢していたのだな。」

「さぞ、梓伯も喜ぶだろう。あいつは、器量良しの娘を娶ってな、鼻が高いだろうよ。」

「菟均が、悔しがるのが目に見えます。」

 榛王は、ははは、と笑う。

「しかしな、榛王。もう少し、自分の立場を考えろ。」

 忠王の言葉に、榛王は首を傾ける。

「他国で護衛を手放したら、自分の身が危なかろう。もしも、俺が刀を持っていたら、行きては帰れんぞ?」

「ああ。そ、そうですね。」

 榛王は、笑いながら頭をかく。

「でも、私を殺そうとする方は、そうやって親切に忠告してして下さいません。」

 榛王の言葉に、忠王は、あいや一本とられた、と頭をかく。

「ところで、今日ここへ来たのは、あなたの様子を見に来たと言うのもあるのですが、なにあろう、帝のことです。」

 榛王の言葉に、忠王は、ああ、と顎に手をやる。

「軍師殿は、いらっしゃいますか?」

「いや、李盛は少し野暮用で出ているが、何か?」

 榛王は、複雑そうな顔で、忠王に傍によるように手招きする。

「実は…。陳王は、千里眼を使っているのではと…。」

 榛王の耳打ちに、忠王は眼を見開く。

「まさか…!」

「私たちも、浅はかでした。何処かで自惚れていたのでしょう。」

 忠王は、口に手を当て考え込んだ。

「しかしな。李盛にも聞いた事があるが、千里眼は都合よく見たい時に、ホイホイと見れるものではないと言っていたが…?」

「そうなのですか。しかし、近頃、陳王の側に、良からぬ者が付いたと聞きまして、気になっているのです。」

「良からぬ者…?」

 榛王は、頷く。

「はい。殷王(いんおう)の軍師をしていた、盛邦(せいほう)だと聞き及んでおります。」

 その名前を聞いて、忠王は、眉をひそめた。

「千里眼の主が、捕まった時に、盛邦が良からぬことで、千里眼の使い方を知ってしまっていたら、悪影響を及ぼします!」

「確かに、それは厄介だな。」

「陳王は、今となっては脅威。軍師殿の身の回りにも、何か変化が現れるかもやもしれません。我々は、帝をお守りするべく、兵を挙げるつもりです。」

「…そうか。」

 榛王の言葉と、茨駕の住人の存在が、忠王には引っかかってしょうがなかった。何か、裏で糸を引かれている気がして拭えない。


 李盛は、馬車に引かれて忠国の都へ向かっていた。手元には、まだ済んでいない書類が山のようにあった。

「都へは、後どのぐらいだ?」

 前で馬車を引いている兵へと話をかけ、李盛は返答を待ったが、まったく応答がないことに疑問を感じ、窓から外を覗いた。なんと、兵は弓矢で胸を撃ち抜かれ、すでに息絶えていたのだった。

「これは…!」

 李盛は、どうしたことだ、と窓から遠退いた。すると、突然扉が開き、黒装束の男が一人、刃物を持って入ってこようとした。

「っ…!誰だ!?」

「お命、頂戴する!」

 李盛は、なす術なく眼を見開く。だが、黒装束の男は、何者かによって上に引き上げられたのだった。

「ぎゃあぁ!!」

 男の悲鳴と共に、バリバリという音がする。李盛は、上に何かがいることに驚き、その場に座る。開いた扉からは、男の血肉が飛び散っていた。

「なっ、なんだ!?」

 しばらく経つと、何も音がしなくなり、李盛は少し腰を浮かす。恐る恐る扉に近づこうとすると、突如血だらけの獣が姿を現した。

 李盛は言葉を無くし、その場を動けなくなる。だが、獣は李盛に手を差し伸べてきたのだった。

「こちらへ来るのだ!」

「うくっ…!」

 李盛は、その獣の紅い眼を見て頭を抱え込み始めた。

「どうした?さあ、私と共に来るのだ!」

 だが、李盛はその獣に手を差し伸べることができなかった。脳裏には、龍狼族(りゅうがいぞく)によって襲われ、その瞳をえぐり取られ、村を焼かれ、死に絶えていく獣たちの姿が映っていた。村人たちの、苦しみもがく様や、悲鳴が鳴り響く。その悍ましい光景に、言葉を失う。

「…私…に、近づくな…!!」

 李盛が叫んだ瞬間、逆の扉から、月慶(げっけい)が姿を現した。

「李盛様、こちらへ!」

 李盛は、虚ろな姿で月慶に掴まり、馬車を脱出した。

「待て!」

 後では、獣が李盛を掴もうとするが、空振りをしたのだった。

            ※

 忠王は、ある書類を片手に、玉座に座り込んでいた。

「忠王陛下!ただいま李盛様がお帰りになりましたが、途中で奇妙な獣に襲われたらしく、お部屋で休まれています!」

「分かった、すぐに行く!」

 忠王は、書類を置き、李盛の部屋へと向かった。

 李盛の部屋には、月慶が待機していた。月慶は、忠王の姿を見るなり、後ろへと下がっていった。

「李盛。道中、難儀だったな!」

 忠王は、李盛の傍らに腰を下ろす。

「大事ございません。危ういところを、月慶に助けられました。それよりも、何か城で動きがありませんでしたか?」

「うむ。だが、それは明日話すことにしよう。とても顔色が悪い。」

 忠王は、李盛の頬を触る。すると、李盛は穏やかに笑う。

「どうかしたのか?」

「不思議です。陛下に触れられた時だけ、とても大きな光を感じるのです。暖かくてとても安心します。でも、陛下の未来を見たことは、一度もないのです。」

 忠王は、そうか、と笑う。

「しばらく、傍にいる。ゆっくりと眠れ。」

「はい。」

 李盛は、ゆっくりと眼を閉じるのだった。しばらくその顔を見ると、忠王は月慶を呼んだ。

「お呼びでしょうか。」

「引き続き、李盛を頼む!」

「御意に!」

 忠王は、再び玉座についた。

「茨駕の動きと、陳王の動き…。動きが一致する!これは、榛王が言っていたことが、よもや的中しているやもしれんな。」

 眉を潜め、忠王は考えを巡らすのだった。


 翌日になり、玉座の横に李盛の姿があった。

「李盛。お前に会わせたい者がおる。そやつが、答えを知っておるやもしれん。」

「はあ。」

 李盛は、浮かない顔をした。昨日の嫌な予感が、更に膨らんでいたからだ。

「連れて来い。」

 忠王の命令で、甜奉が玉座の前に連れて来られた。その瞬間、李盛は体を強張らせた。

 甜奉は、李盛を見るなり、兵の手を払おうと暴れ出す。

「千里眼の主よ、我らの元に来い!お前は、ここに居てはいけないのだ!!」

 李盛は、その場に居たくないのを必死に堪えた。だが、少しでもその場から離れたいと、一歩下がらずにはいられなかった。

「この甜奉のような獣に、襲われたのではないか?」

 忠王の声に、李盛は、ハッとする。

「ち、違います。何者かが、私の命を狙い、この者と似たような獣が、助けてくれたのです。ですが…。」

 忠王は、ふむ、と顎に手を当てる。

「茨駕の一族の事を、調べた。何故、我らに殺気を出しているのか不思議でな。すると、古い書物の中に、我らの先々代の忠王だった者。つまりは、俺の爺様にあたる方が、狼裴(ろうはい)一族の紅い目玉を狩り、皮膚は高く売れたそうだ。目玉を、宝石としていたことが記されていた。もしかして、お前も知っていたのではないか、李盛?」

 忠王の問いに、李盛は頷く。

「はい。この者らを見ていると、その時の光景が、脳裏を横切るのです…!」

 李盛は、頭に手を当てた。

「我ら同胞の思いが分かるなら、共に逃げるのだ!」

 甜奉の紅い瞳が、李盛に重くのしかかる。李盛は、息も絶え絶えになる。

「大丈夫か、李盛!?こやつを、早く牢に連れて行くのだ!」

「や…めろ…!私に、…こんなものを…見せないでくれ…!!」

「李盛!?」

 一声発狂したかと思うと、李盛は千里眼が光っていて、無いはずの右目から血の涙を流していた。その姿を見て、甜奉は言葉を失う。

 忠王は、気を失い倒れそうになる李盛の身体を抱き抱える。

「李盛!誰か、医者を連れて来い!!」

 李盛は、忠王に抱えられて部屋に運ばれる。

 忠王は、歯を食いしばる。自分たちの代々やってきた行いが、今になって出てきた。そして、千里眼を持つ李盛に苦を強いてしまった事を悔いた。

            ※

 寝床に横たわる李盛を見て、忠王は再び甜奉に会う事にした。これは、龍狼族(りゅうがいぞく)狼裴族(ろうはいぞく)との間に出来た(わだかま)りだ。

 牢屋に足を運び、甜奉と会話する。

「お前たちは、李盛にとって毒でしかない!何故、今更行動を起こしたのか、疑問に思っていたが、陳王にまんまとのせられたようだな。」

「なっ、なにを…!?」

 甜奉は、眉を寄せる。

「お前たち一族のことは、今更弁解のしようもない。だが、李盛を苦しめるなら、話は別だ!」

「くっ…!何を言う!!お前も、千里眼の主から、目玉を抜き取ったではないか!!」

「なんだと?」

 忠王は、片眉を上げる。

「あのマントの男が見せたのだ!紫の宝玉を…!そして、龍狼族の忠王が、千里眼の主から無理矢理とったのだと言った!そして、龍狼族が、我らの同胞たちにしてきた報いを、見せてくれたのだ!」

 甜奉は、グルルッと唸る。

「なるほどな。お前たちは、分かりやすくて助かる。どうやら、まんまと陳王に乗せられたようだな。否、陳王の傍に居ると言う、"盛邦(せいほう)"にな!」

「俺たちの苦しみが、分かるか!まだ幼い子供や女人たちまでもが、無理矢理狼の姿にさせられて、生きたまま剣を立てられ、身体の皮を剥がされる思いが、お前たちにわかるか!?目玉をえぐられる気持ちが、お前たち一族に分かるか!?」

 忠王は、悲痛に吠える甜奉の傍へ寄り、膝をついた。

「ああ、分からん。だが、お前たちの行動が、李盛の命を削っていることは確かだ!」

 甜奉は、眼を見開く。

「李盛は、お前たちの意思から、ダイレクトに過去を見せられ耐えられなくなっている。そして、陳王が李盛の千里眼を使えば、李盛は眼の痛みに襲われる。今までに、何度か眼の痛みを訴えてはいたが、今回のような事は、初めてだ!陳王の狙いは、明らかに李盛の命だ!陳王は、帝を頂くため、李盛がいる俺が邪魔だ。だから、お前たちに行動を起こさせた。お前たちに、同じ過ちを起こさせないよう、李盛を拉致するように言われているようだが、それこそ奴の思う壺だ。お前が李盛を連れて行けば、李盛の命も、お前たち一族の命も消える!」

「…それを、どうやって信じろと言うのだ…!お前たちが、同じ過ちを犯さないという保証が、どこにある!!」

「俺は、誰よりも李盛を想い、誰よりも李盛を必要としている!過去の過ちは、今更修復しようがない。だが、李盛を思うのなら、俺を信じるしかない!どうしても、俺の命が欲しいなら、俺が全てを成し遂げるまで、預けておけ!それまで、お前たちは俺を監視するなり、好きにするがいいさ。」

 忠王は、兵士に甜奉から手を放すように合図した。

「し、しかし…!」

 兵士は戸惑い、忠王を見る。

「いいから、そいつを放せ。」

 兵士は、渋々甜奉から手を放す。甜奉は、兵士の手を払い、忠王を殺さんばかりの勢いで威嚇した。だが、忠王は甜奉を見据えたまま、語りかける。

「お前たちに、俺の生き様を見る勇気があるか?」

「?」

 甜奉は、忠王の青い瞳に怯える。不意に、忠王が大きく見えたのだ。

「あっ…。」

「どうした?」

 甜奉は、身を縮めながら、大きく言ってのけたのだった。

「…見てやる!お前が、苦しんで死んで逝く様を!!」

 甜奉は、勢いよく牢屋から出て行くのだった。 

 忠王は、笑みを零す。


 李盛は、(おぼろ)ながらも、眼を見開いた。

「…月慶。」

「ここに。」

 月慶は、静かに姿を現した。

「どれくらい、眠っていた?」

「二日ほど。」

 李盛が、天井を仰いでいると、不意に月慶が声をかけた。

「李盛様。二日間、ずっと外にあの獣の青年が居るのですが、入ってくる様子もなく、遠回しにこちらを伺っています。」

「…そうか。」

 李盛は、一つ考え、月慶に言った。

「しばらく、私の傍を離れてくれないか。」

「し、しかし、それでは…!」

「お前たちに警戒して、私の傍へ寄ってこられないのだ。少し、彼と話をしてみたい。」

 月慶は、戸惑いを見せる。だが、しばらく経って、主の命に従うのだった。それと同時に、だんだんと人影が近づいてきた。だが、警戒して、なかなか部屋の中に入ってこようとしない。

 仕方なく、李盛が声をかける。

「入って来い。」

 その言葉に、一瞬身を縮めるが、青年は恐る恐る扉を開けて入ってくるのだった。その姿は、さながら野生の狼のようだ。

 李盛は、寝床に座り、甜奉の方を向いた。

「もっと、近くに寄ったらどうだ。私を心配して、ずっと見守っていたのだろう?」

 甜奉は、戸惑いを見せ、そこから動こうとしない。

「で、でも、俺が近づいたら、お前…。」

「構わん。今は、何も見えん。」

 李盛の言葉に、甜奉は少しずつ寝床に近づいていった。

「私は、お前たちよりも恵まれている。幼い頃、私も何度この眼を奪われそうになったかしれない。だが、私を守ってくれた優しい師匠がいたんだ。師匠は、自分で学び、自分で身を守れるようになれと、そうおっしやった。人に守られてばかりいては、到底生きてはゆけないと。そして、こうもおっしゃったのだ。決して、人を憎むことをするなと!」

「お前は…!」

 甜奉の言葉に、李盛は耳を傾ける。

「お前は、憎くないのか?憎まずにいられるのか!?自分たちの欲望のために、殺そうとする奴らを…!」

「ああ、憎い。…いや、憎かったと言うべきか…。」

 甜奉は、首を傾げる。

「私は、あの方に会わなければ、きっとずっと人を憎んでいた。しかし、あの人は私に光を与えてくださる。」

「信じられない!あの男が…!?」

 甜奉は、嫌悪感を見せる。

「私は、あの人に無限の力を感じる。千里眼にもおよばない何かを!あの人は、言ったのだ。この世は、千里ではなく、万里にも及ぶと…!そんな世界を、あの人の隣で見て見たい…!」

 李盛の顔は、とても澄んでいて、遠くの未来を予見させた。甜奉は、光輝く瞳に、笑みをたたえる李盛の顔を見て、強く感じた。だが、まだ認められずにいた。

「で、でも、奴は、あんたの眼を奪ったではないか!」

 李盛は、フッと笑った。

「以前、私が殷王(いんおう)に捕まった時に、自らの手で右の眼をほり、忠王陛下にくれてやったのだが、どこかへ捨てられてしまった。」

 甜奉は、え、と眼を見開く。

「まあ、最終的に、一番欲のある王へと渡ったわけだが。忠王陛下は、宝石や財宝といった高価な物がお好きではない。普段も、身につけているお召し物も、民が着る布と同じだ。絹のお召し物など、駄々をこねてあまり着ないのだぞ?」

「…。」

 甜奉は、言葉が無い。

「時には、城を抜け出し、街中の民と戯れている。一緒に商売をしたり、一緒に畑を耕したりしている。まあ、婦女子相手にする事もあるがな。」

 甜奉は、楽しそうに話す李盛の顔をジッと見ていた。

「初めて私と会った時など、山の中で飢え死にしそうになっていたのだぞ?まさか、そんな奴が王だなんて、とても思えなかった。」

「…お前、奴の事が好きなのか?」

 李盛は、予想だにしない質問に、少し照れて顔を赤くする。そして、咳払いを一つする。

「ああ、そうだな。始めは、この強引な男はなんなのだと思っていたが、私は、あの方の傍にいたい!あの人の側に居ると、なんでも出来てしまえそうだから。」

 甜奉は、李盛の言葉に心揺らいだ。

「…俺は。」

「ん?」

「俺たちは、ずっと奴の首を取るのを夢見てきた!一族の恨みを晴らし、一族を再興していくと!だから、奴を許すことは出来ない!」

 李盛は、笑ってみせる。

「別に、許す必要はないさ。」

「え…?」

 甜奉は、キョトンとする。

「私は、とんな人物だとしても、忠王という人の生き様を、この目に焼き付けていくだけだ!お前は?お前は、どうしたい?」

 甜奉は、拳を握りしめる。

「俺は、奴の死に顔を見るまで、恨み続ける!今は、あいつに敵わないけど、強くなって、奴を倒す!」

 李盛は、優しく微笑んだ。

「ならば、共に彼を見ていかないか?これから先、彼の死に様を見るまで、傍にいる気はないか?」

 あまりにも明るい李盛の言葉に、甜奉は心を揺らされた。光のように優しいこの人の傍を、離れたくないと、心から思っていた。

「お、俺は…。」

「…。」

「俺は、お前のためだったら、力を貸す!もともと、俺がここへ来たのは、あんたを忠王から守るためだ!でも、お前が奴を信じるというのなら、俺はあんたを信じる!あんたの傍にいて、あんたを守る!」

 李盛は、笑って頷くのだった。

「ありがとう。お前が守ってくれるなら、心強いよ甜奉!」

 初めて名前を呼ばれて、甜奉は、ドキリとして胸が高鳴る。心なしか、嬉しくて飛び跳ねたくなる。

            ※

 数日後。忠王は、将軍たちを集め、軍議を執り行っていた。

「集まってもらったのは、他でもない。陳王から帝を守ることだ!とは言っても、これは大義名分であって、本当のところは、陳王が持つ李盛の千里眼を奪うことにある。奴ごときが、千里眼を使えるはずかないと思っていたが、どうやら、以前殷王(いんおう)に仕えていた、盛邦(せいほう)が、裏で糸を引いているという!奴は、以前李盛を拉致した際、無理矢理千里眼の使い方を李盛に聞き出していたらしい。そして、その千里眼を持ち入り、狼裴族を焚き付け、その気に乗じて、李盛の命を奪おうとした!これは、明らかに陳王の策である。帝には、蒼仁の軍と、禁軍で向かう!」

「おうっ!」

 蒼仁が、右腕をあげる。

「御意!」

 蒼仁の軍師の仝徳(どうとく)は、腕を前に組む。

 蒼仁、仝徳の軍は、今では五千八百の兵が集まっていた。一年半で、この数は驚異的だった。

「李盛、大事ないか?」

「はい。それに、軍師無しの軍議では、私の立場がありません。」

 李盛のいつもの態度に、忠王は安心し、笑ってみせた。

 忠王は、影から自分に睨みをきらしている甜奉を見て、李盛に尋ねる。

「確か、あやつは俺が解放してやったはずだが、何故まだここにいるのだ?」

 李盛は、ああ、と甜奉を見る。

「彼は、私の護衛をやってくれることになったのです。それで、陛下にお頼みしたいことがあるのですが。」

「なんだ?」

「彼ら一族は、陳王を敵にまわしたことになり、身の安全が保証されません。そこで、陛下には彼ら一族との共存をお許し願いたいのです。」

 忠王は、影で睨んでいる甜奉の顔をジッと見た。

「俺は、別に構わんが、あちらさんが許すか?」

 李盛は、ニッと笑う。

「彼らは、私の身を案じて事を起こしてくれました。ですが、私は彼らの元に行く気はなく、陛下の傍を離れる気はありません。そこで、陛下が彼らを害した場合、私の命を絶つことにいたしました。」

 さらりと言ってのける李盛に、忠王は、やれやれとため息を吐く。

「俺には、選ぶ権利などないではないか。」

「私の命を捧げるのは、陛下のためでございます。」

 不敵に笑う李盛に、忠王は、してやられた、と苦笑する。

「分かった、許そう。その代わり、今回我が軍に加わることが条件だ!」

「早速、伝えましょう。」

 忠王は、李盛から書類を受け取る。

「だがな、今度勝ってなマネをした場合、お前とて容赦せんぞ。」

「はい。肝に銘じておきます。」

 忠王は、署名して李盛に狼裴族との契約書を渡した。

 李盛は、すぐさま甜奉にそれを渡すと、甜奉は懐に入れて足早に去って行った。

 忠王は、契約を破棄することなど、始めから考えていなかった。むしろ、茨駕(しが)が大人しくするのなら、後方の憂いがなくなり、それどころか、自軍への利益になる。しかし、自分の命を軽んじた李盛を、許すことが出来なかった。彼らが、忠王に従うわけがなくとも、そればかりは許せなかった。

「では、改めて。帝への進軍にあたり、先陣をきるのは、蒼仁軍!国境を抜け、直ぐ様帝をお助けしろ!我ら禁軍は、その後に続く!各自、出立しろ!」

「おお〜!」

 皆、大声を挙げる。



 忠王の軍が、進軍開始した途端、ある一報が入った。

「申し上げます!斉国(さいこく)の軍が、国境を挟み、わが国へ侵攻を始めたとのことです!」

 兵士の伝令に、皆、なに、と驚きの顔を見せた。

 忠王とて、それは同じだった。

「あやつめ、まんまと陳王に乗せられおって!」

 とても予想だにしない事態に、忠王は指を噛む。

梓伯(しはく)に、すぐに伝えろ。嵩高仔(すうこうこ)と共に、斉国の国境である醒鋳(せいちゅう)に行き、斉王の軍を迎え撃てと!」

「はっ!」


 思わぬ展開から、各国で動きが見られた。

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